2006年1月28日。旧暦の計算によれば今日が「大晦日」で、明日29日が「元日」となるのだそうです。いわゆる旧正月と言うやつですね。

 

 暦の上では2月3日を「節分」、2月4日を「立春」として、現代でも、訪れる新しい一年をつつがなく迎えるための行事を執(と)り行います。この節分の豆まきは、中国から渡来し宮中で行われていた「追儺(ついな=鬼を追い払う儀式)」と寺社が邪気をはらうために行った「豆打ち」の儀式が融合したものだといわれています。

 ところが「捨てる神あれば拾う神あり」で、群馬県鬼石町は、その町名のゆえでしょうか、全国から閉め出された鬼を迎えてくれる町であり、また奈良県吉野にある蔵王堂の節分会(せつぶんえ)は「福は内、鬼も内」と唱えて、全国から追い払われた鬼を救い、仏門に帰依(きえ)させる行事なのだそうです。

 さて、最近では「節分」といえば話題は「恵方(えほう)巻き」ですが、それにしても、節分にその年の恵方に向かって正座しつつ、黙したまま太巻き寿司を一本むしゃむしゃと食べるのはやはり異様な風景です。

 関西方面にそのような習慣があることを知ったのは、もう随分と昔のことですが、京都出身の友人が語った思い出話が最初であったと記憶しています。

 しんと静まった部屋で、家族全員が恵方の壁に向かって、ただひたすら太巻き寿司を食べたという彼の話が、まるで一枚の写真のようにはっきりとイメージできたぼくは、こんな表現は大変失礼とも思いながら、なぜか薄ら寒い恐さのようなものを感じた覚えがあります。

 ここ数年は、それを積極的にイベント化したスーパーやコンビニエンスストアの思惑が適(かな)って、東京でも節分に恵方巻きを食すという新しい習慣が流行(はや)りつつあるようです。女性客を当て込んでか、ご丁寧(ていねい)にハーフサイズの太巻きまで用意されているのはどこか可笑(おか)しみを感じます。

 ちょいと調べてみたところ「巻きずしのなかの”高野豆腐”で高野山に、”かんぴょう”で大津のかんぴょう神社のご利益(りやく)にあずかろう」ということらしいのですが、もとはそう歴史的なことではなく、昭和30年代に大阪の老舗(しにせ)のおすし屋さんが商売に取り入れたところ、お店の売り上げが著しく上昇した事がきっかけで……云々(うんぬん)という話のようです。ちなみに今年の恵方は南南東です。

 ところで、蕎麦好きのぼくにとって、むしろ気になるのはコンビニエンスストアで注文予約を取っている恵方巻きのパンフレットに「節分蕎麦」なるものがリストアップされていることですが、これは、本来「節分」が「立春」という新年を迎えるための大切な日「大晦日」の意味合いを持つことから、つまりは「年越し蕎麦」を指していると考えられます。

 まあ、注釈はこのくらいにして、今年も節分に清めの蕎麦を食べて清々(すがすが)しく新しい春(一年)を迎えることにします。


※蕎麦好きのぼくは、今年(2023年)も「節分蕎麦」を食べるついでに、折角だからとハーフサイズの恵方巻も食べました。ちなみに今年の恵方は「南南東やや南」という微妙な方角でした。

文責:石井