1月3日、今日で正月特訓も終了。そして冬期講習も残すところ4日間となりました。
講習終了と時を同じくしておよそひと月にわたる中学受験が始まり、1月下旬にはそれと重なるように高校受験もスタートします。
受験生諸君は最後の追い込みに余念がないことと思いますが、今後は睡眠時間にも配慮しつつ日々体調管理をしっかりとして、それぞれの闘いの日を、ベストコンディションで迎えることが重要となります。
ところで、今日、「週刊ひとりごと」を始める以前から折に触れてパソコンに書き溜めた日記を読み返していて、ちょうど一年前となる2005年1月3日の文章がなぜか今さらのように新鮮な驚きをもって胸に響いてきたのです。「一期一会ということ」と題されたその文章を、折角ですからここに引用することにします。
「一期一会ということ」
1月3日、午前10時。
セントクォークビル5階の南向きの非常階段からの、見慣れたはずの風景に静かに心打たれる。
真新しい今日の太陽がすっかり空の高みに顔を出すと、西空に、次第に淡く透き通っていく下弦の月が沈み始める。雲ひとつない蒼空(あおぞら)の遥(はる)か高みに、西へ向かう飛行機が眩(まばゆ)いばかりに白い航跡を残していく。それはまるで南西諸島に向かう旅客機の小さな窓から見下ろした、一枚の海の写真のようだ。
いつになく雀の声が賑(にぎ)やかだと思って見れば、今日は珍しく鴉(からす)の姿がない。舞い降りた数羽の雀たちが、駐輪場の雪解け水が作る小さな水溜りで、競い合うように水浴びをしている。溶け残った雪の眩(まぶ)しい照り返しに、ぼくは思わず目を細める。
もしかしたらこれが最後となるかもしれない、ぼくの人生の愛しき一年の始まり。と、そう思って見れば、見慣れたどんな風景も輝いて見える。
縁起でもないとお叱りを受けそうだが、そんな風に訪れるひとつひとつの季節と付き合っていこうと決めたのだ。それは、風景ばかりではない。人や物や、繰り返す出会いのどれもこれも大切に胸に刻んで生きていきたいと、初めて素直にそう決意したぼくだ。
「末期(まつご)の目」で、訪れる季節のひとつひとつを胸に刻んで生きた正岡子規に「いちはつの花咲き出でてわが目には今年ばかりの春往(ゆ)かんとす」という歌がありました。子規の病とその夭折(ようせつ)を知るぼくらは、下の句を「自らの死を意識した子規の人生最後の春を惜しむ気持ち」の表現ととらえるわけですが、「臨終(りんじゅう)只今(ただいま)にあり」との諦観(ていかん)を持って「今年の春は今年しかない。人生のどんな瞬間においても、今この一時を心から愛おしむ自分でありたい」との切なる願いを読み取ることもまた可能ではないかと思うのです。まさに「一期一会」ですね。
その気持ちを忘れずに持ち続けられたら、と願って止まないぼくです。
※2023年の中学入試1月受験が終了し、週明けには高校入試1月受験(東京私立の単願推薦・埼玉入試・都立推薦入試)が始まります。最後の追い込み・最後の調整……。どうか健康で、悔いのないよう闘い抜いて欲しいと心から願ってやみません。
「人事を尽くし天命を待つ」
文責:石井