代表コラム2021-06-04T11:58:34+09:00

代表コラム

第50回~第52回「夢の持続」

~「はやぶさ」の奇跡~

(第50回)(2010.12.27)

激動の2010年ももうすぐ暮れようとしていますが、皆さんはどのような1年でしたか?

重大ニュースのトップは、何といっても「尖閣諸島問題」ですが、このほかの話題も暗いニュースばかりでした。しかし、其のなかでひときわ明るい話題がありました。
小惑星探査機「はやぶさ」の帰還です。今回はひょっとしたら入試にも出るかもしれないこの「奇跡」を取り上げてみましょう。

今年6月22日、7年60億キロの宇宙の旅を終えてオーストラリアのウーメラ砂漠に帰還した「はやぶさ」は、日本の多くの子供たちに(いや、デフレ不況で暗い大人にも)感動を与えました。

「はやぶさ」が鹿児島県内之浦宇宙観測所から小惑星「イトカワ」を目指して打ち上げられたのは、2003年5月9日のことです。
この小惑星「イトカワ」は、地球から約3億キロも彼方にあり、わずか直径540mにすぎない「けし粒」のような惑星です。その小さな「イトカワ」の地表のサンプルを採取し、地球に持ち帰るのが「はやぶさ」のミッションでした。

この計画が提案・検討されたのは、なんと30年ほど前のことです。当時はアメリカやソ連が月に行ったり、火星や金星に向けて大プロジェクトをすでに行っている時代でした。
日本はと言えば、やっと1985年に彗星探査機「さきがけ」を打ち上げたにすぎません。
その差は歴然としていました。ところが、日本の科学者たちはとんでもない目標を掲げました。それが「小天体のサンプルリターン」だったのです。
人類史上初の挑戦でした。

宇宙先進国アメリカでさえも考え付かないようなこの計画は、当時の日本の実力を考えると、いかにも学者の考える夢物語だという人々もいました。しかし、彼らはとうとう成し遂げたのです。「人類初の偉業」を! ……

第49回「倒れてのち已(や)む」

さて、いよいよ入試まで40日を切ってきました。

まとめて勉強できる最後のチャンス「冬講」まであと1週間です。

中国の昔の諺に「己を捨ててはその疑いに處(お)ることなかれ」(菜根譚)という言葉があります。

「いったんやろうと決めて勉強に取り組んだのなら、自分を捨てて取り組まねばならない。果たして自分にできるだろうか、先生や親は協力してくれるだろうか、などと疑ってはならない」ということでしょうか。耳が痛いなと感じる皆さんも多いかもしれませんね。

ところが、これには続きがあります。

「その疑いに處(お)れば、すなわち捨つるところの志、多く愧(は)ず」

「また、自分の力を疑っていたら、せっかく身を捨てた初志をも、自ら辱めることになる」という意味です。

どのような仕事でも、どんな世界でも、勇気や気力をなくしたら負けです。
迷っているばかりでは勝機は逃げていきます。
目標を決め、やると決意したら全力でやりきる。やり続ける。

走り続けましょう!「倒れてのち已む」です。これこそやりがいのある目標を持つ人間の特権ではないでしょうか。

どうかどんなにつらくとも目の前の「ハードル」から逃げないでください!

この「冬」も勝ちませんか!

2月の「春」を気持ちよく迎えるために。

そして、自分史を築くために・・・

(2010.12.20)

第47回~第48回「主語+述語、そして数字で語ろう」

今回は「主語+述語+数字で語れる人になろう」ということを書いてみようと思います。

企業・団体が「人、物、金」という単純な存在の大きさ・数で勝敗が決していた時代から、「人財、情報、組織」という付加価値で企業の優勝劣敗が決するようになってきたことは、皆さんもご存じのとおりです。堺屋太一氏は、「知価革命」という書物の中で、「付加価値」を「知価」という言葉を使って、少種大量生産の工場制工業化社会から多品種少量生産、多様化・情報社会への移行を予測しています。25年も前に出された本ですが、現実にそのようになってきていますから、氏の予見は当たっているといえます。

ところで、「付加価値」が勝敗を決めるといわれても「では、どうしたら付加価値を付けることができるのか」というと答えはそう簡単ではありませんね。

「人」という生物体が、「人財」という社会・企業に貢献できる価値を具現化した存在になるためには、「問題分析能力」と「問題解決能力」を身に付ける必要があります。

では、どうしたらこれを身に付けることができるのでしょうか。

その前に、ある会社の会議の様子を再現してみましょう。

部 長:「今度新規オープンした○○店の客の集まりはどう?」

A課長:「けっこういるみたいです」

部 長:「具体的にどのくらいいるの?」

A課長:「よくはわかりません」

部 長:「夏より来店数が減ったようだが、要因は?」

B店長:「よくわかりませんが、他店も減っているそうです」

部 長:「どこの店がどのくらい減ったの?」

B店長:「パートさんのうわさなのでよくわかりません」

部 長:「外部の問い合わせはどうですか?」

C店員:「だいぶよくなってきました」

部 長:「どの年齢層がいいのですか?」

C店員:「担当者でないのでわかりません」

部 長:「無料券、割引券の戻り率はどのくらいなの?」

A課長:「あまり戻ってきません」

ミーティングではこのような会話がごく普通に交わされていて、しかも何の違和感も感じないことが多いような気がします。
「けっこう」ってどのくらいですか。「あまり」っていうのは、どのくらいでしょうか。
「減っていると思う」というのは、第三者的な表現ですが、それで自分の店舗が心配にならないのでしょうか。
「みたいです」「そうです」「ききました」「らしいです」というのは、「主語、述語があいまいです。

では、どんなやり取りがよいのでしょうか。

「競合店の○○の来店状況は?」

「受付のEさんに19時―20時を、私が21時―22時に入店してカウントしてきました。その結果、19時―20時で椅子席が6割、21時―22時で8割がうまっていました。」

・・・ここまでくると状況把握はきちんとできています・・・

「じゃぁ、うちで減っている年齢層と時間帯は?」

「20代で、昨年より1割減、時間帯は21時台で2割減です」

「他店は?」

「20代はそんなに多くはありませんでした」

「ということは、どうなる?」

「はい、内部での評判等でそういえば気になることがあります」

「うちで増えている年齢層はあるの」

「はい、あります。」

「どこなの」

「40代です」

「他店は?」

「はい、やはり増えています」

「じゃぁ、他店が原因というより、内に因ありだね」

・・・こうなると課題のピックアップはできたも同然ですね・・・
(ここから先は課題への解決能力になります)

「人財」とは、「課題に対して意見・提案ができ、これを実行できる人」をいいます。しかし、この意見・提案を適確にするためには、「課題のピックアップ」ができなくてはなりません。
課題のピックアップをするためには、「客観的事実の把握」をする必要があります。
「事実を把握できていれば、その中から何が問題点なのかという「判断」を下せばよいからです。
まず、課題のピックアップができるようになりましょう。

そのためには、「主語と述語を明確にし、数字で語る」習慣を身に付けることから始めてください。ミーティングでは意識して話してみてください。 ミーティングでは、結論を先に。それも「主語と述語と数字で」答えること。
数字で答えられるためには、いつも数字を意識していないとダメです。日々、数字を意識しながら、業務をする習慣を身に付けてください。
プライベートにおいては、暖かい言葉で語りかけ、会議においては硬い数字で報告する。
求められる「人財」とは、このような人なのです。

「暖かいファジーな言葉」と「硬い明確な数字」。この異なる性格の「言葉」を自由に操る。ここでも「Andの思想」は生きているとは思いませんか。
もうすぐ、われわれ教師にとって一番わかりやすい数字がでます。
「合格実績」という数字が・・・

第46回「ミッションとインセンティブ」

今回は資生堂元会長である福原義春氏について書いてみたいと思います。

氏は、芸術にも造詣が深く、特に写真は玄人はだしであり、東京都写真美術館館長等多くの公職にも就いておられます。
氏は、創業者一族に生まれながら、平社員からサラリーマン生活を始め、社長就任まで何と34年をかけた苦労人であることで有名ですが、そのことが彼の発言に重みを感じさせる大きな理由ではないか、と私は感じています。
今回は、彼のインタビュー記事の中から私がなるほどと思った部分を抜粋してみました。

氏が力を入れている活動や考えの特徴をなすものは、すぐに役立つ勉強ではなく、長期的に人格や知性を育てるものだという点にあります。「知識」や「ノウハウ」よりも「知性」「教養」を重視し、その「知性」や「教養」はその人の人生を支え、企業人としての骨格を形成するものと考えているようです。この点は、ファインズの理念である「四自の教育」と通じる点があるように思います。

『むしろマネジメントの原理は、社会での活動から学んだといってよいかもしれませんね。ボランティアは無給の活動であり、個々人の自発的動機から生まれるものです。仕事するときでも「社長のために働け」というのではインセンティブにならないでしょう(笑)。鞭でたたいて、飴をぶら下げたほうが会社は発展するかもしれませんが、私は目先の1年の利益よりも長いことお客様に信頼されて10年間利益をあげ続けるほうを大切に考えてきました。
累積利益を大きくすればよい、という考え方です。
社員のモチベーションをどうやって作り出すのか考えることがリーダーの責任です。確かに、命令によって人は動くけれども、命令でなく動く人々の力よりもそれは小さい。
これからはNPOで働く人々のモチベーションを営利組織である企業の人の動機付けにいかに応用するか。未来のリーダーに求められるのは、そんなリーダーシップではないでしょうか。』

この氏の考え方は、海外でのある体験が元になっています。それは、ニューヨークのメトロポリタン美術館を訪ねたときのことです。
ある展覧会のレセプションに招待され、通用口から招き入れられ入ってみると、そこには多くの人がいて、手厚いもてなしを受けました。あとからわかったことだが、その日は本来休館日でした。美術館で接待してくれた人々は、警備員を含めて何と全員がボランティアだったのです。

氏は言います。

第44回~第45回「ナガサキの原爆稲」

前回紹介した「被爆ピアノコンサート」に参加したときのことです。会場に「稲穂」が飾ってあるのに気がつきました。会が終了し、帰ろうと受付の前を通ると新聞のコピーが置いてありました。

立ち止まって見ると、「ナガサキの原爆稲」という文字が飛び込んできました。
1部持ち帰りました。自宅で読んで複雑な思いがしました。ここで紹介しましょう。

1945年10月。九州大学農学部の調査団が、爆心地から約500mにある天主堂近くの田んぼで被爆した「稲」を採取しました。この「原爆稲」は代を変えながら、植え継がれ、今全国に広まっているそうです。
栃木県の農家である上野長一さんは、自分の田んぼの一角で、保存用としてこの「原爆稲」を栽培し、この演奏会に送ってきたのだということがこのコピーからわかったのです。
以下、「日本農業新聞(2010年8月5日付)からの抜粋です。

第42回~第43回「被爆ピアノ」

先日ジャズピアニスト河野康弘さんの「被爆ピアノ平和記念コンサート」が国分寺で開かれましたので参加をしました。その暖かい人柄にふれ、多忙な中でともすれば忘れがちな人への思いやりを思い起こし、しばし幸福な時間をすごさせていただきました。

河野さんとは、ファインズ開校以来のお付き合いです。ファインズでは、生徒の皆さんに生きた学問を少しでも体験してもらうため、社会で活躍する方々をお招きして「ヒューマン講演会」を開校1年目から行ってきました。これまでに「東大地震研の先生」「三鷹天文台の先生」「五輪メダリストの黒岩彰さん」「ネパールの子供たちに井戸掘り等の支援を行っている増田さん」等々各界で活躍されている方々に協力していただいています。

河野さんのことは「新聞」を通して知りました。ある時、新聞を何気なく見ていると、「南アフリカの子供たちに中古ピアノを寄贈」という文字が目に留まりました。
『全国には約600万台のピアノがあり、そのうち450万台は使われず「物置台」となっている。(皆さんの家にも「大きな花置き台」となっているピアノはありませんか?)多くの木を切り倒し作ったピアノが使われもせず、放置されるのはピアノに申し訳ない。そこで、調律をしたうえで、南アフリカの学校に寄贈している。しかし、船便代がかさむため寄付を集めている』ということでした。

何とか協力できないものだろうか。日本の子供たちは本当に恵まれている。そのことをさりげなく教えるためにも、ぜひファインズで協力できることはないだろうか。
そこで、ファインズでコンサートを開いていただくことにしました。残念ながら、塾にピアノはありませんから、ギターを使ってのコンサートです。子供たちはお手伝いをして貯めたお金を握り締めてコンサート会場(教室)に集まってきました。

このヒューマンコンサートは、子供たちに新鮮なショックを与えたようです。

豊かな日本と同じ時代を生きていながら、世界中には2200万人以上のストリートチルドレンが今日も食べるものがなく、学校にも行けないで懸命に生きています。
その現実に触れたとき、子供たちは自分達がいかに恵まれているかという境遇に自然に感謝の気持ちが湧いてきます。

河野さんがこれまで行ってきた「平和への行動」は、この「被爆ピアノコンサート」にも脈々と受けつがれていました。同時多発テロから9年を迎えた今年、ハドソン川沿いの公園で開催された「被爆ピアノコンサート」は、静かな波動のように感動は世界に広がっていきました。
そして、広島の平和記念公園で河野さんが行ったコンサートは、テレビ・新聞等で報道されて反響を呼んでいました。そのコンサートが国分寺で行われたのです。

会場探しは苦労されたようです。国分寺障害者福祉センターの喫茶室を利用した「小さな会場」は、決して華やかさはありませんでした。しかし、そこを埋めた人々の善意は、その小さな空間を宇宙大の広がりにしていました。 ささやかな取り組みでしたが、このような取り組みがあって初めて「平和」も確保されるのだとつくづく感じた2時間でした。
コンサート終了後、とんぼ返りでピアノを広島まで運ばれた調律師の矢川光則さん。本当にありがとうございました。

(参考)
河野康弘さんHP 

第40回~第41回「三上」と「三中」

昨今の子供事情

最近の子供たちを見ていて感じることがあります。
今年のサマーキャンプで、授業の様子を見て回ったときのことです。
小学校4,5年生がグループワークをしていました。生徒は数人でグループを組み、ひとつの課題でディベートをしているところでした。私は授業の邪魔にならないように後ろのドアのところでしばらく見ていました。しばらくして「あれっ」と思いました。

人間とは面白いもので、数人が集まると自然にリーダーシップを取るものが出てくるものです。これは小学生ではとても顕著に現れ、その日初めて会った子供同士でも、何か課題を与えてみれば、その中で指導的役割を発揮する生徒が必ず現れます。いや、これまでなら現れていました。入社試験や中高一貫校の入学選抜方法としてグループワークを取り入れている企業や学校が多いのは、この選抜方法がリーダーシップをはかるのに適しているからでしょう。

ところが、このとき主導的な役割を取っている生徒がいないグループがあるようなのです。それもひとつやふたつではありません。ほとんどのグループで作業が進まず、生徒はただ突っ立っているだけなのです。教師も最初は生徒の「自立」を促していましたが、痺れを切らし、とうとうアドバイスを出し始めました。
その様子を見ていてわかったこと。それは彼らは理解していないわけではなく、また、意見を持っていないわけでもないということです。なぜなら、教師の一押しで動けたのですから・・・

今このような生徒が非常に増えているのではないかと危惧しています。「マニュアル人間」が増えたということは、企業の人事担当者からよく聞きます。しかし、その「マニュアル人間」ともどうも違うようです。「マニュアル人間」は、マニュアルの範囲を出ないにしても、少なくとも「動き」はあるのです。ところが、このときの生徒たちはそもそも「行動」そのものがないのです。われわれファインズの理念である「四自の教育」を実践することが、今こそ要求されるときはないとつくづく感じた次第です。

第37回「論語素読」

~頭だけでなく、「心」も磨こう!~

ファインズでは開校以来「四自の教育」を掲げ、「知育」の一貫として、「自然体験教室」「理科実験教室」社会人を招いての「ヒューマン講演会」に早くから取り組んできました。しかしながら、経済的な「豊かさ」に反比例するかのように、年々子供たちの「心の豊かさ」は失われているように感じています。

「家に三声あり」といいます。NHKドラマの影響か、現在「龍馬ブーム」ですが、昔、わが国には家庭に「声」が満ち満ちていた時代がありました。幼子の泣き叫ぶ「声」。父や母の生活感あふれる「声」。そして、子供が端座して「論語」を素読する「声」。

ITによる情報が氾濫する一方、「生の声」はますます希薄になっている気がしているのは、私だけではないと思います。
PISAテストの順位が大きく低下していることもゆゆしき問題です。しかし、子供たちに「精神的支柱」が欠け、彼らの「精神」が「何のため」がわからず浮遊している状況で、どうして「知識」を「見識」に変えることができるでしょうか。

こんなときこそ「先哲の声」に耳を傾けてみるのもいいかと思い、この講座を思い立ちました。まずは、「子供の声」の再生から始めたいと思います。
希望者は必要事項を記入し、8月27日までにファックスしてください。
申込は先着順とし、定員になり次第締め切ります。

~第1期生 ……

第31回~第34回「脱「ゆとり教育」を考える」

今回は「ゆとり教育」の見直しについて考えてみましょう。

2011年度は小学校で、2012年度は中学校で新指導要領が全面的に導入されます。すでに小学校では移行措置として導入が始まっています。新聞報道等で導入されることは知られていますが、一般的には内容まで知られていません。 そこで、できるだけわかりやすくポイントを絞って解説してみることにします。

いまなぜ脱「ゆとり」なのか

今回の「ゆとり教育」見直しについて述べる前に、そもそも「ゆとり教育」を導入した経緯について簡単に振り返ってみることにしましょう。

2002年完全学校5日制と「ゆとり教育」導入

1998年12月、当時の文部省は「ゆとり教育」の名の下に、2002年度より完全学校5日制を導入し、同時に大幅なカリキュラムの削減を骨子とする「新学習指導要領」の実施を宣言しました。当時の学校現場では「学級崩壊」「学校崩壊」「落ちこぼれ生徒の増大」「不登校児の増大」「校内暴力の増加」「いじめの陰湿化」「中途退学者の増加」等々数多くの問題を抱えていました。

このような病理現象を生み出している原因が、「受験戦争」と「過重なカリキュラム」であるとの認識から、文部省は中央教育審議会に対し、指導要領の見直しを要請したのです。

その結果、「教科書が3割薄くなった」と言われるほど大幅に重要な単元が削減されました。しかし、実際に発表された要領を見ると、削減単元に一貫性が欠け、削減された単元以上に「練習問題」がカットされていることから、教育現場は「これでは定着のために必要な練習問題が足らない。返って落ちこぼれを増加させる」と警鐘を鳴らしました。
そして、その警鐘が現実のものとなり、10年を満たずして「ゆとり教育」は見直されることになったのです。

学習指導要領の変遷

今回の問題に進む前に、これまでの指導要領の変遷をおさらいしてみたいと思います。

戦後、教育改革は主なもので6回実施されていますが、2002年の改革ほど大きな影響を与えた改革はありませんでした。
資料1を見てください。日本の教育行政は、ほぼ10年に1度改革を行ってきました。資源が乏しい日本が「科学技術立国」として世界に認められるためには、「教育」こそが最大の投資であることは異論のないところでしょう。

しかし、この変遷の過程を見る限り「教育は国家百年の大計」とはとてもいえない状況です。

第27回~第30回「願いの中に 自分が生かされている」

私はある月刊誌を年間購読しています。その中にポケットブックが入っているのを見つけ手にとって見ました。
そこに東井義雄さんという生涯を教育にささげた人の話が載っていました。

その中の心温まる話です。原文のまま掲載します。

『私は主人が早くに亡くなりました。
女の子一人の母子家庭だったんですけど、主人が亡くなってから、くず屋の仕事を続けて、女の子を養いました。』

幸い、小学校のころは、いい子だ、やさしい子だと、皆さんから誉めていただいていたんですが、中学校になってから、ぐれ始め、とうとう中学二年の時には警察のお世話になるようなことになってしまいました。

あのいい子だいい子だといわれた子が、なぜこんなことになったんだろうか、どう考えても分かりません。
それが偶然わかったことですが、『いくら勉強できるからといって、くず屋の娘やないか』といわれたことが大きなショックになって、『お母さんがあんな仕事やっているから、いくら勉強やったって、みんなからバカにされる』と考え、それからぐれはじめたということがわかりました。

しかし、このくず屋の仕事をやめてしまっては、もう今日からの暮らしに困ってしまいます。
かといって、ただ一人の女の子が、こんなことでは、亡くなった主人に申し訳ございません。
長い間、ずいぶん迷いましたが、結局私の仕事をわかってもらう以外にはないと考えつきました。

ある時、『お母さんが長い間こんな仕事をやってきて、足腰が痛んで、どうにもこうにもあの下からの坂道、家まで車を引いて登ることができなくなってしまったんだ。すまんけど、あの下のポストのところまで、明日の晩迎えに来てくれないか』

『ボロ車の後押しなんかイヤだ!』

思った通り、はねつけられてしまいました。

『イヤだろうな、ボロ車の後押しなんてイヤだろうな。でも母さん、足腰がもう痛んで、どうにも車があがらなくなってしまった。頼むからあのポストのところまで、迎えに来てくれないか』いくら頼んでも、『ボロ車の後押しなんてイヤだ!』『イヤだろうな、ボロ車の後押しなんてイヤだろうな。でもな、六時には間違いなしに帰ってくるからな。あのポストのところまで迎えにきてくれんかい』

『じゃあ、六時ちょっきりやで。少しでも遅れたらよう待たんで』

ということで、どうにか承知してくれました。

あくる日、車を引いてポストのところまで帰ってくると、ポストのかげに、はずかしそうに、しゃがんで待っていてくれました。

そして、後を押してくれたのですが、車を引きながら、このボロ車に顔をそむけながら、どんな思いで後押ししてくれているのかと思うと、こんな仕事やってきて、そして娘にまでこんなみじめな思いをさせると思うと、たまらん思いでしたが、おかげさまで家まで車を引いて登ることができました。

『あんたのおかげで、今日は久しぶりに車を引いて帰り着くことができた。明日もすまんけどな、お願いするよ』

そのあくる日も迎えに来てくれていた。
そんなことが五日ばかり続いたある日、ポストの倍のところまで迎えに来てくれていました。

後押しをしながら、
『お母さんの仕事って、大変なんだな!』と叫んでくれました。

『お母さんだって、この仕事が好きなはずはない。でも私のために、この仕事、足腰が動かなくなるところまで頑張り続けてくれた。私のために。だのに私はお母さんを恨むなんて』

気付いてくれていたんです。
そのあたりから、立ち直ってくれました。

『今ではおかげさまで、いい母親になって、二人の子どもに恵まれているんですが』

と聞かせてくれました。

この話に続けて、東井先生はこう言われています。

「自分を生かしてくれているものに、目が覚めてみるとね。ぐれたりなんか、自分勝手な生きざまができなくなってしまうんですね。
願いの中に自分が生かされている。どうかそのことを一つ味わっていただきたいんです。」

私は東井先生の言葉を読んである言葉を思い出しました。

川崎に日本理化学工業という会社があります。障害者雇用が今ほど認められていなかった50年もまえから知的障害者の雇用を行い、今では障害者雇用率が全従業員の7割にもなる会社です。本でもテレビでも紹介されており、鳩山内閣の所信表明でも紹介されましたからご存知の方も多いと思います。(参照:「日本でいちばん大切にしたい会社」あさ出版)

その会社の大山社長にはどうしてもわからないことがあったそうです。

「どう考えても、会社で毎日働くよりも施設でゆっくりのんびり暮したほうが幸せなのではないか」「なかなか言うことを聞いてくれず、ミスをしたときなどに「施設に帰すよ」というと泣きながらいやがる障害者の気持ちがわからなかった」そうです。

そこで、ある時お坊さんに尋ねてみました。

するとそのお坊さんは、「そんなことは当たり前でしょう。幸福とは、①人に愛されること、②人にほめられること、③人の役に立つこと、④人に必要とされることです。そのうちの②③④は、施設では得られないでしょう。この三つの幸福は、働くことで得られるのです」(一部省略)と教えてくれました。

働けることの尊さ意義を教えてくれる良い話です。

しかし、私は思うのです。このごろの子供たちは、そもそも「愛されること」が足らないのではないかと。

少なくとも、この会社に最初に入った二人の少女は愛されていました。

会社の門があく1時間も前から待っている彼女たちを、ちゃんと会社にたどり着くか心配で、そっと影から見守る養護学校の先生や母親たち。その人たちの「願い」に生かされていることを、彼女たちもきっと命で感じていたに違いありません。

最近居酒屋で深夜家族連れをよく見かけます。それも小学生連れが平日に。翌日が土日ではないときなど、この子たちは明日大変だろうな、と余分な心配をしてしまいます。

授業中に居眠りしている小学生が増えているという、先生のコラムを読んだことがありますがうなずけます。

ある小学校の先生から聞いた話。給食費未納の家庭に何度催促しても音沙汰なし。そこで、居場所を聞き出したところ、なんと「パチンコ店」に入りびたりとのこと。催促したところ、「そんなことしたら、パチンコできなくなるじゃないか。美容室にだっていけやしない」と答えたそうです。あげくに、「そんなに気になるなら先生が払ったら」と言い放ったというのですから、空いた口が塞がりません。

「母、妻、一人の女性、社会人、人間」という役割の中で、「母」は一体何番目なのだろうかと考えてしまいます。

ある92歳になる老女の話です。

その老女は、大正、昭和、平成の厳しい時代を生き抜き、今は特別養護老人施設に入り人生の終末に向けて穏やかな日々を過ごしています。その老女には二人の息子がいます。

家族が頻繁に顔をみせることで認知症が進むのを防ぐと聞き、息子達は相談をしながら、仕事をやりくりし、どちらかが必ず週末施設に顔をみせています。

しかし、92歳にもなると、少しずつ認知症も進み、父親似の次男を自分の夫と間違えることもあり、「お父さん、お帰り。今日は早いね」などと言って、息子達を戸惑わせることもしばしばです。

そんなある時、次男が長男にぼそっと言いました。

「兄貴、お袋がね、この間こんなことを言ってたぜ。」

「どんなこと?」

『「あの子はここのところ会社はうまく行っているようだね」

「えっ、どうしてそう思うんだい?」

「お兄ちゃんは最近優しい顔になってきたからねぇ。」

「そうかなぁ、変わらないとおもうよ」

「いいや、前は暗い、厳しい顔をしていたよ。親だからね。4300グラムもあって、難産でお腹を痛めて生んだ子だからねぇ。すぐわかるんだよ。それがね、最近は本当に私にも優しくてね。いい顔になったよ。きっと仕事がうまくいっているんだよ」』

「兄貴、お袋ってすごいよなぁ!兄貴、心配掛けるなよな!」

長男は母親がそんな気持ちでいることをまったく知りませんでしたし、感じてもいませんでした。
正気と非日常を繰り返しながら、徐々に人生の終末に向けて最後の火をともしているような母がそんな気持ちでいることを。

「お兄ちゃん!世間様のお役に立っているかい。 ……

第25回~第26回「発想の転換」

(第25回)

あるアメリカの工作機械メーカーが、家庭用ドリルとして4分の1インチのドリルを作りました。 ところが、たいしたマーケッティング調査もせずに作られたこのドリルは家庭用のものとしてはめずらしく爆発的なヒット商品となったのです。

そこで、なぜこのドリルが売れたのかが検討され、役員会でも話題になりました。このとき、この会社のCEOはマーケッティング担当者の報告を聞いて、こう答えたといいます。

「昨年度、4分の1インチのドリルが10万個売れた。これは、人が4分の1インチのドリルを欲したからではなくて、4分の1インチの穴を欲したからである。」

このCEOの言葉がヒントになったのでしょう、マーケット担当者は各家庭でどのような大きさの穴をあける需要があるかを調査しました。 ……

第20回~第24回「どうしたら「やる気」がでるのか?」

~モチベーションとは何か~

古今東西、あらゆる教師・保護者が腐心するのは「どうしたら生徒(子供)がやる気を出して、学習してくれるのか」という点でしょう。
これは一人でも部下(子供)を持つ立場にあるものが、与えられた仕事(役割)から目をそらさずに目標(希望)を達成しようとすれば、必ず突き当たる大きな壁ではないでしょうか。
今回はフレデリック・ハーズバーグの有名な論文「モチベーションとは何か」を参考に、生徒(子供)をやる気にさせるヒントがないかいっしょに考えてみたいと思います。

第19回「ああ、勘違い!」

入試も一段落しましたので、少し今回はやわらかい話に変えてみましょう。
過日都内に所用で出かけたときのことです。用も終わり遅い昼食をとろうと一軒のラーメン屋に入りました。
たまたま飛び込んだ店でしたが、どうらや人気店であるらしく、13時も回っているのに店内はほぼ満席でした。
空いている席を見つけ、周りの人の注文をみながら、この店の人気メニューをさぐり、注文をしました。
私のテーブルの隣に若いアベック【どうやらこの言葉はすでに死語のようで若い職員からは、「代表!いまごろアベックなんていう人いませんよ!」と言われてしまいました。)-今風にいえば、「カップル」-】が仲よさそうに座っていました。

ギャル風の女の子:「すいませーん。すみれがきてないんですけどー。」

カウンターの店員:無視。聞こえていないかのよう・・・

ギャル風の女の子:「すいませーん。聞こえましたぁー」

カウンターの店員:「はぁ、なんでしょうか」

ギャル風の女の子:「すみれがまだなので、もらえますか」

・・・このとき、一瞬、お店がシーンと静まりかえりました・・・

ツッパリ風の彼氏:「おまえさぁ、スミレじゃないだろ、間違ってるぜ。」

ギャル風の女の子:「じゃぁ、なんつうの?」

ツッパリ君:「レンゲだよ、レンゲ」

・・・店にいた全員が一瞬下を向いたような気がしました(笑)・・・

このような間違いは笑って済ませられるかもしれませんが、ある大手飲料会社の人事担当者から聞いた話は笑えません。入社試験で以下のような問題を出したときのこと。

・空欄に漢数字をいれて四字熟語を完成させなさい。【三○五○】

この問いになんと有名大学生の答えが、「三四五六」。

・空欄に漢字をいれて四字熟語を完成させなさい。【羊○○肉】

これまた大多数の答えが、「羊豚牛肉」。中国人もびっくり!!

日本の将来は暗い!!!とほほっ。

(2010.03.01)

第17回~第18回「燃え尽き症候群にならないために」

~意味のない結果などはない~

中学入試も終了し、高校入試もあとは県立・都立の入試を残すのみとなりました。
早いもので、ファインズでも6回目の卒塾生を送り出すことになりますが、毎年この時期は悲喜こもごもの風景があちこちで繰り広げられます。

大手の塾とは違い、ファインズでは少人数制による細やかな指導により、今年も二人に一人が難関・最難関中学に合格することができました。
ファインズのスタッフは、全員を第一志望校に合格させるため全力で指導していますが、残念ながら「夢」をかなえられないご家庭もあります。まず受かるだろうという生徒が落ち、試しに受けるだけ受けてみようかという生徒が、偏差値で15以上の学校に合格したりと、「天」はなんと気まぐれなのだろうかと毎年思います。

30年近くも「受験」と付き合ってくると、いろいろな場面に遭遇します。

【お子さんを塾に毎回車で送迎し、お弁当を作り塾に届け続けること3年。いつの間にか母子一体となって模試の結果に一喜一憂して迎えた入試。結果は第一志望校に不合格。母親はこの結果を受け入れられずに、虚脱状態に陥り、夫の非協力的な態度が不合格の一因だと責め、家庭内別居の状態に・・・】

【代々続く開業医を継がせるため、嫁として、どうしても医学部進学ができる進学校か医学部のある大学付属校に入れなければいけないとのプレッシャーから、無理な併願パターンを組み全滅。そのため母親はうつ病に・・・】etc.

このような例は高校入試ではあまり見かけません。しかし、中学入試では、これに近い状況は珍しいことではありません。
では、なぜ中学入試に多く見られるのでしょうか?
それは「親と子の距離」の距離によるのだと思われます。このコラムで前回までに書いてきた「親子密着」の問題です。
受験準備中の親子の姿勢・距離感については、前回までのコラムを参考にしていただくとして、今回は「受験後、親が心がけなければいけないこと」について述べてみたいと思います。

ファインズでは小学、中学、高校、大学とすべての受験生をお預かりしていますが、特に中学受験の場合が不合格になったときの親のショックが激しいように感じます。
高校、大学受験ともなるとすでに自立し、自我も確立しているため、親の言うことはなかなか聞いてはくれません。また、親も子供の能力については、幼児期や小学生ほどは過度の期待はしなくなっていますから、ショックを受けるのは多くの場合本人なのです。
ところが、中学入試の場合、ややもすると親子一体になって受験に取り組む家庭が少なくありませんから、受験した本人以上に親が精神的に落ち込み、それを引きずるケースがあります。
親のショックが長引き、家庭内がギクシャクすると、子供は「私が落ちたからこんなことになってしまった。自分が悪いからだ。」と罪悪感を持ち自分を責めてしまうことになります。
それでは子供は逃げ場を失い、心に傷を負ってしまいます。
「振られた学校のことをあれこれ悔やみ、恋焦れるより、求愛された学校を好きになるほうが価値的な学校生活を送れる」と考え方を変えてみてください。
例え全部に振られてしまったとしても、「3年後、6年後に振り向かせられるように成長してみせるぞ」と、今回の結果を成長の糧に変えてください。
「人生に意味のない結果などはひとつもない」と先達はいいます。その通りだと思います。
しかし、意味のあるものにするか否かは、一にかかって自分の心の持ち方次第ではないでしょうか。
大人なら誰でも知っています。「人生と言う航海は荒波の連続だ」ということを。

・ ・・・

「艱難 ……

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