時を告げるのではなく、時計をつくる
昼や夜のどんなときにも、太陽や星を見て、正確な日時を言える珍しい人に会ったとしよう。 ・・この人物は、時を告げる驚くべき才能の持ち主であり、その才能で尊敬を集めるだろう。 しかし、その人が、時を告げる代わりに、自分がこの世を去った後も、永遠に時を告げる時計を作ったとすれば、 もっと驚くべき事ではないだろうか。すばらしいアイデアを持っていたり、 すばらしいビジョンをもったカリスマ的指導者であるのは、「時を告げること」であり、 ひとりの指導者の時代をはるかに超えて、いくつもの商品のライフサイクルを通じて繁栄しつづける会社を築くのは、 「時計をつくる」ことである。
(ビジョナリー・カンパニーより)

この文章を皆さんはどのように理解するでしょうか?

今皆さんは毎日学校や塾で、「先人達」が営々として築いてきた体系的な学問のほんの端っこを勉強しています。その勉強は何のためにするのか。考えたことがありますか?

もちろん成績をあげて希望の学校に行くためだという人もいるでしょう。それが間違っているわけではありません。 ただ、世界に2200万人以上のストリート・チルドレンがあふれていて、12歳以下の4人に一人が満足に食べられず学校にも行けないことを考えてほしいのです。

君たちはその点なんと恵まれていることでしょう。フィリピンの「ごみの山の少女」が学校に行けずごみから拾ってきた教科書を、空腹を抱えながら月明かりを頼りに読んでいる。 それに比べ君たちはどうでしょう? 3食肥満を気にしながら食べられ、学校には勉強がつまらないとブツブツ言いながら通い、自分の部屋さえ与えられている。それなのに不満を言っている「君」!

この恵まれた君たちは、勉強したくともできない「友達」のため勉強する「責務」があるのです。一人でも多くの子供たちが、君たちと同じように学習できる世界を作るため、 君たちは「世界のリーダー」になる「責任」があると思うのです。そうでなければ「ごみ山の少女」は、立場を変わってくれと「君」に叫ぶことでしょう!

ニホンは一人でも多くの「リーダー」を輩出しなくてはならない立場にあります。リーダーは必要です。しかし、それだけでは「人々に長い平和」を与えることはできないのです。 リーダーとリーダーシップとは異なるというのがこの文章の意味するところです。 「時を告げる人」がリーダーだとすれば、「時計をつくる人」はさらにリーダーシップをも持ち合わせた人ということになるでしょうか。 今は少し難しいかもしれませんね。

もう少し君たちが成長したら、この違いについて考えてみてください。

がんばれ!受験生!

(2009.12.28)