「暑さ寒さも彼岸まで」という慣用表現があります。

残暑の火照りも秋の彼岸を過ぎれば、ようやく冷めて過ごしやすくなる。冬の寒さも春の彼岸を過ぎるころには和らいで過ごしやすくなる。そこから転じて「辛さや苦しさも、いつまでも続くものではなく、時が来れば癒されていく」というような意味でつかわれることもある言葉です。

 

秋のお彼岸:秋分の日(9/23)を挟んで前後7日間(9/20~9/26)

春のお彼岸:春分の日(3/21)を挟んで前後7日間(3/18~3/24)

 

気象データをチェックすると、この「暑さ寒さも彼岸まで」という慣用表現はある程度の信憑性を持った言葉であるといえるようです。

 

「彼岸(ひがん)」に対して「此岸(しがん)」という言葉があります。字面だけを追えば、「彼岸」が「あちらの岸」、「此岸」が「こちらの岸」という意味になり、この二つの世界の間には「川」が流れていることになります。「あの世(死の世界)」と「この世(生の世界)」の間に「三途の川」が流れているイメージと重なりますが、本来「彼岸」とは西方にある極楽浄土(西方浄土)を意味し、境界をなす川が悩みや煩悩を表していることから、それを超えて悟りの境地に入るというイメージが正しいようです。

西方浄土が開かれるのは年に2回。太陽が真西に沈む春分の日と秋分の日ですので、この期間を「お彼岸」と位置付けたわけです。

それが日本古来の先祖供養と結びついて、現在の「お彼岸」のお墓参り・先祖供養という行事につながっていきます。ですから、我々になじみの深い「お彼岸」の行事は日本固有のものということになります。

彼岸花

お彼岸のお供え物といえば「おはぎ」「ぼたもち」ですが、この2つは同じもので、春は「ぼたもち」、秋は「おはぎ」と呼び分けます(「つぶあん」「こしあん」といった作りの違いと解釈する人もいますが、本来は同じものです)。

同じものを、わざわざ呼び分けるのは「季節感」の問題で、「牡丹(ぼたん)」の咲く季節には「牡丹餅(ぼたもち)」、「萩(はぎ)」の咲く季節には「お萩」というわけです。

庶民の呼び方として「ぼたもち」「はぎもち」の2種があり、上流階級の呼び方として「おぼた」「おはぎ」があり、どういう経緯か春は庶民の呼び方である「ぼたもち」が、そして秋は上流階級の呼び方である「おはぎ」が現代に残されることになったのです。

ということで、お彼岸に関するひとり言でした。

文責:石井