かつて辰野町の蛍の乱舞を「風の篝火(かがりび)」という歌で見事に表現したのは、あの「北の国から」のテーマ曲の作者でもある「さだまさし」さんです。
(長野県上伊那郡辰野町は、大正14年に「蛍の発生場所」として天然記念物の指定を受け、以来町ぐるみで蛍の保護と育成に取り組んできた町であり、毎年のピークには目視量で20000匹に近い発生を数えるほどの蛍の名所です。)
当時、これもひとつの出会いと感じて、その歌のライナーノートをガイド代わりに、単身、辰野町を訪れる決心をしたぼくでしたが、残念ながらその日は気の早い台風が迫っていたこともあって、山梨県に入ったあたりから激しい風が吹き始め、上諏訪の駅に着く頃には叩き付けるような雨まで降り出して、後ろ髪を引かれるような思いで上諏訪から上りの列車に乗り換えて引き返したのでした。そんなこともあって翌年の6月には、まるで忘れ物を取りにでも行くように、「是非にも」という同僚を一人伴って、再び辰野町を訪ねたのです。
蛍は雨でも、また風が強くても下草に隠れてしまうので、夜空を舞う蛍火と出会うには天候の助けが必要となります。中央本線から飯田線に乗り継いだぼくらは、まるで祈るような静かな気持ちで列車のタラップを降りたことを覚えています。
日のあるうちに着いたぼくらは、土産のつもりで地酒「蛍祭」を手に入れ、ついでに店の親父さんが使っていた団扇(夕闇の草原にシルエットの男の子と女の子、そして舞い上がる蛍が版画のようにデザインされていました)をねだって譲り受け、主役の登場を待つ形で、賑わう町中をぶらついて祭り気分を満喫しました。

お好み焼き・たこ焼き・ヨーヨー釣り・あんず飴・りんご飴・セルロイドのお面・ソースせんべい・クレープ・焼きそば・色とりどりの風船・金魚すくい・鉢植えの日々草や朝顔。売り子の声・スピーカーから流れる歌・子供たちの歓声・浴衣姿の女の子・下駄の音・アセチレンガス灯の揺らめき……。
やがて日が落ちて、町全体に不思議な高揚感が満ちてくる頃、人の足に弾みがついて、町外れ、松尾峡の川辺へと人込みは流れを変えます。


辰野で観測される蛍は、ゲンジボタル・ヘイケボタル・ヒメボタル・クロマドボタル・オバボタルの5種類で、6月の下旬に開催される蛍祭りは、ゲンジボタルの発生にあわせてのものとなっています。ゲンジボタルは日本古来の種で、大きな蛍火がゆっくりとフェイドイン・フェイドアウトするように明滅する大変印象的な蛍です。

一年願い続けてようやく巡り会えた蛍。それは言葉に尽くせない感動でした。草原を風が渡ると、葉陰の蛍は、まるで足下に広がる星空のようです。一瞬、風が止むと、気の早い蛍が一匹、夕闇の空へ舞い立ちます。次の瞬間、足下の星空、シリウスが、カシオペアが、オリオンが、一大交響曲の旋律のように舞い上がるのです。蛍・蛍・蛍……。それは緩やかな曲線を描いてぼくらの心を正確になぞり、沈黙の持つ、ある種の雄弁さ(饒舌(じょうぜつ)では決してありません)でもって、際限もなくぼくらに語りかけてきます。もちろんそれは「風の篝火」を前にたたずむ一人一人の心模様に他ならず、ゆえにぼくらが読み取り、聞き取っていたはずの言葉は、残念ながら万人の共有しうるものではありません。闇と対峙し、光と向き合う時間は、また、自分と対峙し、自分自身と向き合う時間でもあるのです。
梅雨のわずかな晴れ間を惜しむように飛び交う蛍。寄せては返し、飽くことなく繰り返す波のように、あるいは山裾の湿地を覆(おお)った、それは草叢(くさむら)の生命そのものであるかのごとくに、ゆるやかにシンクロする無数の蛍の明滅。
命をそのまま灯したような薄青い蛍火のひとつが、言葉をなくしてたたずむぼくの肩をかすめて空へ。すると風が出て、流星群のように蛍火は草むらに打ち落とされ、やがてまた舞い上がり、そうして風の間に間に夜空を焦がすのです。それからは、まるで夢でも見ているような、魔法をかけられでもしたような、不思議な時間でした。

駅に戻ると既に上りの電車はなく、夜行列車の到着まで長い時間を待たなければならないぼくらは、駅の待合室で、土産にと買ったはずの「蛍祭」を開け、その小さなキャップに注ぎながらちびりちびりと飲んだものでした。

それからもう随分と長い時間が経ちます。毎年のように訪ねた蛍祭り。ピークをすっかり外して、闇に舞う蛍を数えるほどの年もありました。傘をさしても濡れる大雨の日もありました。やがて、学生となったかつての教え子たちがぽつりぽつりと参加するようになって、いつしか、蛍の登場を待って、天竜川沿いの堤防で酒宴をひらくようになり、「ならば」と地元の瀬戸物屋でお気に入りの猪口を買い求めるようになり、それを自身の土産とすべく年毎に繰り返し、程なく店のおじさんと馴染(なじ)みになり……。
ここ最近では一年一度の来訪を心待ちにしてくれる瀬戸物屋のおじさんに手土産の菓子折りを携えて辰野入りするぼくらです。

幾度となく通い詰めたメンバーも、それぞれひとつずつ歳をとり、新しい環境へと歩を進め、あるいは新しい立場に身を置き、そして新しく大切な仲間を迎えて、そうして肩を並べて見るその風景が同じであるはずはありません。
闇と対峙し蛍と向き合う瞬間の、言葉によらぬ幾多(いくた)の語らいは、翻(ひるがえ)って自身との避けがたい対話である以上、その感想は自身の変容を映し出すものに違いありません。
自分が今どこにいて、これからどこへ向かって歩いていこうとしているのか。おおげさな表現かもしれませんが、辰野町の蛍祭りはそんなことを確かめるひとつの機会ともなるのです。

文責:石井

※残念ながら、コロナ対策で今年も地元の方や関係者以外の参加はできなくなっています。