いつだったか、部屋の整理をしていたら、すっかりホコリをかぶった小学校時代のアルバムが出てきた。なつかしさにページをめくっていくと、そこに飾られた写真の向こう側に、ぼくと、ぼくの周りで輝いていた仲間たちとの、形にならない思い出が見えかくれした。

なぜかそんな思い出の舞台は、いつも決まって青い空と白い雲と野や山の風景だ。

自然の中で「水」のある風景に出会うと心がときめくのはなぜだろう。列車に乗って旅に出ると、ガラス窓の向こうに遠く光って海が映る瞬間に、ふと心が波立つことがある。けれども、そんな時「あっ、海!」と叫ぶのは、今は残念ながらぼくではない別の少年だ。

名をなした作家たちの作品に「少年時代」と題したものがまざるのは、それなりに理由のあることに違いない。ぼくにしても、今は形にならないぼくの「少年時代」を、いつか言葉にする瞬間が来るのだろうという予感はある。今のところ予感は予感のままで、一向に形になる気配もないが、無理に言葉をつなげてみても、都合よくゆがめられ、あっけなく壊れてしまう世界のような気がして、いつかぼくの胸の奥から自然に言葉となってあふれ出してくるまで、今はそっとしておこうと気の長いことを考えている。

いつまでも子どものままでは困ってしまうが、かといって、自分がなりたいと思う大人の姿が見えない、そんな時期があった。子ども心にも「こんな大人にならなりたくない」と思うような見本はいくらでもいた気がする。

仲間たちとずいぶんイタズラを重ねた。むしろ大人たちが眉をひそめるような連中に、特に親しい仲間が多かった。

公園やゴミ捨て場に置き去りにされたジュースやビールの空きびんを拾い集めてきれいに洗い、酒屋に持っていってわずかばかりの小遣いに換えた。森林公園の人目につかない片すみに拾い集めた木切れやトタンで「基地」を作って、ローソクの灯りの下で持ち寄ったマンガを読みあったり、手分けして宿題を片付けたりした。夏になると立ち入り禁止の採石所の巨大な水たまりで水泳をした。高い給水塔の上にのぼって、いつもは見上げる五階建ての団地を見下ろしながら、あるともない将来の夢を語り合ったりした……。数え上げたらきりがない。

そうしていつも、まるで勲章のように傷だらけのぼくらだった。

けれども、そんなぼくも、嫌いなものにつばを吐きかけてまで肩で風を切って歩くことはとうとうできずに、そんな事情を知りもしない大人たちからは「良い子」の札をはられたままで「少年時代」を卒業した。

「ここからはお前の来るところではない」と、その最後の一線を越えることをぼくに許さなかったのは、激しく大人たちと火花を散らしながら、「最も問題のある子」と決めつけられていたぼくの親友だった。

今では、その頃の喜びも哀しみも、すべてがいとおしい。

そうして過ごしてきた季節たちと、ぼくを訪れずにぼくを去った世界との境界線上に、今、ぼくがぼくでいられることの理由があるに違いない。

卒業アルバムの最後に、卒業生一人一人の手書きの作文が掲載されていた。その日開いてみるまでは、すっかり忘れて読み返すこともなかったページだ。けれども、楽しみに自分の作文を探してみたものの、期待が大きかった分だけ落胆もまた激しい。

人に見せるには忍びない乱筆と、目をおおいたくなるような乱文が、そんな形で残されてしまったという事実に、ただただ恥じ入るしかないぼくだ。

おそらく「少年時代」のぼくは、それ以外の場合は別として、少なくとも「文字」を通して他人を意識したことなどなかったということなのだろう。言い換えれば、仲間内に限っては行動ですべてを語ることのできた数少ない季節であったということか。

そのぼくが、「伝える」という目的のための手段として、いつしか「文字」を選ぶようになり(その転機が訪れたのは中学二年生の時だった)、今は使命感さえ感じつつ、まがりなりにも教壇に立って、こうして「国語」の講師をしているというのも何か感慨深いものがある。

文責:石井