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18 03, 2025

    【アーカイブ63】休日のスケジュール

    By |2025-03-18T17:45:34+09:002025年03月18日|Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

    春期講習の前日となる3月25日に、第一期卒業の女子生徒たちの同窓会が開かれました。 講習前日の慌しさは当然あるものの、こちらの都合も斟酌(しんしゃく)して、まさにここしかないというピンポイントの日程を組んでくれた彼女たちのために、ぼくは万難を排してその同窓会に参加させてもらいました。 参加した卒業生たちとぼくと遅れて到着した宮尾先生とで「もんじゃ焼き」の鉄板を囲みながら語り合ったのは、振り返ってみればこの一年間の瞬く間であったという驚きです。そうして、ちょうど一年前の春には受験生であった彼女たちが、今ではすっかり高校生の顔になって咲かせる話の華に、ぼくも楽しく参加させてもらったのです。 その会で、都立西高校の管弦楽団でホルンを吹いているMさんから、4月8日の土曜日に定期演奏会があり、高校2年となる生徒はこの4月の定演で引退するのだと聞いて、たまたま土曜日が週休であったぼくは、折角だからと個人的なスケジュールを調整し直して、その日、中野のZEROホールに足を運びました。 曲目「O.ニコライ 序曲《ウィンザーの陽気な女房たち》」 「A.I.ハチャトゥリアン 組曲《仮面舞踏会》より ワルツ」 「R.ワーグナー楽劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第1幕への前奏曲」 「A.ドヴォルジャーク 交響曲第8番ト長調」 演奏は、思っていたよりもずっとレヴェルの高い、聴き応えのあるものでした。 それにしても、高校2年生のこの時期に引退というのは、やはり遅かれ早かれ突入する受験体制を考慮してのことなのでしょうね。 それから、これまた休日のピンポイント攻撃となる春期講習明けの4月4日に、今年の卒業生たちに率いられて(!)東京ディズニーランドに行ってきました。同行した宮尾先生は既にビギナーの域を脱しているようですが、ぼく自身は生涯二度目となるTDLです。初めてのディズニーランドがやはり卒業生たちに連れて行ってもらったものであり、もはやそんな機会を捕まえでもしない限りディズニーランドとは基本的に縁がないに違いありません。 それにしてもディズニーランドに行くというのは一大事です。これは前回も感じたことですが、中途半端な覚悟では決して臨めません。朝5時に国分寺駅集合というところから既に命懸けです。電車も動いていないその時間に間に合わせるために、貴重な睡眠時間を削って飛び起きて、久米川からタクシーをつかまえて国分寺に乗り込みました。ただ、本来ならば万全の準備をするべきディズニーランドの基本スタイルである「各種耳飾り」や「首からぶら下げたバケツ(ポップコーンを購入するためのもの)」は、恐れ多くてまだ手が出せません。そうして優に1時間以上早く到着し、朝食用に用意しておいたアンパン(知る人ぞ知る4月4日はアンパンの日なのです)をペットボトルの珈琲で胃に流し込みながら開園時間を待ちます。園内に入れば入ったですぐさま全力疾走。そういえば初めて来たとき、まるっきりの初心者である何も知らないぼくは、改札をくぐったところで一人置き去りにされたのでした。慌てて人込みに目を凝らすと放射状に散っていく人込みの中に、全力疾走で瞬く間に小さくなっていく宮尾先生の背中を見つけて、死に物狂いで追いかけたのでした。その点、今回は違います。入園と同時に卒業生の一人にチケットを渡して、全力疾走で打ち合わせどおりに「バズ・ライトイヤーのアストロブラスター」を目指します。列に並んで待つうちに「スペースマウンテン」のファストパスを人数分手に入れた卒業生が合流するという作戦です。それからは、ファストパスをとっては時間つぶしにどこかのアトラクションの列に並び…の繰り返しで、確か一日で都合12のアトラクションをクリアしたはずです。 それから、前回は特に感じなかったものの、実はパレードが強敵であるということに今回ようやく気付きました。4月5日で終了となる「シンデレラ城のミステリーツアー」に参加するべく移動を開始したぼくらをあざ笑うかのように、何度目かのパレードの列がぼくらの前に立ちはだかったのです。係員に聞くと、列の先頭にいるミッキーを捉えればその直前でシンデレラ城のあるランドの中心部へと渡河できるはずだと教えられ、ぼくらは人波を縫って反時計回りにパレードの列を追いかけました。ところがです。人の波にブロックされ通行止めに阻まれてなかなか行き足のつかないぼくらを追いかけて、パレードの列もジワリジワリと先へ進み、なかなかミッキーマウスを捉えることが出来ないのです。トゥーンタウンから追いかけ始めて、ファンタジーランド・クリッターカントリー・ウエスタンランドと歩き続け、アドベンチャーランド・ワールドバザールに至っても一向に渡河ポイントを見出せず、トゥモローランドまで歩いて、結局ぼくらはディズニーランドを丸一周してもシンデレラ城にたどり着くことができなかったのです。恐るべしディズニーランド。唯一の幸運は、最後となるミステリーツアーの記念に、勇者のみならず参加者の全員に「HEROメダル」がプレゼントされたことです。エンジ色のリボンで首にかけられたメダルは、園内を一周してようやくシンデレラ城にたどり着いたぼくらへのささやかなご褒美(ほうび)だったのかもしれません。そうして帰る頃には足の痛みに耐えかねて立っているのもやっとというくらい疲れ切ってしまったぼくでした。 もちろん、同じ季節を肩を並べて歩き通した卒業生たちと、そうしてぽつりぽつり語らいながら過ごす時間はとても楽しく貴重なものでした。が、しかし、ほんのダイジェストに過ぎない報告でありながら、ここにはすでにディズニーランドの恐ろしさと中途半端な覚悟で臨む危険性とが充分に表現できているはずです。恐るべし、東京ディズニーランド! それから、同じく週休であるはずの4月15日にも急なスケジュールが組まれました。獣医となって日本で経験をつんだ後、2年ほど青年海外協力隊でパラグアイに行っていた大昔の教え子が、ようやく帰国したので、その代の卒業生たちを中心とした歓迎会が開かれることになったのです。思えば2年前にも彼女の「国外退去歓送会」なるものを催したのでした。 ここ数日、恐ろしい頻度でやり取りされるメールによれば、タイミングが合わず残念ながら開催できずじまいだった今年の「お花見」の代わりに、華子という名の彼女を迎える会を「お華見」と称することが決定したとか…。 春を惜しむ人の心とは裏腹に、桜の花は惜しげもなく雨に叩かれ風に散っていきます。そうして、ぼくが一年中で最も好きな新緑の風景へと季節は日毎に塗り変わっていきます。けれども、そんな素敵な季節の中で、ぶらりと散歩に出たついでに馴染みの喫茶店に立ち寄って読み止しの文庫本のページをゆっくりとめくりながらのんびりと過ごすような休日は、まだまだぼくを訪れてはくれません。 ......

    17 03, 2025

      【アーカイブ62】本との出会い

      By |2025-03-17T14:24:59+09:002025年03月17日|Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

      人は一生の間に一体何冊くらいの本を読めるのかということを計算した知人がいます。それがとても興味深い、驚くべき結果であったので、ここで改めて検証してみることにします。 例えば、月に1冊の本を読み続けると一年間で12冊。仮に5歳から75歳までの70年間を読書に費やしたとすると<12冊×70年>で840冊。なんとぼくらは一生の間に840冊の書物を読破するのがやっとという結果になります。わずか840冊です! 気を取り直して1週間に1冊ずつとして計算し直してみても70年間で3652冊という結果になり、やはり愕然とします。そこで無理を承知で毎日1冊の本を読み続けると一体どのような結果になるかと計算してみると、一年間で365冊の70年で25550冊、閏年を計算に入れると25567冊となって、ようやく手応えの感じられる数値となります。が、しかし、5歳から75歳まで毎日欠かさず一冊の本を読み続けるなどということは、土台無理な仮定であることを忘れてはなりません。 では、これらが一体どのような数字かということを、別の角度から検証してみます。 これも知人が調べたものですが、国立国会図書館の蔵書数が、東京本館で620万冊。筑波大学図書館が235.6万冊。慶応義塾大学三田メディアセンターが229万冊。早稲田大学図書館が223.4万冊……。 読書という、ぼくらのささやかな営みと比較して、これらの数字はもはや天文学的ですらあり、どうにも具体的なイメージが沸いてきませんね。 卑近なところで東村山市立中央図書館の蔵書数を調べてみると17万6366冊という結果で、つまりぼくらが仮に70年間毎日欠かさず一冊の本を読み続けたところで東村山中央図書館の蔵書の、ようやく7分の1を読み切るのがやっとというわけです。 逆に、一生の間に東村山中央図書館の蔵書をすべて読み切ろうとすると毎日7冊の書物を読破しなければならず、国立国会図書館に至っては毎日243冊となって、これはもう笑い話にすらなりません。 世の中に溢れる本の、その膨大な量に比べて、一生の間に出会える本の何と哀しく僅かであることか。一冊でも多くの本を、と寸暇を惜しんで読書にいそしんだところで東村山中央図書館すらクリアできないのだとすれば、ぼくらに残されているのは、上手に取捨選択しつつ、限られた本との出会いのひとつひとつが、少しでも価値あるものとなるように祈ること。そして、出会った本の一冊一冊と真摯に向かい合うことだけです。 もちろんそれらが「読書のための読書」となっては意味がありません。情報や知識を得ることも大切ではありますが、そこに留まらず、論理的な思考力や豊かな情緒を育てること、つまりは実人生を少しでも実りあるものにするための読書でなければならないのは自明です。 ......

      16 01, 2025

        【アーカイブ61】新しい季節

        By |2025-01-16T16:18:40+09:002025年01月16日|国分寺ブログ|0 Comments

        二十世紀も残すところ一週間。 ひとつの季節の終わりが、新しい季節の始まりと正確に重なり合うということを、ぼくらは既に知っています。 「二十一世紀の始まり」、そこに何か(過去の清算、もしくは新しい飛躍の第一歩、あるいは…)を期待する人は驚くほど多いのでしょう。けれどもまた、自分から動き出さなければ景色は変わらないということも、ぼくらは痛いほどわかっているのです。 均等に分割された時間、もしくは繰り返される日常というものに耐え切れない人々は、例えば誕生日であったり、元旦を迎える瞬間であったり、卒業や入学……とあらゆる機会をつかまえては、生まれ変わる自分を夢見て、人生に「区切り」を求めます。今回は、その中でも飛び切りの節目といっていいのでしょうが、やはりその瞬間をただ待ちつぶすだけでは何も変わらず、「時の流れ」以上の変化は期待できないでしょう。 だからこそ、残されたこのわずかな日々を堵して、ぼくは思い出さなければならないのです。 この季節を共に歩いたたくさんの大切な人々の懐かしい名前を、一人残らず。ぼくが「ぼく」として、今日この場所までたどりつくことのできた幸福を支えてくれた数え切れない人々の、せめて横顔だけでも。 それがぼくの、二十世紀と呼ばれた時代への訣別です。 そして、新しい気持ちでもう一度初めから、大切な人々との出会いを、もしくは再会をひとつひとつ始めなければならないのです。 二十世紀の闇が次第に青味を帯び、やがてそこへ二十一世紀の光りが溶け出し、静かに世界を満たすまでのわずかな時間に、自分自身を取り戻し、もう一度家族の一人一人と出会うところから始めるのです。かつてこの世に生をうけた瞬間のように、純粋な感動に胸を震わせながら……。 そしてこのステキな仲間たちとの再会や訪れる新しい出会いのひとつひとつを、心から大切に受けとめようと思います。 ......

        13 12, 2024

          【アーカイブ60】Something four

          By |2024-12-13T14:53:21+09:002024年12月13日|国分寺ブログ|0 Comments

          従弟の結婚式に出席したときに聞いた話ですが、「Something four」と言って、結婚式において花嫁が身に着けると幸福を約束されるという四つのアイテムがあるのだそうです。 「何か新しい物」「何か古い物」「何か友人から借りた物」そして「何か青い物」。  ところで「生きていく」上でなくてはならない四つのものがあるとしたら、それは一体何だろうかと、次から次に饗されるコース料理を美味しくいただきながら考えてみたのです。 ひとつ目はもちろん「命」。二つ目が「健康(身体だけでなく心も)」。三つ目が「仲間(友人だけでなく家族や師なども含む大切な人間関係)」。 ……と、ここまで考えて思考が停滞します。廻りはじめたアルコールのせいでは決してありません。候補はいくつか浮かんでくるものの、四つ目をどうしても決め兼ねるのです。それは「これしかないだろう」という気持ちの一方で「本当にそれでいいいのだろうか」「もしかしたら何か大切なものを忘れていはしないか」などという反問が放り投げたコインの裏表のように常に浮かんでくるからです。 ということで、さんざん考えた末に、四つ目のアイテムは敢えて決めずにおくことにしました。思考の放棄では決してありません。もっと積極的なものです。  答えは人それぞれであって一向に構わないわけです。さらには、四つ目のアイテムを敢えてブランクにすることによって、常に捜し求めることを自らに課すこと。あるいは「それが生きていく上で本当になくてはならない大切なものであるのか」ということを検証し続けること。その方がぼくらにとってずっとずっと大切なことのように思えたのです。 たとえば「愛」や「夢」や「希望」といったもの、あるいは「お金」などというそれらしい落ちをつけて、すっかりわかったつもりになって飲み込んでしまうのではなく、常に「生きていく上でなくてはならないもの」と向き合っていくという覚悟を決めることこそが大切なのではないでしょうか。 ところで、あなたにとってその四つ目のアイテムは一体何ですか。   文責:石井

          2 12, 2024

            【アーカイブ59】秩父夜祭スケッチ2005

            By |2024-12-02T15:35:35+09:002024年12月02日|国分寺ブログ|0 Comments

            小太鼓の乾いた響きが空間を満たしている。 重なる太鼓の重厚な響きに大地が、そしてぼくの身体が共鳴し始める。 祭囃子(ばやし)が最高潮に達し、やがて軋(きし)みをあげて屋台が動き出す。「京都祇園(ぎおん)祭、飛騨高山祭と並んで日本三大曳山(ひきやま)祭のひとつに数えられるこの秩父夜祭は、三百年の伝統を誇り、国指定重要民族文化財に指定されている。祭り広場に設けられた「お旅所」で、秩父神社の女神と秩父武甲山の男神が一年一度の逢瀬(おうせ)をする。笠鉾(かさぼこ)が二基で、屋台が四基で……」 と、そんな知識など消し飛んでしまう屋台囃子(ばやし)のリズムと木輪の悲鳴にも似た軋(きし)み。 ぼくらは秩父夜祭の最後を飾る本町の屋台に張り付いて、秩父神社を目指す。 冷静な祭り見物の一人でいられなくなったぼくは、綱を曳(ひ)く祭半纏(まつりばんてん)の隙間にもぐりこんで10トン超の屋台の重みを身体で感じる。架線が取り外された線路を渡り、交差点の真ん中ではてこの原理でわずかに傾げられた屋台につっかえ棒を滑り込ませ、そこを回転の中心として人力で方向転換をする。屋台は軋む。まるで伝説の聖獣のように屋台は叫び続ける。昨日が記憶の彼方に霞(かす)んで消える。明日のことがぼくを悩ませたりしない。かじかんだ指先に力を込めて一心に綱を曳く。  神官の列に、お旅所を出た神輿(みこし)とご神馬(しんめ)が続く。 凍て付いた師走の大気を切り裂く屋台の叫び。 吐き出す息も白く、夜空には冬の星座たち。 鳴り止まぬ屋台囃子。  そしてクライマックス。   ......

            12 11, 2024

              【アーカイブ58】ひとりごと

              By |2024-11-12T15:19:49+09:002024年11月12日|国分寺ブログ|0 Comments

              往生際(おうじょうぎわ)の悪い停滞前線のせいで、はっきりしない天気の日が続きます。季節外れの台風も、まるで行き場を失ったように迷走しています。それでも日焼けの跡は日毎に淡くにじんで、どこかの庭先から菊の香が漂う季節となりました。 長い長い夜をくぐり抜けて、初めて見事な大輪の菊の咲くことを、ぼくらは知っています。菊の花を育てるのは陽のあたる場所ではなくて、むしろどこまでも深い闇の静けさです。それが秋に咲く花の宿命でもあるように、華やかな光を身にまとったものは一様に沈黙してしまうのです。 <ひとりごと>も、ようやく50回を数えました。 心の形そのものは伝えきれないにしても、その時々の心の色くらいは伝えられるのではないかと、淡い期待を抱きながらの四ヶ月が過ぎました。時間に追われてアップデートしたいくつかの文章に関しては、書き足りない思いばかりが募り、思い切って言葉にしたいくつかの思いについては、勝手なことばかり書いて、と叱られる材料を残した気がしないでもなく、いずれにしても複雑な思いではありますが、時折届く心強い感想に励まされながら、性懲(しょうこ)りもなく言葉を重ねてきたというのが正直なところです。 秋は、何かと物想いにふけることが多くなります。ポカポカと暖かくて静かな秋の陽だまりの中で、果てしなくぼんやりしてみたいなどと時折贅沢(ぜいたく)なことを望んでみたりします。それで、思い出したように文庫本のページをめくってみたり、飛び切り美味しい紅茶の香りを楽しんでみたり……。 さらさらと音もなく降り注ぐ秋の陽。やがて、街路樹がカサカサと葉を落とし、ほんの少し陽が翳(かげ)ると冬の訪れを予感するのです。 けれども、思いのほか明るい表情で、ぼくは青磁色(せいじいろ)の空を見上げます。 冬がくれば、やがて春が近いことにほんの少しトキめいたりしながら……。 文責:石井

              7 11, 2024

                【アーカイブ57】眠れる獅子

                By |2024-11-07T15:04:21+09:002024年11月07日|国分寺ブログ|0 Comments

                獅子座流星群の活動が極大となる11月17日。 昼間の好天が嘘のように日が落ちてから空が曇り始めました。 33年に一度の大流星雨(何故か日本では獅子座フィーバーした1998年より2001年の流星が見事でした)は過ぎ去ったものの、例年「火球」と呼ばれる明るく光跡を残す見事な流星を散発で降らせる獅子座のこと。それらしく生徒に告知して多少とも期待させてしまっただけに、恨めしい気持ちでいっぱいでした。 けれども、いつものように夜更かしをしていたぼくが、就寝前にベランダに出てみると、いつの間にか空はすっかり晴れ渡って、今しも獅子座が南中しようとするところではありませんか。思ってもないチャンスに、流れ星のひとつでも確認できればとドテラを着込んで、一等星のレグルスを中心に南天の全景を視野に納めつつベランダでしばしの星見です。南西の空に移ったシリウスが眩いほどの瞬きを繰り返しています。 そうしてすっかり身体が冷え切ってしまうまで(といってもたいした時間ではなかったと思いますが)待ってはみたけれど、残念ながら今年はとうとう獅子座の流れ星には出会えませんでした。 2001年の11月17日の夜のことを思い出します。その時は、多摩湖の堤防にブルーシートを敷き詰めて、まるでラッシュ時の駅のホームのような人だかりの中、仲間たちと大鍋でポトフを作りながらの流星観察でした。獅子座の輻射点を狙ったように、いい塩梅に東に開けた空。ため息が漏れるほどの眩い流星が、次から次へと夜空を駆けたのでした。  あるいは今年の夏の訪沖で、ペルセウス座の流星群の活動に合わせて渡った渡嘉敷島の、慶良間海峡を望む白い砂浜に一人寝そべって見たたくさんの流れ星のことを思い出します。 「今、慶良間海峡を望む渡嘉敷の浜辺で、繰り返す波の音をBGMに気の遠くなるような星空を眺めています。南の水平線から立ち上る天の川が白く輝く、流れ星の多い夜です。」 嬉しくて思わず東京の仲間にそんなMAILを送ったぼくでした。が、幾人かの仲間からは「ああ恨めしい」「東京は雷の音が絶え間なく鳴り響いています」「駄目押しの自慢話だね」などと叱られたことも懐かしく思い出されます。 さて、今回残念ながら流れ星を見ることがかなわなかったみなさんのために、最後に双子座流星群のご案内をして今日の「ひとりごと」を締め括ろうと思います。 三大流星群のひとつに数えられる「双子座流星群」の活動が極大になるのは12月14日です。 獅子座はご存知の通り春の星座ですから、夜半過ぎにならないとのぼってこないため、観測時間が深夜となり、小中学生の観測に適しているとはいえませんでした。が、双子座は冬の星座です。つまり、日没後に東天にのぼり、一晩かけて夜空を移り、明け方西天に没する、いつでも好きなときに観測できる流星群なのです。流れ星の出現数は、予想によれば一時間に30個程度ですが、多い年では100個を数える豊かな流星群です。是非忘れずに、もしくは思い出して、今年最後の流れ星を楽しんでください。ただしくれぐれも防寒対策を忘れないように……。 今年も11月17日がやってきます。 今年のしし座流星群の活動はどうか? 天候には恵まれるのか? ......

                24 10, 2024

                  【アーカイブ56】神無月(かんなづき)

                  By |2024-10-24T14:17:02+09:002024年10月24日|Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

                  10月。 ぼくにとっては、5月と並んで特筆すべき存在であるこの月は、日本人の持つ豊かな季節感の中でも一層、明るく切なく、そして哀しく美しい特別な月です。 穏やかに色付いていく蜜柑色の陽射しが照らし出す街に、明るい哀しみが幾重にも降り積もります。それぞれに宿した影が日毎に淡く滲(にじ)んでいくのと引き換えに、ひんやりと冷たい風の中、人も町もくっきりとその輪郭(りんかく)を取り戻していきます。 やがて金木犀の香りが届くと、心も身体も秋の深まりを感じ始めます。昔から、なぜかこの金木犀の香りが好きだったぼくです。 数年前の秋(11月の初めだったと思います)、突然のように京都・東山の紅葉が観たくなったぼくは、休みの前日、一日の仕事を終えたその足で最終の大垣行きに飛び乗って京都を訪れたことがありました。東京近郊の山がかった場所では紅葉もすっかり盛りを過ぎていたため、何の疑いもなく京都を目指したのです。ところが夜行列車はぼくがうとうととまどろむうちに紅葉前線を追い越してしまったらしく、目的の東山では気の早い楓の木が、まるで頬を染める少女のようにわずかに色付いているだけで、期待していた全山紅葉の景色には程遠い有様だったのです。 ところが、すっかり気落ちして山を下り、祗園(ぎおん)辺りの町並みに足を踏み入れた瞬間でした。金木犀の香り・香り・香り…。普段はしっとりと鼻先をかすめ、はっと気付いたぼくが改めて深呼吸をしてみても最早それともわからないほど微かな橙色の甘い花の香りが、そこ祗園界隈(かいわい)では庭先といわず街路といわず、そう、町を包んだ空気そのものを鮮やかに染め抜いていたのです。町にそれだけの金木犀が植えられているということ。そしてその金木犀が今まさに満開のときを迎えようとしていること。紅葉には一足早かったけれど、期せずして満開の金木犀に間に合ったぼくは、何だかとても得をした気持ちになったことを覚えています。 10月、神無月。 「鬼の居ぬ間に洗濯」という諺(ことわざ)がありましたが、さて、神様のいない間に、一体ぼくらは何をしておけばいいのでしょうね。 文責:石井  

                  28 09, 2024

                    【アーカイブ55】彼岸過ぎまで

                    By |2024-09-28T16:52:44+09:002024年09月28日|国分寺ブログ|0 Comments

                    「彼岸過迄(ひがんすぎまで)」というのは、ご存知の通り明治の文豪・夏目漱石の連作小説の題名です。 「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、この秋も、ちょうど彼岸の入りとなる9月20日を境に、それまでの残暑が嘘のようにすっかり涼しい気候となりました。 そういえば彼岸の出となる26日に、蝉の声を聞きました。それがひとつの引き金となって、秋空の下、今年最後に生まれてくる季節外れの蝉のことを考えたのです。最後の一匹となる蝉が毎年必ずいるということは、理屈で言えば当然のことながら、ぼくらは日常そんなことにすら思い及びません。 既に仲間の蝉たちは地に落ちて、鳴き交わす相手の一匹としていない彼、もしくは彼女。冬に向かって乾き始めた風がその羽を小刻みに震わせます。雲ひとつない秋晴れの日を待って、やがて金木犀の甘い香りが彼を包むでしょう。哀しいほどに美しい秋の風景の中で、どれほど飛び回っても、どれほど声を嗄らして鳴き叫んでも、返ってくるのは風の音ばかり……。なんだか胸の底が凍えそうなイメージですね。 それでもきっと彼は、何を疑うでもなく鳴き続けることでしょう。まるで鳴くことそのものに意味を見出そうとでもするように…。 何の寓話(ぐうわ)にもならないこの日のこのイメージが、けれどもぼくの心を捉えて放さないのです。 こんなことに躓(つまず)くのも、恐らくは訪れた季節のせい、なのでしょうね。子どもの頃には居ても立ってもいられなかった秋のこの哀切な季節感を、いつの頃からか愛するようになった自分が不思議です。 ※2024年の今年は、お彼岸の期間中こそ涼しくて過ごしやすい気候でしたが、お彼岸を過ぎたらまたすっかり暑さがぶり返してしまいました。気温の乱高下は体調を崩す契機となりますので、どうぞご自愛ください。 文責:石井

                    24 09, 2024

                      【コラム㊷】紫金山・アトラス彗星

                      By |2024-09-24T17:48:37+09:002024年09月24日|国分寺ブログ|0 Comments

                      ニュースでも取り上げられているので、既にご存じの方も多いとは思いますが、2023年1月に発見された「紫金山・アトラス彗星」が、いよいよ近日点に近付き、10月中旬には日本からも観測可能になります。 現在は南半球での観測が可能で、明るさは4.7等から3.0等へと変化しているそうです。 9月27日に近日点に到達し、北半球でも夜明けの空で観測可能となります。肉眼でも見える可能性はありますが、双眼鏡等があれば確実です。 10月2日頃には0.0等へ、9日にかけて-3.0等へと光度を増しますが、残念ながら太陽に近すぎて肉眼では見えない可能性があります。最も楽観的な予測では、彗星は-5.0等を超える可能性があり、その場合は昼間の空でも太陽に近い場所で肉眼で見えるかもしれません。  10月10日から12日にかけて明るさは-3.0等から-1.0等へと減少しますが、まだまだいわゆる一等星の明るさを維持しています。この頃には日没直後の夕空で観測が可能となります。すぐに沈んでしまいますので観測時間は短いですが、むしろ彗星の見頃で、肉眼で観測可能です。10月12日には地球に最接近します。 10月14日頃には-1.0等から1.0等へ。明るさは減少しますが、太陽から遠ざかるため観測可能時間が少しずつ長くなっていきます。 10月15日以降は1.0等から4.5等へと急激に光度が減少しますが、アンチテールといって、本来太陽の反対側に伸びる彗星の尾が逆に太陽に向かっているように見える現象が起こる可能性も指摘されています。  映画「君の名は」でご覧になった方も多いと思いますが、彗星の尾がダストテールとイオンテールの2本に分かれて、それぞれ微妙に異なる色合いで日没直後の夜空を彩る可能性もあります。写真撮影の好機ですが、それなりの機能を持ったカメラでないと撮影は難しいかもしれません。  いずれにしても期待が膨らみますね。   ......

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