浅間の雄大な、それでいてどこか穏やかな横顔を見るために、毎年のように信州へ車を走らせます。軽井沢から中軽・追分を抜けて小諸へと向かう国道18号線を右に折れ、九十九折(つづらおり)の峠道を上り詰めると浅間2000スキー場を抱いた高峰高原に至ります。峠のレストハウスに車を止めて、トレッキングすること1時間30分で目的の場所へとたどり着きます。

 浅間の正しい姿を見るなら黒斑山(くろふやま)です。Jバンドと呼ばれる浅間の外輪山のとっつきにあるトーミの頭(かしら)もしくは黒斑山の断崖絶壁に立つと、そこはまるで別世界です。深い、けれども光の飽和した谷には、まばらな針葉樹の間を埋め尽くした草原の広がり。それらを遥(はる)か足下に見下ろしつつ、遮(さえぎ)るものの何ひとつないガランと巨大な空間に泰然自若(たいぜんじじゃく)と胡坐(あぐら)をかく浅間の山容と、時の経つのも忘れて対峙します。

 その浅間山が噴火したのは、ちょうど去年の秋口でした。随分と報道もされたのでご覧になった方も多いと思います。去年の噴火は、記録によれば21年振りとなる中規模噴火だったそうです。交通規制もなくなったゴールデンウィークにドライブした折に小浅間のレストハウスまで行ってみましたが、止まずに吹き上がる噴煙と、以前は高山植物で薄緑色だった斜面が流れ出した溶岩で赤黒く覆(おお)われていたこと、そしてレストハウスに近い有料道路際にまで転がっている火山弾が見慣れぬ風景となって噴火の激しさを物語っていました。

 古くは1783年の大噴火で1200名を越す死者を出したことで有名な浅間山ですが、それ以外で言えば、立原道造の第一詩集『萱草(わすれぐさ)に寄す』に収録された「はじめてのものに」に見えるように1935年の噴火を知るのみです。

 『はじめてのものに』

                   立原道造

 ささやかな地異は そのかたみに

 灰を降らした この村に ひとしきり

 灰はかなしい追憶のやうに 音立てて

 樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきった

 

 その夜 月は明かったが 私はひとと

 窓に凭れて語りあった(その窓からは山の姿が見えた)

 部屋の隅々に 峡谷のやうに 光と

 よくひびく笑ひ声が溢れてゐた

 

 ――人の心を知ることは・・・・・・人の心とは・・・・・・

 私は そのひとが蛾を追ふ手つきを あれは蛾を

 把へようとするのだらうか 何かいぶかしかった

 

 いかな日にみねに灰の煙の立ち初めたか

 火の山の物語と・・・・・・また幾夜さかは 果たして夢に

 その夜習ったエリーザベトの物語を織った



※ここ数年、浅間山を眺めるための黒斑山へのトレッキングには行っていないけれど、過去には職場の同僚やかつての教え子を伴って、幾度となく黒斑山へのトレッキングコースをたどったものです。1時間30分程度のトレッキングでたどり着く黒斑山は浅間山の第一外輪山で、浅間山の稜線が下り切った谷からおよそ300mの断崖絶壁となって立ち上がっています。ガランと広い空間が開けて、遮るもののない浅間の山容が目の前にそびえる景観は言葉を失うほどの迫力です。

下山後には、峠のホテルで大浴場を使わせてもらい、さっぱりしたところで、冷たいアイスクリームに熱いコーヒーを掛けていただく「アフォガート」でホッと一息入れ、小諸で蕎麦を、また軽井沢へ戻ってオープンカフェでフルーツティーを頼んで優雅なひと時を過ごしたりしました。

ゴールデンウィークには、まだ残雪があったりします。

本文はあくまでもアーカイブで、浅間山の中規模噴火があった翌年の記述ですので2005年の文章と思われます。

ああ、こんなことを書いていると、また黒斑山に行きたくなってきます。

文責:石井