言葉なんていらない、と思う。どれほど言葉を費やしても想いが伝わらないならば・・・。

 言葉など必要ない、とも思う。心に描くだけで想いが伝わるのであれば・・・。

 

 自分の表現力を棚に上げてそんなことを考えながら、それでも今日まで数え切れないほどの言葉を紡ぎ出し、恐らくは明日からも言葉の可能性に賭けてみるという決意に変わりはないのです。

 こうしてファインズのホームページにコラムを書き始めて、早くも1年が経とうとしています。<ひとりごと>も100回を数えるまでになりました。

 その時々の思いの丈を、またある時は長い長い時間心に大切に温めてきた様々な季節の横顔を、そっとすくい上げるように言葉に置き換えて綴ってきたつもりでいます。

 

2005年6月10日 No.1

美しい言葉を心の引き出しに豊かにしまっている人は、その人自身がまた例えようもなく美しいと思うのです。

 美しい言葉と出会うこと、またはそのために努力することが、ぼくらの人生を豊かに彩ってくれることは想像に難くありません。

 人と、あるいは風景との微妙な距離感を言葉に換えて、タイミングを過たずに表現することができたらと、願いごとのようにそんなことを思ったりします。

 

2005年6月28日 No.8

 自分を大切にしない人は哀しい。

 自分しか大切にできない人は嫌いだ。

 人のために自分をすり減らす人を見ると、こちらまで不幸になる。

 人を踏みにじって心に痛みを感じない奴を見ると腹が立つ。

 だからいつも、ぼくは自分を大切にする。

 人を踏みつけていくためではなく、人を大切にし、人を愛する資格として。

 だからいつも、ぼくは人を大切にしようと思う。

 自分を犠牲にするのではなく、自分を生かし、自分を完成に近付ける手段として。

 

2005年10月17日 No.50

 心の形そのものは伝えきれないにしても、その時々の心の色くらいは伝えられるのではないかと、淡い期待を抱きながらの四ヶ月が過ぎました。時間に追われてアップデートしたいくつかの文章に関しては、書き足りない思いばかりが募り、思い切って言葉にしたいくつかの思いについては、勝手なことばかり書いて、と叱られる材料を残した気がしないでもなく、いずれにしても複雑な思いではありますが、時折届く心強い感想に励まされながら、性懲(しょうこ)りもなく言葉を重ねてきたというのが正直なところです。

 

 恐ろしい速さでぼくらを訪れ、瞬く間にぼくらをすりぬけ、そして信じられない速さで過去へと変わっていく「時の流れ」。ぼくらはまるで一枚のフィルターのようです。だとすれば「時」が駆け抜けた後、ぼくらに一体何が残るのでしょう。

 今日までいろいろな季節を過ごしてきました。君と見た景色も、もう随分と数を増したけれど、その時々に、肩を並べて同じ季節を歩いたたくさんの人たちが、新しい町を訪れるたび、新しい季節を迎えるたびに色あせていくのです。でも、悲しいなんて思いません。それは裏返せば自己満足に過ぎないとわかっているから。

 むしろ、そんなふうに色あせていく景色こそが、ぼくには必要だったのです。心は限りなく「昨日」を目指し、「昨日」にがんじがらめに結び付けられているにもかかわらず、ぼくは「明日」をこそ目指します。失いたくないものを失うように、別れたくない人と別れるように、後ろ髪を引かれるような思いを断ち切って「今日」と訣別するのです。夢を抱き、前進し続けると決めた以上は、その哀しみこそが、ぼくには必要なのです。

 

 「伝える」ということの難しさ・怖さ、そして喜びを忘れずに、それから出来れば更新をサボらずに、次なる通過点である<200回>を目指して、明日からも<ひとりごと>を続けていこうと思います。