そうと意識し始めたのが果たしていつであったのか残念ながら記憶にはないものの、随分と長い間、薔薇の花が好きではありませんでした。 別に松尾芭蕉を気取るわけではありませんが、仮に薔薇の花が美しいものだとしても、その美しさを殊更(ことさら)に見せ付けるがごとき厚かましさは「野暮(やぼ)」以外の何者でもないではないか、と、そんな漠然とした忌避感(きひかん)があったのです。
 けれども、ある雨の休日、通りかかった5月の小さな庭に、特に手入れされているという風情でもなくしっとりと群生した、まるでビロードのようなワイン色の小振りの蔓薔薇(つるばら)の花が、どうにも「粋(いき)」に思えて、以来、雨に濡れたその蔓薔薇の花がどこか愛(いと)しい存在となったのでした。 薔薇といえば、神代植物公園に見事な薔薇の大庭園があります。いつだったか仲間を募って深大寺蕎麦食べ歩きの会を開いたときに、カリオンの音に導かれるように迷い込んだその大庭園で、これまで見たこともないような色とりどりの立派な薔薇が、辺りをまるで西欧の宮殿のように飾っているのに出くわしました。時は五月。そこまで開き直れば、なるほど薔薇の薔薇たる意味があるのかと感心させられる一方で、けれども、やはりそれはぼくの心の小さな庭を飾るには似つかわしくない、あの「雨に濡れたワイン色の蔓薔薇の花」を凌駕(りょうが)する存在ではなかったのです。

余談ですが、もう随分と昔、よく職員室に入り浸っていた中学3年生の女生徒が「私は職員室の薔薇よ」などと嘯(うそぶ)いていたことを思い出しました(^^;)。