我が家にある、半分物置のようになったライティングデスクを片付けていて、広い引き出しの奥から出てきたファイルにふと目が留まります。一体何を綴(と)じ込んでいたのだろうと他人行儀な興味でもって開いてみると、バリバリと互いに張り付いた古い名簿の隙間から小さな一枚の紙切れが出てきたのです。

『12歳になったらニッコリと新しい笑顔で言います。「こんにちは、R・Nです」って…。だって前のR・Nとは違うんです。新しいんです。だから心の中で言って下さい。目で言って下さい。言葉に出さなくていいんです。言葉に出すより、心や目の方が好きです。ガラス玉に光が通ります。だから心や目で言ってください。「こんにちは12歳の君。新しい君!」と…。』

 一体、ぼくの心のどこに仕舞ってあったというのでしょう。そのメモのような手紙を手渡してくれた時の彼女の、いつもよりほんの少し大人びた誇らしげな表情を不意に思い出します。と同時に、その手紙を大切にファイルに綴じ込んだ瞬間のぼくの心の振幅が手に取るようによみがえってきます。もう随分と昔のことであり、時効かなと思わないでもないのですが、名前は敢えてイニシャルに変えてあります。

Book & Reef

 思えば、そんな風にして美しい、あるいは心を揺さぶる言葉の切れ端と出会うたびに、それらを大切に心の抽出しに仕舞い込んできたのでした。そのいくつかを紹介しましょう。

『学ぶということのたったひとつの証しは「変わる」ということである』
(『林先生に伝えたいこと』灰谷健次郎)

『容易に信じられることよりも、むしろとても信じられないようなことこそ信じなければならない』
(『ユタとふしぎな仲間たち』三浦哲郎)

『たとえば秋の落ち葉一枚に
 たとえば夏の強すぎる陽に
 たとえば たとえば 自分にも
 やさしくなれるような気がします
 弱さの裏返しのやさしさではなく』
(岩崎ちひろ絵本美術館の落書き帳『ひとこと・ふたこと・みこと』からの抜粋)

『何に感謝をしよう
 わたしに
 この素晴らしい仲間たちを与えてくれたすべてのものに…』
(『生徒諸君!』庄司陽子)

『学ぶとは誠実を胸に刻むこと
 教えるとは共に希望を語ること』
(ルイ・アラゴン)

『いつも 明日会うつもりで別れ
 昨日別れたばかりのように会えたら最高だね』
(『ぼくらの世界』あとがき 栗本薫)

『わるいこころに うちかつこころ』
(小学校時代好きだった女の子の卒業アルバムへの寄せ書きのことば)

『出会って、そして別れていくことの哀しみより、出会うことのかなわない悲しみの方が深い』
(いつか小6の女の子の悩みに答える形でノートの片隅に書いたことばの切れ端。書いたことすらすっかり忘れていたぼくのもとに6年ぶりに届いた彼女からの手紙。そこにこの言葉と共に書かれていた「よくわからないまま大切な意味を伝えていそうな気がして大事にとっておいた言葉が、今になってわかりかけてきた気がします」という彼女の言葉が嬉しくて、その瞬間にぼくの心に居座ってしまったぼく自身の言葉)

 書き出せばきりがありません。そんな風に、いくつものフレーズが静かにぼくの中で息づいているのです。
 古代日本では、言霊信仰といって、言葉の中に宿っているという神秘的な霊力が信じられてきました。言葉のエネルギーは、確かに正にも負にも計り知れません。言葉が人を傷付け、時に人の心を死に至らしめることもあるでしょう。けれどまた、こうして人の心を育て、人を生かしめる言葉が確かに存在するのです。
 みなさんの心の中には、誰から伝えられた、あるいはどんな風に出会った、どんな言葉が大切にしまわれていますか?

文責:石井