一人で旅をするようになったのは、一体いつの頃からでしょうか。

 気の合う仲間たちと大勢で楽しく旅行をするのも、それはそれで充分に魅力的なことではありますが、時折ふと一人きりで旅に出たくなることがあるのです。

 永六輔の「遠くへ行きたい」に歌われたように、見知らぬどこかの街角で愛する人とめぐり合うというファンタジーへの淡い憧れがないと言えば嘘になるでしょうか。けれども、一人で旅をするのは、それを期待してのことでは決してありません。旅で出会うのは風景や人ばかりでなく、おそらくは自分自身でもあり、そうして自分自身と向き合うことの必要性がぼくを一人旅へといざなうのではないかと考えたりもします。

 ジャズのスタンダードナンバーである「My favorite things」のオーケストラ・アレンジにのせて、JR東海の「そうだ 京都、行こう」のCMがスタートしたのはもう随分と前のことになります。当時、キャンペーンの一環として「京都クラブ」の限定会員募集があり、早速応募したぼくは見事に当選して会員証と会員規約とを手に入れました。会費無料でありながら、イヴェント情報満載の季刊ガイドブックや会員限定のクーポン券やサービス情報等が随時送られてくるという魅力的な企画です。それが契機(けいき)となって、一人旅へ、それも京都へ、と行き足がついたことは言うまでもありません。多い年には四度も京都を訪ねました。

 さてさて、今年の修学旅行シーズンもいよいよ後半戦へと突入しました。多くの中学校が夏前に済ませる中、まるで時差通勤のように一部の学校では2学期を待っての修学旅行となるわけです。

 中学の修学旅行といえば「京都・奈良」と相場が決まっています。ゆえに生徒のお土産は、多少のバリエーションはあるものの、やはり「生八橋」の頻度(ひんど)が高く、5~6月はひたすら「生八橋」を消費する日々を重ねたのでした。

 ぼくが初めて京都を訪れたのも、もちろん中学校の修学旅行でした。残念ながら自ら企画を立てたわけでもない無我夢中の団体旅行において、印象に残っている風景はそうそう多くはありません。

 山肌につんのめるようでいて、なぜか不思議な安定感の底に胡坐(あぐら)をかく清水の舞台の佇(たたず)まい。悩んだ末に学業成就を祈願して飲んだ音羽の滝の水。霧雨の中、灰色の池の面に淡いその影を落としていた金閣寺。二条城の鴬(うぐいす)張りの廊下。夜の宿で寝付かれず語り合った友人たちの横顔。京都最後の晩に僅かな自由時間をもらってみんなで出かけた新京極のアーケード街に軒を連ねる土産物屋の喧騒(けんそう)と賑(にぎ)わい。それらが互いに切り離された紙芝居のように思い出のスチール写真となってぼくの記憶のアルバムに仕舞われています。

 それから十数年経って、初めての一人旅で京都を訪ねたとき、ぼくはまるで天啓のように「当時の宿舎を探してみよう」と思いついたのでした。プルーストではありませんが「失われた時を求めて」の時間旅行です。

 わくわくする気持ちとは裏腹に、残念ながら旅館の名前はすっかり失念しています。微かに覚えているのは、朝、六角形の屋根を頂く小さなお堂の境内に集まったこと、宿の前の路地を右手へたどると新京極のアーケード街に至ること、それだけです。

 敢(あ)えて地図は持たずに、ぼくはまず新京極のアーケード街を目指しました。その南端からスタートして、アーケード街を北上しつつ、目に付く路地を一本一本西にたどっていけばどこかで必ず行き当たるはずだと安易にイメージしていたのです。誤算だったのは、手掛かりとしての新京極を頼る気持ちが強すぎ、またぼくの記憶の中にすっかりその距離感が失われていたために、そこから離れきれなかったことでした。土産物店を冷やかしながらの散策でしたが、やがて肝心の宿も見つからぬまま数時間の後にぼくはとうとう新京極を歩き通してしまったのです。ベースとなる記憶に誤りはないはずです。だとすれば十数年の歳月を隔てて目的の宿そのものが既に失われ存在しないか、あるいは新京極からの距離が思いのほか遠かったのではないか、などと忙しく考えをめぐらせながら、それですっかり諦めてしまう気にはなれずに、もう一度だけアーケード街を南にたどりながら路地をもう少し西へ深く探ってみることにしました。そうしてとうとう、ぼくは六角形の屋根を頂いたお堂を発見したのです。その名も六角堂。間違いありません。最終日の行動予定の確認を兼ねた朝礼で、ぼくらはこの境内に集合したのでした。目的の宿は至近です。もちろん、宿にたどり着いたところで、そこにあの日のぼくらがいるというわけでもありません。にも拘らず抑えようもなく昂ぶってくる胸の鼓動。

 そうして、たっぷり半日かけて歩き回り、いい加減疲れ果てたぼくの前にやがて現れた旅館の名前は「小倉旅館」。名前などすっかり忘れたとばかり思っていました。さらには十数年という歳月が、記憶にある瓦屋根の二階家の旅館を鉄筋コンクリートの四階建てに変えてしまっていたにも拘(かかわ)らず、ぼくは思い出したのです。その旅館の名前を見た瞬間に。「小倉旅館」。そうです。間違いありません。深夜に喉が渇いたぼくらが、じゃんけんで負けたクラスメイトを使い走りに二階の窓から瓦屋根を伝い雨どいを利用して通りへと抜け出して自動販売機のジュースを買い出した、あの旅館です。

 途切れていた記憶の糸がつながった嬉しさと安心感からか、その時、ぼくは鳥肌が立つほどの感動を覚えたものです。もちろん、一人旅だからこそできた小さな冒険でした。恐らくはぼくにとってしか意味を持たないような、時間を超える旅のチケットをその時ぼくは間違いなく手にしていたのです。

 それから幾度京都を訪ねたでしょう。連休になるといそいそと最終の大垣行き夜行列車に乗り込み、明け方の列車を乗り継いで早朝に京都入りし、観光案内で宿を決めた後、駅前の喫茶店でモーニングを食べます。一人旅のぼくはそれからたっぷり二日間かけて心の向くままに京都を散策するのです。初日の行程は何故かいつも決まって東山です。清水を詣でて、帰りに三年坂の角にある「七味屋」さんで香り七味を買い、ついでに気に入った扇子や手漉(てす)き和紙の絵葉書など選んで民芸品店を兼ねた喫茶店にゆっくりと落ち着きます。そこから祇園さん(八坂神社)を抜けて南禅寺・哲学の道をたどり銀閣まで。腹具合に合わせて八坂の平野屋さんで「いもぼう料理」を食べたり、南禅寺で湯豆腐を食べたり、場合によっては京都大学の学食で食事を済ませたりします。喫茶店の中で、あるいは宿に腰を落ち着けて、ふと思いたったときに買い入れた葉書で思いつく友人に片っ端から旅の便りをしたためます。宿は予約の要らないホテルに素泊まりというケースが多いので夜はまた街に出ます。場所柄に合わせて湯葉のコースを頼んだり、普茶(ふちゃ)料理に舌鼓を打ったり、それにお気に入りの日本酒を付けてもらえば心も体も満足します。社会人となってからの旅の楽しみの半分はそこにあるといって間違いありません。一見(いちげん)さんお断りの老舗(しにせ)などには未だ縁がないものの、そうしてそれなりに京都の味を堪能します。

 二日目は、帰りの新幹線をできるだけ遅い時間に予約しておき、再びほぼ丸一日、もうひとつのテーマに沿って京都を散策します。例えば維新の痕跡(こんせき)をたどってみたり、北山辺をぶらぶらして竜安寺の石庭で限りなく豊かな無為の時間を過ごしたり…。

 ああ、書いているうちにも無性に京都に行きたくなってきました。そういえばここ数年は忙しさを言い訳に、京都を訪ねることも諦めがちだったぼくです。二日の休みがとれたら、神戸大学で教鞭(きょうべん)をとる、かつての教え子を訪ねるという口実で自分自身を説得し、後先のことは考えずに西へ向かう夜行列車に飛び乗ってしまいましょう。

 

文責:石井