過度の期待と不安のせいか、蓄積された疲労のせいか、始まる前にはうんざりするほど長く感じられる受験本番の日々。毎年のことではあるけれど、こうして通り過ぎようとする今になって、今年の受験生たちと共に、もっともっと闘い続けていたいような、そんな気持ちになるのです。それは結果の良し悪しとは別の、通り過ぎてしまうのがどこか惜しいような不思議な気持ちです。 もう随分と前の話ですが、ある夏の終わりに、教え子の一人と天幕を担いで八ヶ岳に登ったことがありました。

 中学受験を終え、見事第一志望の開成中学への進学を決めた彼の父親から直接に電話が入って、一体どのような目論見があったのか、高校二年生となる五年後に一度彼を旅にでも連れ出してやって欲しいと頼まれたのです。安請け合いしたその約束を、けれどぼくも彼自身もとても大切なものとして位置付けていたのでしょう、彼が高校二年生となった春に、どちらから言い出すともなく旅の企画会議が始まりました。開成に進学してワンダーフォーゲル部に入った彼と、仲間に誘われて本格的に登山を始めていたぼくが迷うことなくイメージしたのは「山」でした。ボストンバッグがザックに、そして観光地のガイドブックが25000分の1の地図にすり変わり、そうしてぼくらは夏の終わりに二人きりで八ヶ岳を目指したのです。

 初日の樹林帯の登り道で散々バテたぼくらでしたが、なぜか二日目の主峰赤岳への登頂に際しては二人とも思いのほか元気でした。そうして最後の岩峰に取り付いて互いに声を掛け合いながら慎重に三点支持の登坂を繰り返すうちに、ふと、この岩峰がどこまでも永遠に続くものであったらと願っている自分に気がついたのです。二人で声を掛け合いながら、どこまでもどこまでも登りつめていけたらと……。

 今、この胸に去来するのは、その時の気持ちとどこか共通した感慨です。つまらない感傷と笑い飛ばしてください。けれども、肩を並べて大切な季節を共に歩き通した仲間の一人として、通り過ぎるひとつの季節に気持ちの上でしっかりと決着をつけ、訪れる季節に今一度新しい気持ちで立ち向かうために、ぼく自身の中で、どうしても向き合っておかなければならない感傷なのです。

文責:石井