国分寺スクール6月の予定
夏期講習受付中 6月7日(土)期末試験対策 6月9日(月)~14日(土) 中3学判(Vテスト) 6月14日(土)期末試験対策 6月21日(土)期末試験対策 6月28日(土)漢字検定(国立会場) ……
夏期講習受付中 6月7日(土)期末試験対策 6月9日(月)~14日(土) 中3学判(Vテスト) 6月14日(土)期末試験対策 6月21日(土)期末試験対策 6月28日(土)漢字検定(国立会場) ……
黄昏ていく国分寺界隈の今日の風景に、ふと思い出したのは何故か少年時代の花火大会の夜の情景でした。 今日の最後の残照が潮のように引いて、次第に宵闇が深みを増してくる頃、方々から集まってきた花火見物のひしめき合うような群集が口々に何か囁き交わしています。 立ち込めるむっとするような湿った人いきれ。 そして花火大会が始まる前の不思議な期待感と倦怠感。 じっとしていられないぼくらはまるで小魚のように群衆の僅かな隙間をひらりひらりと縫って追いかけっこをしては訳もなく笑い転げたものでした。アセチレン灯の揺らめきが行き交う人の表情に怪しげな陰影を走らせます。 セルロイド製の色とりどりのお面の中で、なぜか白い狐の面だけが不気味で、その暗く開いた双眸がまるでぼくらを見据えるようです。 ソースの焼ける匂い。 どこかで誰かが争っているのか、突然鋭く起こる怒声。 目敏いぼくらは若いお姉さんの焼くたこ焼きの屋台を見つけて 早速子どもらしく甘えて見せては焼き上がったばかりのたこ焼きを味見させてもらったり ......
今日届いたひとつのテレビニュースが、小さな胸の痛みとなってぼくの記憶を呼び覚まします。 立夏を迎えた5月5日。知人が一人、まるで嘘のように亡くなりました。 早いもので、それから、もう半年が経ちます。 行きつけのビリヤード場(実は「スリークッション」という特殊な競技の、ぼくも選手の一人なのです)で5年ほど前に知り合った「ヨコジイ」と呼ばれるその知人は、今年で69歳になる(はずだった)人生の大先輩であり、友人であり、そして初段戦を共に戦った戦友でもありました。 その彼が「急性骨髄性白血病」に倒れたのが、ちょうど一年前となる去年の秋。すぐにでも抗癌剤を使った治療に入る彼は、入院先の病院を家族に固く口止めして友人にも知らせず、病との闘いに一人赴(おもむ)いたのです。そんな時、祈るしかない自分の無力を思い知らされはしたけれど、それ以外に何の手立ても持たぬ身であってみれば、せめて心の限り祈り続けようと思ったぼくです。病を身に受けたのは彼であり、ぼくではありません。それは決定的なことです。 これまでにも離れ離れになった友人や仲間たちは大勢いました。それでも、本気で会おうと思えばいつだって会えるのだと考えれば慰めようもあります。けれども、彼に病気を克服してもらう以外に再び会える可能性がないということは、なんと哀しくて悔しいことでしょう。 ......
そうと意識し始めたのが果たしていつであったのか残念ながら記憶にはないものの、随分と長い間、薔薇の花が好きではありませんでした。 別に松尾芭蕉を気取るわけではありませんが、仮に薔薇の花が美しいものだとしても、その美しさを殊更(ことさら)に見せ付けるがごとき厚かましさは「野暮(やぼ)」以外の何者でもないではないか、と、そんな漠然とした忌避感(きひかん)があったのです。 けれども、ある雨の休日、通りかかった5月の小さな庭に、特に手入れされているという風情でもなくしっとりと群生した、まるでビロードのようなワイン色の小振りの蔓薔薇(つるばら)の花が、どうにも「粋(いき)」に思えて、以来、雨に濡れたその蔓薔薇の花がどこか愛(いと)しい存在となったのでした。 薔薇といえば、神代植物公園に見事な薔薇の大庭園があります。いつだったか仲間を募って深大寺蕎麦食べ歩きの会を開いたときに、カリオンの音に導かれるように迷い込んだその大庭園で、これまで見たこともないような色とりどりの立派な薔薇が、辺りをまるで西欧の宮殿のように飾っているのに出くわしました。時は五月。そこまで開き直れば、なるほど薔薇の薔薇たる意味があるのかと感心させられる一方で、けれども、やはりそれはぼくの心の小さな庭を飾るには似つかわしくない、あの「雨に濡れたワイン色の蔓薔薇の花」を凌駕(りょうが)する存在ではなかったのです。 余談ですが、もう随分と昔、よく職員室に入り浸っていた中学3年生の女生徒が「私は職員室の薔薇よ」などと嘯(うそぶ)いていたことを思い出しました(^^;)。
ぼくの知る限りにおいて、自然の最も美しい季節が訪れる 自身の誕生月ということを差し引いても、やはり5月は特筆すべき月だ 薫風などという言葉にこめられた、人々のささやかな喝采も素直にうなずける 生きること、もしくは生命そのものに対するそのさらりとした肯定は、なんといっても小気味良い 透き通った新緑の若葉たちは、まるで競い合うかのように、初夏の陽光を細胞のひとつひとつにたっぷりと吸収していく そして、その光で満たされた葉の一枚一枚は、やがて自らの内に陽光を灯し まるで自身が発光しているような淡い緑の微光を放ち始め ついには葉裏を返して吹き渡る風さえもすっかり緑に染め上げてしまう。
「結果」は必然である。 努力や工夫は、決意の深さに比例して生まれ、そして持続する。ゆえに「決意した瞬間に結果は成就する」のである。 それが仮に思い描いた未来図通りの結果であるなら、或る日の決意が正しく、そして充分に深いものであったことの証明となり、そうでないならば、或る日の決意が何処か投げやりな、もしくは浅きに過ぎたものであったことの証明となる。そういうことだ。 「うり」の種をまきながら「なすび」の実る日を夢見るがごとき愚行はおかすまい。「なすび」を収穫するために必要なことは「なすび」の種をまくこと。そして、それを大切に育てていく日々の努力の集積の結果として「なすび」は我々の手になるのである。 「決意」、それはぼくらの想像力の限界を遥かに超えた様々な結果の、確かな分岐点となる。
春期講習の前日となる3月25日に、第一期卒業の女子生徒たちの同窓会が開かれました。 講習前日の慌しさは当然あるものの、こちらの都合も斟酌(しんしゃく)して、まさにここしかないというピンポイントの日程を組んでくれた彼女たちのために、ぼくは万難を排してその同窓会に参加させてもらいました。 参加した卒業生たちとぼくと遅れて到着した宮尾先生とで「もんじゃ焼き」の鉄板を囲みながら語り合ったのは、振り返ってみればこの一年間の瞬く間であったという驚きです。そうして、ちょうど一年前の春には受験生であった彼女たちが、今ではすっかり高校生の顔になって咲かせる話の華に、ぼくも楽しく参加させてもらったのです。 その会で、都立西高校の管弦楽団でホルンを吹いているMさんから、4月8日の土曜日に定期演奏会があり、高校2年となる生徒はこの4月の定演で引退するのだと聞いて、たまたま土曜日が週休であったぼくは、折角だからと個人的なスケジュールを調整し直して、その日、中野のZEROホールに足を運びました。 曲目「O.ニコライ 序曲《ウィンザーの陽気な女房たち》」 「A.I.ハチャトゥリアン 組曲《仮面舞踏会》より ワルツ」 「R.ワーグナー楽劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第1幕への前奏曲」 「A.ドヴォルジャーク 交響曲第8番ト長調」 演奏は、思っていたよりもずっとレヴェルの高い、聴き応えのあるものでした。 それにしても、高校2年生のこの時期に引退というのは、やはり遅かれ早かれ突入する受験体制を考慮してのことなのでしょうね。 それから、これまた休日のピンポイント攻撃となる春期講習明けの4月4日に、今年の卒業生たちに率いられて(!)東京ディズニーランドに行ってきました。同行した宮尾先生は既にビギナーの域を脱しているようですが、ぼく自身は生涯二度目となるTDLです。初めてのディズニーランドがやはり卒業生たちに連れて行ってもらったものであり、もはやそんな機会を捕まえでもしない限りディズニーランドとは基本的に縁がないに違いありません。 それにしてもディズニーランドに行くというのは一大事です。これは前回も感じたことですが、中途半端な覚悟では決して臨めません。朝5時に国分寺駅集合というところから既に命懸けです。電車も動いていないその時間に間に合わせるために、貴重な睡眠時間を削って飛び起きて、久米川からタクシーをつかまえて国分寺に乗り込みました。ただ、本来ならば万全の準備をするべきディズニーランドの基本スタイルである「各種耳飾り」や「首からぶら下げたバケツ(ポップコーンを購入するためのもの)」は、恐れ多くてまだ手が出せません。そうして優に1時間以上早く到着し、朝食用に用意しておいたアンパン(知る人ぞ知る4月4日はアンパンの日なのです)をペットボトルの珈琲で胃に流し込みながら開園時間を待ちます。園内に入れば入ったですぐさま全力疾走。そういえば初めて来たとき、まるっきりの初心者である何も知らないぼくは、改札をくぐったところで一人置き去りにされたのでした。慌てて人込みに目を凝らすと放射状に散っていく人込みの中に、全力疾走で瞬く間に小さくなっていく宮尾先生の背中を見つけて、死に物狂いで追いかけたのでした。その点、今回は違います。入園と同時に卒業生の一人にチケットを渡して、全力疾走で打ち合わせどおりに「バズ・ライトイヤーのアストロブラスター」を目指します。列に並んで待つうちに「スペースマウンテン」のファストパスを人数分手に入れた卒業生が合流するという作戦です。それからは、ファストパスをとっては時間つぶしにどこかのアトラクションの列に並び…の繰り返しで、確か一日で都合12のアトラクションをクリアしたはずです。 それから、前回は特に感じなかったものの、実はパレードが強敵であるということに今回ようやく気付きました。4月5日で終了となる「シンデレラ城のミステリーツアー」に参加するべく移動を開始したぼくらをあざ笑うかのように、何度目かのパレードの列がぼくらの前に立ちはだかったのです。係員に聞くと、列の先頭にいるミッキーを捉えればその直前でシンデレラ城のあるランドの中心部へと渡河できるはずだと教えられ、ぼくらは人波を縫って反時計回りにパレードの列を追いかけました。ところがです。人の波にブロックされ通行止めに阻まれてなかなか行き足のつかないぼくらを追いかけて、パレードの列もジワリジワリと先へ進み、なかなかミッキーマウスを捉えることが出来ないのです。トゥーンタウンから追いかけ始めて、ファンタジーランド・クリッターカントリー・ウエスタンランドと歩き続け、アドベンチャーランド・ワールドバザールに至っても一向に渡河ポイントを見出せず、トゥモローランドまで歩いて、結局ぼくらはディズニーランドを丸一周してもシンデレラ城にたどり着くことができなかったのです。恐るべしディズニーランド。唯一の幸運は、最後となるミステリーツアーの記念に、勇者のみならず参加者の全員に「HEROメダル」がプレゼントされたことです。エンジ色のリボンで首にかけられたメダルは、園内を一周してようやくシンデレラ城にたどり着いたぼくらへのささやかなご褒美(ほうび)だったのかもしれません。そうして帰る頃には足の痛みに耐えかねて立っているのもやっとというくらい疲れ切ってしまったぼくでした。 もちろん、同じ季節を肩を並べて歩き通した卒業生たちと、そうしてぽつりぽつり語らいながら過ごす時間はとても楽しく貴重なものでした。が、しかし、ほんのダイジェストに過ぎない報告でありながら、ここにはすでにディズニーランドの恐ろしさと中途半端な覚悟で臨む危険性とが充分に表現できているはずです。恐るべし、東京ディズニーランド! それから、同じく週休であるはずの4月15日にも急なスケジュールが組まれました。獣医となって日本で経験をつんだ後、2年ほど青年海外協力隊でパラグアイに行っていた大昔の教え子が、ようやく帰国したので、その代の卒業生たちを中心とした歓迎会が開かれることになったのです。思えば2年前にも彼女の「国外退去歓送会」なるものを催したのでした。 ここ数日、恐ろしい頻度でやり取りされるメールによれば、タイミングが合わず残念ながら開催できずじまいだった今年の「お花見」の代わりに、華子という名の彼女を迎える会を「お華見」と称することが決定したとか…。 春を惜しむ人の心とは裏腹に、桜の花は惜しげもなく雨に叩かれ風に散っていきます。そうして、ぼくが一年中で最も好きな新緑の風景へと季節は日毎に塗り変わっていきます。けれども、そんな素敵な季節の中で、ぶらりと散歩に出たついでに馴染みの喫茶店に立ち寄って読み止しの文庫本のページをゆっくりとめくりながらのんびりと過ごすような休日は、まだまだぼくを訪れてはくれません。 ......
人は一生の間に一体何冊くらいの本を読めるのかということを計算した知人がいます。それがとても興味深い、驚くべき結果であったので、ここで改めて検証してみることにします。 例えば、月に1冊の本を読み続けると一年間で12冊。仮に5歳から75歳までの70年間を読書に費やしたとすると<12冊×70年>で840冊。なんとぼくらは一生の間に840冊の書物を読破するのがやっとという結果になります。わずか840冊です! 気を取り直して1週間に1冊ずつとして計算し直してみても70年間で3652冊という結果になり、やはり愕然とします。そこで無理を承知で毎日1冊の本を読み続けると一体どのような結果になるかと計算してみると、一年間で365冊の70年で25550冊、閏年を計算に入れると25567冊となって、ようやく手応えの感じられる数値となります。が、しかし、5歳から75歳まで毎日欠かさず一冊の本を読み続けるなどということは、土台無理な仮定であることを忘れてはなりません。 では、これらが一体どのような数字かということを、別の角度から検証してみます。 これも知人が調べたものですが、国立国会図書館の蔵書数が、東京本館で620万冊。筑波大学図書館が235.6万冊。慶応義塾大学三田メディアセンターが229万冊。早稲田大学図書館が223.4万冊……。 読書という、ぼくらのささやかな営みと比較して、これらの数字はもはや天文学的ですらあり、どうにも具体的なイメージが沸いてきませんね。 卑近なところで東村山市立中央図書館の蔵書数を調べてみると17万6366冊という結果で、つまりぼくらが仮に70年間毎日欠かさず一冊の本を読み続けたところで東村山中央図書館の蔵書の、ようやく7分の1を読み切るのがやっとというわけです。 逆に、一生の間に東村山中央図書館の蔵書をすべて読み切ろうとすると毎日7冊の書物を読破しなければならず、国立国会図書館に至っては毎日243冊となって、これはもう笑い話にすらなりません。 世の中に溢れる本の、その膨大な量に比べて、一生の間に出会える本の何と哀しく僅かであることか。一冊でも多くの本を、と寸暇を惜しんで読書にいそしんだところで東村山中央図書館すらクリアできないのだとすれば、ぼくらに残されているのは、上手に取捨選択しつつ、限られた本との出会いのひとつひとつが、少しでも価値あるものとなるように祈ること。そして、出会った本の一冊一冊と真摯に向かい合うことだけです。 もちろんそれらが「読書のための読書」となっては意味がありません。情報や知識を得ることも大切ではありますが、そこに留まらず、論理的な思考力や豊かな情緒を育てること、つまりは実人生を少しでも実りあるものにするための読書でなければならないのは自明です。 ......
二十世紀も残すところ一週間。 ひとつの季節の終わりが、新しい季節の始まりと正確に重なり合うということを、ぼくらは既に知っています。 「二十一世紀の始まり」、そこに何か(過去の清算、もしくは新しい飛躍の第一歩、あるいは…)を期待する人は驚くほど多いのでしょう。けれどもまた、自分から動き出さなければ景色は変わらないということも、ぼくらは痛いほどわかっているのです。 均等に分割された時間、もしくは繰り返される日常というものに耐え切れない人々は、例えば誕生日であったり、元旦を迎える瞬間であったり、卒業や入学……とあらゆる機会をつかまえては、生まれ変わる自分を夢見て、人生に「区切り」を求めます。今回は、その中でも飛び切りの節目といっていいのでしょうが、やはりその瞬間をただ待ちつぶすだけでは何も変わらず、「時の流れ」以上の変化は期待できないでしょう。 だからこそ、残されたこのわずかな日々を堵して、ぼくは思い出さなければならないのです。 この季節を共に歩いたたくさんの大切な人々の懐かしい名前を、一人残らず。ぼくが「ぼく」として、今日この場所までたどりつくことのできた幸福を支えてくれた数え切れない人々の、せめて横顔だけでも。 それがぼくの、二十世紀と呼ばれた時代への訣別です。 そして、新しい気持ちでもう一度初めから、大切な人々との出会いを、もしくは再会をひとつひとつ始めなければならないのです。 二十世紀の闇が次第に青味を帯び、やがてそこへ二十一世紀の光りが溶け出し、静かに世界を満たすまでのわずかな時間に、自分自身を取り戻し、もう一度家族の一人一人と出会うところから始めるのです。かつてこの世に生をうけた瞬間のように、純粋な感動に胸を震わせながら……。 そしてこのステキな仲間たちとの再会や訪れる新しい出会いのひとつひとつを、心から大切に受けとめようと思います。 ......
従弟の結婚式に出席したときに聞いた話ですが、「Something four」と言って、結婚式において花嫁が身に着けると幸福を約束されるという四つのアイテムがあるのだそうです。 「何か新しい物」「何か古い物」「何か友人から借りた物」そして「何か青い物」。 ところで「生きていく」上でなくてはならない四つのものがあるとしたら、それは一体何だろうかと、次から次に饗されるコース料理を美味しくいただきながら考えてみたのです。 ひとつ目はもちろん「命」。二つ目が「健康(身体だけでなく心も)」。三つ目が「仲間(友人だけでなく家族や師なども含む大切な人間関係)」。 ……と、ここまで考えて思考が停滞します。廻りはじめたアルコールのせいでは決してありません。候補はいくつか浮かんでくるものの、四つ目をどうしても決め兼ねるのです。それは「これしかないだろう」という気持ちの一方で「本当にそれでいいいのだろうか」「もしかしたら何か大切なものを忘れていはしないか」などという反問が放り投げたコインの裏表のように常に浮かんでくるからです。 ということで、さんざん考えた末に、四つ目のアイテムは敢えて決めずにおくことにしました。思考の放棄では決してありません。もっと積極的なものです。 答えは人それぞれであって一向に構わないわけです。さらには、四つ目のアイテムを敢えてブランクにすることによって、常に捜し求めることを自らに課すこと。あるいは「それが生きていく上で本当になくてはならない大切なものであるのか」ということを検証し続けること。その方がぼくらにとってずっとずっと大切なことのように思えたのです。 たとえば「愛」や「夢」や「希望」といったもの、あるいは「お金」などというそれらしい落ちをつけて、すっかりわかったつもりになって飲み込んでしまうのではなく、常に「生きていく上でなくてはならないもの」と向き合っていくという覚悟を決めることこそが大切なのではないでしょうか。 ところで、あなたにとってその四つ目のアイテムは一体何ですか。 文責:石井