~学ばざれば道を知らず~
授業の様子に触れる前に、私の少年時代のことを書いてみます。
私は「団塊の世代」のすぐあとの世代です。私の少年期は、まだ「ふかし芋」がおやつに出るのを楽しみにしていたくらいで、「三丁目の夕日」がぴったりの時代でした。
果物に関する思い出を二つ。当時、バナナやメロンは庶民にはまだ高級果物でした。そして、私にとっては思い出のある果物です。
小学5年生の夏。引っ越してきたちょっとリッチな友達の家に悪友4人と遊びに行ったときのことです。その時の感激・無念さ・恥ずかしさはいまでもはっきり覚えています。
さすがお金持ち。おやつの時間。バナナがなっ、なんと「ひと房」まるごと出てきたではありませんか!実はそれまで半分に切ったバナナしか食べたことがなかったのです。滅多に口にできないバナナ。家では弟と分けるためいつも二分の一。(どういうわけか父母の分を含めた四分の一ではありません。)
だから、私は「一本まるごとバナナのむき方」を知りませんでした。そこで、私は友達がむくのを見てから食べようと手を付けませんでした。ところが、他の友人たちも誰も手に取りません。みんな隣をキョロキョロ見ているばかり・・せんべいとかお饅頭にばかり手をつけていました。
すると、友人のお母さんがやってきて、「あらあら、みなさんはバナナがお嫌いなのね!」と言って下げてしまったではありませんか!
私は・・・唖然!ガックリ!
このことがあってかどうか不明ですが、バナナは一番最初に手にとる癖がついてしまいました。現在は100円で数本買えます。でも、バナナを朝食でとるたびに、この時のことを時々ふと思い出し、ニヤッとしてしまいます。
後日談。
卒業後24,5年経って同窓会で悪童たちと旧交を温めていたとき、この「バナナ」の話が偶然出ました。なんと!彼ら全員、「むき方」を知らず、ずっと誰かがむいてくれるのを待っていたそうです。一同大爆笑。以後この5人を「バナナクラブ」と呼んでいます。
しかし、ひとりは物故者。4人に減ってしまいました。
次にメロンの思い出。この当時、なんとか入院したいといつも念じていました。というのは、弟が盲腸で入院したとき、お見舞いでもらったメロン(マスクメロンなのかどうかは不明)の味が忘れられなかったのです。なんども「一切れでいいから買って!」と母に頼み込んだのですが、「あれは病気になったときしか食べられないのよ」とにべもありません。だから、「どうしても、できれば手術しないですむ病気で入院したい」と切望していました。しかし、親からもらった頑丈な身体。一度も入院できずじまい。その夢は叶えられることはありませんでした。
その母も93歳。施設でお世話になっています。果物はなかなか口にできず、「バナナ、メロンが食べたい」といいます。自分は口にすることはなかったであろう果物を持参すると、「お前は食べたのかい?」と必ず聞くのです。
「ああっ、腹いっぱい食べたから、おふくろも食べな!」
「そうかい。食べたのかい。たくさん食べたんだね。じゃぁ、いただくよ」
シミとシワだらけのゴツゴツした手。50年前の夏の暑さがそこにありました。
つづく
(2012.08.08)