【蛍】

 梅雨に出会うものたちの中でも【蛍】の存在はやはり特別です。

 けれども、東京暮らしのぼくにとって、それは意識して逢いに行くべき、日常の生活圏を遥かに超えた存在であるという哀しさがあります。

 昭和村の自然体験教室で、闇に舞うわずかな蛍火を今年の生徒たちと、それでも大変印象深く鑑賞した翌週の日曜日に、毎年訪ねている長野県辰野町の蛍の里を一人訪ねました。年に一度の訪問でありながら、かれこれ十数年にわたって通い詰めたぼくには、本来なら見知らぬはずのこの町に大切な知人が存在します。今年は仲間たちの都合がつかず、まるで原点に戻ったような一人旅であったため、天竜川の堤防での酒宴とはなりませんでしたが、馴染みの瀬戸物屋には手土産を持って挨拶にうかがいました。元気そうに応対に出たご主人としばし歓談し、来年はまたみんなで寄らせてもらう約束をした後、蛍の里<松尾峡>へと足を延ばしました。

 若干ピークを過ぎていたこともあって、公式発表では当日の蛍の目撃数が2550匹ということでした。多い夜には20000匹を数えるほどの蛍が飛び交うことを考えると、わずかに8分の1の数ではありますが、どういう塩梅(あんばい)か、今年の蛍は「はっ」と息を呑むほどの美しさでありました。

 世界には約2000種類、日本には約40種類の蛍が生息していますが、発光する蛍はそれほど多くはなく、またゲンジボタルやヘイケボタルのように幼虫の時期を水中で過ごす種類は特に珍しいのだそうです。

 蛍の代表といえば、何といっても日本の固有種であるゲンジボタルですが、実はこのゲンジボタルには「西日本型」と「東日本型」があって、2秒間に一度明滅するのが西日本型、一方東日本型の明滅は4秒間に一度となっているそうです。蛍の明滅は呼吸のタイミングと関係があると聞いたことがありますので、西日本型はややせっかちに呼吸しているということでしょうか。いずれにしても、緩やかにシンクロしながらフェイドイン・フェイドアウトするゲンジボタルは、日本の山野の風情によく似合っています。

 最後に、蛍を題材とした多くの詩歌の中から、そのいくつかを紹介して本日の<ひとりごと>をまとめることにします。

 

◇ 音もせで思ひに燃ゆる蛍こそ 鳴く虫よりもあはれなりけれ (後拾遺集 源重之)

 

◇ 物思へば 沢の蛍もわが身より あくがれいづる魂かとぞ見る (後拾遺集 和泉式部)

 

 初めの短歌は、直接には「声にも出さず内に秘めた思いを静かに燃やしている蛍の方が、自らの思いを美しい声で歌ってみせる秋の虫たちより、どれほど趣が深いものであることか。」といった意味で、この季節の風物詩としてそのまま受け止めて充分な完成度ですが、「蛍」を「人」に、もしくは「自身」に置き換えて解釈するのが妥当なようです。蛇足かもしれませんが歌中の「【思ひ】に【燃ゆる】」と「【ひ(火)】に【燃ゆる】」は典型的な掛詞となっています。

 大変好きな歌ではあるものの、なぜかこの短歌と重なって思い出すのは、昔ドリフターズが歌っていた「ズンドコ節」の一節で、「汽車の窓から手を振って送ってくれた人よりも、ホームの陰で泣いていた可愛いあの子が忘らりょか」という歌詞だったりします(^^;)。

 後の短歌は「恋しい人のことを思っていると、沢筋を舞う蛍火も、私のこの身体から思い余って憧れ出た魂ではないかとすら思えるのです。」という意味で、初めの短歌の「蛍の思い」をもう少し具体的に表現してくれています。

文責:石井