国立スクール 5月の予定
ファインズ国立スクールの5月の予定です。 無料体験受付中!4/27(日)~5/6(火) 休校5/7(水) 授業通常再開、保護者面談(~5/31) 5/10(土)定期テスト対策5/17(土)中1~中3学力判定テスト5/22(木)漢検締切5/24(土)英検5/29(木)全国統一小学生テスト締切6/1(日)全国統一小学生テスト6/7(土)小4~小6月例テスト※全国統一小学生テストは締切日前でも定員に達した段階で締切とさせていただきます。
ファインズ国立スクールの5月の予定です。 無料体験受付中!4/27(日)~5/6(火) 休校5/7(水) 授業通常再開、保護者面談(~5/31) 5/10(土)定期テスト対策5/17(土)中1~中3学力判定テスト5/22(木)漢検締切5/24(土)英検5/29(木)全国統一小学生テスト締切6/1(日)全国統一小学生テスト6/7(土)小4~小6月例テスト※全国統一小学生テストは締切日前でも定員に達した段階で締切とさせていただきます。
春期講習の前日となる3月25日に、第一期卒業の女子生徒たちの同窓会が開かれました。 講習前日の慌しさは当然あるものの、こちらの都合も斟酌(しんしゃく)して、まさにここしかないというピンポイントの日程を組んでくれた彼女たちのために、ぼくは万難を排してその同窓会に参加させてもらいました。 参加した卒業生たちとぼくと遅れて到着した宮尾先生とで「もんじゃ焼き」の鉄板を囲みながら語り合ったのは、振り返ってみればこの一年間の瞬く間であったという驚きです。そうして、ちょうど一年前の春には受験生であった彼女たちが、今ではすっかり高校生の顔になって咲かせる話の華に、ぼくも楽しく参加させてもらったのです。 その会で、都立西高校の管弦楽団でホルンを吹いているMさんから、4月8日の土曜日に定期演奏会があり、高校2年となる生徒はこの4月の定演で引退するのだと聞いて、たまたま土曜日が週休であったぼくは、折角だからと個人的なスケジュールを調整し直して、その日、中野のZEROホールに足を運びました。 曲目「O.ニコライ 序曲《ウィンザーの陽気な女房たち》」 「A.I.ハチャトゥリアン 組曲《仮面舞踏会》より ワルツ」 「R.ワーグナー楽劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第1幕への前奏曲」 「A.ドヴォルジャーク 交響曲第8番ト長調」 演奏は、思っていたよりもずっとレヴェルの高い、聴き応えのあるものでした。 それにしても、高校2年生のこの時期に引退というのは、やはり遅かれ早かれ突入する受験体制を考慮してのことなのでしょうね。 それから、これまた休日のピンポイント攻撃となる春期講習明けの4月4日に、今年の卒業生たちに率いられて(!)東京ディズニーランドに行ってきました。同行した宮尾先生は既にビギナーの域を脱しているようですが、ぼく自身は生涯二度目となるTDLです。初めてのディズニーランドがやはり卒業生たちに連れて行ってもらったものであり、もはやそんな機会を捕まえでもしない限りディズニーランドとは基本的に縁がないに違いありません。 それにしてもディズニーランドに行くというのは一大事です。これは前回も感じたことですが、中途半端な覚悟では決して臨めません。朝5時に国分寺駅集合というところから既に命懸けです。電車も動いていないその時間に間に合わせるために、貴重な睡眠時間を削って飛び起きて、久米川からタクシーをつかまえて国分寺に乗り込みました。ただ、本来ならば万全の準備をするべきディズニーランドの基本スタイルである「各種耳飾り」や「首からぶら下げたバケツ(ポップコーンを購入するためのもの)」は、恐れ多くてまだ手が出せません。そうして優に1時間以上早く到着し、朝食用に用意しておいたアンパン(知る人ぞ知る4月4日はアンパンの日なのです)をペットボトルの珈琲で胃に流し込みながら開園時間を待ちます。園内に入れば入ったですぐさま全力疾走。そういえば初めて来たとき、まるっきりの初心者である何も知らないぼくは、改札をくぐったところで一人置き去りにされたのでした。慌てて人込みに目を凝らすと放射状に散っていく人込みの中に、全力疾走で瞬く間に小さくなっていく宮尾先生の背中を見つけて、死に物狂いで追いかけたのでした。その点、今回は違います。入園と同時に卒業生の一人にチケットを渡して、全力疾走で打ち合わせどおりに「バズ・ライトイヤーのアストロブラスター」を目指します。列に並んで待つうちに「スペースマウンテン」のファストパスを人数分手に入れた卒業生が合流するという作戦です。それからは、ファストパスをとっては時間つぶしにどこかのアトラクションの列に並び…の繰り返しで、確か一日で都合12のアトラクションをクリアしたはずです。 それから、前回は特に感じなかったものの、実はパレードが強敵であるということに今回ようやく気付きました。4月5日で終了となる「シンデレラ城のミステリーツアー」に参加するべく移動を開始したぼくらをあざ笑うかのように、何度目かのパレードの列がぼくらの前に立ちはだかったのです。係員に聞くと、列の先頭にいるミッキーを捉えればその直前でシンデレラ城のあるランドの中心部へと渡河できるはずだと教えられ、ぼくらは人波を縫って反時計回りにパレードの列を追いかけました。ところがです。人の波にブロックされ通行止めに阻まれてなかなか行き足のつかないぼくらを追いかけて、パレードの列もジワリジワリと先へ進み、なかなかミッキーマウスを捉えることが出来ないのです。トゥーンタウンから追いかけ始めて、ファンタジーランド・クリッターカントリー・ウエスタンランドと歩き続け、アドベンチャーランド・ワールドバザールに至っても一向に渡河ポイントを見出せず、トゥモローランドまで歩いて、結局ぼくらはディズニーランドを丸一周してもシンデレラ城にたどり着くことができなかったのです。恐るべしディズニーランド。唯一の幸運は、最後となるミステリーツアーの記念に、勇者のみならず参加者の全員に「HEROメダル」がプレゼントされたことです。エンジ色のリボンで首にかけられたメダルは、園内を一周してようやくシンデレラ城にたどり着いたぼくらへのささやかなご褒美(ほうび)だったのかもしれません。そうして帰る頃には足の痛みに耐えかねて立っているのもやっとというくらい疲れ切ってしまったぼくでした。 もちろん、同じ季節を肩を並べて歩き通した卒業生たちと、そうしてぽつりぽつり語らいながら過ごす時間はとても楽しく貴重なものでした。が、しかし、ほんのダイジェストに過ぎない報告でありながら、ここにはすでにディズニーランドの恐ろしさと中途半端な覚悟で臨む危険性とが充分に表現できているはずです。恐るべし、東京ディズニーランド! それから、同じく週休であるはずの4月15日にも急なスケジュールが組まれました。獣医となって日本で経験をつんだ後、2年ほど青年海外協力隊でパラグアイに行っていた大昔の教え子が、ようやく帰国したので、その代の卒業生たちを中心とした歓迎会が開かれることになったのです。思えば2年前にも彼女の「国外退去歓送会」なるものを催したのでした。 ここ数日、恐ろしい頻度でやり取りされるメールによれば、タイミングが合わず残念ながら開催できずじまいだった今年の「お花見」の代わりに、華子という名の彼女を迎える会を「お華見」と称することが決定したとか…。 春を惜しむ人の心とは裏腹に、桜の花は惜しげもなく雨に叩かれ風に散っていきます。そうして、ぼくが一年中で最も好きな新緑の風景へと季節は日毎に塗り変わっていきます。けれども、そんな素敵な季節の中で、ぶらりと散歩に出たついでに馴染みの喫茶店に立ち寄って読み止しの文庫本のページをゆっくりとめくりながらのんびりと過ごすような休日は、まだまだぼくを訪れてはくれません。 ......
人は一生の間に一体何冊くらいの本を読めるのかということを計算した知人がいます。それがとても興味深い、驚くべき結果であったので、ここで改めて検証してみることにします。 例えば、月に1冊の本を読み続けると一年間で12冊。仮に5歳から75歳までの70年間を読書に費やしたとすると<12冊×70年>で840冊。なんとぼくらは一生の間に840冊の書物を読破するのがやっとという結果になります。わずか840冊です! 気を取り直して1週間に1冊ずつとして計算し直してみても70年間で3652冊という結果になり、やはり愕然とします。そこで無理を承知で毎日1冊の本を読み続けると一体どのような結果になるかと計算してみると、一年間で365冊の70年で25550冊、閏年を計算に入れると25567冊となって、ようやく手応えの感じられる数値となります。が、しかし、5歳から75歳まで毎日欠かさず一冊の本を読み続けるなどということは、土台無理な仮定であることを忘れてはなりません。 では、これらが一体どのような数字かということを、別の角度から検証してみます。 これも知人が調べたものですが、国立国会図書館の蔵書数が、東京本館で620万冊。筑波大学図書館が235.6万冊。慶応義塾大学三田メディアセンターが229万冊。早稲田大学図書館が223.4万冊……。 読書という、ぼくらのささやかな営みと比較して、これらの数字はもはや天文学的ですらあり、どうにも具体的なイメージが沸いてきませんね。 卑近なところで東村山市立中央図書館の蔵書数を調べてみると17万6366冊という結果で、つまりぼくらが仮に70年間毎日欠かさず一冊の本を読み続けたところで東村山中央図書館の蔵書の、ようやく7分の1を読み切るのがやっとというわけです。 逆に、一生の間に東村山中央図書館の蔵書をすべて読み切ろうとすると毎日7冊の書物を読破しなければならず、国立国会図書館に至っては毎日243冊となって、これはもう笑い話にすらなりません。 世の中に溢れる本の、その膨大な量に比べて、一生の間に出会える本の何と哀しく僅かであることか。一冊でも多くの本を、と寸暇を惜しんで読書にいそしんだところで東村山中央図書館すらクリアできないのだとすれば、ぼくらに残されているのは、上手に取捨選択しつつ、限られた本との出会いのひとつひとつが、少しでも価値あるものとなるように祈ること。そして、出会った本の一冊一冊と真摯に向かい合うことだけです。 もちろんそれらが「読書のための読書」となっては意味がありません。情報や知識を得ることも大切ではありますが、そこに留まらず、論理的な思考力や豊かな情緒を育てること、つまりは実人生を少しでも実りあるものにするための読書でなければならないのは自明です。 ......
明けましておめでとうございます本年もよろしくお願いいたしますファインズ国立スクールの1月の予定です。 無料体験 受付中! 1/1(水)~3(金) 休校1/4(土)~7(火) 冬期講習会1/8(水) 休校 1/9(火) 通常授業再開1/10(金) 新年度登録締切1/11(土) 中3学力判定テスト1/12(日) 中3V1/13(祝・月) 中3W1/18(土) 英検、小5・小6統一模試、中1・中2学力判定テスト1/19(日) 中3V1/22(水)~ 私立高推薦入試1/25(土) 漢検、小3~小5月例テスト1/26(日) 都立高推薦入試1/31(金) 小FYコース2023年度終了2/1(土)・2(日) 私立中入試2/3(月) 国公私立中入試、小FYコース休講2/4(火) 小FYコース2024年度開始
10月。 ぼくにとっては、5月と並んで特筆すべき存在であるこの月は、日本人の持つ豊かな季節感の中でも一層、明るく切なく、そして哀しく美しい特別な月です。 穏やかに色付いていく蜜柑色の陽射しが照らし出す街に、明るい哀しみが幾重にも降り積もります。それぞれに宿した影が日毎に淡く滲(にじ)んでいくのと引き換えに、ひんやりと冷たい風の中、人も町もくっきりとその輪郭(りんかく)を取り戻していきます。 やがて金木犀の香りが届くと、心も身体も秋の深まりを感じ始めます。昔から、なぜかこの金木犀の香りが好きだったぼくです。 数年前の秋(11月の初めだったと思います)、突然のように京都・東山の紅葉が観たくなったぼくは、休みの前日、一日の仕事を終えたその足で最終の大垣行きに飛び乗って京都を訪れたことがありました。東京近郊の山がかった場所では紅葉もすっかり盛りを過ぎていたため、何の疑いもなく京都を目指したのです。ところが夜行列車はぼくがうとうととまどろむうちに紅葉前線を追い越してしまったらしく、目的の東山では気の早い楓の木が、まるで頬を染める少女のようにわずかに色付いているだけで、期待していた全山紅葉の景色には程遠い有様だったのです。 ところが、すっかり気落ちして山を下り、祗園(ぎおん)辺りの町並みに足を踏み入れた瞬間でした。金木犀の香り・香り・香り…。普段はしっとりと鼻先をかすめ、はっと気付いたぼくが改めて深呼吸をしてみても最早それともわからないほど微かな橙色の甘い花の香りが、そこ祗園界隈(かいわい)では庭先といわず街路といわず、そう、町を包んだ空気そのものを鮮やかに染め抜いていたのです。町にそれだけの金木犀が植えられているということ。そしてその金木犀が今まさに満開のときを迎えようとしていること。紅葉には一足早かったけれど、期せずして満開の金木犀に間に合ったぼくは、何だかとても得をした気持ちになったことを覚えています。 10月、神無月。 「鬼の居ぬ間に洗濯」という諺(ことわざ)がありましたが、さて、神様のいない間に、一体ぼくらは何をしておけばいいのでしょうね。 文責:石井
「四月は君の噓」は、新川直司による日本の漫画作品。略称は「君嘘」(きみうそ)。単行本は全11巻。その後、テレビアニメとして全話放送され、実写版映画にもなっている。 中学生のピアニストとヴァイオリニストが互いの才能に共鳴し合い成長する姿を描いた作品で、名作との呼び声も高く、根強いファンも多い。 2024年9月1日(日)~9月2日(月)に東京・有楽町I’M A SHOWで、9月16日(月祝)に福岡・キャナルシティで、全5回「四月は君の噓 原画と共に奏でるコンサート」が開催されると聞いて、9月1日(日)の昼の部に参加してきた。 節目節目にコンクールやガラコンサートのシーンが入るテレビアニメの進行に合わせた選曲は以下のとおり。 ◆Violin × Piano ......
台風7号の接近により天候の悪化と交通機関の乱れが予想されるため、通塾の安全を考慮して 明日は休校とさせていただきます。 よろしくお願いいたします。
7月1日(土)~10日(水) 面談期間 7月13日(土) 中1~中3学力判定テスト 7月20日(土) 小5小6アタックテスト 7月20日平常授業終了 7月23日(火) 夏期講習開始
唐突ですが、人生において大切なことは、「理想」を胸に抱き、その「理想」を忘れずに保ち続け、その実現のために自らに努力と工夫を課すことだと思うのです。 ただし、この場合の「理想」というのは、何も大それたことでなくていいのです。むしろ基本的であればあるほどいい。たとえば社会的な立場や肩書き、置かれた環境などとは無関係に「人間としてどう在りたいか」というようなことです。もっとわかりやすく言えば「笑顔の自分」がいいのか「ふてくされている自分」がいいのか「泣き言を繰り返す自分」がいいのかというような、誰にでもわかることがベストです。「そんなこと今さら・・・」という声が聞こえなくもないけれど、改めて周囲を見渡してみれば、実際のところそんな幼稚な命題すら忘れてしまう人間があまりにも多くて愕然とするではありませんか。 「困難にぶつかったとき、うろたえたり、挫けたり、言い訳に他人の責任を並べ立てる自分」でいたいのか、それとも「結果はどうあれ胸を張って困難に挑む自分」で在りたいのか。「生きていく上でどうしようもなく傷つけてしまう人の心の痛みを知らん顔で踏みにじる自分」でいたいのか、もしくは「そんな人たちの心の痛みを我がことのように背負っていく自分」で在りたいのか。「仲間なんて利用するだけで信じない自分」でいたいのか、あるいは「たとえ裏切られる瞬間があったとしても仲間を信じることから始める自分」で在りたいのか……。 具体的であればあるほどいいのです。 人生に行き詰ったときは是非試してみて下さい。簡単な二者択一の問題提起をして、自分は本当はどうしたいのか、どう在りたいのかと静かに自分自身と対話するのです。 「泣く」のか「笑う」のか、「行く」のか「行かない」のか、「大切」なのか「大切ではない」のか、「取る」か「捨てる」か、「挑戦する」のか「逃げる」のか、「考える」のか「考えない」のか、「聞く」か「聞かない」か、「伝える」か「伝えない」か……。 バラバラになってしまった自分というピースをもう一度ひとつひとつ組み立てなおしていく作業は根気の要ることです。「どんな人間で在りたいのか」という、自分なりのそういったひとつひとつの理想をしっかりイメージすること。そしてイメージしたらそれを忘れずに保ち続けること。それは決して容易なことではないかもしれないけれど、人生の切り札となるような大切なことなのです。 文責:石井
浅間の雄大な、それでいてどこか穏やかな横顔を見るために、毎年のように信州へ車を走らせます。軽井沢から中軽・追分を抜けて小諸へと向かう国道18号線を右に折れ、九十九折(つづらおり)の峠道を上り詰めると浅間2000スキー場を抱いた高峰高原に至ります。峠のレストハウスに車を止めて、トレッキングすること1時間30分で目的の場所へとたどり着きます。 浅間の正しい姿を見るなら黒斑山(くろふやま)です。Jバンドと呼ばれる浅間の外輪山のとっつきにあるトーミの頭(かしら)もしくは黒斑山の断崖絶壁に立つと、そこはまるで別世界です。深い、けれども光の飽和した谷には、まばらな針葉樹の間を埋め尽くした草原の広がり。それらを遥(はる)か足下に見下ろしつつ、遮(さえぎ)るものの何ひとつないガランと巨大な空間に泰然自若(たいぜんじじゃく)と胡坐(あぐら)をかく浅間の山容と、時の経つのも忘れて対峙します。 その浅間山が噴火したのは、ちょうど去年の秋口でした。随分と報道もされたのでご覧になった方も多いと思います。去年の噴火は、記録によれば21年振りとなる中規模噴火だったそうです。交通規制もなくなったゴールデンウィークにドライブした折に小浅間のレストハウスまで行ってみましたが、止まずに吹き上がる噴煙と、以前は高山植物で薄緑色だった斜面が流れ出した溶岩で赤黒く覆(おお)われていたこと、そしてレストハウスに近い有料道路際にまで転がっている火山弾が見慣れぬ風景となって噴火の激しさを物語っていました。 古くは1783年の大噴火で1200名を越す死者を出したことで有名な浅間山ですが、それ以外で言えば、立原道造の第一詩集『萱草(わすれぐさ)に寄す』に収録された「はじめてのものに」に見えるように1935年の噴火を知るのみです。 『はじめてのものに』 立原道造 ささやかな地異は そのかたみに 灰を降らした この村に ひとしきり 灰はかなしい追憶のやうに 音立てて 樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきった ......