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30 09, 2022

【暦の話⑳】十三夜

By |2022-09-30T22:36:42+09:002022年09月30日|国分寺ブログ|0 Comments

旧暦8月15日の「中秋の名月」からおよそひと月、旧暦9月13日の月を「十三夜」と呼んで同じようにお月見をする習慣のあったことは以前の【暦の話】でも紹介しました。 「十五夜」と「十三夜」、いずれか片方の月を眺めることは「片月見(かたつきみ)・片見月(かたみづき)」と言って、縁起の悪いこととされていました。しかも、この「十三夜」は「十五夜」を眺めた同じその場所から眺めるというルールさえあって、日常的に観月の習慣の希薄になっている現代人にとっては、少しばかり敷居の高い話です。 満月の二日前、満ちる一歩手前のわずかに欠けた月。 以前も紹介しましたが、日本人は、隙もなく完璧なものよりは、むしろ完成の一歩手前の「未完成」に美意識をくすぐられる民族性をもっているようです。 「花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは。」(徒然草 兼好) 桜の花は満開のときだけが美しいのでは決してなく、例えばようやく咲き始めた桜の枝に瞳を輝かせたり、吹雪のように舞い散る花びらの美しさに心を奪われたりします。だとすれば月も陰りのない満月だけが見るべきものということでもなさそうです。 今年の「十三夜」は10月8日(土)となります。 二週間予報では、どもやら天候不良となりそうで心配ですが、「雲のいずこに月宿るらん」と見えない月に思いをはせるのもまた風情というものかもしれません。 文責:石井  

29 09, 2022

【アーカイブ⑱】秋の星空

By |2022-09-30T00:28:22+09:002022年09月29日|国分寺ブログ|0 Comments

秋の星空はタレントが不足しがちで、夏の星空ほどの賑わいもなく、ましてや冬の絢爛(けんらん)たる星座たちの競演とは比べるべくもありませんが、それでも例えばペガススの大四辺形を見るのは結構好きなぼくです。わずかに狭まっている四辺形の二辺を北に伸ばすと大きなとんがり帽子の三角形ができます。その頂点が北極星の在り処(ありか)を指し示してくれるのをご存知ですか。北極星の道しるべとしてはおおぐま座の北斗七星やカシオペア座がポピュラーですが、ペガスス座も実は北極星のポインターとなっているのです。一度試してみてください。 今日は出先から深夜になって帰宅したために、この秋最初のオリオン座を見ることができました。折りしも牡牛座のプレアデス星団(通称スバル)が南中しています。 オリオン座のベテルギウス、おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオンを結ぶ冬の大三角こそ有名ですが、シリウスを起点にプロキオンへ、そしてベテルギウスへは向かわずに、天頂方向へ双子座のポルックスを経由してぎょしゃ座のカペラまで、そこから牡牛座のアルデバランへ折り返してオリオン座のリゲルを経由し、シリウスへと一周すると冬の大六角もしくは冬のダイヤモンドと呼ばれる壮大な星図が描けるということを知っている人物にはなかなかお目にかかりません。 かつてエマートンという詩人が「星空が千年に一度しか見られぬものとすれば、人類は、昔は夜空に神の宮殿が現われたことがあるそうだという伝説を言い継ぎ語り継ぎするだろう」と書いたのもなるほどと頷けます。 今年の中秋の名月は9月18日。明後日の日曜日です。 10月に入るとジャコビニ流星群に始まって、オリオン座流星群、牡牛座流星群、11月の獅子座流星群、そして毎年最後を飾る12月の双子座流星群まで、まるで運動会のリレーのように入れ替わり立ち代わり流星群の活動が活発となります。 たまにはゆっくりと星空を見上げてみてはいかがでしょう。 運よく流れ星を見つけることが出来るかもしれません。   ※2022年の中秋の名月は【暦の話⑲】でご紹介した通り9月10日でした。 ......

17 09, 2022

【コラム㉗】センチュリー・プラント

By |2022-09-29T14:49:39+09:002022年09月17日|Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

100年に一度しか咲かない花という意味で「センチュリー・プラント」と呼ばれる「アオノリュウゼツラン」ですが、実際には30年~50年くらいで開花するそうです。 成長時は人の背丈ほどもない、大きなアロエのような肉厚でトゲのある葉を広げていますが、開花が近づくと、中心から一本の木のような茎を遥か見上げるほどに高く伸ばしていきます。 開花準備の始まっていないアオノリュウゼツランの葉(サンプル写真) 今回紹介するのは、沖縄県那覇市首里にある世界文化遺産「園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)」のアオノリュウゼツランです。 園比屋武御嶽石門の向かって右手に移植された「アオノリュウゼツラン」 1986年にこの場所に移植されてから36年目、2022年6月に高く茎を伸ばして開花準備が始まったことを知らされ、8月下旬に訪沖予定があったぼくは大きな期待を寄せていました。ところが、8月に入ってすぐに、ついに開花したとのニュースが流れ、タイミングが合わなかったことに一時はがっかりもしました。 けれども、8月25日に首里城を訪れてみると、何とアオノリュウゼツランの花はまだ咲き続けていたのです。  園比屋武御嶽石門とアオノリュウゼツラン 守礼門をくぐって歓会門へと向かう緩やかな坂道の途中に園比屋武御嶽石門はあります。 写真は2022年8月25日の園比屋武御嶽石門で、右手に高く伸びているのがアオノリュウゼツランの花です。過去に一度も開花の記録がないことから、1986年にこの場所にアオノリュウゼツランが移植されて以来、記念すべき初の開花となります。 ......

12 09, 2022

【アーカイブ⑰】頑張る君の応援団

By |2022-09-12T14:53:45+09:002022年09月12日|国分寺ブログ|0 Comments

学校の教科書でも塾のテキストでもいい、それが職業である学校の先生や塾の講師を除けば、大人になってから必要に迫られて自分自身のためにそれらを読み解いている人はいません。中学受験を間近に控えた小学6年生が、一生懸命に九九を勉強しているなどということもありません。なぜでしょう。 人との出会いも同じことですが、物事にはタイミングというものがあります。そのタイミングを逃してしまえば、人生のある瞬間における自身の可能性を狭めてしまうことすらありうるのです。中3になって慌てて中2のテキストを引っ張り出して復習するような生徒も中にはいるけれど、基本的には、中2のテキストは中2で出会って、理解できたかどうかにかかわらず、たった一年間しか付き合えない、そして、やがて手放してしまえば二度と出会うことのかなわない大切なものなのです。 九九を正確に覚えた生徒に、二桁や三桁の掛け算、あるいは割り算という新しい世界が開けてくるように、中1の時には中1の、中2の時には中2の学習内容を正確に理解できた生徒にだけ、受験という自分自身を試すための新しい展望が開けてくるのです。中3になってからではタイミングを逸してしまう大切なことが中1や中2、それぞれの一年間に用意されています。それらを正しくクリアしないで過ごしてきた生徒の夢が絵空事で終わる可能性は、残念ながら高いと言わざるを得ません。 「いつか」ではなくて大切なのは「今」です。自分自身のために努力することが、仮に何の自慢にならないとしても、努力しないことに比べて努力することが恥ずかしいことであるなどということは決してないのですから。ましてや頑張っている人を遠くから眺めて冷笑したりするつまらない人間にだけはなって欲しくないのです。 受験勉強は、人生に欠かすことのできない本当の勉強ではないかもしれないけれど、それすら挑戦できるタイミングというものがあります。その資格を有している「今」、それぞれの夢の実現のために自分自身を奮い立たせなくて、一体いつするというのでしょう。「今」を逃したら手遅れになるかもしれない大切なひとつひとつのことと、日々真剣に向かい合う君であって欲しいと願っています。 Finesは、そしてぼくは、頑張る君の応援団です。人の目など気にせずに額に汗する君を、応援しないではいられません。 文責:石井

8 09, 2022

【暦の話⑲】重陽の節句~中秋の名月

By |2022-09-08T14:38:10+09:002022年09月08日|Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

去年もこの時期にご紹介しましたが、9月9日は菊の節句でもある「重陽の節句」です。 続けて9月10日(土)は旧暦の8月15日、「中秋の名月」となります。 マクドナルドでは、9月7日(水)から、毎年恒例の「月見バーガー」が販売開始されています。 今年は女性ボーカルグループ「Little Glee Monster」とのコラボレーションで、月見バーガー3種のいずれかを購入して、包み紙の「月見バーガー」の文字をマクドナルドの公式アプリで読み込むと、目の前にARのリトグリが表れて「三日月」の美しいコーラスを聴かせてくれるというサービスが付いています。 9月10日(土)は気象庁の予報では「曇り」。雲の多さによっては折角の中秋の名月も眺めることはかないません。 そんな時は、マクドナルドの「月見バーガー」を買って、満月のステージの上で「三日月」を歌うLittle ......

6 09, 2022

【コラム㉖】ガンガラーの谷

By |2022-09-13T15:23:53+09:002022年09月06日|Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

沖縄県南城市にある「ガンガラーの谷」。 太古の昔、鍾乳洞の天井が崩落してできた谷に光が差し込んで、長い時間をかけて亜熱帯原生林を形成しました。その面積は14500坪とも言われています。 残された鍾乳洞の一部が谷への入り口になっていて、薄暗い闇を抜けると太古の亜熱帯植物群落が広がり、時間も空間も現実離れしていて、まるでタイムリープしたような錯覚に陥ります。 残された鍾乳洞の一部が雨風を防ぎ、鍾乳洞が形成された原因ともなる水脈があることから、この場所が古代人の住居になっていたという可能性が指摘され、実際に魚の骨を加工した釣り針や埋葬された人骨も発掘されています。 現在は観光スポットのひとつとなっていますが、この谷の価値を知るにはどうしても解説が必要となります。けれども要所要所に解説板を立てたのでは、太古の自然を目撃するためのノイズになると考えて、専門のガイドによるツアーの形式を取り入れたのだそうです。見学はガイドツアーのみで予約が必要となります。 飲み物代(出発までの待ち時間に鍾乳洞の入り口となるケイブ・カフェでいただくフリードリンクと、出発の際に一人一本渡される「さんぴん茶」の水筒)と保険料込みのガイドツアー料金は2500円です。学生は学生証の提示で1500円に、また保護者同伴の小学生以下は無料となっています。 ツアースケジュールは1日4回(10:00~、12:00~、14:00~、16:00~)ですが、予約がいっぱいになると、それぞれ前後の時間帯に臨時ツアーが組まれます。 沖縄にお越しの際には、是非「ガンガラーの谷」も訪れてみてください。 聞こえるのは風の音、水の流れ、鳥のさえずり……。 ......

18 08, 2022

【アーカイブ⑯】ナイトハイク in Summer seminar

By |2022-09-09T14:31:51+09:002022年08月18日|国分寺ブログ|0 Comments

 その日は夕食の後、インストラクターに案内されて宿舎を出発し、夜の森を抜けて近隣の牧草地までおよそ一時間程度のハイキングをする予定でした。が、朝からあいにくの雨模様で、ナイトハイクはその開催すら危ぶまれたのでした。  暇を見つけては空模様を確かめるスタッフをあざ笑うかのように、2階のテラスからは宿舎周辺のクローバーの群落と、その向こうに広がる森を蔽(おお)い隠すほどに深い霧のような雨が見えるばかりでした。  ところが、半ば諦めかけた夕食後、一体誰の粋な計らいか一転して雨は止む気配を見せ始め、ついに希望者のみという条件付きながらナイトハイクは決行の運びとなったのです。  まずは教室で30分程スライドを使った事前学習会です。そこでKeep自然学校を中心とする清里の四季折々の自然に関するレクチャーがあって、狐や鹿、天然記念物であるヤマネの生態などが紹介されていきます。清里に住んでかれこれ四年になるというインストラクターは、時間さえあれば野山を巡って動植物の営みを観察するアウトドアの申し子のような女性です。例えば雪の上に動物の足跡を見つけた時などは感動のあまり身動きさえとれなくなるほどだと、自らの清里という自然に寄せる思いのたけを語ってくれました。その彼女が宝物だといって見せてくれたのは春先に森の中で拾った二本の立派な牡鹿の角。牡鹿の角は春先に生え変わるのだそうです。  さて、大切なレクチャーを終えたぼくらは、いよいよ玄関前に集合し、ナイトハイクに出発です。宿舎を出発した一行は、まずクローバーの草原に踏み込み、夜間はすっかり葉を閉じて眠るというクローバーの生態を紹介されました。懐中電灯をつけて生徒たちの足元を照らすと、初めて見る、葉を閉じたクローバーの見慣れぬ姿に小さな歓声が上がります。しゃがみこんで手を触れてみる生徒もいて、単純なようですが、それですっかりナイトハイクの世界に入り込んでしまったのです。見事な掴(つか)みだと感心していると、おもむろに彼女が話し始めます。 「みなさん、ひとつ聞いて欲しいことがあります。これから私たちが入っていく世界は、本来人間の住む世界ではありません。野生の動植物が暮らす世界なのです。今晩私たちは、そこへほんのちょっとお邪魔させてもらうのだということを忘れないで欲しいのです」  なんだかしっかり授業のようになっていることに笑みがもれます。  それから懐中電灯を消して、足元も危うい真っ暗な細道を、彼女の後をついて一列になって進みます。そうして森を抜けたところが牧草地になっているらしく、少しずつ闇に慣れてきた目にがらんと開けた空間が感じられます。その辺りは夜間ともなれば野生の鹿や狐や兎などが出没するポイントであるらしく、懐中電灯の明かりをぐるりと回すと運がよければ闇の中に動物たちの眼が光って見えるという話でしたが、この晩は雨上がりの深い霧が立ち込めていて、残念ながら出会うことはかないませんでした。 興味深かったのは、動物たちの光る眼の色の話です。「赤いきつねと緑のたぬき」といえばカップ麺のタイトルですが、実際にキツネの目は赤く光り、タヌキの目は緑色に光るのだそうです。気になって「鹿の目は?」と尋ねると「白く光ります」とのこと。また、光る目の高さ(体高)によってもどの程度の大きさの動物であるかは判断できるということでした。  少しばかり落胆する生徒たちを励ますように、彼女は森陰の木に絡みつく蔓性の植物を山葡萄だと紹介してくれました。今は実こそ成っていないものの、葉っぱを噛むと山葡萄の味がするのだといって幾枚かの葉を採って生徒たちに配ってくれます。ぼくも早速一切れを分けてもらって噛んでみたところ、青臭い植物の味に混じって確かに葡萄の後味に似たかすかな酸味がしました。 ......

6 08, 2022

【コラム㉕】フードロスからはじまるものがたり

By |2022-09-13T15:22:51+09:002022年08月06日|国分寺ブログ|0 Comments

「BATON CURRY(バトン・カレー)」をご存じでしょうか? 沖縄県那覇市出身のレトルトカレー研究家が食品ロスに関心を抱き、もったいない食材のカレー化でフードロスを解消するというミッションを掲げて2021年10月にMOTTAINAI BATON株式会社を設立し、世界の食品ロス問題の解決に挑んでいます。 そこで誕生したのが「BATON CURRY」です。 規格外ということで市場に出回らず廃棄されてしまう多くの食材を利用してレトルトカレーを作り販売しています。 現在までに30のアイテム(BATON CURRYとしては4種)を開発し、約10ヶ月でフードロス削減量500kg・累計販売数6000食を達成しています。 <BATON ......

27 07, 2022

【アーカイブ⑮】いくつかのフレーズ

By |2022-07-27T12:06:15+09:002022年07月27日|Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

我が家にある、半分物置のようになったライティングデスクを片付けていて、広い引き出しの奥から出てきたファイルにふと目が留まります。一体何を綴(と)じ込んでいたのだろうと他人行儀な興味でもって開いてみると、バリバリと互いに張り付いた古い名簿の隙間から小さな一枚の紙切れが出てきたのです。 『12歳になったらニッコリと新しい笑顔で言います。「こんにちは、R・Nです」って…。だって前のR・Nとは違うんです。新しいんです。だから心の中で言って下さい。目で言って下さい。言葉に出さなくていいんです。言葉に出すより、心や目の方が好きです。ガラス玉に光が通ります。だから心や目で言ってください。「こんにちは12歳の君。新しい君!」と…。』  一体、ぼくの心のどこに仕舞ってあったというのでしょう。そのメモのような手紙を手渡してくれた時の彼女の、いつもよりほんの少し大人びた誇らしげな表情を不意に思い出します。と同時に、その手紙を大切にファイルに綴じ込んだ瞬間のぼくの心の振幅が手に取るようによみがえってきます。もう随分と昔のことであり、時効かなと思わないでもないのですが、名前は敢えてイニシャルに変えてあります。  思えば、そんな風にして美しい、あるいは心を揺さぶる言葉の切れ端と出会うたびに、それらを大切に心の抽出しに仕舞い込んできたのでした。そのいくつかを紹介しましょう。 『学ぶということのたったひとつの証しは「変わる」ということである』 (『林先生に伝えたいこと』灰谷健次郎) 『容易に信じられることよりも、むしろとても信じられないようなことこそ信じなければならない』 (『ユタとふしぎな仲間たち』三浦哲郎) 『たとえば秋の落ち葉一枚に  たとえば夏の強すぎる陽に ......

19 07, 2022

【アーカイブ⑭】家族を失った日

By |2022-07-19T19:26:04+09:002022年07月19日|Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

※「アーカイブ」ですので、特に年代の表記に大きなずれがあります。 早いもので、もう五年の歳月が流れます。 西暦2000年の、梅雨が明けて間もない七月の暑い夜、彼女は誰に看取られることもなく逝(い)ったのです。死期を悟った彼女が、その血に宿ったプログラムに従って人目につかない場所へと身を隠したのですから、正確には「行った」と言うべきなのですが、彼女が帰らなくなって七日目の夜、我が家では久しぶりに一同総出で、彼女を追悼する会食の席を設け、納得のいくはずもない心を持て余しつつ、その日をもって彼女の命日とすることを確認しあったのでした。 生まれて間もなく我が家の住人となり、以来十七年間連れ添った(「連れ添う」というのは適切な表現ではありませんが、相応(ふさわ)しい表現ではあります)「コタロー」と呼ばれた彼女は、大人しいくせに人見知りで人一倍臆病な、家猫として生きる以外にすべのない猫(それがいいことなのかどうかは別にして)でした。もらわれてきた当時は掌にのるほどの小さな存在で、甘えん坊の彼女は夜中になると決まって、仮の住まいであるダンボールの箱を抜け出して布団の中へもぐりこんでくるのです。そして寝ているぼくの胸の上にはい上がって、そこで安心して丸くなるのでした。成猫となってからも充分小柄だった彼女ですが、さすがに寝ている間に胸の上にはい上がられると息苦しさを感じるようになり、ていねいに言い聞かせつつ、幾度も抱き上げて下ろしたものです。すると胸にはい上がるのを諦めた彼女は、今度は添い寝をするようにして、前脚の片方を、あるいは尻尾の先をぼくの腕や足の上にのせて、それで安心したようにぐっすりと眠るのでした。 黒虎と三毛の混じったような色合いの、信じられぬほど柔らかい毛並みで、四肢の先と胸一面に真っ白い雪のような和毛が印象的な、美人というよりは可愛らしい顔立ちの猫でした。特別の場合以外はほとんど鳴き声をあげず、餌箱や水桶が空であっても、またトイレの扉が締まっている時でも、前脚を行儀よくそろえて座り、ただ黙って誰かが通りかかって気付いてくれるまで辛抱強く待ち続けていました。たまに餌をねだることがあっても、それは決まって母に対してで、彼女の好むキャットフードに、ついつい余計に鰹節などをのせてやる母の行動を見抜いていたようです。また、母や弟が抱き上げるとさっさと逃げ出すくせに、ぼくが抱き上げた時だけは安心しきったように、いつまでもその体重をぼくの腕に預けていました。遊び相手となるのは決まって弟で、時折興奮して弟の手足に傷を残したりもしました。彼女は、そんな風に家族一人ひとりとの付き合い方を決めていたようです。 五階建てマンションの最上階にある我が家の住人であった彼女は、その一生のほとんどの時間を屋内で過ごしました。いつだったか戯(たわむ)れに近隣の公園に連れ出した時など、物心ついてから初めて見る外の世界に戸惑いおびえて、丈(たけ)の短い草叢(くさむら)に、それでも何とかして身を隠そうとはいつくばり、ブルブルと全身を震わせて、とうとう一歩たりとも歩くことが出来なかったのでした。 そんな彼女も、人々の寝静まった夜更けに限っては、玄関脇の三畳間でパソコンを操るぼくを促(うなが)して、マンションの五階フロアの探検に出たりしました。そして気が向けば、後見人であるぼくの存在を振り返っては確かめつつ、四階のフロアまで降りてみることもありましたが、けれども、彼女の「外」の世界はそこまでが限界で、十七年間、とうとう自らの意志でその先の世界を踏むことなく老いを迎えたのでした。 ちょうどその日は熱帯夜で、風通しのために半開きにした玄関のドアから、彼女は深夜一人で外へ出たらしいのです。それは共に暮らした十七年間で初めてのことです。仮に彼女が自らの死期を悟って家を出たのだとしても、ぼくら家族に背を向けて一人きりの深夜の階段を、あの人一倍臆病な彼女が一体どんな思いで降りて行ったのかを想像すると、当時はもちろんのこと、五年たった今でも胸が締め付けられるようです。けれども一方で、最後の最後くらい、どうしてわがままを言えなかったのかと悔しい思いも感じます。十七年間も苦楽を共にしてきた家族の一員として、あまりにもみずくさい。むしろ、その最期を看取り、無事に野辺送りするくらいのわずかな苦労をぼくらに課してくれてもよかったのに……と。 そして、彼女のいない日常が始まり、やがて餌箱が片付けられ、彼女の愛用していたトイレの猫砂が処分され、彼女のために深夜に団地の廊下へ出て一服する時間もなくなり、次第にぼくらの哀しみは麻痺するように薄れていきます。けれども、彼女をゆっくりと忘れるように失っていくことだけはしたくなかったぼくは、仮に哀しみがこの胸を引き裂いて日毎に新しい血を流すのだとしても、あえてその哀しみを背負って歩く人生を選ぼうと、あの夏、そんな風に決意したのです。 彼女が確かに生きていた証として。そして、ぼくら家族が、どれだけその存在に支えられていたかということを失って初めて痛いほどに思い知らされた、彼女と共に生きた十七年間への感謝を込めて。 ......

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