私はある月刊誌を年間購読しています。その中にポケットブックが入っているのを見つけ手にとって見ました。
そこに東井義雄さんという生涯を教育にささげた人の話が載っていました。

その中の心温まる話です。原文のまま掲載します。

『私は主人が早くに亡くなりました。
女の子一人の母子家庭だったんですけど、主人が亡くなってから、くず屋の仕事を続けて、女の子を養いました。』

幸い、小学校のころは、いい子だ、やさしい子だと、皆さんから誉めていただいていたんですが、中学校になってから、ぐれ始め、とうとう中学二年の時には警察のお世話になるようなことになってしまいました。

あのいい子だいい子だといわれた子が、なぜこんなことになったんだろうか、どう考えても分かりません。
それが偶然わかったことですが、『いくら勉強できるからといって、くず屋の娘やないか』といわれたことが大きなショックになって、『お母さんがあんな仕事やっているから、いくら勉強やったって、みんなからバカにされる』と考え、それからぐれはじめたということがわかりました。

しかし、このくず屋の仕事をやめてしまっては、もう今日からの暮らしに困ってしまいます。
かといって、ただ一人の女の子が、こんなことでは、亡くなった主人に申し訳ございません。
長い間、ずいぶん迷いましたが、結局私の仕事をわかってもらう以外にはないと考えつきました。

ある時、『お母さんが長い間こんな仕事をやってきて、足腰が痛んで、どうにもこうにもあの下からの坂道、家まで車を引いて登ることができなくなってしまったんだ。すまんけど、あの下のポストのところまで、明日の晩迎えに来てくれないか』

『ボロ車の後押しなんかイヤだ!』

思った通り、はねつけられてしまいました。

『イヤだろうな、ボロ車の後押しなんてイヤだろうな。でも母さん、足腰がもう痛んで、どうにも車があがらなくなってしまった。頼むからあのポストのところまで、迎えに来てくれないか』いくら頼んでも、『ボロ車の後押しなんてイヤだ!』『イヤだろうな、ボロ車の後押しなんてイヤだろうな。でもな、六時には間違いなしに帰ってくるからな。あのポストのところまで迎えにきてくれんかい』

『じゃあ、六時ちょっきりやで。少しでも遅れたらよう待たんで』

ということで、どうにか承知してくれました。

あくる日、車を引いてポストのところまで帰ってくると、ポストのかげに、はずかしそうに、しゃがんで待っていてくれました。

そして、後を押してくれたのですが、車を引きながら、このボロ車に顔をそむけながら、どんな思いで後押ししてくれているのかと思うと、こんな仕事やってきて、そして娘にまでこんなみじめな思いをさせると思うと、たまらん思いでしたが、おかげさまで家まで車を引いて登ることができました。

『あんたのおかげで、今日は久しぶりに車を引いて帰り着くことができた。明日もすまんけどな、お願いするよ』

そのあくる日も迎えに来てくれていた。
そんなことが五日ばかり続いたある日、ポストの倍のところまで迎えに来てくれていました。

後押しをしながら、
『お母さんの仕事って、大変なんだな!』と叫んでくれました。

『お母さんだって、この仕事が好きなはずはない。でも私のために、この仕事、足腰が動かなくなるところまで頑張り続けてくれた。私のために。だのに私はお母さんを恨むなんて』

気付いてくれていたんです。
そのあたりから、立ち直ってくれました。

『今ではおかげさまで、いい母親になって、二人の子どもに恵まれているんですが』

と聞かせてくれました。

この話に続けて、東井先生はこう言われています。

「自分を生かしてくれているものに、目が覚めてみるとね。ぐれたりなんか、自分勝手な生きざまができなくなってしまうんですね。
願いの中に自分が生かされている。どうかそのことを一つ味わっていただきたいんです。」

私は東井先生の言葉を読んである言葉を思い出しました。

川崎に日本理化学工業という会社があります。障害者雇用が今ほど認められていなかった50年もまえから知的障害者の雇用を行い、今では障害者雇用率が全従業員の7割にもなる会社です。本でもテレビでも紹介されており、鳩山内閣の所信表明でも紹介されましたからご存知の方も多いと思います。(参照:「日本でいちばん大切にしたい会社」あさ出版)

その会社の大山社長にはどうしてもわからないことがあったそうです。

「どう考えても、会社で毎日働くよりも施設でゆっくりのんびり暮したほうが幸せなのではないか」「なかなか言うことを聞いてくれず、ミスをしたときなどに「施設に帰すよ」というと泣きながらいやがる障害者の気持ちがわからなかった」そうです。

そこで、ある時お坊さんに尋ねてみました。

するとそのお坊さんは、「そんなことは当たり前でしょう。幸福とは、①人に愛されること、②人にほめられること、③人の役に立つこと、④人に必要とされることです。そのうちの②③④は、施設では得られないでしょう。この三つの幸福は、働くことで得られるのです」(一部省略)と教えてくれました。

働けることの尊さ意義を教えてくれる良い話です。

しかし、私は思うのです。このごろの子供たちは、そもそも「愛されること」が足らないのではないかと。

少なくとも、この会社に最初に入った二人の少女は愛されていました。

会社の門があく1時間も前から待っている彼女たちを、ちゃんと会社にたどり着くか心配で、そっと影から見守る養護学校の先生や母親たち。その人たちの「願い」に生かされていることを、彼女たちもきっと命で感じていたに違いありません。

最近居酒屋で深夜家族連れをよく見かけます。それも小学生連れが平日に。翌日が土日ではないときなど、この子たちは明日大変だろうな、と余分な心配をしてしまいます。

授業中に居眠りしている小学生が増えているという、先生のコラムを読んだことがありますがうなずけます。

ある小学校の先生から聞いた話。給食費未納の家庭に何度催促しても音沙汰なし。そこで、居場所を聞き出したところ、なんと「パチンコ店」に入りびたりとのこと。催促したところ、「そんなことしたら、パチンコできなくなるじゃないか。美容室にだっていけやしない」と答えたそうです。あげくに、「そんなに気になるなら先生が払ったら」と言い放ったというのですから、空いた口が塞がりません。

「母、妻、一人の女性、社会人、人間」という役割の中で、「母」は一体何番目なのだろうかと考えてしまいます。

ある92歳になる老女の話です。

その老女は、大正、昭和、平成の厳しい時代を生き抜き、今は特別養護老人施設に入り人生の終末に向けて穏やかな日々を過ごしています。その老女には二人の息子がいます。

家族が頻繁に顔をみせることで認知症が進むのを防ぐと聞き、息子達は相談をしながら、仕事をやりくりし、どちらかが必ず週末施設に顔をみせています。

しかし、92歳にもなると、少しずつ認知症も進み、父親似の次男を自分の夫と間違えることもあり、「お父さん、お帰り。今日は早いね」などと言って、息子達を戸惑わせることもしばしばです。

そんなある時、次男が長男にぼそっと言いました。

「兄貴、お袋がね、この間こんなことを言ってたぜ。」

「どんなこと?」

『「あの子はここのところ会社はうまく行っているようだね」

「えっ、どうしてそう思うんだい?」

「お兄ちゃんは最近優しい顔になってきたからねぇ。」

「そうかなぁ、変わらないとおもうよ」

「いいや、前は暗い、厳しい顔をしていたよ。親だからね。4300グラムもあって、難産でお腹を痛めて生んだ子だからねぇ。すぐわかるんだよ。それがね、最近は本当に私にも優しくてね。いい顔になったよ。きっと仕事がうまくいっているんだよ」』

「兄貴、お袋ってすごいよなぁ!兄貴、心配掛けるなよな!」

長男は母親がそんな気持ちでいることをまったく知りませんでしたし、感じてもいませんでした。
正気と非日常を繰り返しながら、徐々に人生の終末に向けて最後の火をともしているような母がそんな気持ちでいることを。

「お兄ちゃん!世間様のお役に立っているかい。 昔の志を忘れてないかい。お父さんの仏壇のお水は毎日変えているかい」

訪ねるたびに厳しく糾すようにたずねる母。

「ああっ!お袋の願いの中で生かされているんだな。もちっと、がんばるか!」

どうでしょうか。皆さんもたまには田舎の両親に元気な声を聞かせてあげてはいかがでしょうか。 少し湿っぽい話になりました。

明るい小話を一句。

「貴方がいないのでさしみ買ったわ!」(悪妻賢母!さみしい妻?)
悪妻でも賢母であれば、日本の子供は幸せだ~!!

(悪妻でも賢母でいてくれるなら、まあいいかぁ・・・弱い夫)

(2010.6.14~2010.6.22)