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1 07, 2022

7月ワクワク体験教室「カルメ焼きを作ろう!」

By |2022-07-01T16:19:22+09:002022年07月01日|国分寺ニュース, 国分寺ブログ|0 Comments

7月の「ワクワク体験教室」 おそらくどこの家庭のキッチンにもあるはずの「重曹」の物質名は「炭酸水素ナトリウム」。 熱を加えると「炭酸ナトリウム+水+二酸化炭素」に分解します。 その性質を利用して、ホットケーキやスポンジケーキをフカフカにふくらませます。 今月の「ワクワク体験教室」は、この重曹を使って「カルメ焼き」を作ります。 上手にふくらませてサクサクのカルメ焼きを作るには、ちょっとしたコツがいります。 さあ、みんなでチャレンジして、おいしい「カルメ焼き」を作りましょう。 ①炭酸水素ナトリウムの熱分解について学ぼう! ②カルメ焼きを作ろう! ※その場で試食もできますが、パックに入れてお持ち帰りもできます。 ......

23 06, 2022

【アーカイブ⑪】沖縄慰霊の日に寄せて

By |2022-06-24T14:25:50+09:002022年06月23日|Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

この季節になると思い出すことがあります。 それは二度目に沖縄を訪れたときのことです。 はたしてぼくにそんな資格があるのかどうかという大きな不安を抱えたまま、かつて「ひめゆり学園(沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校)」のあった安里(あさと)地区を基点に、レンタカー(とてもじゃないけれど歩いて回る勇気は持てませんでした)で1945年の<ひめゆり>の少女たちの足跡を追った日のことです。 まるで散る以外に明日を持たなかったような少女たち。その面影を、たとえわずかなイメージであったとしても、ぼくは胸に刻んでおきたいと考えたのです。沖縄への憧れを意識した日から十四年かかってようやく沖縄にたどり着き、こうして繰り返し沖縄を訪れる以上、そこを避けて通ることは、どうしてもぼくの中で許されないことだったのです。 沖縄には対外的に、大きく分けて三つの顔があります。琉球王国においてひとつの頂点に達し、以来脈々と受け継がれてきた「歴史・文化」的な側面。世界でも有数のリゾート地に数えられる美しい「自然」。そして、否応なく刻まれてしまった「戦争」の傷跡。そこに、それらを一見超越しているようで、実のところ完全に切り離されることはない微妙な距離感を保って人々の「日常」が横たわっています。 二度目の訪沖の目線の高さを「戦跡」としての側面に合わせることに決めたのはいいけれど、沖縄の戦跡といっても、それこそ足を下ろす場所にさえ困るほど無数にあります。まずは<ひめゆり>から始めようと考えたのは、訪沖に先立つ5月に、仲宗根政善の手になる「ひめゆりの塔をめぐる人々の手記」を手に入れたことがきっかけでした。その一冊を繰り返し読んで、ガイドブック代わりに持ち歩いたぼくでした。 1945年3月24日。 「ひめゆり」最後の物語は、この日から始まります。 詳しい記録はさまざまな関係書に委ねるとして、その足跡のおおよそは以下の通りです。 米軍の沖縄上陸作戦に先駆けて慶良間(けらま)攻略と同時に始まった本島への艦砲射撃が、少女たちの運命を後戻りのできない地獄へと導いていきます。 ......

17 06, 2022

6月ワクワク体験教室「-70℃の世界」

By |2022-06-17T22:19:11+09:002022年06月17日|国分寺ニュース, 国分寺ブログ|0 Comments

6月の「わくわく体験教室」  物質の状態変化(個体⇔液体⇔気体)・ドライアイスの性質に学習したあと その性質を利用した楽しい実験を行います。 ①ドライアイスロケットを打ち上げよう! ②ドライアイスでエアホッケーをしよう! ③ドライアイス+アルコール(寒剤)=―70℃の世界(おまけのアイスキャンディを作ります。)   ■ 6月25日(土) 14:00~15:00   ■ 次世代ゼミ ファインズ国分寺スクール   ■ 対象学年  小学1年生~小学6年生(定員 先着10名) ......

13 06, 2022

【アーカイブ⑩】自分を大切に

By |2022-06-13T14:23:07+09:002022年06月13日|国分寺ブログ|0 Comments

 自分を大切にしない人は哀しい。  自分しか大切にできない人は嫌いだ。  人のために自分をすり減らす人を見ると、こちらまで不幸になる。  人を踏みにじって心に痛みを感じない奴を見ると腹が立つ。    だからいつも、ぼくは自分を大切にする。  人を踏みつけていくためではなく、人を大切にし、人を愛する資格として。  だからいつも、ぼくは人を大切にしようと思う。  自分を犠牲にするのではなく、自分を生かし、自分を完成に近付ける手段として。 文責:石井

11 06, 2022

【コラム㉔】三種の神器

By |2022-06-13T13:54:53+09:002022年06月11日|国分寺ブログ|0 Comments

    名古屋に所用で出かけた際、時間が余ったので名古屋城と熱田神宮を巡りました。ちょうどよい機会かと熱田神宮にちなんで「三種の神器」について整理してみようと思います。   「さんしゅのじんぎ」「さんしゅのしんき」「みくさのかむたから」等さまざまな呼び方のある「八咫鏡(やたのかがみ)」・「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」別名「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」・「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」を、みなさまご存じでしょうか。  古事記によれば、天照大神(あまてらすおおみかみ)は、孫にあたる「ににぎのみこと」が葦原の中つ国に天孫降臨する際にこの三種の神器を授けたとされています。   ■「八咫鏡」はもちろん鏡ですが、古代の銅鏡であると解釈される一方、古事記の記述に沿って鉄製である可能性も指摘されています。 ■「天叢雲剣」は、ご存じの方も多いと思いますが、天照大神の弟神であるスサノオノミコトが、出雲で倒した八岐大蛇(やまたのおろち)のしっぽから出てきた宝刀です。その後、天照大神の手に渡り、さらに日本武尊(やまとたけるのみこと)が譲り受けます。東征で現在の静岡まで来た時に、野原で四方八方から火をつけられて火攻めにあったとき、辺りの草を薙ぎ払い、火打石を使って逆に迎え火をつけて難を逃れたという故事以降「草薙剣」と呼ばれるようになったのです。ちなみにその場所は、現在の「静岡県焼津市(やいづし)」で、故事にちなんだ地名となっています。 ■「八尺瓊勾玉」は、その名前から大きな赤色の玉(ぎょく)でできた勾玉と考えられます。   ......

9 06, 2022

【アーカイブ⑨】五月雨

By |2022-06-09T21:49:25+09:002022年06月09日|国分寺ブログ|0 Comments

 明るい空から大粒の雨の雫(しずく)が時折パラパラと落ちてくるような、そんな天気の日が昔から好きでした。見渡す限りの空間を満たして落ちてくる大粒の雨の雫のひとつひとつが光を宿して、まるで自身が光を放ってでもいるようにキラキラと輝いています。急ぎ足で駅前のロータリーを横切っていく人の波に雨の雫が降りかかると、色とりどりの傘の華がパッと一斉に咲きます。  空のどこか高みに風の通り道があるのか、雲のかたまりがびっくりするほどの速さで北へ流されていきます。空はどこか明るくて、今にも雲が切れそうです。その雲の上では日毎に光の飽和したあの夏の空が用意されていきます。そして地上には、一体誰の粋な計らいか、その空の色を写した紫陽花の花……。  そんなふうに考えれば梅雨も案外捨てたものではないですね。    ご存知のように「五月雨(さみだれ)」の「五月」は旧暦の五月であって、つまり「五月雨」とは「梅雨」を指す言葉であります。従って「五月(さつき)晴れ」は「梅雨晴れ」ともなり、梅雨の合間の晴れた日を表現した言葉という理解になります。ところが、字面に導かれてか、これらは「五月の雨」「五月の気持ちよく晴れた日」とのイメージが強い気がするのです。ただし現代では「五月晴れ」に限って新暦をそのまま当てはめて後者の扱いも許容されます。    この「五月雨」という言葉、「古今集」以来用いられてきた雅語(がご)で、対して「梅雨」は俗語となります。「さみだれ」を「小乱れ」に掛けて恋に心乱れる様を歌ったわけですが、いかにも平安歌人らしい気がしますね。    ところでこの季節、空模様だけでなく、ぼくらの生活そのものもどこかはっきりしないぐずついたものになりがちです。季節感と生活心理との呼応は恐らく間違いのないことで、日本人はそういった傾向がことさら強いようですが、だとすればなおさら、心にも「五月晴れ」の一日を用意する工夫が必要になってきます。心までカビてしまわないように、しっかりと心の窓を開け放ち、新鮮な風を送り込んでやりましょう。   ......

7 06, 2022

【コラム㉓】そうだ 京都、行こう! ⑥

By |2022-06-07T21:31:05+09:002022年06月07日|国分寺ブログ|0 Comments

 平安神宮の鳥居の大きさには目を見張ります。  左京区岡崎にある平安神宮は、平安遷都1100年を記念し第50代桓武天皇を御祭神として明治28年に創建されました。  幕末から明治維新にかけての動乱、および東京奠都(てんと)で、物理的にも心理的にも荒廃・衰退した京都を復興する際の、ひとつの象徴的な建築であったと想像されます。  ※「遷都(せんと)」と「奠都」はほぼ同義と考えて間違いありませんが、遷都がこれまでの都を廃して新都に移る意味であるのに対して、奠都は単に新しい都を定めるという意味で、これまでの都(京都)を廃する意味合いを含んでいないという違いがあります。当初は京都の人心や反対派を抑えるために形ばかり東西両京という体制をとったと考えられます。  平安神宮の社殿は、桓武天皇による遷都当時の平安京の正庁・朝堂院が約8分の5の規模で再現されているそうです。壮大な平安神宮ですが、朝堂院はさらにその1.6倍の規模であったということです。1200年前に、その規模の建築が行われたと考えると想像を絶しますね。  京都岡崎のランドマーク「大鳥居」をくぐり、岡崎公園を抜けて平安神宮をゆっくりと巡るころには、日頃の運動不足のせいかさすがに疲れも出て、休憩がてら水分補給するつもりで隣接する「京都ロームシアター」の「京都モダンテラス」に寄り道です。  居心地がよく、つい長居をしてしまいましたが、日没前に鴨川デルタを渡ろうと今回の突撃・京都旅行の最後の行程に出発します。  幕末の歴史の舞台ともなった二条城に続く二条通りを通って鴨川河畔に出て、東岸をのんびりと遡行します。二城大橋から丸田町橋・荒神橋・加茂大橋をくぐって鴨川デルタまでおよそ2kmの道のりのです。斜面に足を投げ出して夕涼みをする人、全身スキのないウェアに身を包みランニングをする人、レジ袋を提げて犬の散歩をする人、仕事帰りのスーツ姿。 誰もが、川端通りではなく河川敷の遊歩道を行き交います。日常生活の中に、そんな風に憩いの時間や空間があることが少しばかりうらやましいくらいです。    ......

3 06, 2022

【アーカイブ⑧】風の篝火

By |2022-06-03T15:22:42+09:002022年06月03日|Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

かつて辰野町の蛍の乱舞を「風の篝火(かがりび)」という歌で見事に表現したのは、あの「北の国から」のテーマ曲の作者でもある「さだまさし」さんです。 (長野県上伊那郡辰野町は、大正14年に「蛍の発生場所」として天然記念物の指定を受け、以来町ぐるみで蛍の保護と育成に取り組んできた町であり、毎年のピークには目視量で20000匹に近い発生を数えるほどの蛍の名所です。) 当時、これもひとつの出会いと感じて、その歌のライナーノートをガイド代わりに、単身、辰野町を訪れる決心をしたぼくでしたが、残念ながらその日は気の早い台風が迫っていたこともあって、山梨県に入ったあたりから激しい風が吹き始め、上諏訪の駅に着く頃には叩き付けるような雨まで降り出して、後ろ髪を引かれるような思いで上諏訪から上りの列車に乗り換えて引き返したのでした。そんなこともあって翌年の6月には、まるで忘れ物を取りにでも行くように、「是非にも」という同僚を一人伴って、再び辰野町を訪ねたのです。 蛍は雨でも、また風が強くても下草に隠れてしまうので、夜空を舞う蛍火と出会うには天候の助けが必要となります。中央本線から飯田線に乗り継いだぼくらは、まるで祈るような静かな気持ちで列車のタラップを降りたことを覚えています。 日のあるうちに着いたぼくらは、土産のつもりで地酒「蛍祭」を手に入れ、ついでに店の親父さんが使っていた団扇(夕闇の草原にシルエットの男の子と女の子、そして舞い上がる蛍が版画のようにデザインされていました)をねだって譲り受け、主役の登場を待つ形で、賑わう町中をぶらついて祭り気分を満喫しました。 お好み焼き・たこ焼き・ヨーヨー釣り・あんず飴・りんご飴・セルロイドのお面・ソースせんべい・クレープ・焼きそば・色とりどりの風船・金魚すくい・鉢植えの日々草や朝顔。売り子の声・スピーカーから流れる歌・子供たちの歓声・浴衣姿の女の子・下駄の音・アセチレンガス灯の揺らめき……。 やがて日が落ちて、町全体に不思議な高揚感が満ちてくる頃、人の足に弾みがついて、町外れ、松尾峡の川辺へと人込みは流れを変えます。 辰野で観測される蛍は、ゲンジボタル・ヘイケボタル・ヒメボタル・クロマドボタル・オバボタルの5種類で、6月の下旬に開催される蛍祭りは、ゲンジボタルの発生にあわせてのものとなっています。ゲンジボタルは日本古来の種で、大きな蛍火がゆっくりとフェイドイン・フェイドアウトするように明滅する大変印象的な蛍です。 一年願い続けてようやく巡り会えた蛍。それは言葉に尽くせない感動でした。草原を風が渡ると、葉陰の蛍は、まるで足下に広がる星空のようです。一瞬、風が止むと、気の早い蛍が一匹、夕闇の空へ舞い立ちます。次の瞬間、足下の星空、シリウスが、カシオペアが、オリオンが、一大交響曲の旋律のように舞い上がるのです。蛍・蛍・蛍……。それは緩やかな曲線を描いてぼくらの心を正確になぞり、沈黙の持つ、ある種の雄弁さ(饒舌(じょうぜつ)では決してありません)でもって、際限もなくぼくらに語りかけてきます。もちろんそれは「風の篝火」を前にたたずむ一人一人の心模様に他ならず、ゆえにぼくらが読み取り、聞き取っていたはずの言葉は、残念ながら万人の共有しうるものではありません。闇と対峙し、光と向き合う時間は、また、自分と対峙し、自分自身と向き合う時間でもあるのです。 梅雨のわずかな晴れ間を惜しむように飛び交う蛍。寄せては返し、飽くことなく繰り返す波のように、あるいは山裾の湿地を覆(おお)った、それは草叢(くさむら)の生命そのものであるかのごとくに、ゆるやかにシンクロする無数の蛍の明滅。 ......

28 05, 2022

【コラム㉒】そうだ 京都、行こう! ⑤

By |2022-05-29T11:55:23+09:002022年05月28日|国分寺ブログ|0 Comments

通称「八坂の塔」は、臨済宗建仁寺派の法観寺五重塔で、京都でも屈指の歴史の古さを誇ります。残念ながら応仁の乱で法観寺の他の伽藍は焼失し、五重塔だけが残ったのだそうです。   八坂の塔をぐるっと右に巻いて、二年坂の降り口を過ぎ、産寧坂(三年坂)の賑わいを通り抜け、突き当りの清水坂を左に折れて松原通を上がればいよいよ目的地「清水寺」です。 さすがに産寧坂から清水坂にかけては修学旅行の中高生の密度が高く、どの土産物店の店先にも人だかりができています。 産寧坂と清水坂のT字路の角にある「七味屋」をご存じでしょうか。京都を訪れるたびに、この店の香り七味を買って帰ったことを思い出して店を覗いてみると、店員さんが白い紙コップを差し出してきます。中を見ると、一味唐辛子に水を加えただけの「一味水」とでもいうべきものが入っています。 勧められるままにその一味水を飲んでみると、辛みの向こう側に微かに柚子の香りがします。なるほど柚子風味の一味唐辛子かと感心しながらコップを返すと、入れ替わりに別のコップを渡されます。今度は複雑な七味唐辛子の風味の中に山椒の香りが冴えている「七味水」です。 唐辛子の品定めに水に溶いて味見するという発想はなく、とても新鮮ですね。 迷わず2杯目にいただいた七味を購入して、次は錦古堂でこの夏のアイテムとなる扇子選び。 なかなか清水寺にたどり着けません。 デザインや色調の異なる沢山の扇子の中から、互いに惹かれ合うような、「これだ!」という特別な出会いを期待してゆっくりと店内を回ります。 ......

26 05, 2022

【コラム㉑】そうだ 京都、行こう! ④

By |2022-05-27T14:35:10+09:002022年05月26日|Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

※修学旅行で京都に行く際の参考にもなるかと思い、日帰りの突撃京都探索の記録を続けていこうと思います。   京阪宇治駅から宇治線で中書島(ちゅうしょじま)まで出て本線に乗り換え、祇園四条を目指します。 本線は、豊臣秀吉の伏見城があった伏見桃山、千本鳥居で知られる伏見稲荷、京都五山の第四位・東福寺と人気の観光スポットをつないでいきます。 ちなみに、織田・豊臣の世を安土桃山時代と呼びならわしますが、「桃山」というのは後の呼び方で、秀吉の居城があったのはあくまでも「伏見」です。ですから本来であれば「安土伏見時代」と呼ぶべきなのです。伏見城は、江戸時代に入っても重要な城として利用されていましたが、徳川幕府が出した「一国一城令」により、京都に二条城と伏見城の二城を維持できなくなったため、最後は跡形もなく解体されてしまいます。城だけでなく石垣や礎石も残らないほどの徹底した破壊ぶりで、城の建材の一部は京都二条城、江戸城、大阪城、そして大徳寺等の寺社でリユースされたものの、伏見城のあった場所はむき出しの土山になってしまったようです。その跡地に、地元の人々が桃の木を植え始め、やがて辺りは桃の木で覆われていきます。「桃山」という名称は明治時代に入ってからのものなのです。 話が逸れましたが、祇園四条駅で下車して、向かうは東山。まずは八坂神社へアクセスします。 京都の繁華街といえば四条河原町ですが、日帰り旅行の今回は時間の都合でパスします。 道々、修学旅行の中高生たちのグループを見かけます。昨年・一昨年は、新型コロナの影響で修学旅行も中止せざるを得ない学校が多かったことを考えると、これは喜ばしいことですね。 西楼門から神域に入り、八坂神社に参詣したその足で向かうのは東山最大の観光名所といっても過言ではない「清水寺」ですが、その前に腹ごしらえということで、石鳥居をくぐって下河原町通にある「京うどん美竹(よしたけ)」に寄ることにします。靴を脱ぎ、薄暗い廊下を通って案内されたお座敷には、恐らく外国人観光客や和装のお客様向けにテーブル席が並べられています。 運よく空いていたため、小さな日本庭園を眺めることのできる窓際の席に案内されました。 ......

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