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12 11, 2024

【アーカイブ58】ひとりごと

By |2024-11-12T15:19:49+09:002024年11月12日|国分寺ブログ|0 Comments

往生際(おうじょうぎわ)の悪い停滞前線のせいで、はっきりしない天気の日が続きます。季節外れの台風も、まるで行き場を失ったように迷走しています。それでも日焼けの跡は日毎に淡くにじんで、どこかの庭先から菊の香が漂う季節となりました。 長い長い夜をくぐり抜けて、初めて見事な大輪の菊の咲くことを、ぼくらは知っています。菊の花を育てるのは陽のあたる場所ではなくて、むしろどこまでも深い闇の静けさです。それが秋に咲く花の宿命でもあるように、華やかな光を身にまとったものは一様に沈黙してしまうのです。 <ひとりごと>も、ようやく50回を数えました。 心の形そのものは伝えきれないにしても、その時々の心の色くらいは伝えられるのではないかと、淡い期待を抱きながらの四ヶ月が過ぎました。時間に追われてアップデートしたいくつかの文章に関しては、書き足りない思いばかりが募り、思い切って言葉にしたいくつかの思いについては、勝手なことばかり書いて、と叱られる材料を残した気がしないでもなく、いずれにしても複雑な思いではありますが、時折届く心強い感想に励まされながら、性懲(しょうこ)りもなく言葉を重ねてきたというのが正直なところです。 秋は、何かと物想いにふけることが多くなります。ポカポカと暖かくて静かな秋の陽だまりの中で、果てしなくぼんやりしてみたいなどと時折贅沢(ぜいたく)なことを望んでみたりします。それで、思い出したように文庫本のページをめくってみたり、飛び切り美味しい紅茶の香りを楽しんでみたり……。 さらさらと音もなく降り注ぐ秋の陽。やがて、街路樹がカサカサと葉を落とし、ほんの少し陽が翳(かげ)ると冬の訪れを予感するのです。 けれども、思いのほか明るい表情で、ぼくは青磁色(せいじいろ)の空を見上げます。 冬がくれば、やがて春が近いことにほんの少しトキめいたりしながら……。 文責:石井

7 11, 2024

【アーカイブ57】眠れる獅子

By |2024-11-07T15:04:21+09:002024年11月07日|国分寺ブログ|0 Comments

獅子座流星群の活動が極大となる11月17日。 昼間の好天が嘘のように日が落ちてから空が曇り始めました。 33年に一度の大流星雨(何故か日本では獅子座フィーバーした1998年より2001年の流星が見事でした)は過ぎ去ったものの、例年「火球」と呼ばれる明るく光跡を残す見事な流星を散発で降らせる獅子座のこと。それらしく生徒に告知して多少とも期待させてしまっただけに、恨めしい気持ちでいっぱいでした。 けれども、いつものように夜更かしをしていたぼくが、就寝前にベランダに出てみると、いつの間にか空はすっかり晴れ渡って、今しも獅子座が南中しようとするところではありませんか。思ってもないチャンスに、流れ星のひとつでも確認できればとドテラを着込んで、一等星のレグルスを中心に南天の全景を視野に納めつつベランダでしばしの星見です。南西の空に移ったシリウスが眩いほどの瞬きを繰り返しています。 そうしてすっかり身体が冷え切ってしまうまで(といってもたいした時間ではなかったと思いますが)待ってはみたけれど、残念ながら今年はとうとう獅子座の流れ星には出会えませんでした。 2001年の11月17日の夜のことを思い出します。その時は、多摩湖の堤防にブルーシートを敷き詰めて、まるでラッシュ時の駅のホームのような人だかりの中、仲間たちと大鍋でポトフを作りながらの流星観察でした。獅子座の輻射点を狙ったように、いい塩梅に東に開けた空。ため息が漏れるほどの眩い流星が、次から次へと夜空を駆けたのでした。  あるいは今年の夏の訪沖で、ペルセウス座の流星群の活動に合わせて渡った渡嘉敷島の、慶良間海峡を望む白い砂浜に一人寝そべって見たたくさんの流れ星のことを思い出します。 「今、慶良間海峡を望む渡嘉敷の浜辺で、繰り返す波の音をBGMに気の遠くなるような星空を眺めています。南の水平線から立ち上る天の川が白く輝く、流れ星の多い夜です。」 嬉しくて思わず東京の仲間にそんなMAILを送ったぼくでした。が、幾人かの仲間からは「ああ恨めしい」「東京は雷の音が絶え間なく鳴り響いています」「駄目押しの自慢話だね」などと叱られたことも懐かしく思い出されます。 さて、今回残念ながら流れ星を見ることがかなわなかったみなさんのために、最後に双子座流星群のご案内をして今日の「ひとりごと」を締め括ろうと思います。 三大流星群のひとつに数えられる「双子座流星群」の活動が極大になるのは12月14日です。 獅子座はご存知の通り春の星座ですから、夜半過ぎにならないとのぼってこないため、観測時間が深夜となり、小中学生の観測に適しているとはいえませんでした。が、双子座は冬の星座です。つまり、日没後に東天にのぼり、一晩かけて夜空を移り、明け方西天に没する、いつでも好きなときに観測できる流星群なのです。流れ星の出現数は、予想によれば一時間に30個程度ですが、多い年では100個を数える豊かな流星群です。是非忘れずに、もしくは思い出して、今年最後の流れ星を楽しんでください。ただしくれぐれも防寒対策を忘れないように……。 今年も11月17日がやってきます。 今年のしし座流星群の活動はどうか? 天候には恵まれるのか? ......

24 10, 2024

【アーカイブ56】神無月(かんなづき)

By |2024-10-24T14:17:02+09:002024年10月24日|Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

10月。 ぼくにとっては、5月と並んで特筆すべき存在であるこの月は、日本人の持つ豊かな季節感の中でも一層、明るく切なく、そして哀しく美しい特別な月です。 穏やかに色付いていく蜜柑色の陽射しが照らし出す街に、明るい哀しみが幾重にも降り積もります。それぞれに宿した影が日毎に淡く滲(にじ)んでいくのと引き換えに、ひんやりと冷たい風の中、人も町もくっきりとその輪郭(りんかく)を取り戻していきます。 やがて金木犀の香りが届くと、心も身体も秋の深まりを感じ始めます。昔から、なぜかこの金木犀の香りが好きだったぼくです。 数年前の秋(11月の初めだったと思います)、突然のように京都・東山の紅葉が観たくなったぼくは、休みの前日、一日の仕事を終えたその足で最終の大垣行きに飛び乗って京都を訪れたことがありました。東京近郊の山がかった場所では紅葉もすっかり盛りを過ぎていたため、何の疑いもなく京都を目指したのです。ところが夜行列車はぼくがうとうととまどろむうちに紅葉前線を追い越してしまったらしく、目的の東山では気の早い楓の木が、まるで頬を染める少女のようにわずかに色付いているだけで、期待していた全山紅葉の景色には程遠い有様だったのです。 ところが、すっかり気落ちして山を下り、祗園(ぎおん)辺りの町並みに足を踏み入れた瞬間でした。金木犀の香り・香り・香り…。普段はしっとりと鼻先をかすめ、はっと気付いたぼくが改めて深呼吸をしてみても最早それともわからないほど微かな橙色の甘い花の香りが、そこ祗園界隈(かいわい)では庭先といわず街路といわず、そう、町を包んだ空気そのものを鮮やかに染め抜いていたのです。町にそれだけの金木犀が植えられているということ。そしてその金木犀が今まさに満開のときを迎えようとしていること。紅葉には一足早かったけれど、期せずして満開の金木犀に間に合ったぼくは、何だかとても得をした気持ちになったことを覚えています。 10月、神無月。 「鬼の居ぬ間に洗濯」という諺(ことわざ)がありましたが、さて、神様のいない間に、一体ぼくらは何をしておけばいいのでしょうね。 文責:石井  

28 09, 2024

【アーカイブ55】彼岸過ぎまで

By |2024-09-28T16:52:44+09:002024年09月28日|国分寺ブログ|0 Comments

「彼岸過迄(ひがんすぎまで)」というのは、ご存知の通り明治の文豪・夏目漱石の連作小説の題名です。 「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、この秋も、ちょうど彼岸の入りとなる9月20日を境に、それまでの残暑が嘘のようにすっかり涼しい気候となりました。 そういえば彼岸の出となる26日に、蝉の声を聞きました。それがひとつの引き金となって、秋空の下、今年最後に生まれてくる季節外れの蝉のことを考えたのです。最後の一匹となる蝉が毎年必ずいるということは、理屈で言えば当然のことながら、ぼくらは日常そんなことにすら思い及びません。 既に仲間の蝉たちは地に落ちて、鳴き交わす相手の一匹としていない彼、もしくは彼女。冬に向かって乾き始めた風がその羽を小刻みに震わせます。雲ひとつない秋晴れの日を待って、やがて金木犀の甘い香りが彼を包むでしょう。哀しいほどに美しい秋の風景の中で、どれほど飛び回っても、どれほど声を嗄らして鳴き叫んでも、返ってくるのは風の音ばかり……。なんだか胸の底が凍えそうなイメージですね。 それでもきっと彼は、何を疑うでもなく鳴き続けることでしょう。まるで鳴くことそのものに意味を見出そうとでもするように…。 何の寓話(ぐうわ)にもならないこの日のこのイメージが、けれどもぼくの心を捉えて放さないのです。 こんなことに躓(つまず)くのも、恐らくは訪れた季節のせい、なのでしょうね。子どもの頃には居ても立ってもいられなかった秋のこの哀切な季節感を、いつの頃からか愛するようになった自分が不思議です。 ※2024年の今年は、お彼岸の期間中こそ涼しくて過ごしやすい気候でしたが、お彼岸を過ぎたらまたすっかり暑さがぶり返してしまいました。気温の乱高下は体調を崩す契機となりますので、どうぞご自愛ください。 文責:石井

24 09, 2024

【コラム㊷】紫金山・アトラス彗星

By |2024-09-24T17:48:37+09:002024年09月24日|国分寺ブログ|0 Comments

ニュースでも取り上げられているので、既にご存じの方も多いとは思いますが、2023年1月に発見された「紫金山・アトラス彗星」が、いよいよ近日点に近付き、10月中旬には日本からも観測可能になります。 現在は南半球での観測が可能で、明るさは4.7等から3.0等へと変化しているそうです。 9月27日に近日点に到達し、北半球でも夜明けの空で観測可能となります。肉眼でも見える可能性はありますが、双眼鏡等があれば確実です。 10月2日頃には0.0等へ、9日にかけて-3.0等へと光度を増しますが、残念ながら太陽に近すぎて肉眼では見えない可能性があります。最も楽観的な予測では、彗星は-5.0等を超える可能性があり、その場合は昼間の空でも太陽に近い場所で肉眼で見えるかもしれません。  10月10日から12日にかけて明るさは-3.0等から-1.0等へと減少しますが、まだまだいわゆる一等星の明るさを維持しています。この頃には日没直後の夕空で観測が可能となります。すぐに沈んでしまいますので観測時間は短いですが、むしろ彗星の見頃で、肉眼で観測可能です。10月12日には地球に最接近します。 10月14日頃には-1.0等から1.0等へ。明るさは減少しますが、太陽から遠ざかるため観測可能時間が少しずつ長くなっていきます。 10月15日以降は1.0等から4.5等へと急激に光度が減少しますが、アンチテールといって、本来太陽の反対側に伸びる彗星の尾が逆に太陽に向かっているように見える現象が起こる可能性も指摘されています。  映画「君の名は」でご覧になった方も多いと思いますが、彗星の尾がダストテールとイオンテールの2本に分かれて、それぞれ微妙に異なる色合いで日没直後の夜空を彩る可能性もあります。写真撮影の好機ですが、それなりの機能を持ったカメラでないと撮影は難しいかもしれません。  いずれにしても期待が膨らみますね。   ......

2 09, 2024

【コラム㊶】四月は君の噓 - 原画と共に奏でるコンサート

By |2024-09-12T15:57:17+09:002024年09月02日|Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

「四月は君の噓」は、新川直司による日本の漫画作品。略称は「君嘘」(きみうそ)。単行本は全11巻。その後、テレビアニメとして全話放送され、実写版映画にもなっている。 中学生のピアニストとヴァイオリニストが互いの才能に共鳴し合い成長する姿を描いた作品で、名作との呼び声も高く、根強いファンも多い。  2024年9月1日(日)~9月2日(月)に東京・有楽町I’M A SHOWで、9月16日(月祝)に福岡・キャナルシティで、全5回「四月は君の噓 原画と共に奏でるコンサート」が開催されると聞いて、9月1日(日)の昼の部に参加してきた。      節目節目にコンクールやガラコンサートのシーンが入るテレビアニメの進行に合わせた選曲は以下のとおり。 ◆Violin × Piano ......

20 06, 2024

【アーカイブ54】大人になるということ

By |2024-06-20T16:01:20+09:002024年06月20日|国分寺ブログ|0 Comments

 太陽を追いかけて東から西へ。それは若い向日葵の話。立派に成長した向日葵は重い首を垂れて、もう太陽を追うことを諦めてしまう。 まるで、憧れても太陽にはなれないことを知ってしまった大人たちのようだ。仰角70度超の、気の遠くなるような陽射しに射抜かれた日の午後は 積乱雲が天を突いて覇を競い合う。また、夏が訪れる。そういえば久しく夕立ちの匂いを嗅いでいない。 夕立ちのあとのむせ返るような土と草の匂い。 虹を追いかけたのも、確かそんな夕立ちの後だった。風が湿り気を帯びて夕立ちの近いことを知らせる。 緩やかにうねる乾いた畑の土を黒く塗り替え、用水路の水面を白く濁らせながら ものすごい速さで夕立ちが通り過ぎていく。 雨に叩かれた家々の屋根がぼんやりと白くかすんで見える。昔は雨に濡れることなど何ともなかったはずなのに、今はそうでないことがもどかしい。 むしろ水たまりを選んで水しぶきをあげながら歩いたはずのぼくが 今はそれを丁寧に避けて歩いている。 ......

7 06, 2024

【アーカイブ53】読むか読まぬか

By |2024-06-07T15:22:42+09:002024年06月07日|Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

 唐突ですが、人生において大切なことは、「理想」を胸に抱き、その「理想」を忘れずに保ち続け、その実現のために自らに努力と工夫を課すことだと思うのです。  ただし、この場合の「理想」というのは、何も大それたことでなくていいのです。むしろ基本的であればあるほどいい。たとえば社会的な立場や肩書き、置かれた環境などとは無関係に「人間としてどう在りたいか」というようなことです。もっとわかりやすく言えば「笑顔の自分」がいいのか「ふてくされている自分」がいいのか「泣き言を繰り返す自分」がいいのかというような、誰にでもわかることがベストです。「そんなこと今さら・・・」という声が聞こえなくもないけれど、改めて周囲を見渡してみれば、実際のところそんな幼稚な命題すら忘れてしまう人間があまりにも多くて愕然とするではありませんか。  「困難にぶつかったとき、うろたえたり、挫けたり、言い訳に他人の責任を並べ立てる自分」でいたいのか、それとも「結果はどうあれ胸を張って困難に挑む自分」で在りたいのか。「生きていく上でどうしようもなく傷つけてしまう人の心の痛みを知らん顔で踏みにじる自分」でいたいのか、もしくは「そんな人たちの心の痛みを我がことのように背負っていく自分」で在りたいのか。「仲間なんて利用するだけで信じない自分」でいたいのか、あるいは「たとえ裏切られる瞬間があったとしても仲間を信じることから始める自分」で在りたいのか……。  具体的であればあるほどいいのです。  人生に行き詰ったときは是非試してみて下さい。簡単な二者択一の問題提起をして、自分は本当はどうしたいのか、どう在りたいのかと静かに自分自身と対話するのです。  「泣く」のか「笑う」のか、「行く」のか「行かない」のか、「大切」なのか「大切ではない」のか、「取る」か「捨てる」か、「挑戦する」のか「逃げる」のか、「考える」のか「考えない」のか、「聞く」か「聞かない」か、「伝える」か「伝えない」か……。  バラバラになってしまった自分というピースをもう一度ひとつひとつ組み立てなおしていく作業は根気の要ることです。「どんな人間で在りたいのか」という、自分なりのそういったひとつひとつの理想をしっかりイメージすること。そしてイメージしたらそれを忘れずに保ち続けること。それは決して容易なことではないかもしれないけれど、人生の切り札となるような大切なことなのです。   文責:石井  

21 05, 2024

【アーカイブ52】浅間の横顔

By |2024-05-21T16:59:03+09:002024年05月21日|Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

 浅間の雄大な、それでいてどこか穏やかな横顔を見るために、毎年のように信州へ車を走らせます。軽井沢から中軽・追分を抜けて小諸へと向かう国道18号線を右に折れ、九十九折(つづらおり)の峠道を上り詰めると浅間2000スキー場を抱いた高峰高原に至ります。峠のレストハウスに車を止めて、トレッキングすること1時間30分で目的の場所へとたどり着きます。  浅間の正しい姿を見るなら黒斑山(くろふやま)です。Jバンドと呼ばれる浅間の外輪山のとっつきにあるトーミの頭(かしら)もしくは黒斑山の断崖絶壁に立つと、そこはまるで別世界です。深い、けれども光の飽和した谷には、まばらな針葉樹の間を埋め尽くした草原の広がり。それらを遥(はる)か足下に見下ろしつつ、遮(さえぎ)るものの何ひとつないガランと巨大な空間に泰然自若(たいぜんじじゃく)と胡坐(あぐら)をかく浅間の山容と、時の経つのも忘れて対峙します。  その浅間山が噴火したのは、ちょうど去年の秋口でした。随分と報道もされたのでご覧になった方も多いと思います。去年の噴火は、記録によれば21年振りとなる中規模噴火だったそうです。交通規制もなくなったゴールデンウィークにドライブした折に小浅間のレストハウスまで行ってみましたが、止まずに吹き上がる噴煙と、以前は高山植物で薄緑色だった斜面が流れ出した溶岩で赤黒く覆(おお)われていたこと、そしてレストハウスに近い有料道路際にまで転がっている火山弾が見慣れぬ風景となって噴火の激しさを物語っていました。  古くは1783年の大噴火で1200名を越す死者を出したことで有名な浅間山ですが、それ以外で言えば、立原道造の第一詩集『萱草(わすれぐさ)に寄す』に収録された「はじめてのものに」に見えるように1935年の噴火を知るのみです。  『はじめてのものに』                    立原道造  ささやかな地異は そのかたみに  灰を降らした この村に ひとしきり  灰はかなしい追憶のやうに 音立てて  樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきった ......

21 03, 2024

【アーカイブ51】訪れる季節と去っていく季節

By |2024-03-21T15:42:44+09:002024年03月21日|国分寺ブログ|0 Comments

 過度の期待と不安のせいか、蓄積された疲労のせいか、始まる前にはうんざりするほど長く感じられる受験本番の日々。毎年のことではあるけれど、こうして通り過ぎようとする今になって、今年の受験生たちと共に、もっともっと闘い続けていたいような、そんな気持ちになるのです。それは結果の良し悪しとは別の、通り過ぎてしまうのがどこか惜しいような不思議な気持ちです。 もう随分と前の話ですが、ある夏の終わりに、教え子の一人と天幕を担いで八ヶ岳に登ったことがありました。  中学受験を終え、見事第一志望の開成中学への進学を決めた彼の父親から直接に電話が入って、一体どのような目論見があったのか、高校二年生となる五年後に一度彼を旅にでも連れ出してやって欲しいと頼まれたのです。安請け合いしたその約束を、けれどぼくも彼自身もとても大切なものとして位置付けていたのでしょう、彼が高校二年生となった春に、どちらから言い出すともなく旅の企画会議が始まりました。開成に進学してワンダーフォーゲル部に入った彼と、仲間に誘われて本格的に登山を始めていたぼくが迷うことなくイメージしたのは「山」でした。ボストンバッグがザックに、そして観光地のガイドブックが25000分の1の地図にすり変わり、そうしてぼくらは夏の終わりに二人きりで八ヶ岳を目指したのです。  初日の樹林帯の登り道で散々バテたぼくらでしたが、なぜか二日目の主峰赤岳への登頂に際しては二人とも思いのほか元気でした。そうして最後の岩峰に取り付いて互いに声を掛け合いながら慎重に三点支持の登坂を繰り返すうちに、ふと、この岩峰がどこまでも永遠に続くものであったらと願っている自分に気がついたのです。二人で声を掛け合いながら、どこまでもどこまでも登りつめていけたらと……。  今、この胸に去来するのは、その時の気持ちとどこか共通した感慨です。つまらない感傷と笑い飛ばしてください。けれども、肩を並べて大切な季節を共に歩き通した仲間の一人として、通り過ぎるひとつの季節に気持ちの上でしっかりと決着をつけ、訪れる季節に今一度新しい気持ちで立ち向かうために、ぼく自身の中で、どうしても向き合っておかなければならない感傷なのです。 文責:石井

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