名古屋に所用で出かけた際、時間が余ったので名古屋城と熱田神宮を巡りました。ちょうどよい機会かと熱田神宮にちなんで「三種の神器」について整理してみようと思います。

 

「さんしゅのじんぎ」「さんしゅのしんき」「みくさのかむたから」等さまざまな呼び方のある「八咫鏡(やたのかがみ)」・「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」別名「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」・「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」を、みなさまご存じでしょうか。

 古事記によれば、天照大神(あまてらすおおみかみ)は、孫にあたる「ににぎのみこと」が葦原の中つ国に天孫降臨する際にこの三種の神器を授けたとされています。

 

■「八咫鏡」はもちろん鏡ですが、古代の銅鏡であると解釈される一方、古事記の記述に沿って鉄製である可能性も指摘されています。

■「天叢雲剣」は、ご存じの方も多いと思いますが、天照大神の弟神であるスサノオノミコトが、出雲で倒した八岐大蛇(やまたのおろち)のしっぽから出てきた宝刀です。その後、天照大神の手に渡り、さらに日本武尊(やまとたけるのみこと)が譲り受けます。東征で現在の静岡まで来た時に、野原で四方八方から火をつけられて火攻めにあったとき、辺りの草を薙ぎ払い、火打石を使って逆に迎え火をつけて難を逃れたという故事以降「草薙剣」と呼ばれるようになったのです。ちなみにその場所は、現在の「静岡県焼津市(やいづし)」で、故事にちなんだ地名となっています。

■「八尺瓊勾玉」は、その名前から大きな赤色の玉(ぎょく)でできた勾玉と考えられます。

 

 これら三種の神器は、三か所に分けてそれぞれご神体として保存されています。

 「八咫鏡」は伊勢神宮のご神体として、「草薙剣」は熱田神宮のご神体として、そして「八尺瓊勾玉」は皇居の「剣璽の間(けんじのま)」に、それぞれ古来の実物が保管されています。

 ひとつ気になるのが、平安時代の終わり、源平の合戦の際に平家の滅亡と運命を共にし、関門海峡の壇ノ浦深く沈んだという伝承です。その際、「八尺瓊勾玉」は密閉された木箱のおかげで波に浮かび源氏方に回収されたそうです。

 いずれにしても草薙剣は海峡の淵深く沈んでしまったわけですが、実はこれらは神器の実物ではなく形代(かたしろ)だったのです。形代というのは「レプリカ」とは異なり、神霊がよりつくいわゆる依り代ですから、ご神体である実物と同じ意味を持つものなのです。現在、実物以外に形代としての草薙剣が皇居に所有されていますが、これは源平の合戦の後、伊勢神宮の神庫から選びだされて形代としての儀式を経て、神が宿り、改めて神器となったものです。

つまり、皇居には常に「日本国および日本国民統合の象徴としての天皇」のレガリア(象徴)として、「八尺瓊勾玉」の実物とともに形代の「八咫鏡(実物は伊勢神宮)」・「草薙剣(実物は熱田神宮)」の三種の神器が収められているわけですが、意外なことに、皇族どころか天皇陛下でさえ実見(実際に見ること)していないのだそうです。

文責:石井