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17 09, 2022

【コラム㉗】センチュリー・プラント

By |2022-10-21T14:48:21+09:002022年09月17日|Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

100年に一度しか咲かない花という意味で「センチュリー・プラント」と呼ばれる「アオノリュウゼツラン」ですが、実際には30年~50年くらいで開花するそうです。 成長時は人の背丈ほどもない、大きなアロエのような肉厚でトゲのある葉を広げていますが、開花が近づくと、中心から一本の木のような茎を遥か見上げるほどに高く伸ばしていきます。 開花準備の始まっていないアオノリュウゼツランの葉(サンプル写真) 今回紹介するのは、沖縄県那覇市首里にある世界文化遺産「園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)」のアオノリュウゼツランです。 園比屋武御嶽石門の向かって右手に移植された「アオノリュウゼツラン」 1986年にこの場所に移植されてから36年目、2022年6月に高く茎を伸ばして開花準備が始まったことを知らされ、8月下旬に訪沖予定があったぼくは大きな期待を寄せていました。ところが、8月に入ってすぐに、ついに開花したとのニュースが流れ、タイミングが合わなかったことに一時はがっかりもしました。 けれども、8月25日に首里城を訪れてみると、何とアオノリュウゼツランの花はまだ咲き続けていたのです。  園比屋武御嶽石門とアオノリュウゼツラン 守礼門をくぐって歓会門へと向かう緩やかな坂道の途中に園比屋武御嶽石門はあります。 写真は2022年8月25日の園比屋武御嶽石門で、右手に高く伸びているのがアオノリュウゼツランの花です。過去に一度も開花の記録がないことから、1986年にこの場所にアオノリュウゼツランが移植されて以来、記念すべき初の開花となります。 ......

9 09, 2022

柿生スクール9月の予定

By |2022-09-09T18:33:27+09:002022年09月09日|Uncategorized, 柿生ニュース|0 Comments

9月3日(土)  期末テスト対策  小4~小6アタックテスト  小4~小6統一テスト 9月4日(日)  期末テスト対策 9月10日(土)  小6・中3必勝講座開始 9月24日(土) 小6アタックテスト ......

8 09, 2022

【暦の話⑲】重陽の節句~中秋の名月

By |2022-10-21T14:49:34+09:002022年09月08日|Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

去年もこの時期にご紹介しましたが、9月9日は菊の節句でもある「重陽の節句」です。 続けて9月10日(土)は旧暦の8月15日、「中秋の名月」となります。 マクドナルドでは、9月7日(水)から、毎年恒例の「月見バーガー」が販売開始されています。 今年は女性ボーカルグループ「Little Glee Monster」とのコラボレーションで、月見バーガー3種のいずれかを購入して、包み紙の「月見バーガー」の文字をマクドナルドの公式アプリで読み込むと、目の前にARのリトグリが表れて「三日月」の美しいコーラスを聴かせてくれるというサービスが付いています。 9月10日(土)は気象庁の予報では「曇り」。雲の多さによっては折角の中秋の名月も眺めることはかないません。 そんな時は、マクドナルドの「月見バーガー」を買って、満月のステージの上で「三日月」を歌うLittle ......

6 09, 2022

【コラム㉖】ガンガラーの谷

By |2022-10-21T14:49:04+09:002022年09月06日|Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

沖縄県南城市にある「ガンガラーの谷」。 太古の昔、鍾乳洞の天井が崩落してできた谷に光が差し込んで、長い時間をかけて亜熱帯原生林を形成しました。その面積は14500坪とも言われています。 残された鍾乳洞の一部が谷への入り口になっていて、薄暗い闇を抜けると太古の亜熱帯植物群落が広がり、時間も空間も現実離れしていて、まるでタイムリープしたような錯覚に陥ります。 残された鍾乳洞の一部が雨風を防ぎ、鍾乳洞が形成された原因ともなる水脈があることから、この場所が古代人の住居になっていたという可能性が指摘され、実際に魚の骨を加工した釣り針や埋葬された人骨も発掘されています。 現在は観光スポットのひとつとなっていますが、この谷の価値を知るにはどうしても解説が必要となります。けれども要所要所に解説板を立てたのでは、太古の自然を目撃するためのノイズになると考えて、専門のガイドによるツアーの形式を取り入れたのだそうです。見学はガイドツアーのみで予約が必要となります。 飲み物代(出発までの待ち時間に鍾乳洞の入り口となるケイブ・カフェでいただくフリードリンクと、出発の際に一人一本渡される「さんぴん茶」の水筒)と保険料込みのガイドツアー料金は2500円です。学生は学生証の提示で1500円に、また保護者同伴の小学生以下は無料となっています。 ツアースケジュールは1日4回(10:00~、12:00~、14:00~、16:00~)ですが、予約がいっぱいになると、それぞれ前後の時間帯に臨時ツアーが組まれます。 沖縄にお越しの際には、是非「ガンガラーの谷」も訪れてみてください。 聞こえるのは風の音、水の流れ、鳥のさえずり……。 ......

27 07, 2022

【アーカイブ⑮】いくつかのフレーズ

By |2022-10-21T14:55:24+09:002022年07月27日|Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

我が家にある、半分物置のようになったライティングデスクを片付けていて、広い引き出しの奥から出てきたファイルにふと目が留まります。一体何を綴(と)じ込んでいたのだろうと他人行儀な興味でもって開いてみると、バリバリと互いに張り付いた古い名簿の隙間から小さな一枚の紙切れが出てきたのです。 『12歳になったらニッコリと新しい笑顔で言います。「こんにちは、R・Nです」って…。だって前のR・Nとは違うんです。新しいんです。だから心の中で言って下さい。目で言って下さい。言葉に出さなくていいんです。言葉に出すより、心や目の方が好きです。ガラス玉に光が通ります。だから心や目で言ってください。「こんにちは12歳の君。新しい君!」と…。』  一体、ぼくの心のどこに仕舞ってあったというのでしょう。そのメモのような手紙を手渡してくれた時の彼女の、いつもよりほんの少し大人びた誇らしげな表情を不意に思い出します。と同時に、その手紙を大切にファイルに綴じ込んだ瞬間のぼくの心の振幅が手に取るようによみがえってきます。もう随分と昔のことであり、時効かなと思わないでもないのですが、名前は敢えてイニシャルに変えてあります。  思えば、そんな風にして美しい、あるいは心を揺さぶる言葉の切れ端と出会うたびに、それらを大切に心の抽出しに仕舞い込んできたのでした。そのいくつかを紹介しましょう。 『学ぶということのたったひとつの証しは「変わる」ということである』 (『林先生に伝えたいこと』灰谷健次郎) 『容易に信じられることよりも、むしろとても信じられないようなことこそ信じなければならない』 (『ユタとふしぎな仲間たち』三浦哲郎) 『たとえば秋の落ち葉一枚に  たとえば夏の強すぎる陽に ......

19 07, 2022

【アーカイブ⑭】家族を失った日

By |2022-10-21T14:54:38+09:002022年07月19日|Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

※「アーカイブ」ですので、特に年代の表記に大きなずれがあります。 早いもので、もう五年の歳月が流れます。 西暦2000年の、梅雨が明けて間もない七月の暑い夜、彼女は誰に看取られることもなく逝(い)ったのです。死期を悟った彼女が、その血に宿ったプログラムに従って人目につかない場所へと身を隠したのですから、正確には「行った」と言うべきなのですが、彼女が帰らなくなって七日目の夜、我が家では久しぶりに一同総出で、彼女を追悼する会食の席を設け、納得のいくはずもない心を持て余しつつ、その日をもって彼女の命日とすることを確認しあったのでした。 生まれて間もなく我が家の住人となり、以来十七年間連れ添った(「連れ添う」というのは適切な表現ではありませんが、相応(ふさわ)しい表現ではあります)「コタロー」と呼ばれた彼女は、大人しいくせに人見知りで人一倍臆病な、家猫として生きる以外にすべのない猫(それがいいことなのかどうかは別にして)でした。もらわれてきた当時は掌にのるほどの小さな存在で、甘えん坊の彼女は夜中になると決まって、仮の住まいであるダンボールの箱を抜け出して布団の中へもぐりこんでくるのです。そして寝ているぼくの胸の上にはい上がって、そこで安心して丸くなるのでした。成猫となってからも充分小柄だった彼女ですが、さすがに寝ている間に胸の上にはい上がられると息苦しさを感じるようになり、ていねいに言い聞かせつつ、幾度も抱き上げて下ろしたものです。すると胸にはい上がるのを諦めた彼女は、今度は添い寝をするようにして、前脚の片方を、あるいは尻尾の先をぼくの腕や足の上にのせて、それで安心したようにぐっすりと眠るのでした。 黒虎と三毛の混じったような色合いの、信じられぬほど柔らかい毛並みで、四肢の先と胸一面に真っ白い雪のような和毛が印象的な、美人というよりは可愛らしい顔立ちの猫でした。特別の場合以外はほとんど鳴き声をあげず、餌箱や水桶が空であっても、またトイレの扉が締まっている時でも、前脚を行儀よくそろえて座り、ただ黙って誰かが通りかかって気付いてくれるまで辛抱強く待ち続けていました。たまに餌をねだることがあっても、それは決まって母に対してで、彼女の好むキャットフードに、ついつい余計に鰹節などをのせてやる母の行動を見抜いていたようです。また、母や弟が抱き上げるとさっさと逃げ出すくせに、ぼくが抱き上げた時だけは安心しきったように、いつまでもその体重をぼくの腕に預けていました。遊び相手となるのは決まって弟で、時折興奮して弟の手足に傷を残したりもしました。彼女は、そんな風に家族一人ひとりとの付き合い方を決めていたようです。 五階建てマンションの最上階にある我が家の住人であった彼女は、その一生のほとんどの時間を屋内で過ごしました。いつだったか戯(たわむ)れに近隣の公園に連れ出した時など、物心ついてから初めて見る外の世界に戸惑いおびえて、丈(たけ)の短い草叢(くさむら)に、それでも何とかして身を隠そうとはいつくばり、ブルブルと全身を震わせて、とうとう一歩たりとも歩くことが出来なかったのでした。 そんな彼女も、人々の寝静まった夜更けに限っては、玄関脇の三畳間でパソコンを操るぼくを促(うなが)して、マンションの五階フロアの探検に出たりしました。そして気が向けば、後見人であるぼくの存在を振り返っては確かめつつ、四階のフロアまで降りてみることもありましたが、けれども、彼女の「外」の世界はそこまでが限界で、十七年間、とうとう自らの意志でその先の世界を踏むことなく老いを迎えたのでした。 ちょうどその日は熱帯夜で、風通しのために半開きにした玄関のドアから、彼女は深夜一人で外へ出たらしいのです。それは共に暮らした十七年間で初めてのことです。仮に彼女が自らの死期を悟って家を出たのだとしても、ぼくら家族に背を向けて一人きりの深夜の階段を、あの人一倍臆病な彼女が一体どんな思いで降りて行ったのかを想像すると、当時はもちろんのこと、五年たった今でも胸が締め付けられるようです。けれども一方で、最後の最後くらい、どうしてわがままを言えなかったのかと悔しい思いも感じます。十七年間も苦楽を共にしてきた家族の一員として、あまりにもみずくさい。むしろ、その最期を看取り、無事に野辺送りするくらいのわずかな苦労をぼくらに課してくれてもよかったのに……と。 そして、彼女のいない日常が始まり、やがて餌箱が片付けられ、彼女の愛用していたトイレの猫砂が処分され、彼女のために深夜に団地の廊下へ出て一服する時間もなくなり、次第にぼくらの哀しみは麻痺するように薄れていきます。けれども、彼女をゆっくりと忘れるように失っていくことだけはしたくなかったぼくは、仮に哀しみがこの胸を引き裂いて日毎に新しい血を流すのだとしても、あえてその哀しみを背負って歩く人生を選ぼうと、あの夏、そんな風に決意したのです。 彼女が確かに生きていた証として。そして、ぼくら家族が、どれだけその存在に支えられていたかということを失って初めて痛いほどに思い知らされた、彼女と共に生きた十七年間への感謝を込めて。 ......

15 07, 2022

【アーカイブ⑬】夏の思い出

By |2022-10-21T14:56:51+09:002022年07月15日|Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

夏が訪れるたびに思い出す風景があります。 空の一番高いところでギラッと光る入道雲。 暑さにたまりかねて飛び込んだ淵の不思議な青さ。 夕立ちにたたかれてずぶ濡れになったあとで嗅いだ草と土の匂い。 木漏れ日が友達の顔に縞模様をつくった薄暗い森の深さ。 気が遠くなるほどの蝉時雨。 半ズボン・ランニングシャツ・かさぶたの痕(あと)…。 麦わら帽子・虫捕り網・カブトムシ・クワガタ…。 ラジオ体操の朝・そのテーマソング…。 西瓜・冷やしそうめん・アイスキャンディ…。 ......

3 07, 2022

【柿生スクール】7月のイベント

By |2022-07-03T15:59:37+09:002022年07月03日|Uncategorized, 柿生ニュース|0 Comments

7月2日(土) 漢字検定 7月2日(土)学力診断公開テスト 7月5日(火)小学生英語体験か 7月8日(金)小学生英語体験会 7月17日(日)中3学力判定テスト 7月22日(金)夏期講習開始

23 06, 2022

【アーカイブ⑪】沖縄慰霊の日に寄せて

By |2022-10-21T14:58:18+09:002022年06月23日|Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

この季節になると思い出すことがあります。 それは二度目に沖縄を訪れたときのことです。 はたしてぼくにそんな資格があるのかどうかという大きな不安を抱えたまま、かつて「ひめゆり学園(沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校)」のあった安里(あさと)地区を基点に、レンタカー(とてもじゃないけれど歩いて回る勇気は持てませんでした)で1945年の<ひめゆり>の少女たちの足跡を追った日のことです。 まるで散る以外に明日を持たなかったような少女たち。その面影を、たとえわずかなイメージであったとしても、ぼくは胸に刻んでおきたいと考えたのです。沖縄への憧れを意識した日から十四年かかってようやく沖縄にたどり着き、こうして繰り返し沖縄を訪れる以上、そこを避けて通ることは、どうしてもぼくの中で許されないことだったのです。 沖縄には対外的に、大きく分けて三つの顔があります。琉球王国においてひとつの頂点に達し、以来脈々と受け継がれてきた「歴史・文化」的な側面。世界でも有数のリゾート地に数えられる美しい「自然」。そして、否応なく刻まれてしまった「戦争」の傷跡。そこに、それらを一見超越しているようで、実のところ完全に切り離されることはない微妙な距離感を保って人々の「日常」が横たわっています。 二度目の訪沖の目線の高さを「戦跡」としての側面に合わせることに決めたのはいいけれど、沖縄の戦跡といっても、それこそ足を下ろす場所にさえ困るほど無数にあります。まずは<ひめゆり>から始めようと考えたのは、訪沖に先立つ5月に、仲宗根政善の手になる「ひめゆりの塔をめぐる人々の手記」を手に入れたことがきっかけでした。その一冊を繰り返し読んで、ガイドブック代わりに持ち歩いたぼくでした。 1945年3月24日。 「ひめゆり」最後の物語は、この日から始まります。 詳しい記録はさまざまな関係書に委ねるとして、その足跡のおおよそは以下の通りです。 米軍の沖縄上陸作戦に先駆けて慶良間(けらま)攻略と同時に始まった本島への艦砲射撃が、少女たちの運命を後戻りのできない地獄へと導いていきます。 ......

3 06, 2022

【アーカイブ⑧】風の篝火

By |2022-06-03T15:22:42+09:002022年06月03日|Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

かつて辰野町の蛍の乱舞を「風の篝火(かがりび)」という歌で見事に表現したのは、あの「北の国から」のテーマ曲の作者でもある「さだまさし」さんです。 (長野県上伊那郡辰野町は、大正14年に「蛍の発生場所」として天然記念物の指定を受け、以来町ぐるみで蛍の保護と育成に取り組んできた町であり、毎年のピークには目視量で20000匹に近い発生を数えるほどの蛍の名所です。) 当時、これもひとつの出会いと感じて、その歌のライナーノートをガイド代わりに、単身、辰野町を訪れる決心をしたぼくでしたが、残念ながらその日は気の早い台風が迫っていたこともあって、山梨県に入ったあたりから激しい風が吹き始め、上諏訪の駅に着く頃には叩き付けるような雨まで降り出して、後ろ髪を引かれるような思いで上諏訪から上りの列車に乗り換えて引き返したのでした。そんなこともあって翌年の6月には、まるで忘れ物を取りにでも行くように、「是非にも」という同僚を一人伴って、再び辰野町を訪ねたのです。 蛍は雨でも、また風が強くても下草に隠れてしまうので、夜空を舞う蛍火と出会うには天候の助けが必要となります。中央本線から飯田線に乗り継いだぼくらは、まるで祈るような静かな気持ちで列車のタラップを降りたことを覚えています。 日のあるうちに着いたぼくらは、土産のつもりで地酒「蛍祭」を手に入れ、ついでに店の親父さんが使っていた団扇(夕闇の草原にシルエットの男の子と女の子、そして舞い上がる蛍が版画のようにデザインされていました)をねだって譲り受け、主役の登場を待つ形で、賑わう町中をぶらついて祭り気分を満喫しました。 お好み焼き・たこ焼き・ヨーヨー釣り・あんず飴・りんご飴・セルロイドのお面・ソースせんべい・クレープ・焼きそば・色とりどりの風船・金魚すくい・鉢植えの日々草や朝顔。売り子の声・スピーカーから流れる歌・子供たちの歓声・浴衣姿の女の子・下駄の音・アセチレンガス灯の揺らめき……。 やがて日が落ちて、町全体に不思議な高揚感が満ちてくる頃、人の足に弾みがついて、町外れ、松尾峡の川辺へと人込みは流れを変えます。 辰野で観測される蛍は、ゲンジボタル・ヘイケボタル・ヒメボタル・クロマドボタル・オバボタルの5種類で、6月の下旬に開催される蛍祭りは、ゲンジボタルの発生にあわせてのものとなっています。ゲンジボタルは日本古来の種で、大きな蛍火がゆっくりとフェイドイン・フェイドアウトするように明滅する大変印象的な蛍です。 一年願い続けてようやく巡り会えた蛍。それは言葉に尽くせない感動でした。草原を風が渡ると、葉陰の蛍は、まるで足下に広がる星空のようです。一瞬、風が止むと、気の早い蛍が一匹、夕闇の空へ舞い立ちます。次の瞬間、足下の星空、シリウスが、カシオペアが、オリオンが、一大交響曲の旋律のように舞い上がるのです。蛍・蛍・蛍……。それは緩やかな曲線を描いてぼくらの心を正確になぞり、沈黙の持つ、ある種の雄弁さ(饒舌(じょうぜつ)では決してありません)でもって、際限もなくぼくらに語りかけてきます。もちろんそれは「風の篝火」を前にたたずむ一人一人の心模様に他ならず、ゆえにぼくらが読み取り、聞き取っていたはずの言葉は、残念ながら万人の共有しうるものではありません。闇と対峙し、光と向き合う時間は、また、自分と対峙し、自分自身と向き合う時間でもあるのです。 梅雨のわずかな晴れ間を惜しむように飛び交う蛍。寄せては返し、飽くことなく繰り返す波のように、あるいは山裾の湿地を覆(おお)った、それは草叢(くさむら)の生命そのものであるかのごとくに、ゆるやかにシンクロする無数の蛍の明滅。 ......

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