今日届いたひとつのテレビニュースが、小さな胸の痛みとなってぼくの記憶を呼び覚まします。

 

 

立夏を迎えた5月5日。知人が一人、まるで嘘のように亡くなりました。
早いもので、それから、もう半年が経ちます。

 

 

行きつけのビリヤード場(実は「スリークッション」という特殊な競技の、ぼくも選手の一人なのです)で5年ほど前に知り合った「ヨコジイ」と呼ばれるその知人は、今年で69歳になる(はずだった)人生の大先輩であり、友人であり、そして初段戦を共に戦った戦友でもありました。
その彼が「急性骨髄性白血病」に倒れたのが、ちょうど一年前となる去年の秋。すぐにでも抗癌剤を使った治療に入る彼は、入院先の病院を家族に固く口止めして友人にも知らせず、病との闘いに一人赴(おもむ)いたのです。そんな時、祈るしかない自分の無力を思い知らされはしたけれど、それ以外に何の手立ても持たぬ身であってみれば、せめて心の限り祈り続けようと思ったぼくです。病を身に受けたのは彼であり、ぼくではありません。それは決定的なことです。

これまでにも離れ離れになった友人や仲間たちは大勢いました。それでも、本気で会おうと思えばいつだって会えるのだと考えれば慰めようもあります。けれども、彼に病気を克服してもらう以外に再び会える可能性がないということは、なんと哀しくて悔しいことでしょう。

 

 

だから、3ヶ月に及ぶ闘病生活の末に退院を果たした彼との再会がかなった日のことは、今でもよく覚えています。2月27日。高校受験もひと段落したぼくが、久し振りに店に顔を出すと、そこに彼の姿があったのです。
ぼくの姿を見つけたときの彼のこぼれるような笑顔。さっと右手を挙げて合図をよこした彼に応えて、思わず敬礼をしてしまったぼくは涙が出るほど嬉しかったのでした。

それからは週に何度かビリヤード場にも顔を出すようになり、何事もなかったように旧知のメンバーと玉を撞(つ)く姿を見かけるようになりました。週に一回の通院が続いているとはいうものの、日常生活に特別な不自由はないのだといっていた彼でした。

ゴールデンウィークに入ってからも、全日本選手権の観戦に行き、5月3日、4日と足繁(しげ)く店に顔を出していたその彼が、ちょうどその翌日、立夏の日となる5月5日に突然亡くなったというのです。

 

 

「石井さん、聞いた? 横山さんが亡くなったんだよ」
あるセリフを聞いたとき、それがとても簡潔な表現で、「文法的には」何の障害もなくそのセリフを解釈できるのに、その言葉が伝えようとするところの意味が簡単には飲み込めないということがあります。言葉が暗渠(あんきょ)となって、その意味やイメージが光の届かない場所に深く吸い込まれてしまったように、一瞬の空白を作ります。このときがまさにそれでした。
直後にぼくは、その静かな、けれども激しいショックを押し隠すそうとでもするように誰にともなく早口でひとしきり言葉を発します。
「白血病ですから、一進一退を繰り返しながらも、容体が急変するということがあるんです。……残念でなりません」
そう言いながらも頭の中では、まるでテレビドラマのセリフような「嘘だろ。嘘だといってくれ」という言葉が、壊れたレコードのように不自然にリフレインするのです。
それから思い出したように無口になって、ぼくはヨコジイのいた風景の中へと記憶を遡ります。

 

 

週に一度会うか会わないかの彼との時間は、「生活」のひとつ上位にある「趣味」を介してのものである以上「日常」とは呼べないけれど、それだけに大切なものでもあったわけです。
日常、ぼくは彼とは直接には縁のない生活を送っています。けれど、他のどの仲間たちもそうであるように、その存在が、底辺のところでぼくという人間を支えてくれているということは疑いようのない事実です。たとえ毎日のように会えなくとも、そんな風に仲間たちがいてくれるということの頼もしさ、力強さ、安心感……。
その彼を失ってしまったのです。桜が咲くまでは持たないだろうと医者から宣告されていたのだそうです(そういう話はいつだって遅れて届くのですね)。入院加療をすれば多少の延命は可能であったのかもしれません。けれども彼が選んだのは、人に預けて見取ってもらう余生ではなくて、最後まで自分の人生を生きるということでした。こうして言葉にすれば格好いいけれど、それは想像を絶する闘いです。夜、寝床に入れば、明日の朝には目覚めるという誰もが疑いもしないひとつひとつのことが保証を失うのです。目を閉じたら二度と目覚めないかもしれないという恐怖は、ぼくのちっぽけな想像力の限界を遥かに超えています。
けれども一方で、恐らくは退院してからの三月に満たない時間を、彼はこれまでにない密度で生き通したに違いありません。今日か明日か定かではないものの、2005年、今年が確実に人生最後の年となるという諦観は、目に映る風景をどんな風に塗り替えていったのでしょうか。

 

 

もちろん、これまでのぼく自身の経験から言っても、ヨコジイは相変わらずぼくの中に存在し続けるでしょう。ただ、ふとした瞬間にいやでも思い知らされるのです。彼と会うことは二度とかなわないのだということ、彼との新しい時間の共有は有り得ないのだということに…。
そうして打ちひしがれて、けれどもまた、彼という存在を何か大切なもののように胸に抱いて、ぼくは歩き始めるのです。

生き残ったものは歩き続けなければならないのですから。