星界を統治する天帝の娘である織女(しょくじょ=こと座のベガ)は、天の川のほとりに住む機織(はたおり)の上手な働き者の娘でした。織女の織り上げる布は大変上等で、光の加減によって五色(ごしき)に輝いたそうです。
お化粧もせず着飾ることもしないで仕事に精を出す娘を心配した天帝は、天の川の対岸に住む、やはり働き者の牽牛(けんぎゅう=わし座のアルタイル)を娘婿(むすめむこ)として認め、二人を結婚させます。めでたく夫婦となった牽牛と織女でしたが、夫婦生活が楽しいあまり、次第に織女は機を織らなくなり、牽牛は牛を追わなくなっていきます。そのため天帝は怒り、二人を天の川を隔てて引き離し、真面目に仕事に精を出すのであれば年に一度、七夕の夜に二人が会うことを許したのです。
天の川には渡しの舟(上弦の月)があるものの、雨で増水でもすれば運休となってしまい、折角の夜に二人は会うことがかないません。そんなとき、どこからかともなく無数のカササギがやってきて、折り重なるように翼を広げて天の川に橋をかけてくれるのでした。

以上が中国における「七夕」の伝説です。

古代中国には重日(ちょうじつ)思想なるものがあって、月数と日付が重なる日(例えば1月1日、2月2日等)を特別なものと考えました。また奇数を陽の数、偶数を陰の数として、特に陽の数の重なる日(例えば3月3日、5月5日等)には、それぞれの季節にちなんだ節句を行ったのです。7月7日の七夕ももちろんその節句のひとつです。9月9日を「重陽の節句」と呼ぶのは、一桁の(けた)の奇数で最も大きい<9>を陽数の代表と考えたからでしょう。

さて、七夕の夜とはいっても、例年であれば日本列島は梅雨の真っ最中で、7月7日の重日にこだわるのであれば、統計的にみて4年に一度しか星空を眺めることができないのだそうです。牽牛(けんぎゅう)と織女(しょくじょ)の一年一度の逢瀬(おうせ)がそれではあまりにもむごい気がします。
旧暦の7月は秋の初めであり、ゆえに「七夕」「天の川」といったこの日にちなんだ言葉は秋の季語となるわけですが、そうであれば東北三大祭りのひとつ仙台の七夕祭りのように、すっかり梅雨も明けた8月7日の「立秋」を待っての星祭りの方が理にかなっています。
折角なので、日本における<伝統的>な七夕の行事が正確にどのタイミングで行われていたのかを整理しておくことにしましょう。
24節気の中の14番目にあたる処暑(しょしょ=新暦8月23日頃)よりも前で、処暑に最も近い朔(さく=新月)の日を基準にし、その日から数えて7日目を「七夕」の日と位置付けたのだそうです。ですから七夕の夜には必ず天の川の渡し舟となる上弦の月(7番目の月)がかかっているのです。
織女の織り上げる五色の布にちなんで、五色の短冊に願い事を書いて笹の葉に飾るこの七夕。晴れた日であれば天頂を通過する牽牛と織女の姿が眺められます。わし座のアルタイルと琴座のベガ、それに白鳥座のデネブを加えれば夏の大三角の完成です。北十字とも呼ばれる白鳥は、本来であれば天の川の上空を雄々しく羽ばたいてゆくのですが、残念ながら天気の良い日であっても東京ではその天の川を望むことはかないません。確かにそこにあるはずのものが見えないというのは、もどかしいものです。

今年は、伝統にのとって、夏期講習もひと段落する8月11日に星見でも楽しもうかと考えています。伝説通り空にかかる天の川の渡し舟・上弦の月も、夜半過ぎには地平に没して、絶好の星見の夜になるはずです。さらには三大流星群(1月4日の竜座流星群・12月14日の双子座流星群)のひとつであるペルセウス座の流星群の活動が、8月12日をピークに極大を迎えますので、流れ星への願い事も用意する必要があるかもしれませんね。

注意:過去に発表したエッセイのアーカイブですので、伝統的な七夕の日程は2022年とは異なります。ちなみに2022年の伝統的七夕の日は8月4日(木)だそうです。

文責:石井