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【アーカイブ60】Something four
従弟の結婚式に出席したときに聞いた話ですが、「Something four」と言って、結婚式において花嫁が身に着けると幸福を約束されるという四つのアイテムがあるのだそうです。 「何か新しい物」「何か古い物」「何か友人から借りた物」そして「何か青い物」。 ところで「生きていく」上でなくてはならない四つのものがあるとしたら、それは一体何だろうかと、次から次に饗されるコース料理を美味しくいただきながら考えてみたのです。 ひとつ目はもちろん「命」。二つ目が「健康(身体だけでなく心も)」。三つ目が「仲間(友人だけでなく家族や師なども含む大切な人間関係)」。 ……と、ここまで考えて思考が停滞します。廻りはじめたアルコールのせいでは決してありません。候補はいくつか浮かんでくるものの、四つ目をどうしても決め兼ねるのです。それは「これしかないだろう」という気持ちの一方で「本当にそれでいいいのだろうか」「もしかしたら何か大切なものを忘れていはしないか」などという反問が放り投げたコインの裏表のように常に浮かんでくるからです。 ということで、さんざん考えた末に、四つ目のアイテムは敢えて決めずにおくことにしました。思考の放棄では決してありません。もっと積極的なものです。 答えは人それぞれであって一向に構わないわけです。さらには、四つ目のアイテムを敢えてブランクにすることによって、常に捜し求めることを自らに課すこと。あるいは「それが生きていく上で本当になくてはならない大切なものであるのか」ということを検証し続けること。その方がぼくらにとってずっとずっと大切なことのように思えたのです。 たとえば「愛」や「夢」や「希望」といったもの、あるいは「お金」などというそれらしい落ちをつけて、すっかりわかったつもりになって飲み込んでしまうのではなく、常に「生きていく上でなくてはならないもの」と向き合っていくという覚悟を決めることこそが大切なのではないでしょうか。 ところで、あなたにとってその四つ目のアイテムは一体何ですか。 文責:石井
【アーカイブ59】秩父夜祭スケッチ2005
小太鼓の乾いた響きが空間を満たしている。 重なる太鼓の重厚な響きに大地が、そしてぼくの身体が共鳴し始める。 祭囃子(ばやし)が最高潮に達し、やがて軋(きし)みをあげて屋台が動き出す。「京都祇園(ぎおん)祭、飛騨高山祭と並んで日本三大曳山(ひきやま)祭のひとつに数えられるこの秩父夜祭は、三百年の伝統を誇り、国指定重要民族文化財に指定されている。祭り広場に設けられた「お旅所」で、秩父神社の女神と秩父武甲山の男神が一年一度の逢瀬(おうせ)をする。笠鉾(かさぼこ)が二基で、屋台が四基で……」 と、そんな知識など消し飛んでしまう屋台囃子(ばやし)のリズムと木輪の悲鳴にも似た軋(きし)み。 ぼくらは秩父夜祭の最後を飾る本町の屋台に張り付いて、秩父神社を目指す。 冷静な祭り見物の一人でいられなくなったぼくは、綱を曳(ひ)く祭半纏(まつりばんてん)の隙間にもぐりこんで10トン超の屋台の重みを身体で感じる。架線が取り外された線路を渡り、交差点の真ん中ではてこの原理でわずかに傾げられた屋台につっかえ棒を滑り込ませ、そこを回転の中心として人力で方向転換をする。屋台は軋む。まるで伝説の聖獣のように屋台は叫び続ける。昨日が記憶の彼方に霞(かす)んで消える。明日のことがぼくを悩ませたりしない。かじかんだ指先に力を込めて一心に綱を曳く。 神官の列に、お旅所を出た神輿(みこし)とご神馬(しんめ)が続く。 凍て付いた師走の大気を切り裂く屋台の叫び。 吐き出す息も白く、夜空には冬の星座たち。 鳴り止まぬ屋台囃子。 そしてクライマックス。 ......
【アーカイブ58】ひとりごと
往生際(おうじょうぎわ)の悪い停滞前線のせいで、はっきりしない天気の日が続きます。季節外れの台風も、まるで行き場を失ったように迷走しています。それでも日焼けの跡は日毎に淡くにじんで、どこかの庭先から菊の香が漂う季節となりました。 長い長い夜をくぐり抜けて、初めて見事な大輪の菊の咲くことを、ぼくらは知っています。菊の花を育てるのは陽のあたる場所ではなくて、むしろどこまでも深い闇の静けさです。それが秋に咲く花の宿命でもあるように、華やかな光を身にまとったものは一様に沈黙してしまうのです。 <ひとりごと>も、ようやく50回を数えました。 心の形そのものは伝えきれないにしても、その時々の心の色くらいは伝えられるのではないかと、淡い期待を抱きながらの四ヶ月が過ぎました。時間に追われてアップデートしたいくつかの文章に関しては、書き足りない思いばかりが募り、思い切って言葉にしたいくつかの思いについては、勝手なことばかり書いて、と叱られる材料を残した気がしないでもなく、いずれにしても複雑な思いではありますが、時折届く心強い感想に励まされながら、性懲(しょうこ)りもなく言葉を重ねてきたというのが正直なところです。 秋は、何かと物想いにふけることが多くなります。ポカポカと暖かくて静かな秋の陽だまりの中で、果てしなくぼんやりしてみたいなどと時折贅沢(ぜいたく)なことを望んでみたりします。それで、思い出したように文庫本のページをめくってみたり、飛び切り美味しい紅茶の香りを楽しんでみたり……。 さらさらと音もなく降り注ぐ秋の陽。やがて、街路樹がカサカサと葉を落とし、ほんの少し陽が翳(かげ)ると冬の訪れを予感するのです。 けれども、思いのほか明るい表情で、ぼくは青磁色(せいじいろ)の空を見上げます。 冬がくれば、やがて春が近いことにほんの少しトキめいたりしながら……。 文責:石井
【アーカイブ57】眠れる獅子
獅子座流星群の活動が極大となる11月17日。 昼間の好天が嘘のように日が落ちてから空が曇り始めました。 33年に一度の大流星雨(何故か日本では獅子座フィーバーした1998年より2001年の流星が見事でした)は過ぎ去ったものの、例年「火球」と呼ばれる明るく光跡を残す見事な流星を散発で降らせる獅子座のこと。それらしく生徒に告知して多少とも期待させてしまっただけに、恨めしい気持ちでいっぱいでした。 けれども、いつものように夜更かしをしていたぼくが、就寝前にベランダに出てみると、いつの間にか空はすっかり晴れ渡って、今しも獅子座が南中しようとするところではありませんか。思ってもないチャンスに、流れ星のひとつでも確認できればとドテラを着込んで、一等星のレグルスを中心に南天の全景を視野に納めつつベランダでしばしの星見です。南西の空に移ったシリウスが眩いほどの瞬きを繰り返しています。 そうしてすっかり身体が冷え切ってしまうまで(といってもたいした時間ではなかったと思いますが)待ってはみたけれど、残念ながら今年はとうとう獅子座の流れ星には出会えませんでした。 2001年の11月17日の夜のことを思い出します。その時は、多摩湖の堤防にブルーシートを敷き詰めて、まるでラッシュ時の駅のホームのような人だかりの中、仲間たちと大鍋でポトフを作りながらの流星観察でした。獅子座の輻射点を狙ったように、いい塩梅に東に開けた空。ため息が漏れるほどの眩い流星が、次から次へと夜空を駆けたのでした。 あるいは今年の夏の訪沖で、ペルセウス座の流星群の活動に合わせて渡った渡嘉敷島の、慶良間海峡を望む白い砂浜に一人寝そべって見たたくさんの流れ星のことを思い出します。 「今、慶良間海峡を望む渡嘉敷の浜辺で、繰り返す波の音をBGMに気の遠くなるような星空を眺めています。南の水平線から立ち上る天の川が白く輝く、流れ星の多い夜です。」 嬉しくて思わず東京の仲間にそんなMAILを送ったぼくでした。が、幾人かの仲間からは「ああ恨めしい」「東京は雷の音が絶え間なく鳴り響いています」「駄目押しの自慢話だね」などと叱られたことも懐かしく思い出されます。 さて、今回残念ながら流れ星を見ることがかなわなかったみなさんのために、最後に双子座流星群のご案内をして今日の「ひとりごと」を締め括ろうと思います。 三大流星群のひとつに数えられる「双子座流星群」の活動が極大になるのは12月14日です。 獅子座はご存知の通り春の星座ですから、夜半過ぎにならないとのぼってこないため、観測時間が深夜となり、小中学生の観測に適しているとはいえませんでした。が、双子座は冬の星座です。つまり、日没後に東天にのぼり、一晩かけて夜空を移り、明け方西天に没する、いつでも好きなときに観測できる流星群なのです。流れ星の出現数は、予想によれば一時間に30個程度ですが、多い年では100個を数える豊かな流星群です。是非忘れずに、もしくは思い出して、今年最後の流れ星を楽しんでください。ただしくれぐれも防寒対策を忘れないように……。 今年も11月17日がやってきます。 今年のしし座流星群の活動はどうか? 天候には恵まれるのか? ......
【アーカイブ56】神無月(かんなづき)
10月。 ぼくにとっては、5月と並んで特筆すべき存在であるこの月は、日本人の持つ豊かな季節感の中でも一層、明るく切なく、そして哀しく美しい特別な月です。 穏やかに色付いていく蜜柑色の陽射しが照らし出す街に、明るい哀しみが幾重にも降り積もります。それぞれに宿した影が日毎に淡く滲(にじ)んでいくのと引き換えに、ひんやりと冷たい風の中、人も町もくっきりとその輪郭(りんかく)を取り戻していきます。 やがて金木犀の香りが届くと、心も身体も秋の深まりを感じ始めます。昔から、なぜかこの金木犀の香りが好きだったぼくです。 数年前の秋(11月の初めだったと思います)、突然のように京都・東山の紅葉が観たくなったぼくは、休みの前日、一日の仕事を終えたその足で最終の大垣行きに飛び乗って京都を訪れたことがありました。東京近郊の山がかった場所では紅葉もすっかり盛りを過ぎていたため、何の疑いもなく京都を目指したのです。ところが夜行列車はぼくがうとうととまどろむうちに紅葉前線を追い越してしまったらしく、目的の東山では気の早い楓の木が、まるで頬を染める少女のようにわずかに色付いているだけで、期待していた全山紅葉の景色には程遠い有様だったのです。 ところが、すっかり気落ちして山を下り、祗園(ぎおん)辺りの町並みに足を踏み入れた瞬間でした。金木犀の香り・香り・香り…。普段はしっとりと鼻先をかすめ、はっと気付いたぼくが改めて深呼吸をしてみても最早それともわからないほど微かな橙色の甘い花の香りが、そこ祗園界隈(かいわい)では庭先といわず街路といわず、そう、町を包んだ空気そのものを鮮やかに染め抜いていたのです。町にそれだけの金木犀が植えられているということ。そしてその金木犀が今まさに満開のときを迎えようとしていること。紅葉には一足早かったけれど、期せずして満開の金木犀に間に合ったぼくは、何だかとても得をした気持ちになったことを覚えています。 10月、神無月。 「鬼の居ぬ間に洗濯」という諺(ことわざ)がありましたが、さて、神様のいない間に、一体ぼくらは何をしておけばいいのでしょうね。 文責:石井
【アーカイブ55】彼岸過ぎまで
「彼岸過迄(ひがんすぎまで)」というのは、ご存知の通り明治の文豪・夏目漱石の連作小説の題名です。 「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、この秋も、ちょうど彼岸の入りとなる9月20日を境に、それまでの残暑が嘘のようにすっかり涼しい気候となりました。 そういえば彼岸の出となる26日に、蝉の声を聞きました。それがひとつの引き金となって、秋空の下、今年最後に生まれてくる季節外れの蝉のことを考えたのです。最後の一匹となる蝉が毎年必ずいるということは、理屈で言えば当然のことながら、ぼくらは日常そんなことにすら思い及びません。 既に仲間の蝉たちは地に落ちて、鳴き交わす相手の一匹としていない彼、もしくは彼女。冬に向かって乾き始めた風がその羽を小刻みに震わせます。雲ひとつない秋晴れの日を待って、やがて金木犀の甘い香りが彼を包むでしょう。哀しいほどに美しい秋の風景の中で、どれほど飛び回っても、どれほど声を嗄らして鳴き叫んでも、返ってくるのは風の音ばかり……。なんだか胸の底が凍えそうなイメージですね。 それでもきっと彼は、何を疑うでもなく鳴き続けることでしょう。まるで鳴くことそのものに意味を見出そうとでもするように…。 何の寓話(ぐうわ)にもならないこの日のこのイメージが、けれどもぼくの心を捉えて放さないのです。 こんなことに躓(つまず)くのも、恐らくは訪れた季節のせい、なのでしょうね。子どもの頃には居ても立ってもいられなかった秋のこの哀切な季節感を、いつの頃からか愛するようになった自分が不思議です。 ※2024年の今年は、お彼岸の期間中こそ涼しくて過ごしやすい気候でしたが、お彼岸を過ぎたらまたすっかり暑さがぶり返してしまいました。気温の乱高下は体調を崩す契機となりますので、どうぞご自愛ください。 文責:石井