夏が訪れるたびに思い出す風景があります。

空の一番高いところでギラッと光る入道雲。
暑さにたまりかねて飛び込んだ淵の不思議な青さ。
夕立ちにたたかれてずぶ濡れになったあとで嗅いだ草と土の匂い。
木漏れ日が友達の顔に縞模様をつくった薄暗い森の深さ。
気が遠くなるほどの蝉時雨。
半ズボン・ランニングシャツ・かさぶたの痕(あと)…。
麦わら帽子・虫捕り網・カブトムシ・クワガタ…。
ラジオ体操の朝・そのテーマソング…。
西瓜・冷やしそうめん・アイスキャンディ…。
扇風機・風鈴・蚊取り線香の煙…。
夏祭・盆踊り・打ち上げ花火に線香花火…。
市民プール・冷房の効いた図書館での勉強…。
ビーチサンダル・焼けつく砂浜・遠い島影・水平線…。
湖・緑の丘・キスゲの群落・白樺の木・高原を渡る朝霧の濃淡…。

最早、心象風景となったそれらのジグソーパズルをていねいに組み上げていけば、正確にぼくの「少年の日の夏」が完成するに違いありません。
けれども、あの頃は輝いていたはずのそんな風景が、なぜか今はほんの少しの切なさと共によみがえってきます。いつか失ったまま、もはや取り戻すことのかなわない「麦わら帽子」のように…。

『帽子』
西條八十

母さん、僕のあの帽子、どうしたんでしょうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。

母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
僕はあのときずいぶんくやしかった、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。

母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね、
紺の脚絆に手甲をした。
そして拾おうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。
けれど、とうとう駄目だった、
なにしろ深い谷で、それに草が
背たけぐらい伸びていたんですもの。

母さん、ほんとにあの帽子どうなったでしょう?
そのとき傍に咲いていた車百合の花は
もうとうに枯れちゃったでしょうね、
そして、秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。

母さん、そして、きっと今頃は、
今夜あたりは、
あの谷間に、静かに雪がつもっているでしょう、
昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と、
その裏に僕が書いた
Y.S という頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく。

気が付けば、夕立ちに傘を差し、水たまりを避けて歩くようになったぼくがいます。革靴を履いた、Yシャツにネクタイ姿のぼくにとって、汗をかくことほど気持ちの悪いことはないのに、Tシャツに着替え、スニーカーに履き替えた休日モードのぼくは、汗をかくことも気にはなりません。「秋が好きだ」とふれまわってはいても、そうです、夏は嫌いではないのです、本当は……。

さてさて、一度きりの今年の夏は、一体ぼくらに何を見せてくれるのでしょう。今年の蝉が鳴き始める、その最初の日が待ち遠しいぼくです。

文責:石井

※今年(2022年)は、既に「蝉の声を聞いた」という生徒からの報告が入っていますが、残念ながらぼく個人は7月15日現在、初蝉の声をまだ聞いていません。