「うつむいていた顔を上げてみましょう。」
前回のコラムのまとめに書いた一文です。
書きながら、ふと思い出したエピソードがあったので、以前どこかで紹介したかもしれませんが、今回はそのエピソードを紹介します。

もう随分と昔の話ですが、中学受験で桜蔭中学に進学した、かつての教え子からもらった手紙にこんなメッセージが書かれていました。
「先生からの手紙は、いつも私を face up させてくれるだけでなく、face up to させてくれます。」
英語に疎いぼくは早速英和辞典を引いてみました。
手持ちの辞書で調べてみると「face up」はもちろん「顔を上げる」という意味で、「face up to」は「困難に立ち向かう」というような意味でした。
その時のぼくは、自分が生きていることのたくさんあるであろう意味のひとつを見つけたような気持になりました。なぜなら、ぼくの言葉がどこかで誰かの支えになり、困難に立ち向かう勇気を与えられたら…と、それは「願ってもみないこと」ではなく、まさに「願い続けてきたこと」だったからです。

ところが、何の気なしに利用してみた当時のオンライン翻訳では、どの辞書を利用しても「直面する」としか表示されず、とてもうろたえた記憶があります。それでは彼女からのメッセージが意味を失うではありませんか。すぐさま辞書を引き直して一安心。手持ちの辞書には確かに「(人や困難に)立ち向かう」と説明されていました。

さて、このコラムを書くにあたって、何年振りかにオンラインの翻訳機能を利用して「face up to」を調べてみました。
「上の面 する」などという意味不明な和訳もありましたが、まだまだいくつかのオンライン辞典では「直面する・直視する」と表示されます。そんな中、以前は見当たらなかった「~に立ち向かう」という意味を見つけました。
オンラインの翻訳機能は大変便利ではありますが、必ずしも狙った「意味」にヒットするとは限らないということのひとつの例証といえるでしょうか。日本語でも同じことが言えますが、複数の意味を持つ単語は、文脈の中で理解してこそ生きた意味を伝えるものです。
与えられたものを鵜吞みにするのではなく、自分の頭で考えて、しっかりと判断し、正しい意味をつかみ取っていくという姿勢が、今後一層重要になってくるのではないでしょうか。
文責:石井