代表コラム2021-06-04T11:58:34+09:00

代表コラム

第88回:日本の教育は優れている?! 第2回

私の時計で朝6時過ぎといっても、現地時間は真夜中3時。こんな時間に到着して、これからどうするのか、同行したバングラの友人におそるおそる聞いてみました。

すると彼曰く、「ダイジョブ、ダイジョブ。わたしの友達むかえにきてる。」

「そうかぁ、なら安心かな。しかし、この人数が税関を通るのにずいぶん時間がかかるだろうなぁ。」と考えながら並んでいると、どうやら税関では一人ひとりお金を払っているようでした。「ははぁん、だから時間かかるんだな」

そのとき、係の人が一人ひとりパスポートのチェックをしながら、私の前に来て顔を見ると、「Are you ……

第87回「日本の教育は優れている?!」

FINES GROUPで外国人に対して日本語教育をするようになって4年が経過します。

日本語教育に携わるようになると、観光以外で、外から改めて日本を眺める機会を持つことになりました。それまで私塾人として日本の生徒の学習・進学に長く携わってきましたが、果たして日本の教育が、「ものづくり」のように世界に誇れるものなのかどうかについて、私には全く知見はありませんでした。

そんな私が初めて訪れた国は、バングラディシュでした。初めて訪れる国がなぜバングラなのか。それについて長くなりますから、またの機会にします。

バングラ訪問の目的は、ある大学の留学生獲得のためでした。訪問国の知識としては、はるか昔、中学生の頃の社会科で習った知識くらいしかありません。インドの東側。確か以前は東パキスタンとかいっかな。そのくらいでした。

朝、6時過ぎ、ダッカ国際空港に到着。税関に並びました。長蛇の列。100人くらいはいたでしょうか。日本人と思しき人は1割もいません。

以後3年間。12ケ国訪問の旅がここから始まりました。

第86回「IB教育ってなに?第3回」

~バカロレアってよく分からない!~

前回のコラムでDPの履修が、日本語でできるようになればバカロレアは広がっていくと書きましたが、なんとその日、文科省ははやくもこれを実行に移すという決断をしています。
7月1日文科省は、「DPについて、新たに地理や音楽などの科目については、日本語で履修できる」と発表しました。

これにより資格取得に必要な6科目のうち、英語を除く全科目で日本語での履修が可能となります。対象は2016年度入学者から適用されます。
「認定校拡大に弾みをつけたい」とする文科省の目標は、達成されることになると思われます。
さらに、文科省は、同プログラムを履修しやすくするため、今夏にも学校教育法施行規則などを改正し、英語、数学、理科の必修科目と総合的な学習の時間の単位を、そのままDPに置き換えられるようにするという方針を明らかにしています。

「ゆとり教育」を初めとする、ここ20年間の日本の教育行政については、わずかながらも私学教育に携わるものとして、忸怩たる思いがありましたが、この1,2年の文科省の改革スピードには眼を見張るものがあります。

ファインズグループとしても、このグローバル化の流れに対応するべく、国の1歩先をゆく改革をこれからも進めていく所存です。

第85回「IB教育ってなに?第2回」

~バカロレアってよく分からない!~

日本のディプロマ・プログラム(DP)認定校は、34校ありますが、その多くはインターナショナルスクールです。
この内、学校教育法第1条により「学校」として認められ、高校卒業資格が与えられる学校は、全国に12校、首都圏では、玉川学園中学部高校部、東京学芸大付属国際中等教育校、都立国際高校の3校となっています。
今後はこの1条校も増えていくと思われます。

DP認定校である都立国際高校は、今春(平成27年度)入試において、新たに「国際バカロレア」コース(定員25名)を設置しました。
注目された入試でしたが外国人枠5名は残念ながら4名の合格に留まり、定員を充足できませんでした。しかし、日本人枠、外国人枠ともに応募倍率は4.4倍の高倍率となり、激戦となりました。
4技能中心の入試でありながら、高倍率となったのは教育業界に大きな刺激を与えました。

現在DPの授業は、日本では英語を中心に行っていますが、文科省は今後一部の授業を日本語でも行えるようバカロレア機構に働きかける方針です。それが認められるまでには、まだ数年を要するでしょうが、それが認められればDPは一挙に広がっていくでしょう。
前述したように、文科省は30年までに1条校を200校にすることを目標に掲げていますが、現在のところ「困難」だというのが一般的な見方です。
ただ、日本語によるDP履修が一部に認められれば、一挙に広がっていくでしょう。

従来IB認定校が広がらなかったのは、日本の高校卒業資格に必要な履修科目とは別に、DP履修に必要な科目の取得を必要としたため、高校にとっても、生徒にとっても、それが負担となっているからでした。
しかし、DPの履修が日本の履修科目として認められれば、IBを導入する高校は拡大していくことは間違いありません。
日本の教育が大きな転換点にあるとき、IB教育の今後に大いに注目していきたいと思います。

つづく

第84回「IB教育ってなに?」

~バカロレアってよく分からない!~

文科省は、4月17日「2018(平成30)年までにIB認定校を200校まで増やす」、さらに6月22日には「国際バカロレア(IB)の履修科目を、高校卒業に必要な単位に算入できる上限を拡大する」と発表しました。
一般紙の社会面の小さな記事でしたが、2020年の大学入試改革とも関連し、これからの日本の教育に大変重要な内容を含んでいます。

大学入試改革については、前回までに述べてきましたからそちらをお読みください。
ところで、近時マスコミでIBという名前をしばしば目にするようになりましたが、「IBとは何か?」と聞かれて、はっきりと答えられる人は少ないのではないでしょうか。
そこで、これらの記事の意味に触れる前に、まずIBとはどのような教育なのかを簡潔に述べてみたいと思います。

IBとは、「国際バカロレア(International ……

第82回「英語ならファインズ第4回」

~「自調自学」のファインズ6期生 東大に5名合格!~

「高大接続改革」が目指すものは何でしょうか?
この問に答えるためには、従来の大学入試の問題点に触れないわけにはいきません。
現在の大学入試制度は、「効率性」に重点をおいています。その結果、「穴埋め」「短答式」
「選択式」の問題が多くなり、必然的に高校での学習も「暗記記憶型」に重点を置いて勉強することになります。
つまり、「穴埋め」「短答式」「選択式」大学入試に対応するため、高校での教育が最適化されてきたのです。
「選択肢の中に必ず答えがある」「そもそも選択肢は与えられるもの」「一問一答」「問題が解けるかどうかは知識次第」「思考力よりも記憶力・暗記力が大事」「難しい問題は後回しにした方が有利」「表現力は問われない」等々。
このような学習は、大学合格と同時に忘れても構わない知識の習得を必死になって身につけないと合格はしない、という矛盾したものだったのです。
問題傾向が、「穴埋め」「短答式」「選択式」であるということは、評価方法は「単一の評価軸」にならざるを得ません。
文科省は、評価方法も「多様なもの」に変えていく、と言っています。
今回の改革は、この「効率化」「暗記型」「単一な評価軸」にメスを入れようというものなのです。
文科省は、「調べて、考えて、書く」ことができる大学生を社会に送り出すため、前述したように2020年センター入試を廃止し、「新テスト」を実施すると言っています。
ファインズでは創設以来「自主自立、自己実現、自発能動、自調自学」という「四自の教育」を理念に掲げ指導してきました。世の中の思考がやっとファインズに追い付いてきたと考えています。 ……

第81回「英語ならファインズ第3回」

~首都圏で初めて! 『英語で数学を学ぶ』授業開始!~

では、「高大接続改革」とはどのような改革なのでしょうか?

まず「知識型、暗記型」偏重のセンター入試を廃止し、「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」を実施し、同時に高校2年生(中教審の委員には、高1から始めるべきという意見もある)には「高等学校基礎学力テスト(仮称)」という新たに2つの「新テスト」を創設するというものです。

つまり、今の「知識偏重型」の大学入試の強く影響を受けている高校教育の一体改革も同時進行で行わないと、ほんとうの意味での「大学入試改革」にはならないと文科省は考えています。
従来の教育改革が、「部分最適」にとどまっていた事を踏まえ(文科省は、「ゆとり教育」がまちがっていたと認めてはいません)、グローバル化に対応できるようにするためには「高大接続改革」により「全体最適」を目指す必要があると考えています。 ……

第80回「英語ならファインズ第2回」

~首都圏で初めて! 『英語で数学を学ぶ』授業開始!~

  今年1月、文科省は「高大接続改革」を柱とする大幅な大学入試改革を発表しました。
従来、日本の教育行政は、ほぼ十年に一度「指導要領の改定」という形で変化をしてきました。
しかし、今回の改革は単なる「入試制度の変更」というのにとどまらず、日本という国の教育制度そのものの転換を意味するほどのインパクトをもっています。
最近やっとマスコミにも取り上げられるようになってきましたので、東京オリンピックの年に、センター入試がなくなるという認識は広まりつつあります。
しかし、その中身となると知られていないのが実態です。

そこで、まずは文科省(中教審)の考え方を知ることから始めてみましょう。
以下、文科省の考え方を代弁してみます。

日本が「失われた10年」の中でもがいている間、世界ではグローバル化が極端に進みました。産業構造・社会構造は急激に変化し、社会で求められる能力も異なってきました。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」として日本がもてはやされていた「工業化社会」においては、少品種・大量生産で安価なものをいかに効率よく作るかが重要でした。
このような効率化社会では、「暗記力」「再現力」「処理力」が重要な「力」でした。

ところが、時は「情報化社会」。「知識・情報」が駆け巡る時代では、持てる情報を如何に有効に活用し、表現し、主体的に行動できるかが問われるようになってきたのです。
すでに始まっている「知識基盤社会」においては、「21世紀の力」が要求されるのです。「21世紀の力」とは、「知識を基盤に自らの言葉で表現し、主体的に行動する力」を言います。
この「21世紀の力」は、成績上位者だけに留まらず広く求められる能力なのです。
しかし、現在の大学入試はこの要求に応えることができていない、と文科省は考えています。
そこで出てきたのが「高大接続改革」なのです。
つづく

第79回「英語ならファインズ」

~第1回イングリッシュ・サマーキャンプ開催!~

 今英語教育が注目されています。

ご存知のように一昨年から「ゆとり教育」が見直され、新指導要領の導入により教科書が「厚く」「難しく」なりました。 ……

第78回「燃えろ!教師たち。」

過日某月刊経済誌を読んでいたところ、ある特集記事が目に飛び込んできました。
それは「稲盛哲学、中国に渡る 燃えろ!経営者」と題する特集記事でした。
稲盛さん(失礼ながら、あえてそう言わせていただきます)と言えば、京セラの創業者であり、KDDIを日本有数の電話・通信会社に育て上げ、最近では日航を短期間で再上場させた敏腕経営者として知らない人はいません。

稲盛さんの経営は、「京セラ フィロソフィ」に集約される理念経営でしょう。
私の大好きな経営者の一人で、彼に関する書物はほとんど読み大変影響を受けました。ファインズグループも創業時から「FINES WAY わが理念」を作成し、理念経営を実践しています。

その稲盛さんの経営哲学が、日本から中国に伝播し稲盛フィーバーが起きているというのです。

(つづく ……

第77回「あきらめない心」

しばらくご無沙汰していた「代表コラム」ですが、あちこちからいつになったら再開するのか?と質問・要望をいただいていました。しかし、つい忙しさを理由に筆不精になっていましたが、ありがたいことにコラムが更新されていないにもかかわらず、今でも多くの方が見ていただいているのがわかりました。
その読者のご要望にお応えして再開することにいたしました。

~あきらめない心~

 昨日ソチ冬季五輪のフィギュアスケートの最終選考の発表がありました。
男女各3名のうち浅田真央さん、羽生結弦(はにゅう ゆづる)さんは順当に選出されたと思いますが、不振を囲っていた「泣き虫カナコ」こと村上佳菜子さんが2位になったのはよかったと思いました。また、怪我の後遺症で5位に終わった高橋大輔さんが選ばれたのには少々驚きました。

翌朝テレビを見ていると、この選考会の様子をレポートしていました。
そのレポートは、テレビには映らなかった競技会終了後の控え室での様子を伝えていました。その様子を見て思わず涙腺が緩んでいました。

 

13回目の挑戦で始めて全日本の頂点を極めた鈴木明子さんに対する他の選手の温かい対応が写っていたのです。
前回の五輪では摂食障害を乗り越えたヒロインとして話題になった彼女ですが、五輪での成績は今一歩でした。その悔しさがあるからこそ、ソチ五輪まで頑張ってこられたのでしょう。女子フィギュアの選手としては、決して若くはない28歳。 ……

第76回「論語素読講座③」

~学ばざれば道を知らず~

 今日からサマーセミナーで山梨県西湖に来ています。
第3回はここ西湖からお届けします。
セミナーでも受験生以外の学年に「論語特別講座」を担当することになりました。少しでも「夢を持つことの大切さ」「努力することはカッコイイこと」「学ぶことの意味」を感じて貰えればと思います。この様子は別の機会に書こうと思います

さて、私の郷里は名古屋の都市部にありましたが、それでもまだまだ戦争の爪痕があちこちに残っていました。大好きな遊び場は、高射砲陣地の跡地でした。戦後20年近く経過していましたが、ここはまだトーチカのコンクリート台の跡が残っていて、背丈ほどの雑草で覆われていました。われわれ「悪童たち」には格好の秘密の遊び場所だったのです。
生活レベルは決して豊かとは言えませんでしたが、日本全体が「戦後」からの復興を目指し、モーレツな勢いで経済成長を遂げているまさに「高度成長期」に青春を過ごしました。
その成長のシンボルである東京オリンピックを中学生で見ることになりますが、「これで日本もやっと世界から認められるようになった」という世の中の高揚感が、私にも伝わってきたことを覚えています。
東京オリンピックから48年。ロンドンオリンピックも終了。世界と戦った日本の若者たちの口から「感謝」の言葉が出てくるのを聞き、「日本もまだ捨てたものではないな」と感じつつ、ナショナリズムを高ぶらせた17日間でした。外国のメダリストの口から、家族やコーチ以外の人への「感謝」の言葉は聞いたことがないとレポーターが言っていました。東日本大震災の時に続き、日本人の優れた特質を感じたのは私一人だけではないような気がします。
スポーツであろうと勉強であろうと成長するために不可欠な要素。それは「素直な心」と「感謝の気持ち」なのです。

では、本題の教育の話に戻りましょう
私たちの親世代は、ほとんどが大正生まれで、「学士様」といえばそれだけで尊敬を集めることができたようです。その戦前世代の一番の望みは、自分たちが叶えられなかった「大学」に入れ、やがて来るであろう「豊かさ」を享受するための「資格」を子供たちに与えることでした。
国民の教育熱は盛んでしたが、当時「塾」といえば、「ソロバン塾」くらい。勉強しに塾に行くといえば、「勉強ができないから行く」と思われるような時代でした。
中学入試をする生徒は、クラスにはいませんでした。そもそも中学入試なるものが存在することすら知りませんでした。
高校受験は、われわれが最後の年でしたが、公立高はなんと「9教科入試」。必然的に暗記型の入試でした。「頭がいい」というのは、「記憶力がいい」とほぼ同義だったような気がします。昨今はやりのPISA型問題とは、大きな違いがありました。
大学も国立大は1期校、2期校の時代でした。文系といえども理科は2科目選択でした。また 数学は、数ⅡBまで必修。私は文系志望にもかかわらず、愚かにも数Ⅲまで選択して、1時限目でチンプンカンプン。数学の才能の無さを自覚させられたことを覚えています。
「共通一次」もまだ始まっておらず、旧帝大をトップ層とする大学の序列化が予備校で叫ばれていました。
「受験戦争」という言葉がマスコミで批判的に使われ始めた頃でした
つづく

第75回「論語素読講座②」

~学ばざれば道を知らず~

 授業の様子に触れる前に、私の少年時代のことを書いてみます。

私は「団塊の世代」のすぐあとの世代です。私の少年期は、まだ「ふかし芋」がおやつに出るのを楽しみにしていたくらいで、「三丁目の夕日」がぴったりの時代でした。
果物に関する思い出を二つ。当時、バナナやメロンは庶民にはまだ高級果物でした。そして、私にとっては思い出のある果物です。

小学5年生の夏。引っ越してきたちょっとリッチな友達の家に悪友4人と遊びに行ったときのことです。その時の感激・無念さ・恥ずかしさはいまでもはっきり覚えています。
さすがお金持ち。おやつの時間。バナナがなっ、なんと「ひと房」まるごと出てきたではありませんか!実はそれまで半分に切ったバナナしか食べたことがなかったのです。滅多に口にできないバナナ。家では弟と分けるためいつも二分の一。(どういうわけか父母の分を含めた四分の一ではありません。)
だから、私は「一本まるごとバナナのむき方」を知りませんでした。そこで、私は友達がむくのを見てから食べようと手を付けませんでした。ところが、他の友人たちも誰も手に取りません。みんな隣をキョロキョロ見ているばかり・・せんべいとかお饅頭にばかり手をつけていました。
すると、友人のお母さんがやってきて、「あらあら、みなさんはバナナがお嫌いなのね!」と言って下げてしまったではありませんか!
私は・・・唖然!ガックリ!
このことがあってかどうか不明ですが、バナナは一番最初に手にとる癖がついてしまいました。現在は100円で数本買えます。でも、バナナを朝食でとるたびに、この時のことを時々ふと思い出し、ニヤッとしてしまいます。

後日談。
卒業後24,5年経って同窓会で悪童たちと旧交を温めていたとき、この「バナナ」の話が偶然出ました。なんと!彼ら全員、「むき方」を知らず、ずっと誰かがむいてくれるのを待っていたそうです。一同大爆笑。以後この5人を「バナナクラブ」と呼んでいます。
しかし、ひとりは物故者。4人に減ってしまいました。

次にメロンの思い出。この当時、なんとか入院したいといつも念じていました。というのは、弟が盲腸で入院したとき、お見舞いでもらったメロン(マスクメロンなのかどうかは不明)の味が忘れられなかったのです。なんども「一切れでいいから買って!」と母に頼み込んだのですが、「あれは病気になったときしか食べられないのよ」とにべもありません。だから、「どうしても、できれば手術しないですむ病気で入院したい」と切望していました。しかし、親からもらった頑丈な身体。一度も入院できずじまい。その夢は叶えられることはありませんでした。

その母も93歳。施設でお世話になっています。果物はなかなか口にできず、「バナナ、メロンが食べたい」といいます。自分は口にすることはなかったであろう果物を持参すると、「お前は食べたのかい?」と必ず聞くのです。
「ああっ、腹いっぱい食べたから、おふくろも食べな!」
「そうかい。食べたのかい。たくさん食べたんだね。じゃぁ、いただくよ」
シミとシワだらけのゴツゴツした手。50年前の夏の暑さがそこにありました。
つづく

第74回「論語素読講座①」

~学ばざれば道を知らず~

 新指導要領について、あれこれ考えているうちに、どういうわけか筆不精になり、しばらくコラムをご無沙汰してしまいました。
教育の末席に置かせていただいている身として、どうしたら人材育成という私塾の使命を果たすことができるのか。大津のいじめ事件などを見ながら、今できることを模索していました。しかし、「想い」だけでは、何も変えられないし、変わらない。
そこで2年前に始めようと考えながら、頓挫した「論語講座」を今一度始めてみようと思いたち、早速鷺沼スクールで6月から始めました。

今の子供たちが「学び」に意味を見いだせないのは、「何のために学ぶのか」という根本的な問に答えられる大人がいないことも理由の一つであるような気がしてなりません。
「あこがれの学校の制服に袖を通してみたい」という子供の身近な目標は、もちろん学習の動機付けとして否定しませんし、今も昔も大事なことです。
しかし、そうした身近な目標さえ、「所得の2極化」の拡大により、誰もが持てる目標ではなくなりつつあります。
団塊の世代、高度成長期に誰もが夢見た「一元的出世感」は、その善悪はともかく、今では「夢のまた夢」といえるのではないでしょうか。
では、われわれ教育に携わる者として、指をくわえて現状を見ているだけでいいのか。
どんなに少なくとも、今目の前の一人の生徒から始めてみよう。さぁ、行動開始!

月1回。土曜日の午後。テストが終わってからの参加自由の無料講座です。
今どきの生徒が、このような「わけのわからない」授業を聞いてくれるのだろうか?
一体何人が出てくれるだろうか?そんな不安を抱えながらの1回目の授業でした。
教室に入ると、10名ほどの生徒がいました。6年の女の子が圧倒的。5年生も混じっていました。
私も久しぶりの現場。それも教科の授業ではありません。新任の教師のようにドキドキしているのが、自分でも新鮮でした。

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