【アーカイブ③】「ケータイが照らす新しい自分」
突然の暗闇。 一瞬にして館内の照明がすべて落ちた。 生徒たちが夜の自立学習に入ってわずか30分後のことだ。 四校舎合同で開催された清里での第一回サマーセミナーは既に三日目を終えようとしていた。一日の授業を終えて、夕食と温泉入浴の後、ここ清里の公民館へ移動した。学年毎に三つの会議室に分かれて午後9時から始まった自立学習はそうしてわずか30分で中断を余儀(よぎ)なくされたのだった。 光に慣れきった目は、闇の中に確かに存在するはずの様々なものたちの像を結ばない。だが、ざわついたのはほんの一瞬で、それぞれの課題に既に集中し切っていた生徒たちは、動じることなくその暗闇の中で静かに復旧の時を待っていた。 近隣の住宅の灯りは煌々(こうこう)と点っていて、地域的な停電でないことは容易に判断できた。が、事態は思いのほか深刻で、玄関脇のブレーカーは予想に反してONのまま、ヒューズも飛んではいないという原因のわからない停電。ブレーカーのスイッチをすべて入れなおしてみたが灯りは一向に点る気配も見せない。 スタッフの幾人かが事態の復旧に奔走(ほんそう)する中、放ってはおけない生徒の様子を確かめようと小学校6年生の自習する会議室を覗(のぞ)いたスタッフの間に衝撃が走る。直ちに復旧しない明かりを待ちかねた生徒たちは、宿舎への夜道に備えて携帯していた懐中電灯の明かりを点して、自立学習の続きを始めたのだ。それは異様な光景だった。どう考えてみても普通ではない。国立や私立の中学校に進学するために塾に通う、恐らくはこれまで苦労らしい苦労など知らず、充分に恵まれた環境の中で育ってきたに違いない小学生たちが、今、互いの顔も判らない暗闇の中で懐中電灯の明かりだけを頼りに文字通り自立学習を進め、目に見えない何かを乗り越えようとしている。 同じ頃、総勢64名の中学生を収容した大会議室にも懐中電灯の明かりが灯り始める。そうして闇の中に走るシャーペンの音に決意を迫られた生徒達が、あるいは友達と一本の懐中電灯の明かりを分け合い、あるいは携帯電話の待ち受け画面のわずかな明かりの中で、自立学習を再開し始める。偶然にも往路のバスの中で行われたクイズ大会の賞品が「光るブレスレット」であったことを思い出した国分寺スクールの生徒が、その数本を取り出して、明かりのない生徒に配り、幾人かが夜光塗料の放つ緑色の淡い明かりを頼りに負けじと勉強を始める。 東京電力に電話を入れて指示を仰ぐが効果はなく、復旧作業を要請したが到着まで1時間弱かかるとのことで、無念ではあるもののその時点で学習の継続を断念し、輸送用にチャーターしてあったバスの到着を待って小学生から順に宿舎へ帰すことにする。 ......