~最前列の席~

彼は友人のたっての依頼で塾の教師になることになった。
7月のある日、初めて訪れたその塾は 自宅を改造した8畳ほどの広さ。
8人も入れば一パイとなるような小さな塾であった。

「土日だけ。いい時間給になるし、これなら国家試験の勉強もできるかな」

軽い気持ちで引き受けた。
初めての授業は中3の英語の時間だった。

生まれて初めて「先生」と呼ばれる。ちょっと緊張して黒板の前に立った。
一番前で、ちょっとはにかんだような笑みを浮かべ、こちらを見ている生徒がいた。
色が白く、触れたら消えてしまいそうな「透明感」のある生徒であった。
それが「彼女」との最初の出会いであった。

2,3週間後、父母面談の時

「先生、実はあの子白血病なんです。」

「・・・・」

「最近は少し塾に行くのも辛くなってきました。」

「病気は重いのですか?」

「医者からはあと1年は難しいといわれています。」

「・・・・」

夏期講習中の休み。彼は生徒を連れて奥多摩に遊びに行った。
友人たちの手を借りながら、彼女はユックリゆっくり歩いた。
渓流遊びをして歓声を上げる友人たちを、木陰で木にもたれながら見ている色白の彼女。
「まるで森の妖精のようだな・・・」彼はつぶやいた。

10月になると学校にも行けなくなった。
しかし、塾には通ってきた。週に3日、1日2時間なら座れるからである。

「先生、私行きたい高校がある。でも、成績が足らないし・・・」

「夢があるなら、がんばるしかないじゃないか」

「でも、先生。私それまで生きてるかどうかわからないし・・・」

「じゃぁ、あきらめるのかい」

「・・・・ううん、やってみる。このまま死ぬのはいや。」

そんな彼女を見ていたクラスメートたちに変化が現れた。
母子家庭のKは宿題をサボらなくなった。
暴走族のヘッドの彼女のRは、染めた髪を戻しスカートの丈をあげた。
優等生で自己チュウだったYは、勉強の苦手な友達を教え始めた。
・・・・・ばらばらだった7人のクラスがひとつになっていた。

11月になると、一番後ろで横になってしか聞けなくなった。 暮れには、母親が付き添いながらの授業となった。 それでも彼女は車椅子で通ってきた。

都立の受験日。
「彼女」はその日の朝、「命」があることを天に感謝した。 そして、保健室での「別室受験」。

発表の日。
彼は他の生徒の発表を見届けたあと、最後に「彼女」の受験高に足を向けた。 校門を入るとき彼は深呼吸をした。

2階から吊り下げられたベニヤ板に書かれた受験番号。夕方。誰もいない。 少し間をおき、見上げた。そっと目を開いた。

うれしいはずなのに、叫びたいはずなのに、なぜか教師の顔はゆがんでいた。走って公衆電話に飛び込んだ。

合格の報告をする電話の向こうから

「今朝早く息を引き取りました。」

「・・・・・」

葬儀の後、母親から1通の手紙が教師に渡された。 そこには細い、よわよわしい字でこう書かれていた。

「どうしてあきらめるんだ。今命があることに感謝しよう。寿命が尽きるまで生き抜こうよ。」

『あの時、先生の言葉がなければ私あきらめてました。先生、人間はまた生まれ変わると言ってましたね。 本当ですか。私生まれ変わったら、また先生の授業受けたい。一番前の席、あけておいてください。約束です。』

毎年7月になると一番前の席にふと目がいく。
「教育は麻薬である」とある人はいう。 白髪が混じり、最近その意味が胸にしみるようになった。
あれから28年。

彼は今も「塾の教師」をしている。

(2009.11.20~2009.11.30)