国分寺ブログ2021-05-24T15:38:56+09:00

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712, 2023

【コラム㊲】2023年 秩父夜祭

By |2023年12月07日|Categories: Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

2023年12月3日(日) 秩父夜祭 本宮 12月3日が日曜日と重なるのは6年ぶり。ちなみに、次回は5年後の2028年です。 ブログで紹介した流れで、折角だからと秩父へプチ旅行しました。 ①西武秩父到着 西武秩父駅は温泉施設も併設しています。 駅前のロータリーには出店の屋台がひしめき、観光客や地元の方々で行列ができていました。 西武秩父駅 ②広い路地にはどこもかしこも出店の屋台が並んでいます。 ......

1711, 2023

【コラム㊱】秩父夜祭

By |2023年11月17日|Categories: 国分寺ブログ|0 Comments

 今年も、12月2日(土)宵宮~12月3日(日)本祭の二日間、秩父夜祭が開催されます。今年は、待ちに待った日曜日開催となります。  12月3日が日曜日と重なるのは、5~6年に一度。ちなみに12月3日が日曜日と重なる次の機会は5年後の2028年です。平日開催では残念ながら、日中に現地入りして祭に賑わう秩父散策をゆっくりと楽しむことができません。  既にご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、秩父夜祭は国の重要無形民俗文化財に指定され、京都の祇園祭・飛騨の高山祭と並んで「日本三大曳山祭」に数えられる、三百有余年の歴史を誇る由緒ある祭です。  秩父神社の女神・妙見様と武甲山の男神・龍神様の年に一度の逢瀬というロマンスを軸に、各町村の屋台(いわゆる山車のことを秩父夜祭では「屋台」と呼びます)6基が市内を巡行し、御旅所で一堂に会します。巧の技を極めた極彩色の彫刻と金糸をあしらった幕の刺繡も見事な屋台と笠鉾が奏する秩父屋台囃子は、師走の凍てつく空気を震わせ直接肌を打ち、腹の底を揺さぶります。  夜半から帰路の巡行が始まり遠い町村の屋台は明け方にようやく蔵に収まるという、その名のとおり「夜通し」繰り広げられる夜祭ですが、見物客にとってのクライマックスは何といっても<冬の花火>です。  頬を凍らせるような凍てつく冬の大気を震わせ、澄み渡る漆黒の夜空に次々と花開く大輪の打ち上げ花火。かじかんだ指先を甘酒の紙コップやホットコーヒーの缶で温めながら、真っ白な息を吐いて見上げる冬の花火は、普段ぼくらが感じているような平面的な光の花模様ではなく、球形に膨張し空間を創出します。  かつて仲間たちと車で秩父入りした年には、帰途に就く屋台を飛び入りで曳かせてもらい、市内を曳きまわし蔵に収めるまで同行しましたが、気が付けば午前三時を回っていたりしました。  ところで電車での行き帰りとなると気になるのが帰りの電車ですが、調べてみたところ、秩父夜祭のための臨時特急は午後八時以降、既に全て満席となっていました。ギリギリまで現地に残り冬の花火を楽しもうと思えば、秩父21:34発の快速急行池袋行き(所沢・東村山乗り換えで国分寺へ)が手頃で、国分寺着は23:38。最終電車は22:14発(東飯能・拝島・立川乗り換え)で、国分寺着は00:19となります。    花火大会が19:30~22:00となっていますので、一時間程度<冬の花火>を堪能して、ぼちぼち帰途に就くというようなスケジュールとなりそうです。もちろん日中の秩父を楽しんで夕刻に帰途に就くという楽しみ方もあるかと思いますが、お勧めは何といっても<冬の花火>です。 ......

1311, 2023

【コラム㉟】冬の初めの日に……

By |2023年11月13日|Categories: 国分寺ブログ|0 Comments

 冬が好きだ、と言った生徒がいました。  初冬のキンと冷えた空気が、冷たい水で顔を洗った時のように、魂を目覚めさせてくれる感覚がたまらなく好きだと彼女は丁寧に説明してくれました。  身を切るような風に背中を丸めるのではなく、潔く背筋を伸ばして歩きたい、と。 風は冷たいけれど、爽やかな一日です。  今となっては確かめるすべもありませんが、それはちょうど今日のような天気の日を指していたのではないかと思うのです。 校舎から見える南東の空 ......

2710, 2023

【アーカイブ㊾】片月見・片見月

By |2023年10月27日|Categories: 国分寺ブログ|0 Comments

 観月の楽しみは、旧暦8月15日の十五夜(中秋の名月)と旧暦9月13日の十三夜の2回あります。10月10日の十夜を含めて3回とも言われていますが、今回の表題である「片月見(かたつきみ)・片見月(かたみづき)」は、8月15日と9月13日の2日のうち、どちらか一方だけの観月を指します。  細かいルールでは、8月15日に中秋の名月を眺めたのと同じ場所で9月13日に再び月を眺めなければならないとされていて、それを違えると「片月見・片見月」といって縁起が悪いと考えられていたようです。  十三夜は、満月の二日前の月ですので、月の左側の縁がわずかに陰っている未完成の月です。しかし、思い返せば日本人は、この未完成で不完全なものをこそ愛でる独特の世界観を持っているようです。 「花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは。」(徒然草 兼好)    「徒然草」の原文では、このあと「今にも咲きそうな桜の梢や、すっかり花が散って、しおれた桜の花びらが点々とある庭などにこそ見る価値が多い」という内容が続きます。  書画の世界でも、日本人はシンメトリーの完全な構図より、左右非対称な構図に、また描かれたものだけでなく描かれない余白に美を見出します(余白の美)。表現されるものと表現されないものの絶妙なバランス。そうして想像力の働く余地を残す奥床しさをこそ価値あるものと捉えてきたのです。 余談  理科の学習で覚える月の名前は、新月・三日月・上弦の月・満月・下弦の月の5つですが、十五夜の満月を過ぎて、16日目の月、17日目の月……と日ごとに変化していく月の異名をご紹介して筆をおく(キーボードを打つだけなのに「筆をおく」というのも妙な表現ですが)ことにします。 ・十六夜 いざよい ......

1310, 2023

【アーカイブ㊽】そうだ京都、行こう。

By |2023年10月13日|Categories: 国分寺ブログ|0 Comments

 一人で旅をするようになったのは、一体いつの頃からでしょうか。  気の合う仲間たちと大勢で楽しく旅行をするのも、それはそれで充分に魅力的なことではありますが、時折ふと一人きりで旅に出たくなることがあるのです。  永六輔の「遠くへ行きたい」に歌われたように、見知らぬどこかの街角で愛する人とめぐり合うというファンタジーへの淡い憧れがないと言えば嘘になるでしょうか。けれども、一人で旅をするのは、それを期待してのことでは決してありません。旅で出会うのは風景や人ばかりでなく、おそらくは自分自身でもあり、そうして自分自身と向き合うことの必要性がぼくを一人旅へといざなうのではないかと考えたりもします。  ジャズのスタンダードナンバーである「My favorite things」のオーケストラ・アレンジにのせて、JR東海の「そうだ 京都、行こう」のCMがスタートしたのはもう随分と前のことになります。当時、キャンペーンの一環として「京都クラブ」の限定会員募集があり、早速応募したぼくは見事に当選して会員証と会員規約とを手に入れました。会費無料でありながら、イヴェント情報満載の季刊ガイドブックや会員限定のクーポン券やサービス情報等が随時送られてくるという魅力的な企画です。それが契機(けいき)となって、一人旅へ、それも京都へ、と行き足がついたことは言うまでもありません。多い年には四度も京都を訪ねました。  さてさて、今年の修学旅行シーズンもいよいよ後半戦へと突入しました。多くの中学校が夏前に済ませる中、まるで時差通勤のように一部の学校では2学期を待っての修学旅行となるわけです。  中学の修学旅行といえば「京都・奈良」と相場が決まっています。ゆえに生徒のお土産は、多少のバリエーションはあるものの、やはり「生八橋」の頻度(ひんど)が高く、5~6月はひたすら「生八橋」を消費する日々を重ねたのでした。  ぼくが初めて京都を訪れたのも、もちろん中学校の修学旅行でした。残念ながら自ら企画を立てたわけでもない無我夢中の団体旅行において、印象に残っている風景はそうそう多くはありません。 ......

2909, 2023

【アーカイブ㊼】街で拾った話

By |2023年09月29日|Categories: 国分寺ブログ|0 Comments

 仕事の合間に受付けの野崎さんと話していて、思わず笑ってしまった話を紹介します。  野崎さんが町で拾った、ちょっと可笑(おか)しくて、けれどもほんの少し素敵な話です。想像力を働かせて、その情景を思い描いてみてください。  学校の帰り道でしょうか。小学4年生くらいの男の子が歩いています。その後ろを追うように小学6年生くらいの女の子がついていきます。  一体どんな話の続きなのか、年上の女の子が男の子をからかうように「キモ~イ!」とちょっかいを出します。すると年下の男の子が、少し怒ったように「キモイってなんだよ」と言い返します。  「キモチワルイを省略した言葉よ」と女の子。  「だったら初めからキモチワルイって言えばいいだろ。そんないい加減な言葉遣いをするから日本語がどんどんだめになっちゃうんじゃないか」と男の子。  どうですか。小学4年生の男の子と小学6年生の女の子というキャスティングが最高ですね。その年頃の正義感と精神年齢の高さで女の子が男の子を言い負かすのでもなければ、年上が年下をたしなめるのでもなく、年下の男の子が一人前の語り口で、それも「キモイ」と言われたことへの直接の反発ではなく、むしろ「キモチワルイ」と言われることについては納得して受け入れる覚悟を示しつつ、「日本語の乱れ」などという正論を吐いて話を自分の土俵にのせてしまうところが絶妙です。  ついでですが、最後に、ぼくがこれまでに町で偶然耳にした言葉の中でも、とっておきの一言を紹介することにしましょう。この言葉の奥深い可笑しさと恐さは、にわかに理解できないかもしれませんが、じっくりと味わってみてください。 「コンタクト、似合わないからやめた方がいいよ」

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