10月22日は、ぼくにとって忘れることのできない特別な日です。それは、ちょうど一年前となる2004年10月22日が、久しぶりに開催された中学時代の同窓会の日であったからです。

 中学を卒業して、もう随分と長い時間が流れました。

 それから一言では語り尽くせない様々な季節を経て、今日の「ぼく」がここにこうして在ります。けれども、「ぼく」という人間の輪郭を形成したかけがえのない季節が、あの中学時代であったというのは、これまで幾度も口にしてきたことではありますが、本当に逆立ちしても疑いようのない事実なのです。

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 入り口で受付を済ませて座敷へ上がると最初に飛び込んできたのは彼の笑顔だった。

 ぼくは迷わずに真っ直ぐ彼の元に向かう。挨拶もそこそこにハイタッチ。そしてぼくらはガッチリと握手を交わした。その手が働くものの手であるということに嬉しさを隠せないぼくだ。

 1年の三学期に転校した先の中学で知り合ったのは彼が一番最初だった。

 寒い体育館で行われた始業式。担任となるどこかぼんやりした印象の教師に導かれるまま列に並ぶと、前後して並んでいた目のクリッとした綺麗な長髪の男子生徒が「何て名前?」と話しかけてきた。一瞬警戒はしたものの、不自然に聞こえないように気を使いつつぼくは「石井」と名乗った。「おっ、近いじゃん」と言って笑った彼が「伊藤」という名であることを知って、近いって最初の「い」だけじゃないかと思いはしたものの、彼の人懐っこい笑顔に負けて一緒に笑い合った覚えがある。

 それからのぼくらは、何をするにも、いつも一緒だったような気がする。

 ほとんど存在すらしていなかった男子バレー部をぼくらが中心になって立ち上げた。

 二人で誘い合って町の道場に剣道を習いに通った。

 2年の生徒会選挙では、彼は会計に、そしてぼくは副会長に、それぞれ立候補して当選し、共に任期を勤め上げた。

 それから、今考えても不思議な話だけれど、後輩の女生徒二人にそれぞれ無理に頼まれて、校内に限っての兄妹となる約束をさせられたのも二人一緒だった。やがて二つ年下の実の妹が、当然のことながら同じ中学に進学すると、ひとつ年下の義理(?)の妹とふたつ年下の実の妹と、ぼくには校内に、互いに認識のない二人の妹が存在するという複雑な状況になったのだった。

 ところが、そんな或る日、彼は足の怪我が元で、思い通りに運動することができなくなり、バレー部を去ることになる。たったひとつの怪我、それが彼の人生を翻弄していくなどということを一体誰が想像し得ただろう。

 それからの彼について、残念ながらぼくも詳しいことは知らないのだが、近隣でゴロを巻くかつての卒業生たちとつるんで、随分と道を外れた生活をしていたらしい。学校も休みがちとなり、たまに登校しても、すさんだ表情と人を寄せ付けない険しい彼の目付きに、かつての級友たちは次第に彼を離れていった。それでも何がお互いを支えるのか、ぼくらの信頼関係にはヒビひとつ入らず、機会こそ減ったものの相変わらず続いていた。けれども彼の住む世界とぼくの住む世界とがわずかな接点しか持たずすれ違っているのだということを折に触れて思い知らされたぼくだった。 

 その後、あのどこかぼんやりして頼りなく見えた先生の、意外なほどに熱心な尽力もあって彼は高校生となったが、それもすぐに中退し、そうしてつっかえ棒を失った彼は一時暴力団のような組織とも関わりを持つほどに荒んでいった。

 だが、そんな彼の人生にも再び転機が訪れる。二十歳そこそこで、生まれようとする我が子に導かれて結婚し、以来、紆余曲折があったにしても妻と二人の子供を守るためにどうにかこうにか堅気の仕事につき、そうして彼はぼくらの元に戻ってきたのだ。

 遠回りをしたり躓いたりもしたけれど、彼は決してぼくの信頼を裏切ってはいない。だからという訳でもないが、ぼくも彼の信じる「ぼく」を決して裏切ったりしない。今でも胸を張って言える。彼はぼくの大切な大切な親友であると。

 同窓会の席上で早くも回り始めたアルコールに操られて、彼は珍しく饒舌になっていく。挨拶に回ってきた恩師のS先生をつかまえて、「今、ここにこうして俺がいられるのは先生と石井のお蔭っすよ」などと恥ずかしげもなく言う。

 「そうじゃないさ」とぼくは心の中でつぶやく。

 当時、「ここからはお前の来るところではない」とその最後の一線を越えることをぼくに許さなかったのは他でもない、見えない何かと激しく闘い続けては心に血を流し、薬と暴力を日常としたはずの彼だったではないか。

 思えばいつの時代にも、ぼくにそんな友人がいた。そうして一体何が彼らを動かしたのか知りえないものの、ぼくが「ぼく」であり続けるために、進んで闘ってくれたのが彼らであるということを、ぼくは決して忘れない。

 今では、その頃の喜びも哀しみもすべてがいとおしい。そうして過ごしてきた季節たちと、ぼくを訪れずにぼくを去った世界(そう彼が導いてくれたのだ)との境界線上に、今、ぼくがぼくでいられることの理由が確かにあるのだ。

文責:石井