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16 05, 2022

【コラム⑯】そうだ 京都、行こう! ①

By |2022-05-19T21:09:43+09:002022年05月16日|Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

平安遷都1200年の記念事業に合わせる形で1993年に始まったJR東海の「そうだ 京都、行こう」キャンペーン。開催当初、「KYOTO・CLUB」の会員募集があり、応募当選したぼくはおしゃれな会員証をゲットして、「KYOTO・CLUB」が解散するまでの10年間、折をみては京都に足しげく通いました。 KYOTO・CLUB会員証 その後、まとまった休みには繰り返し沖縄を訪れるようになったため、すっかり京都を訪れる機会もなくなってしまったのでした。   先日、十数年ぶりに、ふと「そうだ 京都、行こう」と思い立って、突撃日帰り京都旅行を敢行したので、その旅行記をしたためてみたいと思います。長くなるので、数回に分けて報告することになりそうです。   強行軍ではありますが、早朝の新幹線で京都入りして深夜に帰宅すれば、半日は京都に滞在できる計算になります。 思い切って早起きして東京駅を目指すと7:30発博多行の「のぞみ」に間に合って、いざ出発。不足した睡眠時間のつじつま合わせに新幹線で仮眠をとろうと考えていたものの、久しぶりの遠出でテンションが上がっているうえに、寝過ごして大阪、神戸、下手をすれば博多まで乗り越してしまうという不安もあって、とうとう睡魔に襲われることなく、予定通り9:44に京都入りを果たしました。 十数年ぶりに訪れた京都の駅がすっかり様変わりしていることに、まず驚かされます。 ......

10 05, 2022

【アーカイブ⑥】涙の数だけ強くなれるよ

By |2022-05-10T14:34:56+09:002022年05月10日|Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

世の中には涙の枯れ果ててしまった人もいて、それは紛(まぎ)れもなく不幸な人だろうけれど、涙を道具にして世の中を渡っていく術(すべ)を身に付けてしまった人はもっと不幸だ、と思うのです。涙は、枯れても、温度を失ってもいけないのです。 少年時代、人前ではおよそ泣いたことのないぼくでした。隠れて泣くことすら数えるほどで、それも悲しさや苦しさの表現では決してなく、敢(あ)えて言うなら自分自身の不甲斐(ふがい)なさや悔しさに対する激しい憤(いきどお)りの思い余っての露出だったように思えるのです。 泣くことも、そして怒ることも下手な人間が上手に笑えるものか・・・という気がしないでもありませんが、少年時代のぼくはいつも仲間たちの真ん中で無邪気に笑い転げていました。家庭に、敢えて居場所を作らなかったぼくを支えた「仲間」という存在が、辛うじてぼくの笑顔を保障してくれたという訳です。 今では自分自身の不甲斐なさや悔しさに涙することもほとんどといっていいほどなくなりました。まさかその代償というわけでもないのでしょうが、多少とも人生の機微(きび)を知り、心に複雑な襞(ひだ)が刻まれるに従って、呆気(あっけ)なく涙が頬を伝う瞬間というものが増えたような気がします。ただし、涙が頬を伝うのは、相変わらず悲しさや苦しさの表現では決してありません。敢えて共通点を探すなら、人の心の温かさに触れたとき、健気(けなげ)な生き方に共感したとき・・・といえるでしょうか。他人の人生とそんな風に接点を持ったときばかりではありません。小説を読んでは涙し、映画を観ては涙し、果てはコミックを読んでも涙し…。仮にそれを「泣く」と表現するなら、ぼくは泣き虫になったとさえ言えるほどです。 「涙の数だけ強くなれるよ♪」という歌がありました。ある意味でそれは正しい、とぼくも思うのですが、人は流した涙の分だけ弱くもズルくもなれるのです。だとすれば、その分岐点は一体どこにあるのでしょうか。それは説明に窮する難題ですが、恐らくは涙の色や味や温度(五感で感じるものではなく、心で感じる類(たぐい)のものです)に関係があるのではないかと思うのです。泣いた後を見れば一目瞭然です。ドロドロのぬかるみができて身動きもママならない心を持て余すのか、それとも雨上がりの雲の切れ間のように心に陽が射して、まだ時折滴(したた)る滴の一粒一粒がその光を宿して煌(きらめ)くのか。 もちろん、どんな時だって笑顔でいられたら、それはとても素敵なことです。けれども、これまでの経験と照らし合わせてみても、実際のところなかなかそう思うようにいかず、ぼくらから笑顔を奪うような出来事は本当に後を絶ちません。もちろん、人生笑ってばかりはいられないということはわかっているつもりです。それでもなお、笑顔を絶やさずに生きることの大切さを忘れないでいたいのです。 涙を流すなとか、涙なんていらないというのではありません。時には涙を流すことがあってもいいのです。涙の中から昨日までよりほんの少し輝く笑顔が生まれてくるのだということを、ぼくは信じています。そうでなかったら涙を流す意味がないではありませんか。 君が笑顔を忘れそうになったその時は、どうか思い出してほしいのです。君の周りには、君が一日も早く笑顔を思い出せるように願っている人が、きっと少なからずいるのだということを。もちろん、ぼくもその一人です。 いつも「笑顔」と「元気」を忘れずにいられたら合格。何より君には笑顔が一番似合っている、とぼくは勝手に思い込んでいるのです。 文責:石井

9 05, 2022

【アーカイブ⑤】距離感と凸レンズの話

By |2022-05-09T18:42:42+09:002022年05月09日|Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

凸レンズの仕組みを覚えているでしょうか。 と言っても物理学の話をしようというのではありません。寓話には違いないものの、人と人との「距離」を考えたとき、ふと凸レンズの仕組みとの相似に思い至ったのです。 ご存じの通り、凸レンズは対象から発せられた光を集めて像を結びます。対象がまだ遙かに遠いとき、像はあるかなしかの微少な存在であり、そこから焦点距離に至るまで、対象との距離が近付けば近付くほど実像はその存在をはっきりと示すように大きくなっていくのです。 その間、焦点距離のちょうど二倍の距離にあるとき、像は対象の姿形を等身大で伝えます。もちろん、心の焦点距離が人それぞれである以上、この距離も十人十色となります。そして、そこから焦点距離までの間、像は実物以上に巨大化していき、やがて焦点距離に至って像は無限大となり消滅するのです。「近過ぎて見えないものがある」ということを、誰しもが経験的に知っているはずです。 と、ここまでで終わらないのが凸レンズの話。焦点距離の一歩内側では、対象は光を集めることをやめ、代わりに心のスクリーンの外に果てしなく大きな虚像を結びます。「あばたもえくぼ」、対象に対する願望や思い込みが時として幻影を創り出し、冷静な判断力を失えば、その幻影に惑わされたまま、ぼくらはある日突然裏切られ切り捨てられてしまいます。けれども、その虚像も、そこからさらに、互いの距離が接近すればするだけ、等身大の存在となるべく限りなく収斂(しゅうれん)されていくのです。 人間関係においても、その距離感が、対象の存在を時に小さく、また時には必要以上に大きく見せたりします。しかもそれらは実像であったり虚像であったりして、ぼくらを果てしなく翻弄(ほんろう)します。対人関係において適度な距離感(焦点距離の二倍)が必要なことは、これもまた経験的にぼくらの知るところですね。 さて、もちろんのこと、ここで問題となるのが、自身の心のスクリーンの奥行きが、果たしてどの程度のものかということと、心のレンズの焦点距離がどの辺りにあるのかということですが、その前に心のレンズのゆがみや曇(くも)りに対する日頃のメンテナンスを抜かりなく実践しなければならいないことは言うまでもありません。 その上で、知人・友人のそれぞれと、どの位の「距離感」で付き合っていくのかということが決定されるのです。凸レンズのお話でした(チャンチャン)。

6 05, 2022

【暦の話⑱】八十八夜

By |2022-05-12T14:48:06+09:002022年05月06日|国分寺ブログ|0 Comments

♪ 夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る ♪ あれに見えるは茶摘じゃないか ♪ 茜襷(あかねだすき)に菅(すげ)の笠   唱歌「茶摘(ちゃつみ)」に歌われた「八十八夜」。 「たすき」というと浮かんでくるのは駅伝のイメージかもしれませんが、ここで歌われている「たすき」は、作業をしやすいように袖(そで)や袂(たもと)をたくし上げる紐(ひも)のことで、赤い色をしていることから茜襷と呼ばれています。また、歌に登場する菅笠は植物のスゲを編んだ晴雨兼用の被り物ですが、ここでは日笠(ひがさ)の役目を果たしていると考えられます。ただし、テレビ等で茶摘みに関するニュースを見る限り、手ぬぐいで姉さんかぶりをする茶摘み娘の方がどうやら絵になるようです。 「八十八夜」は立春(2月4日)から数えて八十八日目ですから5月2日にあたります。ただし、昨年のように立春の日がずれると、当然のことながら八十八夜もずれてしまいます。24節気でみると5月5日が立夏ですので、八十八夜は立夏の直前にあたる雑節のひとつとなります。 「八十八夜の別れ霜」という言葉があります。「霜害」といって、作物に被害をもたらす霜ですが、八十八夜の頃を境に霜の心配もなくなるというわけです。逆に言えば、このころまでは霜の被害への注意が必要だという警告にもなります。 さて、立夏も過ぎ、ぼくが一年中で一番好きな季節「初夏」が始まります。草木の、それぞれに個性のある緑のグラデーション。若葉を透きこぼれる優しい木漏れ日。光と影のコントラスト。新緑の梢を渡ってくる風さえもうっすらと緑色に色づいて見えます。 四季折々、気候や自然のたたずまいに豊かな変化のある日本で暮らすのですから、多忙を言い訳にせず、たまには身近な自然の風景に身をさらしてみてはいかがでしょうか。 ......

6 05, 2022

5月のワクワク体験教室案内

By |2022-05-10T14:18:07+09:002022年05月06日|国分寺ニュース|0 Comments

5月のワクワク体験教室ご案内   「密度」と「浮力」のふしぎ? 浮沈子 大ゲーム大会! 5月の「ワクワク体験教室」は、「密度」を理解し、浮力について学んだあと、オリジナルのカラフル浮沈子を作成して、様々なゲーム大会を開催します。楽しくて、ためになる「ワクワク体験教室」に是非お友達と誘い合ってご参加ください。 【期 日】5月21日(土) 【時 間】14:00~15:00 【参加費】500円 【定 員】10名 【申 込】お電話、または下記申込みフォームからお申し込みください。 ファインズ国分寺スクール TEL042-320-2120 ......

28 04, 2022

4月のワクワク体験教室 報告

By |2022-04-28T22:22:34+09:002022年04月28日|国分寺ブログ|0 Comments

4月23日(土)にワクワク体験教室を開催しました。 今月のテーマは「ガウス加速器を作ろう!」でした。 まずはウォーミングアップに磁石の種類について学習。 その後、ワークシートを使っての実験観察です。 鉄球の衝突実験開始!(一部を紹介します) ① ② 予想をワークシートに書いて、結果と比較するという流れで実験を進めていきます。 実験①②は全員がすんなりと予想的中!(③は省略) ④ ⑤ 実験④までは全員がクリア。しかし、実験⑤で一部の生徒が予想を裏切られる結果に! ......

28 04, 2022

【アーカイブ④】ぼくらの時代

By |2022-04-28T14:56:33+09:002022年04月28日|Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

『まだだ。まだぼくは若い。まだ走りつづける。できればこのまま老いぼれて倒れて死ぬまで、どこまでも、どこまでも。 いつまでも一緒にいよう---その夢は消えたけれども、そのかわり、ぼくも走る。信もヤスも、走っていれば、いつかきっとどこかで会えるにちがいない。』 『いつも、明日会うつもりで別れ、昨日別れたばかりのように会えたら最高だね。』 (栗本薫 『ぼくらの世界』あとがき) 久しぶりの休みだというのに、ここのところ働き詰めだった反動か、ドッと疲れが出て昼過ぎまで寝込んでしまいました。それで、少しは外の空気にでも触れようと、午後の街にブラブラと出かけてきたのです。古本屋で気に入った本を三冊買って、そんな些細(ささい)なことですっかり元気を取り戻して、それから馴染(なじ)みの喫茶店でユラユラと香り立つブラック珈琲を飲みました。そういえばいつ頃から砂糖の入らない苦い珈琲を飲むようになったのでしょう。まぁ、それも考えてみれば大したことではありませんね。言い訳がましく一言添えておくなら、それは何も健康を考えてのことではないのは確かです。 『ぼくらの時代』といえば栗本薫の江戸川乱歩賞受賞作品のタイトルですが、その小説の内容とは無関係に『ぼくらの時代』というその言葉が、ぼくの中にずっと居座って、いつの間にかぼく自身にとってもキーワードのようなものになってしまいました。 ところで、『ぼくらの時代』といったら一体いつ頃を指すのでしょう。大体、『ぼくら』の『ら』にしてからがあやふやで、ぼくを取り巻く様々な人間関係の一体どれを指して『ら』なのかってことがいきなり問題となるわけです。あるいはこれから訪れる季節こそが『ぼくらの時代』と呼ぶにふさわしいものであるかもしれないし……と、それでは後が続かないので、取り敢えず通り過ぎたいくつかの季節を振り返ってみることにしましょう。 通り過ぎ、失うということを、ぼくが初めて恐れた時代は間違いなく中学時代です。それはぼくの時間的視野が、過去や未来に渡って広がったことの必然だったのでしょうが、その季節を彩るステキな仲間たち(先生も生徒も含めて)の存在に因るところが大きかったことは疑いありません。「教師」になろうと決心したのは、そんな風にどうしようもなく通り過ぎていく季節の輝きの代償として、次の時代を生きる若い『ぼくら』の夢の片棒を担ごうという思いつきのせいだったのです。そして、そんな夢の通りに歩き始めたぼくを訪れた新しい季節……「高校時代」「学生時代」と、ぼく自身にとっての『ぼくらの時代』も色を変え形を変え、その時々にステキな仲間たちと出会いながら続いてきたのです。もちろん、それは「今この瞬間」にも確かに続いています。だから、中学時代に漠然と感じた哀しみや不安は幻だったと言い切るだけの自信が今はあります。 大切なことは、どの時代においても、生き生きと輝けること。それぞれの季節を、肩を並べて歩くステキな仲間たちを手に入れること。訪れるどんな季節であっても、『ぼくらの時代』と胸を張って言えるということ。今なら、そんな風に思えるぼくです。 --- ここでかつての教え子二人の作文を紹介します。 --- ......

26 04, 2022

【コラム⑮】face up to~

By |2022-04-26T14:15:28+09:002022年04月26日|Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

「うつむいていた顔を上げてみましょう。」 前回のコラムのまとめに書いた一文です。 書きながら、ふと思い出したエピソードがあったので、以前どこかで紹介したかもしれませんが、今回はそのエピソードを紹介します。 もう随分と昔の話ですが、中学受験で桜蔭中学に進学した、かつての教え子からもらった手紙にこんなメッセージが書かれていました。 「先生からの手紙は、いつも私を face up させてくれるだけでなく、face up to ......

21 04, 2022

【アーカイブ③】「ケータイが照らす新しい自分」

By |2022-04-22T22:51:48+09:002022年04月21日|国分寺ブログ|0 Comments

突然の暗闇。 一瞬にして館内の照明がすべて落ちた。 生徒たちが夜の自立学習に入ってわずか30分後のことだ。   四校舎合同で開催された清里での第一回サマーセミナーは既に三日目を終えようとしていた。一日の授業を終えて、夕食と温泉入浴の後、ここ清里の公民館へ移動した。学年毎に三つの会議室に分かれて午後9時から始まった自立学習はそうしてわずか30分で中断を余儀(よぎ)なくされたのだった。 光に慣れきった目は、闇の中に確かに存在するはずの様々なものたちの像を結ばない。だが、ざわついたのはほんの一瞬で、それぞれの課題に既に集中し切っていた生徒たちは、動じることなくその暗闇の中で静かに復旧の時を待っていた。 近隣の住宅の灯りは煌々(こうこう)と点っていて、地域的な停電でないことは容易に判断できた。が、事態は思いのほか深刻で、玄関脇のブレーカーは予想に反してONのまま、ヒューズも飛んではいないという原因のわからない停電。ブレーカーのスイッチをすべて入れなおしてみたが灯りは一向に点る気配も見せない。 スタッフの幾人かが事態の復旧に奔走(ほんそう)する中、放ってはおけない生徒の様子を確かめようと小学校6年生の自習する会議室を覗(のぞ)いたスタッフの間に衝撃が走る。直ちに復旧しない明かりを待ちかねた生徒たちは、宿舎への夜道に備えて携帯していた懐中電灯の明かりを点して、自立学習の続きを始めたのだ。それは異様な光景だった。どう考えてみても普通ではない。国立や私立の中学校に進学するために塾に通う、恐らくはこれまで苦労らしい苦労など知らず、充分に恵まれた環境の中で育ってきたに違いない小学生たちが、今、互いの顔も判らない暗闇の中で懐中電灯の明かりだけを頼りに文字通り自立学習を進め、目に見えない何かを乗り越えようとしている。 同じ頃、総勢64名の中学生を収容した大会議室にも懐中電灯の明かりが灯り始める。そうして闇の中に走るシャーペンの音に決意を迫られた生徒達が、あるいは友達と一本の懐中電灯の明かりを分け合い、あるいは携帯電話の待ち受け画面のわずかな明かりの中で、自立学習を再開し始める。偶然にも往路のバスの中で行われたクイズ大会の賞品が「光るブレスレット」であったことを思い出した国分寺スクールの生徒が、その数本を取り出して、明かりのない生徒に配り、幾人かが夜光塗料の放つ緑色の淡い明かりを頼りに負けじと勉強を始める。 東京電力に電話を入れて指示を仰ぐが効果はなく、復旧作業を要請したが到着まで1時間弱かかるとのことで、無念ではあるもののその時点で学習の継続を断念し、輸送用にチャーターしてあったバスの到着を待って小学生から順に宿舎へ帰すことにする。 ......

14 04, 2022

【アーカイブ②】「少年時代」

By |2022-04-14T21:03:30+09:002022年04月14日|国分寺ブログ|0 Comments

いつだったか、部屋の整理をしていたら、すっかりホコリをかぶった小学校時代のアルバムが出てきた。なつかしさにページをめくっていくと、そこに飾られた写真の向こう側に、ぼくと、ぼくの周りで輝いていた仲間たちとの、形にならない思い出が見えかくれした。 なぜかそんな思い出の舞台は、いつも決まって青い空と白い雲と野や山の風景だ。 自然の中で「水」のある風景に出会うと心がときめくのはなぜだろう。列車に乗って旅に出ると、ガラス窓の向こうに遠く光って海が映る瞬間に、ふと心が波立つことがある。けれども、そんな時「あっ、海!」と叫ぶのは、今は残念ながらぼくではない別の少年だ。 名をなした作家たちの作品に「少年時代」と題したものがまざるのは、それなりに理由のあることに違いない。ぼくにしても、今は形にならないぼくの「少年時代」を、いつか言葉にする瞬間が来るのだろうという予感はある。今のところ予感は予感のままで、一向に形になる気配もないが、無理に言葉をつなげてみても、都合よくゆがめられ、あっけなく壊れてしまう世界のような気がして、いつかぼくの胸の奥から自然に言葉となってあふれ出してくるまで、今はそっとしておこうと気の長いことを考えている。 いつまでも子どものままでは困ってしまうが、かといって、自分がなりたいと思う大人の姿が見えない、そんな時期があった。子ども心にも「こんな大人にならなりたくない」と思うような見本はいくらでもいた気がする。 仲間たちとずいぶんイタズラを重ねた。むしろ大人たちが眉をひそめるような連中に、特に親しい仲間が多かった。 公園やゴミ捨て場に置き去りにされたジュースやビールの空きびんを拾い集めてきれいに洗い、酒屋に持っていってわずかばかりの小遣いに換えた。森林公園の人目につかない片すみに拾い集めた木切れやトタンで「基地」を作って、ローソクの灯りの下で持ち寄ったマンガを読みあったり、手分けして宿題を片付けたりした。夏になると立ち入り禁止の採石所の巨大な水たまりで水泳をした。高い給水塔の上にのぼって、いつもは見上げる五階建ての団地を見下ろしながら、あるともない将来の夢を語り合ったりした……。数え上げたらきりがない。 そうしていつも、まるで勲章のように傷だらけのぼくらだった。 けれども、そんなぼくも、嫌いなものにつばを吐きかけてまで肩で風を切って歩くことはとうとうできずに、そんな事情を知りもしない大人たちからは「良い子」の札をはられたままで「少年時代」を卒業した。 「ここからはお前の来るところではない」と、その最後の一線を越えることをぼくに許さなかったのは、激しく大人たちと火花を散らしながら、「最も問題のある子」と決めつけられていたぼくの親友だった。 ......

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