さて、一橋大学大学院で順調に博士号を取得した彼は、その後、日本学術振興会の特別研究員に応募して採用されます。特別研究員制度というのは、若手の有望な学術研究員がその研究に専念することのできるように、3年間の期限付きで研究奨励金を支給するシステムのことです。3年にわたり毎月40万円近い奨励金に加えて年間150万円の研究費が支給され、その間に自身の研究を深め、日本の学術研究の発展に寄与する資質を身に付けることを期待されます。ただし、3年以内に身の振り方を決定し、次の就職先を決めないとならない期限付きの特典です。

 その初年度から国内の学会のみならず国際経済学会に参加するために海外にも出張し、精力的に研究を始めた彼は、毎年使い切らなければならない研究費を、一部書籍費として利用する以外は全て学会等への渡航費用や出張費用に充てて、積極的に人脈を広げていきます。そうして、やがてプレゼンテーターにも抜擢された彼は、イギリスで行われた世界の経済学者相手の学会で全て英語によるプレゼンテーションも成功させます。


 そんな中、彼にアプローチしてきたのがアメリカ・バークレー大学の教授でした。その話に、一も二もなく飛びついた彼は、バークレー大学側の負担で渡米し、客員研究員として、声をかけてくれた教授との共同研究を始めます。もちろん日本学術振興会の特別会員としての期限がありますので、残りおよそ二年間の間に一定の成果を上げて、次に進むべき大学なり研究所なりを決めなければなりません。あくまでも客員である研究員は仮の姿です。


 休暇で帰国する機会には連絡を取り合って、昔の仲間で集まったりもしましたが、アメリカでの生活を語る彼の笑顔はまぶしいくらいでした。

 アメリカでの2年間を振り返って、「自分のアイデンティティを問い直された貴重な時間だった」と彼は言います。自分が何者かということ、何をしたくて何ができるのかということ、どこから来てどこへ行こうとしているのかということ。日本にいる限り、特別な場合を除いて問われることのない問いを、会う人ごとに突きつけられて考え抜いた時間は、今でも彼の心の支えになっているようです。


 彼のアメリカでの客員研究員の生活は2年で終わります。その間に、共同研究者であるアメリカの経済学博士との共著で、経済学に関する研究書を1冊出版します。

 そうして日本に凱旋する彼のもとに、とうとう日本の最高学府である大学から複数のオファーが届いたのです。

―つづく