観月の楽しみは、旧暦8月15日の十五夜(中秋の名月)と旧暦9月13日の十三夜の2回あります。10月10日の十夜を含めて3回とも言われていますが、今回の表題である「片月見(かたつきみ)・片見月(かたみづき)」は、8月15日と9月13日の2日のうち、どちらか一方だけの観月を指します。
細かいルールでは、8月15日に中秋の名月を眺めたのと同じ場所で9月13日に再び月を眺めなければならないとされていて、それを違えると「片月見・片見月」といって縁起が悪いと考えられていたようです。
十三夜は、満月の二日前の月ですので、月の左側の縁がわずかに陰っている未完成の月です。しかし、思い返せば日本人は、この未完成で不完全なものをこそ愛でる独特の世界観を持っているようです。
「花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは。」(徒然草 兼好)
「徒然草」の原文では、このあと「今にも咲きそうな桜の梢や、すっかり花が散って、しおれた桜の花びらが点々とある庭などにこそ見る価値が多い」という内容が続きます。
書画の世界でも、日本人はシンメトリーの完全な構図より、左右非対称な構図に、また描かれたものだけでなく描かれない余白に美を見出します(余白の美)。表現されるものと表現されないものの絶妙なバランス。そうして想像力の働く余地を残す奥床しさをこそ価値あるものと捉えてきたのです。
余談
理科の学習で覚える月の名前は、新月・三日月・上弦の月・満月・下弦の月の5つですが、十五夜の満月を過ぎて、16日目の月、17日目の月……と日ごとに変化していく月の異名をご紹介して筆をおく(キーボードを打つだけなのに「筆をおく」というのも妙な表現ですが)ことにします。
・十六夜 いざよい
⇒「いざよう」とは「ためらう」という意味で、前日の十五夜より約50分遅れて昇って来る月を、まるで月がためらっているかのように擬人化した表現です。
・十七夜 立待月(たちまちづき)
⇒月の出はさらに50分遅れて、まだかまだかと庭に立って待つうちに、ようやく昇ってくるというイメージです。
・十八夜 居待月(いまちづき)
⇒庭に立って待つことに疲れて、縁側に腰を下ろしお茶でも飲みながらのんびり待っていると、ようやく昇ってくるというイメージです。
・十九夜 寝待月(ねまちづき)
⇒縁側にどっかりと腰を下ろして気長に待っても、なかなか昇ってこない月にしびれを切らして、ゴロンと横になって転寝するうちにようやく昇ってくるイメージです。
どれも、どこか少し可笑しみのある、粋な名付けですね。
※一部加筆修正しています。
文責:石井