人は一生の間に一体何冊くらいの本を読めるのかということを計算した知人がいます。それがとても興味深い、驚くべき結果であったので、ここで改めて検証してみることにします。

例えば、月に1冊の本を読み続けると一年間で12冊。仮に5歳から75歳までの70年間を読書に費やしたとすると<12冊×70年>で840冊。なんとぼくらは一生の間に840冊の書物を読破するのがやっとという結果になります。わずか840冊です!
気を取り直して1週間に1冊ずつとして計算し直してみても70年間で3652冊という結果になり、やはり愕然とします。そこで無理を承知で毎日1冊の本を読み続けると一体どのような結果になるかと計算してみると、一年間で365冊の70年で25550冊、閏年を計算に入れると25567冊となって、ようやく手応えの感じられる数値となります。が、しかし、5歳から75歳まで毎日欠かさず一冊の本を読み続けるなどということは、土台無理な仮定であることを忘れてはなりません。

では、これらが一体どのような数字かということを、別の角度から検証してみます。
これも知人が調べたものですが、国立国会図書館の蔵書数が、東京本館で620万冊。筑波大学図書館が235.6万冊。慶応義塾大学三田メディアセンターが229万冊。早稲田大学図書館が223.4万冊……。
読書という、ぼくらのささやかな営みと比較して、これらの数字はもはや天文学的ですらあり、どうにも具体的なイメージが沸いてきませんね。
卑近なところで東村山市立中央図書館の蔵書数を調べてみると17万6366冊という結果で、つまりぼくらが仮に70年間毎日欠かさず一冊の本を読み続けたところで東村山中央図書館の蔵書の、ようやく7分の1を読み切るのがやっとというわけです。
逆に、一生の間に東村山中央図書館の蔵書をすべて読み切ろうとすると毎日7冊の書物を読破しなければならず、国立国会図書館に至っては毎日243冊となって、これはもう笑い話にすらなりません。

世の中に溢れる本の、その膨大な量に比べて、一生の間に出会える本の何と哀しく僅かであることか。一冊でも多くの本を、と寸暇を惜しんで読書にいそしんだところで東村山中央図書館すらクリアできないのだとすれば、ぼくらに残されているのは、上手に取捨選択しつつ、限られた本との出会いのひとつひとつが、少しでも価値あるものとなるように祈ること。そして、出会った本の一冊一冊と真摯に向かい合うことだけです。
もちろんそれらが「読書のための読書」となっては意味がありません。情報や知識を得ることも大切ではありますが、そこに留まらず、論理的な思考力や豊かな情緒を育てること、つまりは実人生を少しでも実りあるものにするための読書でなければならないのは自明です。

これらの検証は、世の中に溢れかえる「情報」や、思い切って「人との出会い」に置き換えて考えてみることもできそうですが、それはまたの機会に……。