代表コラム2021-06-04T11:58:34+09:00

代表コラム

第76回「論語素読講座③」

~学ばざれば道を知らず~

 今日からサマーセミナーで山梨県西湖に来ています。
第3回はここ西湖からお届けします。
セミナーでも受験生以外の学年に「論語特別講座」を担当することになりました。少しでも「夢を持つことの大切さ」「努力することはカッコイイこと」「学ぶことの意味」を感じて貰えればと思います。この様子は別の機会に書こうと思います

さて、私の郷里は名古屋の都市部にありましたが、それでもまだまだ戦争の爪痕があちこちに残っていました。大好きな遊び場は、高射砲陣地の跡地でした。戦後20年近く経過していましたが、ここはまだトーチカのコンクリート台の跡が残っていて、背丈ほどの雑草で覆われていました。われわれ「悪童たち」には格好の秘密の遊び場所だったのです。
生活レベルは決して豊かとは言えませんでしたが、日本全体が「戦後」からの復興を目指し、モーレツな勢いで経済成長を遂げているまさに「高度成長期」に青春を過ごしました。
その成長のシンボルである東京オリンピックを中学生で見ることになりますが、「これで日本もやっと世界から認められるようになった」という世の中の高揚感が、私にも伝わってきたことを覚えています。
東京オリンピックから48年。ロンドンオリンピックも終了。世界と戦った日本の若者たちの口から「感謝」の言葉が出てくるのを聞き、「日本もまだ捨てたものではないな」と感じつつ、ナショナリズムを高ぶらせた17日間でした。外国のメダリストの口から、家族やコーチ以外の人への「感謝」の言葉は聞いたことがないとレポーターが言っていました。東日本大震災の時に続き、日本人の優れた特質を感じたのは私一人だけではないような気がします。
スポーツであろうと勉強であろうと成長するために不可欠な要素。それは「素直な心」と「感謝の気持ち」なのです。

では、本題の教育の話に戻りましょう
私たちの親世代は、ほとんどが大正生まれで、「学士様」といえばそれだけで尊敬を集めることができたようです。その戦前世代の一番の望みは、自分たちが叶えられなかった「大学」に入れ、やがて来るであろう「豊かさ」を享受するための「資格」を子供たちに与えることでした。
国民の教育熱は盛んでしたが、当時「塾」といえば、「ソロバン塾」くらい。勉強しに塾に行くといえば、「勉強ができないから行く」と思われるような時代でした。
中学入試をする生徒は、クラスにはいませんでした。そもそも中学入試なるものが存在することすら知りませんでした。
高校受験は、われわれが最後の年でしたが、公立高はなんと「9教科入試」。必然的に暗記型の入試でした。「頭がいい」というのは、「記憶力がいい」とほぼ同義だったような気がします。昨今はやりのPISA型問題とは、大きな違いがありました。
大学も国立大は1期校、2期校の時代でした。文系といえども理科は2科目選択でした。また 数学は、数ⅡBまで必修。私は文系志望にもかかわらず、愚かにも数Ⅲまで選択して、1時限目でチンプンカンプン。数学の才能の無さを自覚させられたことを覚えています。
「共通一次」もまだ始まっておらず、旧帝大をトップ層とする大学の序列化が予備校で叫ばれていました。
「受験戦争」という言葉がマスコミで批判的に使われ始めた頃でした
つづく

第75回「論語素読講座②」

~学ばざれば道を知らず~

 授業の様子に触れる前に、私の少年時代のことを書いてみます。

私は「団塊の世代」のすぐあとの世代です。私の少年期は、まだ「ふかし芋」がおやつに出るのを楽しみにしていたくらいで、「三丁目の夕日」がぴったりの時代でした。
果物に関する思い出を二つ。当時、バナナやメロンは庶民にはまだ高級果物でした。そして、私にとっては思い出のある果物です。

小学5年生の夏。引っ越してきたちょっとリッチな友達の家に悪友4人と遊びに行ったときのことです。その時の感激・無念さ・恥ずかしさはいまでもはっきり覚えています。
さすがお金持ち。おやつの時間。バナナがなっ、なんと「ひと房」まるごと出てきたではありませんか!実はそれまで半分に切ったバナナしか食べたことがなかったのです。滅多に口にできないバナナ。家では弟と分けるためいつも二分の一。(どういうわけか父母の分を含めた四分の一ではありません。)
だから、私は「一本まるごとバナナのむき方」を知りませんでした。そこで、私は友達がむくのを見てから食べようと手を付けませんでした。ところが、他の友人たちも誰も手に取りません。みんな隣をキョロキョロ見ているばかり・・せんべいとかお饅頭にばかり手をつけていました。
すると、友人のお母さんがやってきて、「あらあら、みなさんはバナナがお嫌いなのね!」と言って下げてしまったではありませんか!
私は・・・唖然!ガックリ!
このことがあってかどうか不明ですが、バナナは一番最初に手にとる癖がついてしまいました。現在は100円で数本買えます。でも、バナナを朝食でとるたびに、この時のことを時々ふと思い出し、ニヤッとしてしまいます。

後日談。
卒業後24,5年経って同窓会で悪童たちと旧交を温めていたとき、この「バナナ」の話が偶然出ました。なんと!彼ら全員、「むき方」を知らず、ずっと誰かがむいてくれるのを待っていたそうです。一同大爆笑。以後この5人を「バナナクラブ」と呼んでいます。
しかし、ひとりは物故者。4人に減ってしまいました。

次にメロンの思い出。この当時、なんとか入院したいといつも念じていました。というのは、弟が盲腸で入院したとき、お見舞いでもらったメロン(マスクメロンなのかどうかは不明)の味が忘れられなかったのです。なんども「一切れでいいから買って!」と母に頼み込んだのですが、「あれは病気になったときしか食べられないのよ」とにべもありません。だから、「どうしても、できれば手術しないですむ病気で入院したい」と切望していました。しかし、親からもらった頑丈な身体。一度も入院できずじまい。その夢は叶えられることはありませんでした。

その母も93歳。施設でお世話になっています。果物はなかなか口にできず、「バナナ、メロンが食べたい」といいます。自分は口にすることはなかったであろう果物を持参すると、「お前は食べたのかい?」と必ず聞くのです。
「ああっ、腹いっぱい食べたから、おふくろも食べな!」
「そうかい。食べたのかい。たくさん食べたんだね。じゃぁ、いただくよ」
シミとシワだらけのゴツゴツした手。50年前の夏の暑さがそこにありました。
つづく

第74回「論語素読講座①」

~学ばざれば道を知らず~

 新指導要領について、あれこれ考えているうちに、どういうわけか筆不精になり、しばらくコラムをご無沙汰してしまいました。
教育の末席に置かせていただいている身として、どうしたら人材育成という私塾の使命を果たすことができるのか。大津のいじめ事件などを見ながら、今できることを模索していました。しかし、「想い」だけでは、何も変えられないし、変わらない。
そこで2年前に始めようと考えながら、頓挫した「論語講座」を今一度始めてみようと思いたち、早速鷺沼スクールで6月から始めました。

今の子供たちが「学び」に意味を見いだせないのは、「何のために学ぶのか」という根本的な問に答えられる大人がいないことも理由の一つであるような気がしてなりません。
「あこがれの学校の制服に袖を通してみたい」という子供の身近な目標は、もちろん学習の動機付けとして否定しませんし、今も昔も大事なことです。
しかし、そうした身近な目標さえ、「所得の2極化」の拡大により、誰もが持てる目標ではなくなりつつあります。
団塊の世代、高度成長期に誰もが夢見た「一元的出世感」は、その善悪はともかく、今では「夢のまた夢」といえるのではないでしょうか。
では、われわれ教育に携わる者として、指をくわえて現状を見ているだけでいいのか。
どんなに少なくとも、今目の前の一人の生徒から始めてみよう。さぁ、行動開始!

月1回。土曜日の午後。テストが終わってからの参加自由の無料講座です。
今どきの生徒が、このような「わけのわからない」授業を聞いてくれるのだろうか?
一体何人が出てくれるだろうか?そんな不安を抱えながらの1回目の授業でした。
教室に入ると、10名ほどの生徒がいました。6年の女の子が圧倒的。5年生も混じっていました。
私も久しぶりの現場。それも教科の授業ではありません。新任の教師のようにドキドキしているのが、自分でも新鮮でした。

第73回「指導要領改訂に想う④」

~小学校はどう変わる?~

 過去の指導要領の経緯はともかく、昨年4月からすでに導入済みの小学校の学習内容がどうなっているかをこれから見てみましょう。

ところで、ファインズグループでは、新指導要領導入により、学習内容がどのように変わっているかをグラフ等を使い分かりやすく説明した小冊子「ご存知ですか? 教科書維新」を作成しています。ご希望の方は是非お近くのファインズ・フィスゼミ各スクールにお問い合わせください。
さて、このコラムではすべての学年を取り上げることはできません。
そこで、全学年の中で最も変化の激しい4年生を特に取り上げてみることにします。

今回の改定で量的にも質的にも最も大きく変わっているのは4年生と言えます。
旧教科書とのページ数アップを比較すると、算数141%(6学年中で最多)、国語128%、
理科124%、社会113%となっています。中でも算数の4割アップは目につきます。
以前から算数は4年生が「要注意」と言われていました。それは小数・分数が登場し、ここで分からなくなる生徒が多いためです。
今回の改定では、「分母が同じ分数」や「10分の一までの小数の足し算・引き算」は、3年生に降りてきていますから、3年生も算数嫌いのポイントになるかもしれません。
しかし、4年生の量的質的増加は半端ではありません。
例えば、5年生から降りてきた単元年としては、「四則計算」「小数×整数」「小数÷整数」
「分数の足し算・引き算」「平行と垂直」「平行四辺形・ひし形・台形」があります。
さらに、6年生から降りてきた単元として、「立体形・直方体・見取り図・展開図」「大きな数・概数」も加わります。演習問題数も増加しています。

現在の授業時間数でこれだけの量をどうやって教えるのでしょうか?!

すでに一部の小学校では「土曜日授業の再開」が始まっています。学校は勿論ですが、これからは教育の質の向上については、「親の責任」も増えると言わざるを得ません。

第72回「指導要領改訂に想う③」

~「勉強」は悪か?~

 今回の指導要領改訂の要因として、このPISAの成績ダウンが一因となったことは否めないと思われます。しかし、それだけではありません。

10年前の「ゆとり教育」導入以前、日本の学校教育は問題が山積していました。
「落ちこぼれ児童」「授業中の立ち歩き」「学校の荒廃」。「分数のできない大学生」なる本もベストセラーになっていました。
大学の入試制度も、少子化を見通し受験生を確保したい思惑から、年を追うごとに科目減の傾向が顕著になっていました。中には「一芸入試」をアッピールする大学も現れ、「けん玉」を面接で行い入学を認める大学まででる有様でした。「最高学府」とは、もはや名ばかりでした。
「中教審」の主要メンバーのある有名な女性作家は、「数学なんて大人になっても役にはたたない。私は数学はまじめにやらなかったが今ちゃんと作家で身を立てています」(趣旨)と発言し、心ある教育関係者からはひんしゅくを買っていました。

当時の世論は、「詰め込み教育=悪」という流れで、一斉に「ゆとり教育」に流れていきました。
しかし、その結果はどうだったでしょうか?
「落ちこぼれ」はなくなったでしょうか?「荒れる学校」は減少したでしょうか?
「否」です。
国公立大学の6割で、高校の教科書を使った補習が行われている現実が残っただけでした。

公務員の週休2日制移行に伴い、学校も土曜日を休みにする。その結果、授業時間数の減少が生じることとつじつま合わせのために、学習内容の削減をする。非常に現実的な「労務対策」が背景にはあったのです。
にもかかわらず、「詰め込み教育」に原因があるかのような報道がなされていました。

私は12年ほど前、ある文部官僚にこう質問しました。
「あなたは中学受験で難関校に入り、東大を出ていますね。受験の荒波をくぐってきたわけです。その受験は、あなたの精神を荒廃させましたか?受験は無意味でしたか?
あなたにはお子さんがいますか?そのお子さんは公立に通われていますか?これだけ学習内容が減少する公立に通わせようと思いますか?」
「日本はこれで韓国の7割しか勉強しないことになります。それで科学技術立国が維持できますか。維持できない時、その責任は誰がとるのですか」と・・・

「教育」は、人間の特質です。種としての「人」を唯一「人間」たらしめるのは、教育しかありません。
「役に立つことだけを学習する」のが小中生の教育の目標ではないはずです。

第71回「指導要領改訂に想う②」

~PISAテストとは?~

 ここでPISAテストとは一体どのようなテストか、ご存じない方もおられると思いますので、簡単に説明したいと思います。

PISAテストとは,OECD(経済協力開発機構)が実施する学力到達度調査のことで、Programme ……

第70回「指導要領改訂に想う①」

~教科書維新 来る!~

 我が国の教育の指針となる「指導要領」が10年ぶりに改訂されました。
小学校では今春から導入済み。中学校では来春から実施されます。
今回の改定はこれまでの改定とは異なり、これからの日本の教育界に、日本の行く末にもかかわる大改定になっています。
マスコミにも最近やっと取り上げられるようになりましたが、中身については詳しく触れられていません。そこで、「何が問題になるのか」を知っていただくため、この話題をこれから数回に分けて取り上げることにします。

日本は戦後ほぼ10年に一度「指導要領」を改訂してきました。前回の改定は2002年。「ゆとり教育」と言われるものです。
この「ゆとり教育」は、「荒れる学校」をなくし、「落ちこぼれ児童」を出さないことが目標だと言われていました。
しかし、この目標は達成されたでしょうか。その「答え」が今回の改定なのです。

「ゆとり教育」導入により、日本の教育水準が低下したことは、「PISAテスト」のランクが低下したことに象徴的に表れています。(参考:

第65回~第67回「歴史に学べ」

~「に」と「を」の違い~

 今回の東日本大震災で東北の市町村は、街そのものが消えてなくなるほどの甚大な被害をうけました。そんな中、唯一と言ってもよいほど死者や倒壊がなかった村が存在するのです。岩手県普代(ふだい)村です。人々はこれを「普代村の奇跡」と呼んでいます。

今回はこれについて書いてみましょう。

岩手県宮古市から車で少し行くと、ワカメとコンブの養殖が産業の中心の人口3千人ほどの小さな村があります。今回の震災で、漁港にあった船600隻のうち550隻が流されたり壊されてしまいました。ところが、この村は震災後に船を見に行った人が一人行方不明なだけで、なんと亡くなった人がいないのです。
その理由は一体何か?それは高さ15.5メートルの水門と防潮堤でした。

この防潮堤と水門は、過去の悲劇を繰り返してはいけないと、和村幸得元村長が周囲の反対を押し切り完成させたものでした。
この村は、明治29年と昭和8年の大津波、昭和35年のチリ地震、36年の三陸フェーン大火、41年の集中豪雨と約100年の間に5度の大きな災害を経験しています。日本列島自体が災害の多いエリアですが、それでもこれほどの被害を短期間に受けている地域もありません。

わずか3千人ほどの村で、明治の大津波では1010人、昭和の大津波でも137人の犠牲者をだしています。「なんとかして村人を災害から守りたい」それが歴代の村長の願いでした。この歴代村長の願いを実現したのが和村元村長でした。

この防潮堤と水門が、村民の命と財産を守ったのですが、実は津波は15メートル以上ある水門を5,6メートルも超えてしまったのです。しかし、津波はこの水門に当たると勢いは減殺され、普代川をさかのぼるとやがて止まってしまい、普代村は被災を免れたのです。

防潮堤は昭和43年、水門は59年に完成しますが、総工費35億円超の、当時としては膨大な工事費が必要なことから、「これほど大きな水門が本当に必要なのか」「もっと小さなものでも十分なのではないか」等の反対意見も根強くありました。

また、この防潮堤・水門より以前に、昭和37年には普代川の左岸に856メートルの防潮堤がすでに建設されていました。ところが、この防潮堤の海側に三陸縦貫鉄道や国鉄の普代駅ができると、それに伴い宅地化が進み、学校や野球場等の公共施設ができました。

そのためこれまでの防潮堤では民家や施設を津波から守ることができなくなったのです。 ……

第61回~第64回「なぜ学ぶのか」

~塀の中の中学校~

先週ある雑誌を見ていて、大変感激した投稿に出会いましたので、是非ご紹介いたします。
それは松本市立旭中学校桐分校元教官角谷敏夫先生の「ひとつ学べばひとつ世界が広がる」という文章です。

桐分校は、日本でたった一つしかない刑務所の中の中学校です。昭和30年設立といいますから、今年で56年になります。角谷先生は、この分校で33年間担任を務められました。角谷先生がなぜ普通の中学ではなく、桐分校を選ばれたのか。
まず、わたしはそこに興味がわきました。以下、抜粋です。

第60回「建設と破壊」

東日本大震災から1ケ月以上が経過しました。
福島原発も原子炉が落ち着くまで、まだ半年以上かかるとの報告もでており、避難している方々も長期の避難生活を覚悟しなければならない状況です。
被害の全貌はまだ明らかとは言えず、行方不明者もまだ一万人以上もおられます。
新聞の紙面やテレビのニュースにこの震災が割かれる割合は、これからどんどん減っていくでしょう。もちろん一日も早く日本経済が立ち直るためには、被災を免れた地域が復興を助けていくしかありません。しかし、私たち日本人は片時も被災者の方々の苦労を忘れて日常を送ってはならないと思います。

ファインズ・グループでもこれまで2回日本赤十字社に対し、ささやかではありますが義援金を送ってきました。
また、4月17日の読売新聞の「役立ちたい」欄に、学習机・椅子各50の無償提供を申し出ています。被災地の学校で使っていただければと思います。
復興まで「長い戦い」になることは間違いありません。ファインズ・グループとして今後も物的な支援をしていくことは勿論ですが、教育に携わる者として子供たちと一緒に「豊かさを残された者の責任」ついて考えていきたいと思います。

その一つとして、4月24日国分寺国際協会の増田加代子さんをお迎えして、「ヒューマン講演会」を国分寺(10時)と青葉台(14時)で開催します。
増田さんはネパールに対し、文具等の支援、学校建設、井戸掘り等々の幅広い支援を長く実施され、その貢献に対し大統領からも感謝状が与えられている方です。
アジア最貧国のひとつであるネパールの状況を知ることにより、自分たちの恵まれた環境に感謝の気持ちを持ってもらいたいとの想いから開催しています。そして、その気持ちが東北の被災者の方への想いにもつながることを祈っています。

破壊は一瞬。建設は波濤。
大自然の猛威の前に人間の無力さを痛感します。多くの罪もない人々が、平凡な日常を突然奪われました。どこに神がいるのかとやるせない気持ちになります。
しかし、打ちしおれてばかりはいられません。「苦難」が人間にしか与えられないのであれば、乗り越えるしかありません。「建設」には「波濤」がつきものなのですから。

(2011.4.21)

第59回「東日本大震災に想う」

~日本人としてできることはなにか~

皆さんの親族やお友達の中にもこの震災で被害にあわれた方がいると思います。 心からお見舞い申し上げますと共に、行方不明になっていらっしゃる方は、無事でおられることを祈っています。また、不幸にして亡くなられた方には、心よりご冥福をお祈りいたします。

今回の大震災は、日本民族が経験したことのない、世界史においても人類が経験したことがないほどの「大災害」となっていることは、皆さんも知っているとおりです。
ついこの前まで、のどかな田園・漁村風景が広がっていた美しい東北の町々が、あっという間に瓦礫(がれき)の山と化してしまいました。
亡くなられた方・行方不明の方は、万を超えます。

福島原発の事故も憂慮(ゆうりょ)すべき事態になっています。
このような「国難」ともいうべき大災害にもかかわらず、被災地では「略奪」もなく、理性的に行動する日本人を見て、海外の特派員からは驚嘆の声が上がっています。
人間の本質が最もよく表れるのが、困難にぶつかったときです。私たちは、被災地の「同胞(どうほう)」の皆さんを、同じ日本人として誇りにしていいと思います。
その誇るべき「同胞」を何としても国力を挙げて救わねばなりません。今私たちができることをやろうではありませんか。

幸い私たち関東圏に住む者は、被災を免れました。しかし、いつ何時われわれも同じ境遇になるかもしれないのです。
人間が他の動物と異なる点は、「学習(勉強)すること」と「他人の苦しみを感じること(これを「同苦(どうく)」といいます)」です。
平凡な日常がどれだけありがたいことかを噛(か)みしめませんか。電気も水も何不自由なくある。友達がいて、家族がいて、学校に行けて、塾まで行ける。感謝の心を持ちたいと思います。そして、被災地の方の苦しみ・悲しみに「同苦」できる人間になりましょう。

しかし、皆さんにできること(節電もその一つです)には限界があります。ファインズ・グループでは義援金を募っていますので、できる範囲でお願いします。この義援金以外に、皆さんができることがあるのです。
それは、「他者より満たされている者の責任」です。ファインズ生徒の皆さんは、恵まれた環境にいます。それを素直に感謝してください。皆さんの責任とは、「学習すること」です。不満を言わず、「責任」を全うしましょう。
避難場所で、寒さに凍(こご)えながら宿題の勉強をしている皆さんと同世代の子供たちがテレビに映っていました。私は涙を抑えることができませんでした。
親兄弟を亡くしながら、年下の子供たちを励ましている高校生がいました。
両親を亡くしたにもかかわらず、叔母を励ましている小学生の男の子がいました。

皆さんが「責任」を行動に移さないなら、被災地の子供たちから「僕たちと立場を代わってくれ!」と言われてしまうでしょう。
原発の問題もこれからいろんな議論が沸き起こるでしょう。皆さんには、事実・情報をきちんと把握し、自分たちのことだけではなく、子々孫々にわたる価値判断から意見を言える大人になってもらいたいと思います。
皆さんの成長が、第2次大戦以来の「国難」を立派に乗り越える糧(かて)となります。
一緒に頑張っていきましょう。

第58回「力強く立ち上がろう!」

~辛苦を分かち合い乗り越える~

今回の東日本大震災において、被害にあわれた方に心からお見舞い申しあげます。

また、親族や友人を亡くされた方には心中よりお悔やみ申し上げます。
時間がたつにつれ、「国難」と言っても差し支えないような被害の全貌が明らかになりつつあります。町全体が消失してしまったかのような被災現場である「原野」を見て、ただただ呆然とするしかありません。
「同じ日本人として自分に何ができるか。」これほど自分自身が「日本人」であることを明確に意識したことはありませんでした。昨日は家内とも「自分たちにできることをやろうね」と話しあいました。このような夫婦の会話は初めてのことです。

これだけの被災状況の中で、「略奪」もなく、整然と補給物資を待つ「同胞」を見ていると、なんとかしなければという強い想いと、「民族の理性あふれる行動」に誇りさえ感じている自分を発見していました。
世界が日本を注視しています。

「戦後復興」を見事に果たし、世界舞台に復活して世界の尊敬を集めたように、この第2の「国難」も乗り越えていこう。国民一人ひとりが「他者の辛苦」を同苦し、分かち合い克服していこう。そう強く意識した一日でした。
倒れても、大地にしっかり手をつき立ち上がろう。

ファインズグループとしても、少しでもお役にたてるように「義援活動」を始めていきます。
被災地のみなさん!どうか心を強く持って生き抜いてください。

第55回~第57回「チャレンジ精神を持て!」

~海外留学生の減少を危惧する~

首都圏の中学入試も明日からいよいよ本格的に始まります。
こうして原稿を書いているときも、一人でも多くの子供たちが志望校に合格してほしいと念じられずにはいられません。

さて、サッカーのアジアカップで日本が2大会ぶり4度目の優勝を果たしました! ……

第53回~第54回「親の言葉」

~「はぐくむ言葉」と「つみとる言葉」~

世間では正月気分が抜ききれないのですが、早くも中学入試が昨日から始まりました。

いよいよ受験生にとっては、これまでの精進の成果を試される厳しい日々が続きます。
一人でも多くの教え子たちが、志望校に合格してほしいと願っています。
さて、先日ある塾の女性経営者の方から、大変興味深いお話を伺いましたので、ご紹介いたします。その方はご自身の息子さんを自ら教え、昨年中高一貫校の受検をさせたそうです。受験倍率10倍を超え、大手の進学塾でも一教室で合格者は一人出るか出ないかにもかかわらず、自分の塾では合格率五割をだしました。

しかし、ご自身の子供は不合格。落ち込むとともに、塾の経営者、教師として、一人の母親として、その原因を調べずにはいられなかったそうです。
受験をされた家庭にいろいろ聞くなかでわかったことがありました。
合格することしないこの決定的な差。それは何か。それは「母親の言葉がけ」だったのです。合格された子の母親は、一様に「先生のご指導がよかったからです。ありがとうございました」と感謝の言葉を言われ、「結果がどうであろうと、最後まで子供を応援しようと思っていました」と言われました。

そして、子供には「応援しているからね」、「お父さんも母さんもあなたの味方だからね」と愛情あふれ、やる気を「はぐくむ言葉」をかけていることがわかったのです。
ところが、不合格だった母親に中には、塾の指導を批判する人も多くいました。
「最初からあの子には無理だと思っていました」「何度も言いましたがやらなかったからです」「何をやっても長続きしない子なんです」、挙句は「主人そっくりでいやになります」等々。出てくる言葉は、やる気を「つみとる言葉」ばかり。

そこで、彼女は自分を振り返り、今まで息子にかけてきた言葉を思い返してみました。
「ちゃんと勉強しなさい。お母さんの教え方は完ぺきなのよ」「お母さんの言う通りしていれば受かるんだから」なんと自分は「つみとる言葉」ばかりかけていることに気付いたのです。不合格の原因は、自分にありました。

それ以来、彼女は子供たちの言動を注意して観察するようになりました。
すると一つ気がついたことがありました。
それは、子供たちは何かあるとすぐ「お母さんがね」「だって、ママがぁ」と言うことに。
先生に褒められたり、テストの点数がよかった時など「やったー!ママに褒められる!」
「お父さんが帰ったら見せるんだぁ」と、本当にうれしそうにしています。

どんな子供でも、両親に、とくに母親に褒められたい、認めてもらいたいという気持ちは強いのです。勉強だって同じです。
彼女は、面談の席などで、自分の子供を否定する親に対し、「それは違いますよ。お子さんはちゃんとできる子です。お母さんがお子さんの可能性を否定してどうするのですか」とはっきり言うようにしているそうです。
大人になってしまえば、勉強をはじめとする自己鍛練は「自分のため」だということは理解できます。それでも、「他者」から認められるということは、大人であってもうれしいものです。自己肯定感・充足感は、他者から認められることで満たされるのです。

大人だって認められたい。子供ならなおさらでしょう。だからこそ、親は子供に対する「声かけ」に注意を払わなければならないと思います。

親は子供にとって「最後の防波堤(守護者)」です。その親から「つみとる言葉」しか掛けてもらえない子供が、その可能性を十二分に伸ばせるでしょうか。
ところで、財産には3つあるそうです。「蔵の財」「身の財」「心の財」の3つです。

3つとも残してあげられれば、それにこしたことはありません。しかし、昨今の厳しい経済状況では、「蔵の財」を残せる家庭はそう多くはないでしょう。
「身の財」も、努力とは別の「天与のもの」があるでしょう。
しかし、「心」は万人に共通、貴賤に関係なく平等のものです。

教育は親が子に残せる最高の財産です。教育は、学歴とイコールではありません。
「教育」は、「教え育む」と書きます。「教える」だけでは「教育」にはならないのです。
親や教師の「はぐくむ言葉」に支えられた「教育」は、きっと「人生の荒波」を乗り越えて行ける「心の財」となることでしょう。
私はそう確信しています。

ファインズ・グループは「四自の教育」を理念に掲げています。「はぐくむ言葉」を保護者の方と共有しながら、これからもがんばっていこうと思います。

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