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So far ファインズ 国分寺 has created 144 blog entries.
24 03, 2022

【コラム⑬】なごり雪

By |2022-03-31T11:39:36+09:002022年03月24日|国分寺ブログ|0 Comments

『なごり雪』という時代を超えて歌い継がれる名曲をご存じでしょうか。 「なごり雪」という言葉には二つの意味があって、ひとつは「北国で春になっても消え残っている雪」そしてもうひとつが「春になっての季節外れの雪降り」。名曲『なごり雪』は後者を歌ったものです。 思わぬ雪となった3月22日はまるで冬に逆戻りしたような寒さでしたが、春分の日を過ぎての雪降りですので「なごり雪」と呼べるでしょう。 「季節外れの雪」で思い出すのは、21世紀最初の年、2001年。あの年、4月を待たずに満開となった久米川通りの桜は、けれども桜特有の内に秘めた熱情のようなものが感じられず、代わりに少し青ざめて見える表情の向こう側に、まるで熟す前の果実のような誠実であるが故の凛々しさと、そして何故か哀しみとが感じられたのでした。 そこへ季節外れの「雪」。久米川では桜の花びらよりも大きな牡丹雪が、羽根飾りのように音もなく降りしきり、そして、ぼくはあっさりと納得したのです。折角の桜がそんなにも青ざめて見えたのは、弥生の空を最後に飾る、そんな雪を予定していたからだったのだと。 「思いがけず降り出した雪に『なごり雪』のメロディーが鳴り止まないぼくです。」 歓喜のあまり、そんなメールを思いつく友人に片っ端から送りつけました。PHSから携帯に替えて間もない頃だったからでしょうか、送り主のわからないそんなメールに友人の一人が「だれ?」と返事を寄越して、初めて自分の失態を理解したのです。慌てて「石井です(^^;)」と返信したところ、「そうだろうと思った(^^)」と、あっさり見抜かれていたことに苦笑いしたぼくでした。 さて、名曲『なごり雪』ですが、「汽車を待つ君の横で」ぼくはしきりに「時計を気にして」います。「ぼく」が確認していたのは、「君」と歩いた青春の幕が下りる瞬間までのカウントダウン。そんな二人を包むように折しも「季節外れの雪」が降りしきります。 「東京で見る雪はこれが最後ね」「君」がポツリとつぶやきます。「東京で見る雪は」と限定していることから推測すると、この女性が帰る故郷は雪が降ることのある場所だと判断できます。もちろん歌の舞台は東京で、時計を気にしながら「汽車を待つ」のですから、この駅はどうやら始発駅ではなさそうです。2番の冒頭で「動き始めた汽車の窓に顔をつけて」君は何か言おうとします。つまり、この汽車は窓の開かない特急列車なのでしょう。大切な最後の言葉を伝えるのに、開くはずの窓を開けないなどということは考えられません。「ぼく」はといえば、「君の唇が『さようなら』と動くことが怖くて」目を逸らし、下を向いてしまいます。 ここまでを整理してみると、舞台設定は「桜も咲きそろった弥生の空に思いがけず降りしきるなごり雪の日、特急列車が止まる、始発駅ではない東京のどこかの駅で、学生時代を共に歩んだ主人公とその恋人が、卒業を境に別々の道を歩き始める」といったところでしょうか。 ......

15 03, 2022

【コラム⑫】自分の夢に誠実に

By |2022-03-15T13:43:04+09:002022年03月15日|国分寺ブログ|0 Comments

ぼくには、かなった夢も、かなわなかった夢も、それぞれに数えきれないくらいあります。その積み重ねが今のぼくを形作っていると言っても、決して大袈裟ではないでしょう。 ミルフィーユのように……。あるいは一枚のコインの表と裏と言えるでしょうか。 だから、かなわなかった夢、それを追いかけていた日々、それを切り捨ててしまえば、ぼくはぼくでなくなってしまうのではないかと思うのです。   人生の様々な場面で、夢や目標を持ち、その実現のために努力や工夫を重ねます。 かなうか。 かなわないか。 それは結果が出るまでは誰にもわかりません。   だから、ぼくが大切にしてきたことは、せめて自分の夢に対して誠実であること。 ......

8 03, 2022

現役中学生による「新中1ガイダンス」

By |2022-03-31T11:30:36+09:002022年03月08日|国分寺ニュース|0 Comments

中学校生活の準備はこれで解決!! 日時:第1弾 3月19日(土)15:00~16:00 受付終了 第2弾 4月16日(土)14:30~15:30 受付中 会場:ファインズ国分寺スクール 対象:4月から中学1年生になるお子様・保護者様 約20名 参加費:無料 内容: ●中学校生活 小学校とはここが違う!  「定期テスト」「部活動」「高校受験」etc. ●現役中学生による中学校生活ガイド! ......

24 02, 2022

【コラム⑪】ベストを尽くすこと

By |2022-02-24T14:44:29+09:002022年02月24日|国分寺ブログ|0 Comments

時に、ベストを尽くしても届かないものがあります。そして、ベストを尽くして届かなければ、人は逃げ道のない場所へと追い込まれてしまいます。だから、中途半端な人間はベストを尽くしません。自分を逃げ場のないところへと追い込んだりしないのです。ベストを尽くすことよりも、届かなかったときの言い訳や逃げ道を確保することにやっきになります。 ベストを尽くすには覚悟が必要です。成功も失敗も、現時点での自分の実力であると正しく認めること。そして、結果に対して恥じないこと。 口で言うほど簡単なことではないけれど、そうと覚悟が決まれば、追い込まれたはずの、逃げ道のない場所から、さらに先へと続く扉がはじめて開かれるのです。 考えれば考えるほど、この思いは強くなります。つまり、頭ではとっくの昔にわかっているはずのことなのです。それでも時々、そんなふうに覚悟を決めて生きることに気後れがして、次の一歩を、前に向けて踏み出せなくなる自分がいたりします。 やはり闘うべき相手は、自分自身の中にいるのですね。 誤魔化しのきかない自分自身に対して、しっかりと胸を張ることができるように、自分と闘うことから逃げずに生きていきたいと、そんなふうに心から願っているのです。 文責:石井

18 02, 2022

【校長コラム】文系の数学について

By |2022-02-24T14:56:28+09:002022年02月18日|国分寺ブログ|0 Comments

前回、このコラムにも書きましたが、共通テストの数学が難化しました。 それで大きな影響を受けたのが、文系学部を社会ではなく数学で受験する皆さんです。 従来、文系数学は易しいと一般的には言われてきましたが、ご存知の通り、共通テストでは、理系の生徒と同じ問題を解かなければならないため、結果を出しづらくなってしまいました。 特に共通利用の私大入試には不利と言える状況です。 もちろん、偏差値化して見てくれるところもありますが、数学の学習に受験勉強全体の多くを割かなければならない、という生徒が多く、正直に言ってお勧めできません。 文系で数学で受験しようと思っている皆さんは、よく考えてから受験科目を決定した方がいいでしょう。  

8 02, 2022

【コラム⑩】受験生応援グッズ

By |2022-02-14T14:41:20+09:002022年02月08日|国分寺ブログ|0 Comments

以前ほどの過熱ぶりは見られないものの、毎年この時期になると「受験生応援グッズ」があれこれ出回ります。 記憶に残っている範囲で、それらをまとめてみたいと思います。   ①約半世紀の販売実績があったものの2017年8月に東日本での販売が終了した株式会社明治の「カール」。当時は受験期限定で「カール」の前に「ウ」が付いて「ウカール」として店頭に並びました。もちろん「受かる」に掛けてあります。 ②「ハイレモン」というタブレット菓子があります。「ハイレモン」自体は現在でも販売されていますが、一時期、受験期になると「レ」と「モ」の間に「ル」が入って、「ハイレルモン」として販売されていました。「入れるもん」という表現が可愛らしくて印象に残っています。 ③東ハト「Caramel Corn(キャラメルコーン)」が、受験期になると「Canaeru Corn(カナエルコーン)」に変身します。ローマ字ですのでぱっと見にはわからないのですが、よく見ると確かに変身しています。願いを「叶えるコーン」という意味なのでしょう。 ④「エースコックのわかめラーメン」というカップ麺があります。確認した範囲ではわずか1年だけでしたが、これが「英数国のわかるラーメン」という名称にかわって店頭に並んでいたことがあります。思わず購入して、校舎に飾った記憶があります。 ⑤「Toppo」というスティック状のお菓子があります。受験期にはアルファベット表記の最後の「o」が「a」に変化して「Toppa(突破)」となって販売されていました。 ⑥「Pocky」の外箱に「吉報 ポッキーでキッポー」というアイコンがデザインされて、これも受験応援グッズとなっています。 ......

4 02, 2022

【暦の話⑰】「君がため春の野に出でて若菜摘む……」

By |2022-02-04T17:44:54+09:002022年02月04日|Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

「立春」であるという心理的な補正が多少はかかっているにしても、今日はどことなく「春」を感じさせる優しい陽射しの一日でした。   暦の上では春が到来したものの、もちろん厳しい寒さはまだまだ続きます。 それでも冬至から春分の日までのほぼ中間地点となる今日の太陽の南中高度は、31.6度(冬至)からおよそ11.7度上がって43.3度となっています。   「冬来たりなば春遠からじ」 If winter comes , can ......

31 01, 2022

【コラム⑩】分岐点 ー 受験生諸君に贈る

By |2022-01-31T14:10:27+09:002022年01月31日|国分寺ブログ|0 Comments

『 分岐点 』 ― 受験生諸君に贈る ― 分岐点=分かれ道。 それは人生のあらゆる瞬間に待ち構えていて、人生に彩りを与えもすれば、ぼくらを惑い悩ませもする。何か目に見えない大きな力に突き動かされて流れのままに通り過ぎてしまう分岐点もあれば、しっかり立ち止まって自らの意志と責任で選んで進む分岐点もある。そのひとつひとつに、捨て去ってきた別の人生があるとすれば、選んだ人生も、選ばなかった、あるいは選べなかった人生も、歳と共に網の目のように延び広がっていく。その複雑模様こそが人生なのかもしれない。 分岐点のひとつひとつで問題になるのは、自分にとって、果たして何が最も正しい選択かということだが、よくよく考えてみると、人生の渦中にいるぼくら自身に答えの出る問題ではないのかもしれない。迷わずに最短距離でゴールにたどり着くには、ゴールから逆進して答えを見つけるか、もしくは全景を俯瞰しつつ分岐点の先にあるものを知り尽くす必要がある。だが、紙の上の小さな迷路であるならまだしも、人生という名の巨大迷路を歩くとなれば、そうもいかない。それに、もし仮に答えが探せるのだとしても、ぼくはそんなつまらないことをするつもりはこれっぽっちもない。答えのわかってしまったナゾナゾを心から楽しむには、何か別の才能が必要だ。迷路の楽しみが行きつ戻りつ迷うことそのものにあるのだとすれば、人生もまた多かれ少なかれ似たようなものに違いない。訳が分からないからこそ喜びも哀しみも大切に受け止められるのだし、こんなにも人を大事にすることが出来るのだ。何をやってもうまくいった試しがないと人生を嘆き諦めるのは、何でも望み通りになる人生が存在すると信じるほどに愚かなことだ。 もちろん「高校受験」もひとつの分岐点であり、人生においてそう度々は訪れないちょっと大きな分かれ道であるが、大切なことは、「今、この瞬間」が既に掛け替えのない人生の分岐点であると正しく知ることだ。思い描く「明日」のために、今、自分に出来ることの限りを尽くす。そうして積み重なっていく時間こそが、人生を豊かに彩るのである。 別々の道がこの先、人生のある瞬間に再び合流して、結果的に同じ地平に到達することもあるだろうし、目先の成功が却って取り返しのつかない失敗につながっていたり、苦渋の選択のはずが結果として望ましい未来への入口になっていたり……と、十年、二十年先に振り返ってみるのでなければ、分岐点の先がどうなっているのかは誰にもわからない。けれども、そんな人生に於いて、反省はしても後悔だけは決してしないためのたったひとつの方法がある。それは「精一杯努力して得た結果が、自分にとって最も正しい結果なのだ」と気付くことだ。努力を伴わない限り、たとえそれがどれほど素晴らしい結果であっても、ぼくは価値を認めない。仮に、思い描いた未来図とは異なっていても、真摯な努力の末の結果であれば、そこに価値を認めよう。 ......

24 01, 2022

【暦の話⑯】立春ー新しい年の始まり

By |2022-01-24T19:06:46+09:002022年01月24日|国分寺ブログ|0 Comments

「旧正月」という言葉を聞いたことのある方も多いと思います。 「立春」と時期が重なるうえに、どちらも「新しい一年の始まり」と捉えるなら、同一視することもできそうですが、正確には同じものではありません。 「旧正月」は冬至から数えて2度目の新月の日という定義で、「立春」は太陽の黄経が315度となる日という定義になります。 2022年は、「旧正月」が2月1日(新月)となり、「立春」の2月4日と3日ほどずれています。 さて、立春の前日(2022年は2月3日)といえば「節分」ですが、「節分」とは読んで字のごとく「季節を分ける日」という意味ですから、冬から春、春から夏、夏から秋、秋から冬と、本来であれば1年に4回あります。中でも一年の終わりとなる立春前日の「節分」が重要な意味を持つことは容易に想像がつきますね。この日を特別に「節分」と呼ぶようになったのは江戸時代後期のことだそうです。 1年の始まりが「立春」なら、「節分」は1年の終わり、つまり大晦日にあたります。今でこそ「恵方巻」を、その年の恵方に向かって正座し、無言で食すなどという新しい習慣が流行っていますが、大晦日ですので蕎麦を食すのが本来の在り方です。12月31日の「年越し蕎麦」と区別して現代では「節分蕎麦」という名称で饗されているようです。 節分の日に「鬼は外、福は内」という掛け声とともに豆を撒く習慣は、平安時代より宮中で行われていた大晦日の「追儺(ついな)」「鬼やらい」にその原型を見ることができます。 このように考えてみると、「節分」と「大晦日」はやはり重ね合わせて考えることが出来そうですね。   ちなみに今年の恵方は「北北西やや北」という微妙な方位となっています。

22 01, 2022

【校長コラム】2022年1月「共通テストの衝撃」

By |2022-01-23T14:45:59+09:002022年01月22日|国分寺ブログ|0 Comments

1/15、1/16の土日に行われた第2回共通テストが衝撃的な結果を生んだことは皆様もご存知だと思います。 英語は難易度こそ変わっていないものの450語程度が増え、相変わらず英語力以上に処理能力を問われるテストとなっていました。 国語は一部の出題形式に変化があり、内容も少々難化していました。 そして問題の数学です。 これは難化したというよりも、問題が読み取りずらくなったというべきでしょう。問題文を読み解くための読解力をまず求め、その上で数学力を試すというものでしたが、受験生の皆さんはさぞびっくりしたことでしょう。 本番での予想外はパニックを誘います。とくに文系で数学を選択している生徒たちは大いに苦戦しました。   こうなると来年の共通テストがどうなるかも読めません。年によってコロコロ変えるのはやめてほしいのですが…対策する受験生たちがかわいそうになってきます。   いずれにせよ、早めに対策するのがよさそうです。受験勉強を始める時期が早ければ早いほど、結果が出しやすくなると思われます。付け焼刃では難しい時代になったのかもしれません。 ......

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