「結果」は必然である。
 努力や工夫は、決意の深さに比例して生まれ、そして持続する。ゆえに「決意した瞬間に結果は成就する」のである。 それが仮に思い描いた未来図通りの結果であるなら、或る日の決意が正しく、そして充分に深いものであったことの証明となり、そうでないならば、或る日の決意が何処か投げやりな、もしくは浅きに過ぎたものであったことの証明となる。そういうことだ。 「うり」の種をまきながら「なすび」の実る日を夢見るがごとき愚行はおかすまい。「なすび」を収穫するために必要なことは「なすび」の種をまくこと。そして、それを大切に育てていく日々の努力の集積の結果として「なすび」は我々の手になるのである。 「決意」、それはぼくらの想像力の限界を遥かに超えた様々な結果の、確かな分岐点となる。