【コラム⑬】なごり雪
『なごり雪』という時代を超えて歌い継がれる名曲をご存じでしょうか。 「なごり雪」という言葉には二つの意味があって、ひとつは「北国で春になっても消え残っている雪」そしてもうひとつが「春になっての季節外れの雪降り」。名曲『なごり雪』は後者を歌ったものです。 思わぬ雪となった3月22日はまるで冬に逆戻りしたような寒さでしたが、春分の日を過ぎての雪降りですので「なごり雪」と呼べるでしょう。 「季節外れの雪」で思い出すのは、21世紀最初の年、2001年。あの年、4月を待たずに満開となった久米川通りの桜は、けれども桜特有の内に秘めた熱情のようなものが感じられず、代わりに少し青ざめて見える表情の向こう側に、まるで熟す前の果実のような誠実であるが故の凛々しさと、そして何故か哀しみとが感じられたのでした。 そこへ季節外れの「雪」。久米川では桜の花びらよりも大きな牡丹雪が、羽根飾りのように音もなく降りしきり、そして、ぼくはあっさりと納得したのです。折角の桜がそんなにも青ざめて見えたのは、弥生の空を最後に飾る、そんな雪を予定していたからだったのだと。 「思いがけず降り出した雪に『なごり雪』のメロディーが鳴り止まないぼくです。」 歓喜のあまり、そんなメールを思いつく友人に片っ端から送りつけました。PHSから携帯に替えて間もない頃だったからでしょうか、送り主のわからないそんなメールに友人の一人が「だれ?」と返事を寄越して、初めて自分の失態を理解したのです。慌てて「石井です(^^;)」と返信したところ、「そうだろうと思った(^^)」と、あっさり見抜かれていたことに苦笑いしたぼくでした。 さて、名曲『なごり雪』ですが、「汽車を待つ君の横で」ぼくはしきりに「時計を気にして」います。「ぼく」が確認していたのは、「君」と歩いた青春の幕が下りる瞬間までのカウントダウン。そんな二人を包むように折しも「季節外れの雪」が降りしきります。 「東京で見る雪はこれが最後ね」「君」がポツリとつぶやきます。「東京で見る雪は」と限定していることから推測すると、この女性が帰る故郷は雪が降ることのある場所だと判断できます。もちろん歌の舞台は東京で、時計を気にしながら「汽車を待つ」のですから、この駅はどうやら始発駅ではなさそうです。2番の冒頭で「動き始めた汽車の窓に顔をつけて」君は何か言おうとします。つまり、この汽車は窓の開かない特急列車なのでしょう。大切な最後の言葉を伝えるのに、開くはずの窓を開けないなどということは考えられません。「ぼく」はといえば、「君の唇が『さようなら』と動くことが怖くて」目を逸らし、下を向いてしまいます。 ここまでを整理してみると、舞台設定は「桜も咲きそろった弥生の空に思いがけず降りしきるなごり雪の日、特急列車が止まる、始発駅ではない東京のどこかの駅で、学生時代を共に歩んだ主人公とその恋人が、卒業を境に別々の道を歩き始める」といったところでしょうか。 ......