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【アーカイブ㊱】贈る言葉
届く葉書や手紙の数々をワクワクしながら読んでは、その時の嬉しさと共に大切にしまいこんでおく。ぼくの悪い癖は、大事にしまいこんだものほど、すっかり忘れて長い間眠らせてしまうことだ。 久しぶりに取り出した書簡(しょかん)入れから何年も昔の手紙の束が出てくる。処分するつもりで引っ張り出したにも関わらず、またしてもぼくは、その一枚一枚にゆっくりと目を通してしまう。すると、もう決して輝いたりしない、決まり文句と挨拶だけの手紙の束の中から、今日こうして再びぼくに読まれる瞬間を待って暗い箱の片隅で静かに息づいていた手紙が見つかる。当時、確かにぼくのために、ぼくに向けて用意されたそれらの言葉たちは、少しも色あせずそこにあって、ぼくをどうしようもなく嬉しくさせる。 ところで、ぼくの贈ったたくさんの言葉たちは、どこでどうしていることだろう。誰かの心を今も嬉しくさせることがあるのだろうか。忙しさを言い訳に、随分と筆不精になってしまったぼくも、旅に出る機会に恵まれれば、気に入った絵葉書を買い込んで、思いつく友人に片っ端から旅の便りを送りつけたりする。できれば大切な人の心に届いて、いつまでも色あせずにその意味を伝え続けてくれるような、そんな言葉を贈ることが出来たらいいと、ずいぶん欲張りなことを考えながら、性懲(しょうこ)りもなく筆を執(と)るのだ。 ※現代ではスマホやパソコンを使ったメールのやり取りが圧倒的で、特別な場合を除いて、日常的に手紙やはがきを書く機会はほとんどありません。スマホやパソコンの画面に表示される無機質な文面より、癖のある、もしくは味のある手書きの手紙やはがきの有難味は格別ですね。 文責:石井
【アーカイブ㉟】分岐点 ― 受験生諸君に贈る
分岐点、それは人生のあらゆる瞬間に待ち構えていて、人生に彩りを与えもすれば、ぼくらを惑い悩ませもする。 何か目に見えぬ大きな力に押し流されて知らぬ間に通り過ぎてしまう分岐点もあれば、しっかり立ち止まって自らの意志と責任で選んで進む分岐点もある。そのひとつひとつに、捨て去ってきた別の人生があるとすれば、選んだ人生も、選ばなかった、あるいは選べなかった人生も、歳と共に網の目のようにどんどんと延び広がっていく。その複雑模様こそが人生なのかもしれない。 分岐点のひとつひとつで問題になるのは、自分にとって、果たして何が最も正しい選択かということだが、よくよく考えてみると、人生の渦中にいるぼくら自身に答えの出る問題ではないのかもしれない。 迷わずに最短距離でゴールにたどり着くには、ゴールから逆進して答えを見つけるか、もしくは全景を俯瞰(ふかん)しつつ分岐点の先にあるものを知り尽くす必要がある。だが、紙の上の小さな迷路であるならまだしも、人生という名の巨大迷路を歩くとなれば、そうもいかない。それに、もし仮に答えが探せるのだとしても、ぼくはそんなつまらないことをするつもりはこれっぽっちもない。答えのわかってしまったナゾナゾを心から楽しむには、何か別の才能が必要だ。迷路の楽しみが行きつ戻りつ迷うことそのものにあるのだとすれば、人生もまた多かれ少なかれ似たようなものに違いない。訳が分からないからこそ喜びも哀しみも大切に受け止められるのだし、こんなにも人を大事にすることが出来るのだ。何をやってもうまくいった試しがないと人生を嘆き諦めるのは、何でも望み通りになる人生が存在すると信じるほどに愚かなことだ。 「受験」、それはひとつの分岐点であり、人生に於(お)いてそう度々は訪れないちょっと大きな分かれ道である。ぼくが心から諸君を応援するのは、それが仕事だからということでは決してなく、小学時代、あるいは中学時代というものが、間違いなく諸君の人生におけるまたとない、ひとつの輝かしい季節であるからだ。心豊かな少年時代、もしくは少女時代を過ごした者だけがステキな大人になれるのだとしたら、この季節を、なし崩しに自分をすり減らして息も絶え絶えに乗り切るのではなく、むしろ生き生きと自分を満たし、しっかりと成長し切って卒業しなければならない。 「受験勉強」に、ではない、自分の「人生」に真摯(しんし)に立ち向かえ。 別々の道がいつかその先で合流して同じ結果を生み出すこともあれば、目先の成功がより大きな失敗につながっていたり、苦渋の選択のはずが結果として望ましい未来への入り口になっていたり・・・と、十年・二十年先に振り返ってみるのでなければ分岐点の先がどうなっているのかは誰にもわからない。けれども、そんな人生に於いて、反省はしても後悔だけは決してしないための、たったひとつの方法がある。 ......
【アーカイブ㉞】百篇のひとりごと
言葉なんていらない、と思う。どれほど言葉を費やしても想いが伝わらないならば・・・。 言葉など必要ない、とも思う。心に描くだけで想いが伝わるのであれば・・・。 自分の表現力を棚に上げてそんなことを考えながら、それでも今日まで数え切れないほどの言葉を紡ぎ出し、恐らくは明日からも言葉の可能性に賭けてみるという決意に変わりはないのです。 こうしてファインズのホームページにコラムを書き始めて、早くも1年が経とうとしています。<ひとりごと>も100回を数えるまでになりました。 その時々の思いの丈を、またある時は長い長い時間心に大切に温めてきた様々な季節の横顔を、そっとすくい上げるように言葉に置き換えて綴ってきたつもりでいます。 2005年6月10日 No.1 美しい言葉を心の引き出しに豊かにしまっている人は、その人自身がまた例えようもなく美しいと思うのです。 美しい言葉と出会うこと、またはそのために努力することが、ぼくらの人生を豊かに彩ってくれることは想像に難くありません。 ......
【コラム㉝】マンホールカード
マンホールカードの収集が秘かなブームになっていることをご存じでしょうか。 地元の国分寺市でも2種類のマンホールカードが無料配布されています。 宇宙開発に所縁のある国分寺市らしく、国分寺駅北口周辺に宇宙開発にちなんだ14種類のデザインマンホールがありますが、マンホールカード第1弾はその中から特に「ペンシルロケット」のデザインのものが選ばれています(2017/12/9発行)。 配布場所は…… ①平日 市役所 ②土日祝日 cocobunjiプラザ総合案内(cocobunji West 5F) ......
【コラム㉜】新緑の季節
透き通る欅の新緑を渡るひんやりと心地よい風の色 若葉を透きこぼれる陽射しの匂い 雑踏に柔らかく溶け込んだ様々な音の肌触り 今まさに初夏を迎えようとする 生き生きと優しい風景の中で 大きな声で叫んだり 熱く語ったりする必要もなく 生きることをサラリと肯定してみせる自然の営みは まったく見事としか言いようがありません ......
【アーカイブ㉝】On your mark
入学式を終えていよいよ中学生・高校生となった今年の卒業生たちが、まだどこか着慣れない真新しい制服姿で、ぽつりぽつり校舎へ顔を出してくれます。 少しずつくたびれて着慣れていく制服と引き換えに、彼(彼女)らは一体どんな経験を重ねていくのでしょうか。修行中の身であってみれば、無事平穏な、あるいは良いことばかりの薄っぺらな日常より、なけなしの智恵と勇気を総動員して自らの責任と努力で乗り越えていける程度の艱難とも適度に出会いながら、人間としての厚みを増していって欲しいと、何だか贅沢なことを望んだりもします。 ところでこの「入学式」ですが、どういうわけかぼくの記憶の中では「卒業式」ほどには印象に残っていないのです。 新しい季節へと最初の一歩を踏み出していくときの晴れやかな気持ち。小さな胸に満ちた期待と不安。それが光の飽和した桜の季節であること……。けれども、人生におけるその大切な瞬間がすっぽりと抜け落ちてしまったように印象に薄いのは一体なぜでしょう。 例えばそれは、心の中のアルバムに仕舞うのが「可能性」などという抽象的なものではなくて、それぞれの季節を彩る大切な人や風景といった具体的なものであるからでしょうか。あるいはまた、心の中に大切な人たちが座るべき何脚かの椅子があるとすれば、記憶に刻むのはそこに座った大切な一人一人の人であって、これからそこに座るべき人を待っている空の椅子などでは決してないということなのかもしれません。 そうそう、今年の卒業生たちの話でした。 中学時代・高校時代と、甘酸っぱくて、どこかほろ苦い思いをもってそんな季節を過ごしてきたぼく自身の経験から言っても、誰もがすぐに大人になってしまいます。本当に、それは瞬く間に通り過ぎてしまう季節なのです。だから決して急ぐ必要はありません。急ぐあまりに中味のない大人になってしまっては元も子もありません。良いことも悪いこともひっくるめて中味の濃い、充実した少年時代・少女時代を過ごした人だけが心豊かな大人になれるのだとすれば、「今」「ここ」を軽視して「いつか」「どこか」を追い求めてばかりいる空疎な日常であってはならないのです。 「On your ......





