ワクワク体験教室 第1弾
11月25日(土)2017年 冬のワクワク体験教室 第1弾①牛乳を使って「フレッシュチーズ」を作ろう!②生クリームを使って「バター」を作ろう!牛乳に含まれる「タンパク質」と「脂質」について学んだあと、二つの実験で「フレッシュチーズ」と「バター」を作りました。最後にはクラッカーに塗って試食タイム。試食の時間が一番表情が輝いていたのが、印象的でした。
11月25日(土)2017年 冬のワクワク体験教室 第1弾①牛乳を使って「フレッシュチーズ」を作ろう!②生クリームを使って「バター」を作ろう!牛乳に含まれる「タンパク質」と「脂質」について学んだあと、二つの実験で「フレッシュチーズ」と「バター」を作りました。最後にはクラッカーに塗って試食タイム。試食の時間が一番表情が輝いていたのが、印象的でした。
「冬の花火」 毎年12月3日に開催される「秩父夜祭」に通うようになって、もう随分と長い年月が流れます。 「秩父夜祭」といえば、飛騨高山・京都の祇園祭と並んで日本三大曳山(ひきやま)祭りのひとつに数えられるほどの盛大な祭りです。 ぼくが、初めてこの祭に足を運んだのは何と高校時代のことでありました。 西武秩父駅を中心とする商店街の、道という道に出店の屋台がひしめき合い、かつては中央広場に見世物小屋・お化け屋敷・巨大迷路のテントも立ち並んだ盛大なお祭りです。 秩父市の各町内から集まってきた屋台…いわゆる山車(だし)のことを秩父では屋台と呼ぶのです…が勇壮に陣取ります。お囃子の太鼓の響きは、まるで地球の鼓動のように、地面から直に足に伝わり胸に届きます。一年をこの日のために準備する地元の人々の熱気が、堰を切ったように祭りを熱く盛り立てていきます。 日が落ちると冬の打ち上げ花火が始まります。それは言葉に尽くせない美しさです。激しい衝撃や深い感動が言葉を失わせることがあります。けれども、それは決して沈黙の内に無為に横たわることを意味しません。 冬の花火 ― 凍て付いた夜空に球形に拡大していく時間の軸。 まるでスローモーションのように夜空をついて上昇する憧れにも似た光の帯。二尺玉の、想像を超えた体積の創出。 最早、祭囃子の鼓動に似た高まりも、見世物小屋の呼び込みのしわがれた述べ口上も、出店の裸電球の橙色の連なりも、群集の人いきれも、すべてがぼくを去り、それらを満たす凍て付いた空気を伝って直接胸に届く音と光と、ぼく自身の目と心とだけが、一本の張り詰めた糸で結ばれていきます。大空に散りばめられた火の花弁が冬の大三角と重なり、新しい星座の幾何学模様を描き出します。その美しさは恐いほどです。 以来、幾度となく通い詰めた「秩父夜祭」。 仕事柄、花火に間に合うように秩父入りできるのは、12月3日が日曜日と重なる6年に一度のことです(今年がまさにその年にあたります)。もちろんそうでない年も、花火には間に合わないものの、授業を終えた足で車を駆って2時間のドライブを経て秩父入りします。時にかつての教え子が同行し、あるいは花火に合わせて既に先発した仲間と現地で合流します。 師走。 迎える新しい年へと時間が加速を始めます。 やがてある速度に達すると風景はその輪郭を失い、行く手遥か前方に収束していきます。 ゆえに一年を多少のゆとりを持って振り返るにはある程度の時間とタイミングが必要なのです。 12月3日、どうやらぼくにとってこの日こそが過ぎ行く年を今一度振り返り大切な人や風景を心に刻む願ってもないタイミングなのかもしれません。 非日常の僅かな時間を共有すべき友人たちの存在があれば心強いけれど、時にはたった一人で祭りの終焉を見届けるために、一日の授業を終えて深夜に秩父へと駆け付ける理由は、そこにあるのだとしか考えようがありません。秩父観光ナビhttps://navi.city.chichibu.lg.jp/p_festival/1030/―文責 石井
「いくつかのフレーズ」 我が家にある、半分物置のようになったライティングデスクを片付けていて、広い引き出しの奥から出てきたファイルにふと目が留まります。一体何を綴じ込んでいたのだろうと他人行儀な興味でもって開いてみると、バリバリと互いに張り付いた古い名簿の隙間から小さな一枚の紙切れが出てきたのです。『12歳になったらニッコリと新しい笑顔で言います。「こんにちは、R・Nです」って…。だって前のR・Nとは違うんです。新しいんです。だから心の中で言って下さい。目で言って下さい。言葉に出さなくていいんです。言葉に出すより、心や目の方が好きです。ガラス玉に光が通ります。だから心や目で言ってください。「こんにちは12歳の君。新しい君!」と…。』 一体、ぼくの心のどこに仕舞ってあったというのでしょう。そのメモのような手紙を手渡してくれた時の彼女の、いつもよりほんの少し大人びた誇らしげな表情を不意に思い出します。と同時に、その手紙を大切にファイルに綴じ込んだ瞬間のぼくの心の振幅が手に取るようによみがえってきます。もう随分と昔のことであり、時効かなと思わないでもないのですが、名前は敢えてイニシャルに変えてあります。 思えば、そんな風にして美しい、あるいは心を揺さぶる言葉の切れ端と出会うたびに、それらを大切に心の抽出しに仕舞い込んできたのでした。そのいくつかを紹介しましょう。『学ぶということのたったひとつの証しは「変わる」ということである』(『林先生に伝えたいこと』灰谷健次郎)『容易に信じられることよりも、むしろとても信じられないようなことこそ信じなければならない』(『ユタとふしぎな仲間たち』三浦哲郎)『たとえば秋の落ち葉一枚に たとえば夏の強すぎる陽に たとえば たとえば 自分にも やさしくなれるような気がします 弱さの裏返しのやさしさではなく』(岩崎ちひろ絵本美術館の落書き帳『ひとこと・ふたこと・みこと』からの抜粋)『何に感謝をしよう わたしに この素晴らしい仲間たちを与えてくれたすべてのものに…』(『生徒諸君!』庄司陽子)『学ぶとは誠実を胸に刻むこと 教えるとは共に希望を語ること』(ルイ・アラゴン)『いつも 明日会うつもりで別れ 昨日別れたばかりのように会えたら最高だね』(『ぼくらの世界』あとがき 栗本薫)『わるいこころに うちかつこころ』(小学校時代好きだった女の子の卒業アルバムへの寄せ書きのことば)『出会って、そして別れていくことの哀しみより、出会うことのかなわない悲しみの方が深い』(いつか小6の女の子の悩みに答える形でノートの片隅に書いたことばの切れ端。書いたことすらすっかり忘れていたぼくのもとに6年ぶりに届いた彼女からの手紙。そこにこの言葉と共に書かれていた「よくわからないまま大切な意味を伝えていそうな気がして大切にとっておいた言葉が、今になってわかりかけてきた気がします」という彼女の言葉が嬉しくて、その瞬間にぼくの心に居座ってしまったぼく自身の言葉) 書き出せばきりがありません。そんな風に、いくつものフレーズが静かにぼくの中で息づいているのです。 古代日本では、言霊信仰といって、言葉の中に宿っているという神秘的な霊力が信じられてきました。言葉のエネルギーは、確かに正にも負にも計り知れません。言葉が人を傷付け、時に人の心を死に至らしめることもあるでしょう。けれどまた、こうして人の心を育て、人を生かしめる言葉が確かに存在するのです。 みなさんの心の中には、誰から伝えられた、どんな風に出会った、どんな言葉が大切にしまわれていますか?―文責 石井
【FAM国分寺 --Fines Academic Mall--】こんにちは。ふと、天気予報を見ていたところ、11月だというのに台風が発生しているようですね。今年はずいぶん雨に晒される機会が多かったので、もう十分といったところです。さて、突然ですが「FAM国分寺」とい言葉をご存知でしょうか。2016年度から我がファインズ国分寺スクールはFAM国分寺として新たなスタートを切りました。ファインズグループが創設時から掲げている「四自の精神」の元に、社会で貢献しうる「人財」の育成を行って参りました。具体的にFAM国分寺について少しだけご紹介すると<FAM国分寺>①学童クラブ「aula」(小1~小6)②次世代ゼミ「FINES」(年中~中3)③個別指導「fiones」(小4~高卒)の3つのブランドが一つの建物に集まり、知識と知恵をつけるための指導を行っています。アウラに通いながらファインズの授業を受けたり、ファインズを卒業してからフィオネスに通ったり、フィオネスに通う生徒の弟妹がアウラに通ったり。一つの同じ建物の中で、長年にわたって同じ環境で学ぶことが出来、保護者の方々は「ちょっと下の子の勉強も見てほしいのですが」といった相談にもお答えできるようにしています。いわば、教育の総合モールとしてFAM国分寺は地域に定着しつつあります。そして今回は、よりみなさんにファインズを知って頂くために「ファインズ・アウラ連携授業」を開講致しました。10月に第一弾を行い、今回が第二弾となりました。今回のテーマは「私たちが選ぶ、新語流行語大賞」ということで、ユーキャン主催の新語流行語大賞ノミネート30選から、自分たちで流行語を選びました。「今年はやっぱ『35億』でしょ」「わたしは『ハンドスピナー』だと思う」「僕は『ひふみん』かなー」「(全員)『ちーがーうーだーろーー!!』」30の選択肢から、「みんなが知っているものはどれだろう?」「ついつい使いたくなるのはどれ?」「今年の日本を元気にしたやつは?」などの基準をグループで話し合いながら、一つの結論へと導いていきました。実際にアウラのみなさんが出した結論は、アウラの教室内に掲示しておりますのでご覧下さい。第三弾は12月6日(水)に開講予定ですので、ご期待下さい。ファインズはこれからも学ぶきっかけの提供と、気付く・分かる楽しさを共有できるように様々な事業を行って参ります。ファインズ国分寺スクール谷廣
【一人ひとりの成長を祈って】11月も半分を過ぎ、暦の上では七五三を迎える本日となりました。今どきは七五三の当日に御参りへ行くのではなく、学校やお仕事が休みである日曜日に御参りするのが一般的なようですね。校舎でも兄弟姉妹が七五三を迎えられたということで正装のまま授業に臨む小6受験生の姿がみられました。受験生には伝統的な行事も長々とお祝いをしている場合ではないようです。さて、一方で中学生は定期テスト期間真っ最中です。中学1年生はいよいよ定期テストにも慣れてきて、各々の目標の点数を取るために勉強しています。中学2年生は半年後には受験生になることも自覚が芽生え、内申を必ず上げると意気込んでいます。そして中学3年生は高校受験で調査書に書いてもらう内申点が決まる重要なテストです。「先生、去年の期末の過去問をもう一回解いておきたいです」「理科は内申を上げたいから、別の学校のテストの過去問も解いておきたいです」などと生徒から声をかけられます。こうした声にしっかりと応えられるように毎回のテスト後に生徒からテスト問題を預かり、ストックしておいた甲斐があります。学校の定期テストで90点が取れれば内申は「5」がつく可能性が高い。80点が取れれば内申は「4」がつく可能性が高い。生徒たちには日々点数へのこだわりを持つように説いておりますので、ファインズ生はテスト前に授業がなくても毎日自習をしにやってきます。私たち教師も生徒の+1点のためにサポートをします。周りの力を借りて自分の力を信じて乗り越えていきましょう。ファインズ国分寺スクール谷廣
今の姿からは、あの挫折続きだった12歳から18歳の彼を想像するのは難しいでしょう。けれども、12歳の一年間、そして高校一年生の同窓会の席上で、彼だけでなく彼を知る多くの仲間たちが、漠然とではあるものの、今の彼に続く一本の道を共に夢見ることはできたのです。 現状に対する正しい認識は、人生をわかったつもりになってがっかりするためのものでは決してありません。未来に夢を見て、その実現のために克服すべき課題としてあるものです。夢を実現するために、努力と工夫が必要なことは言うまでもありませんが、彼の生き方を見ていて気付かされるのは、どんな苦境に立たされても決して心を折らないことの大切さです。「諦めた瞬間に試合は終了する」というのは漫画『スラムダンク』で安西監督の口にする有名な一節ですが、「心が折れた瞬間に夢は潰える」と言い換えることができそうです。また、目的の場所に至る道は、決して一本道ではないのだということも、彼が証明してくれました。 たどり着きたいと思うのであれば、歩き出すこと。そこにたどり着くために、歩き続けるということ。 夢への道のりは最短距離である必要などないのです。遠回りでも、歩き続けている限り、間違いなく一歩一歩夢に近付いているということを忘れてはならないのです。 これから中学生となり、あるいは高校生となる生徒諸君にも、どのような未来が待ち受けているかわかりません。夢を持ちましょう。夢を持ち、その実現のために努力と工夫を続けましょう。そして、何があっても心を折らず、自分を磨き続けていくことが大事です。 志あるところに道は拓けるのだということを、君たちの先輩が証明してくれたではありませんか。―おわり
中学生の皆さんいよいよ2学期の期末テストが迫って参りました。前回よりも今回はテストの点数が伸ばせるようにラストスパートをかけましょう。ファインズでは学校の成績を1年生、2年生の内から伸ばしていけるように日頃から指導をしております。今回は、ファインズにお通いの生徒様だけでなく、一般の中学生の皆様にもファインズのテスト対策を受講して頂ける「特別講座」をご用意致しました。11/12(日) 13:00よりファインズ国分寺スクールにて各教科のテストで「よく出る」問題を中心に演習と解説を行います。ファインズにお通いでない生徒様もお友達とご一緒に参加したい生徒様も苦手教科のみをご希望の生徒様も皆様のご参加をお待ちしております!!詳しくは校舎までお電話下さい。ファインズ国分寺スクール042-320-2120【さらに!お得な冬の特典情報!!】今回、チラシをお持ち頂いた方、もしくはブログをご覧になって頂いた方限定で「冬の大特典」をご案内致します。<特典例>冬期講習+本科授業 同時申込⇒ ①冬期講習料 = ¥0 ②12月授業料 = ¥0 ③入学金、諸経費 = ¥0最大 ¥97,416(税込)割引 ※中2 5教科の場合「冬の大特典」は小学1年生~中学2年生の全学年対象となっております。(ただし、小6受験コース/小6一貫コースを除く)11月末までの限定特典となりますので、お早めにお申し込み下さい。ファインズ国分寺スクール谷廣
さて、一橋大学大学院で順調に博士号を取得した彼は、その後、日本学術振興会の特別研究員に応募して採用されます。特別研究員制度というのは、若手の有望な学術研究員がその研究に専念することのできるように、3年間の期限付きで研究奨励金を支給するシステムのことです。3年にわたり毎月40万円近い奨励金に加えて年間150万円の研究費が支給され、その間に自身の研究を深め、日本の学術研究の発展に寄与する資質を身に付けることを期待されます。ただし、3年以内に身の振り方を決定し、次の就職先を決めないとならない期限付きの特典です。 その初年度から国内の学会のみならず国際経済学会に参加するために海外にも出張し、精力的に研究を始めた彼は、毎年使い切らなければならない研究費を、一部書籍費として利用する以外は全て学会等への渡航費用や出張費用に充てて、積極的に人脈を広げていきます。そうして、やがてプレゼンテーターにも抜擢された彼は、イギリスで行われた世界の経済学者相手の学会で全て英語によるプレゼンテーションも成功させます。 そんな中、彼にアプローチしてきたのがアメリカ・バークレー大学の教授でした。その話に、一も二もなく飛びついた彼は、バークレー大学側の負担で渡米し、客員研究員として、声をかけてくれた教授との共同研究を始めます。もちろん日本学術振興会の特別会員としての期限がありますので、残りおよそ二年間の間に一定の成果を上げて、次に進むべき大学なり研究所なりを決めなければなりません。あくまでも客員である研究員は仮の姿です。 休暇で帰国する機会には連絡を取り合って、昔の仲間で集まったりもしましたが、アメリカでの生活を語る彼の笑顔はまぶしいくらいでした。 アメリカでの2年間を振り返って、「自分のアイデンティティを問い直された貴重な時間だった」と彼は言います。自分が何者かということ、何をしたくて何ができるのかということ、どこから来てどこへ行こうとしているのかということ。日本にいる限り、特別な場合を除いて問われることのない問いを、会う人ごとに突きつけられて考え抜いた時間は、今でも彼の心の支えになっているようです。 彼のアメリカでの客員研究員の生活は2年で終わります。その間に、共同研究者であるアメリカの経済学博士との共著で、経済学に関する研究書を1冊出版します。 そうして日本に凱旋する彼のもとに、とうとう日本の最高学府である大学から複数のオファーが届いたのです。―つづく
11月3日(祝)四谷大塚の全国統一小学生テストが、ここファインズ国分寺スクールでも実施されました。全国の子供たちと競いながら、それぞれが自分の可能性を探る年2回のチャンスです。
狙いをつけた経済学部の準教授に、それこそ付きまとい、受講可能な授業は全て履修し、手に入る著書は全て読み切って、疑問点があれば直接本人に体当たりするという徹底した彼の戦術が功を奏して、やがて彼は準教授の目にとまります。そうして、いつしか講義後の食事や酒宴の席に呼ばれるようになり、経済学について熱い議論を交わすようになっていったのです。勉強熱心な彼の的を射た質問やアイデアに興味を持った準教授は、やがて大学院生を対象に開いている自身のゼミに彼を特別に招待します。そうして院生たちとも活発な議論を交わしていく中で、彼は着実にその知見を深めていったのです。 学部生である4年の間、彼は精力的に論文を書き溜めていきます。書きたいことが次から次へと湧き出してくる彼は、(あまり誉められたことではありませんが、原稿料をもらって)卒業論文に手こずるクラスメイト3人の論文を代筆したほどです。 彼が最も興味を持ったのは、師事した准教授の研究対象でもある「ゲーム理論」という経済学の比較的新しい手法です。(経済学の専門家ではないので正確な説明は難しいのですが)まるでシミュレーションゲームのように、プレイヤー(会社であったり個人であったりします)を決め、ある特別な状況下で、プレイヤーの行動選択によって経済がどのように動くのかという分析から、最適な行動(解)を導き出していくというような手法です。 その頃には、准教授との関係もさらに深まり、研究室の合鍵をもらって、自由な出入りさえ許されるようになります。彼は、大学のキャンパスに入ると教室ではなく、准教授の部屋におもむき、コーヒーメーカーでコーヒーをいれ、図書館にも置かれていない貴重な蔵書や論文を読みあさります。その頃の彼は誰よりも生き生きしていたと記憶しています。 翼を得た彼の飛躍はもはやとどまることを知りません。大学4年間を東京理科大学で過ごした彼は、准教授にも進められて大学院への進学を決意します。悩んだ末に彼が選んだのは国立にある一橋大学の大学院でした。院試も無事通過して、彼は更なる飛躍のための大きなステップを踏んだのです。思えば、彼が自身の希望した通りの道を進むのは、これが初めてのことでした。小学校時代からの仲間である、開成高校から東大文一に進学した友人は、順調に東大法学部へ進級し、やはり大学院へ進んで環境法を専攻します。一方、桜蔭高校から東大理二に進学した友人は、免疫の研究を志して東大医学部へ進級し、卒業後は日本の医学研究の最先端を行く大阪大学医学部へ席を移します。この時点で彼は、尊敬し憧れてもいた仲間たちと肩を並べたのです。―つづく