「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」

藤原敏行(古今和歌集収録)

 

暦の話からずれてしまいますが、正しく理解できるように歌の解釈をしておくことにしましょう。

 

■「来ぬ」には二通りの読みと意味があります。

①「こ・ぬ」と読む場合

「こ」は未然形ですから、「ぬ」は打消しの助動詞と判断できます。よって、現代語訳は「こ・ない」となります。

②「き・ぬ」と読む場合

「き」は連用形ですから、「ぬ」は完了の助動詞と判断できます。よって、現代語訳は「き・た」となります。

 

さて、冒頭の短歌ではどちらの解釈があてはまるでしょうか。

①「秋が来ないと目にははっきり見えないけれど…」⇒×

②「秋が来たと目にははっきり見えないけれど…」⇒○

比べれば一目瞭然ですね。

 

■「おどろく」には複数の意味があります。

代表的な意味を挙げておくことにします。

①びっくりする

②目を覚ます

③はっと気付かされる

上の句との調和を考えれば、相応しいのは③だとわかります。

つまり、「立秋の日を過ぎても、秋が来たと、はっきり目にはみえないけれど、風の音によって(秋の到来に)はっと気付かされました。」という意味の短歌となります。

 

暦の上で「秋(立秋)」が来て、七夕の行事も無事に済んで、「暑中見舞い」から「残暑見舞い」へと変わっても、空には相変わらずの入道雲。蝉交響楽団も追加公演の真っ最中。夜になっても気温が下がらず寝苦しい夜が続く。どこが秋だ、と言いたくなる気持ちもわかりますが、気を付けてみれば、夜にはあちこちの草むらや植え込みから虫の声が、そして柿や栗の木にはまだ小さいながら青い果実が実り始めています。

夏と秋の交換は紙芝居のようにぱらっとある日突然めくられていくのではなく、夏の中にいつの間にか秋が忍び込み、秋の気配の中に残る夏の余韻が静かにフェードアウトしていくといった感じです。

 

くっきりと小麦色の日焼け跡が日を追うごとに色あせていくと、いつか秋も深まって冬支度が始まります。