毎年12月3日に開催される「秩父夜祭」に通うようになって、もう随分と長い年月が流れます。
「秩父夜祭」といえば、飛騨高山・京都の祇園祭と並んで日本三大曳山(ひきやま)祭りのひとつに数えられるほどの盛大な祭りです。
ぼくが、初めてこの祭に足を運んだのは何と高校時代のことでありました。
西武秩父駅を中心とする商店街の、道という道に出店の屋台がひしめき合い、中央の広場には見世物小屋・お化け屋敷・巨大迷路のテントも立ち並び、秩父市の各町内から集まってきた屋台…いわゆる山車(だし)のことを秩父では屋台と呼ぶのです…が勇壮に陣取ります。お囃子の太鼓の響きは、まるで地球の鼓動のように、地面から直に足に伝わり胸に届きます。一年をこの日のために準備する地元の人々の熱気が、堰を切ったように祭りを熱く盛り立てていきます。
日が落ちると冬の打ち上げ花火が始まります。それは言葉に尽くせない美しさです。激しい衝撃や深い感動が言葉を失わせることがあります。けれども、それは決して沈黙の内に無為に横たわることを意味しません。
冬の花火 ― 凍て付いた夜空に球形に拡大していく時間の軸。
まるでスローモーションのように夜空をついて上昇する憧れにも似た光の帯。二尺玉の、想像を超えた体積の創出。
最早、祭囃子の鼓動に似た高まりも、見世物小屋の呼び込みのしわがれた述べ口上も、出店の裸電球の橙色の連なりも、群集の人いきれも、すべてがぼくを去り、それらを満たす凍て付いた空気を伝って直接胸に届く音と光と、ぼく自身の目と心とだけが、一本の張り詰めた糸で結ばれていきます。大空に散りばめられた火の花弁が冬の大三角と重なり、新しい星座の幾何学模様を描き出します。その美しさは恐いほどです。
以来、幾度となく通い詰めた「秩父夜祭」。
仕事柄、花火に間に合うように秩父入りできるのは、12月3日が日曜日と重なる6年に一度のことです(来年がそうですね)。もちろんそうでない年も、花火には間に合わないものの、授業を終えた足で車を駆って2時間のドライブを経て秩父入りします。時にかつての教え子が同行し、あるいは花火に合わせて既に先発した仲間と現地で合流します。
師走。
迎える新しい年へと時間が加速を始めます。
やがてある速度に達すると風景はその輪郭を失い、行く手遥か前方に収束していきます。
ゆえに一年を多少のゆとりを持って振り返るにはある程度の時間とタイミングが必要なのです。
12月3日、どうやらぼくにとってこの日こそが過ぎ行く年を今一度振り返り大切な人や風景を心に刻む願ってもないタイミングなのかもしれません。
非日常の僅かな時間を共有すべき友人たちの存在があれば心強いけれど、時にはたった一人で祭りの終焉を見届けるために、一日の授業を終えて深夜に秩父へと駆け付ける理由は、そこにあるのだとしか考えようがありません。
※「見世物小屋・お化け屋敷・巨大迷路のテント」等は過ぎ去った当時の風景で、今では設置されなくなりました。
※本文では「来年の12月3日が日曜日」と表記していますが、奇しくも2023年(来年)の12月3日はおよそ6年に1度の日曜日にあたります(うるう年等の関係で必ず6年に1度というわけではありません)。今年の参加は難しいけれど、来年の12月3日は必ず秩父入りしようと気の早い決意をしているぼくです。
文責:石井