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24 07, 2023

【アーカイブ㊶】河童忌

By |2023-07-24T18:58:10+09:002023年07月24日|国分寺ブログ|0 Comments

 明治天皇の崩御に遅れること四年五ヶ月、明治を代表する文豪・夏目漱石の死をきっかけとして「大正」という文化がようやく独自の輝きを持って動き始めたように、昭和二年七月二十四日未明、大正天皇の崩御に遅れること八ヶ月、大正時代を代表する作家・芥川龍之介の死を境に「昭和」という新しい時代が或る加速度をもって流れ始めたのです。  その時代を代表するような、あるいはその時代に独自の輝きを放った人物が、まるで舞台を去る役者さながらに時代に殉じていくという歴史的事実は、まるで偶然の一致と安易に済まされることを拒むかのように溢れています。  坂本竜馬しかり、高杉晋作しかり、夏目漱石に芥川龍之介、新しいところでは石原裕次郎や美空ひばり……。  七月二十四日。今日は芥川龍之介の命日「河童忌」です。  芥川龍之介が亡くなって今年で七十八(*)年が経ちます。  決して小・中学生向きではありませんが、芥川龍之介のまた別の一面を知りたいと思うのであれば、手近なテキストとして近藤富枝の手になる文学資料「田端文士村」および史実に材を得たフィクションとして読み応え充分な久世光彦著「蕭々館日録(しょうしょうかんにちろく)」とがあります。  時代を超えて世界に高く評価された作品の数々もさることながら、その人生こそがより文学的であったと評される芥川龍之介。この機会にその人生に思いを馳せるべく上記二冊を手にしてみてはどうでしょう。 文責:石井 *アーカイブとして当時のままの文章を掲載していますが、今年で没後96年となります。  

14 07, 2023

【アーカイブ㊵】つまらない大人にはなりたくない

By |2023-07-14T14:45:47+09:002023年07月14日|国分寺ブログ|0 Comments

 小学生の頃の、幼くて愚かで、けれどもどこか輝いていた自分。  悩み多き中学生時代の、勉強に運動に友情に恋にひた向きだった自分。  時に現実と対峙した高校時代の、どこかふやけて、それでいてとがっていた自分。 それぞれの季節を歩き通した自分の、ときめきや喜びや小さな幸せ…。 悲しみや怒りや悔しさ…。  そんな心の動きを忘れない大人になりたいと心から思うのです。 それが仮にどんな自分の姿であれ、いつか微笑んで見つめられる瞬間が来ます。  成功も失敗も何もかもひっくるめて「今」という瞬間へ連続した「過去」が誰にでもあります。 世の中には、それをすっかり忘れた、もしくは粉飾し隠蔽する大人が多すぎて 時々がっかりさせられることがあります。 ......

7 07, 2023

【アーカイブ㊴】梅雨の主役たち②

By |2023-07-07T21:23:52+09:002023年07月07日|国分寺ブログ|0 Comments

【蛍】  梅雨に出会うものたちの中でも【蛍】の存在はやはり特別です。  けれども、東京暮らしのぼくにとって、それは意識して逢いに行くべき、日常の生活圏を遥かに超えた存在であるという哀しさがあります。  昭和村の自然体験教室で、闇に舞うわずかな蛍火を今年の生徒たちと、それでも大変印象深く鑑賞した翌週の日曜日に、毎年訪ねている長野県辰野町の蛍の里を一人訪ねました。年に一度の訪問でありながら、かれこれ十数年にわたって通い詰めたぼくには、本来なら見知らぬはずのこの町に大切な知人が存在します。今年は仲間たちの都合がつかず、まるで原点に戻ったような一人旅であったため、天竜川の堤防での酒宴とはなりませんでしたが、馴染みの瀬戸物屋には手土産を持って挨拶にうかがいました。元気そうに応対に出たご主人としばし歓談し、来年はまたみんなで寄らせてもらう約束をした後、蛍の里<松尾峡>へと足を延ばしました。  若干ピークを過ぎていたこともあって、公式発表では当日の蛍の目撃数が2550匹ということでした。多い夜には20000匹を数えるほどの蛍が飛び交うことを考えると、わずかに8分の1の数ではありますが、どういう塩梅(あんばい)か、今年の蛍は「はっ」と息を呑むほどの美しさでありました。  世界には約2000種類、日本には約40種類の蛍が生息していますが、発光する蛍はそれほど多くはなく、またゲンジボタルやヘイケボタルのように幼虫の時期を水中で過ごす種類は特に珍しいのだそうです。  蛍の代表といえば、何といっても日本の固有種であるゲンジボタルですが、実はこのゲンジボタルには「西日本型」と「東日本型」があって、2秒間に一度明滅するのが西日本型、一方東日本型の明滅は4秒間に一度となっているそうです。蛍の明滅は呼吸のタイミングと関係があると聞いたことがありますので、西日本型はややせっかちに呼吸しているということでしょうか。いずれにしても、緩やかにシンクロしながらフェイドイン・フェイドアウトするゲンジボタルは、日本の山野の風情によく似合っています。  最後に、蛍を題材とした多くの詩歌の中から、そのいくつかを紹介して本日の<ひとりごと>をまとめることにします。   ◇ 音もせで思ひに燃ゆる蛍こそ 鳴く虫よりもあはれなりけれ (後拾遺集 源重之) ......

6 07, 2023

【アーカイブ㊳】梅雨の主役たち①

By |2023-07-06T16:11:26+09:002023年07月06日|国分寺ブログ|0 Comments

【紫陽花】  紫陽花の「Hydrangea」という学名は「水の器」という何とも美しい意味なのだそうです。花の色が土壌のpH濃度等によって様々に変化するので和名「七変化」とも呼ばれます。よく見かける球状のものは改良品種の西洋アジサイで、花のすべてが額の変化した装飾花となっています。シーボルトによって世界に紹介された「アジサイ」の原種は日本のガクアジサイ(房の辺縁だけに装飾花がついてリング状に見えるもの)で、その色は「青」だったと言われています。  東京周辺の紫陽花の名所は、日野の高幡不動、文京区の白山神社、東京サマーランド「花の里」、鎌倉の明月院・東慶寺・長谷寺などなど…。  明るい空から大粒の雨の雫が時折パラパラと落ちてくるような、そんな天気の日が昔から好きでした。雫の一粒一粒が光を宿して、まるで水晶のかけらのようにきらめきます。急ぎ足で駅前のロータリーを横切っていく人の波に雨の雫が降りかかると、まるで紫陽花のように色とりどりの傘の華がパッと一斉に咲きます。それに雨の中でこそ、ぼくの好きな紫陽花の花も生き生きと美しいのだ、などと考えれば梅雨もなかなか捨てたものではありません。  まして、一晩続いた雨が名残なくあがった日の朝の風景は、例える言葉も浮かばないくらい美しかったりします。水溜りに映った青い空を悠々と流れていく雲。風が吹けばさざ波がたって、目の裏の痛くなるような光たちの乱反射。塵ひとつない透明な芳(かぐわ)しき大気。まだしっとりと露を含んだ紫陽花の花は一服の清涼剤のようでもあります。そんな風景に身をさらせば、胸のうちに生きる「元気」のようなものが静かに湧き出してもきます。  6月9日に例年より一日遅く梅雨入りした関東甲信越地方。さてさて梅雨明けはいつのことでしょう? 文責:石井

3 07, 2023

【アーカイブ㊲】ウィンド・オーケストラ

By |2023-07-03T15:44:08+09:002023年07月03日|国分寺ブログ|0 Comments

なぜか国分寺スクールには吹奏楽部の生徒が多い。 もうずいぶんと前のことになるが、一体何の話の続きだったのか彼女たちとの会話の中で、ぼくが「ブラスバンド」という表現を使ったところ、女生徒の一人に「ブラスバンドじゃありません。ウィンドオーケストラですぅ」とほんの少し怒った表情で言われた。それで何だかひどくしくじった気がして調べてみたのだが、吹奏楽を「ブラスバンド」と呼び習わすのは、これまである程度一般的であったようで、そのことに少しばかりほっとすると共に、これからは「ウィンドオーケストラ」と呼ぶように心掛けようと思ったぼくだ。 ブラスバンドというのは金管楽器と打楽器の編成からなるもので、木管楽器・金管楽器・打楽器の編成による音楽を、それとは区別して「ウィンドバンド」「ウィンドアンサンブル」または「ウィンドオーケストラ」と呼ぶのが正式であるらしい。 夏期講習のはざまとなる27日。 アミュー立川の大ホールで「北多摩中学校吹奏楽祭」が開催された。 ファインズ国分寺スクールに9人も通う国分寺第二中学校の吹奏楽部のメンバーに呼ばれて、ぼくは、春先の「第一回国分寺市立中学校吹奏楽部合同バンド定期演奏会」に引き続き宮尾先生と二人で彼女たちの演奏を聴きに立川へと足を運んだ。 夏の東京都中学校吹奏楽コンクールに向けて最後の仕上げに入ったはずの各中学校の演奏は、けれどもまだまだ完成途上で、どこか物足りない印象だった(去年コンクールで金賞をとり、「東日本大会」までコマを進めた国分寺第四中学校の演奏はさすがに良かったと聞いたので、これはあくまでもぼくが聴いた範囲での感想である)。 今年のコンクール自由曲であるA.リードの「小曲集より」を演奏した、肝心の国分寺第二中学校はどうであったかというと、多少のひいき目も入ったせいか、ぼくの聴いた7校の中ではもっとも仕上がりが良い印象だったが、戻ってきた生徒たち、特に3年生の表情が曇りがちであったことから推して、この日の演奏に関しては、どこか納得のいかない思いを抱いているようでもあった。 応援に行った昨夏のコンクールは銀賞であったから、それでも今年はもう少しやれそうだと判断して、会場で会ったお母さん方に「今年のコンクールは良さそうですね」と声を掛けると、深くうなづく一方で「でも金賞をとると、あとが大変で……」と複雑な表情が返ってきた。つまりは、折角のコンクールに彼女たちの大きな目標である金賞をとらせてやりたい、とって欲しいという気持ちはあるものの、そうして東日本大会・全国大会への出場が決まれば、夏期講習にしわ寄せのきている今現在の状況が、8月の上旬で終わらずに秋口まで延長されることになるという悩みゆえの表情だ。 確かに、コンクールでの活躍と夏期講習への集中とは両立不能の事態である。ぼく自身も、自らの立場を顧みては大いなる矛盾を抱えつつ、かといって応援しないという立場はそもそも選択肢に存在しない以上、彼女たちに許された学習時間の中で最大限の効果をあげるべく協力を惜しまない決意と、この夏の彼女たちの目標に対しても決して裏切らずに最後までエールをおくり続ける覚悟とを決めた。 ......

17 06, 2023

【アーカイブ㊱】贈る言葉

By |2023-06-17T18:43:46+09:002023年06月17日|国分寺ブログ|0 Comments

 届く葉書や手紙の数々をワクワクしながら読んでは、その時の嬉しさと共に大切にしまいこんでおく。ぼくの悪い癖は、大事にしまいこんだものほど、すっかり忘れて長い間眠らせてしまうことだ。  久しぶりに取り出した書簡(しょかん)入れから何年も昔の手紙の束が出てくる。処分するつもりで引っ張り出したにも関わらず、またしてもぼくは、その一枚一枚にゆっくりと目を通してしまう。すると、もう決して輝いたりしない、決まり文句と挨拶だけの手紙の束の中から、今日こうして再びぼくに読まれる瞬間を待って暗い箱の片隅で静かに息づいていた手紙が見つかる。当時、確かにぼくのために、ぼくに向けて用意されたそれらの言葉たちは、少しも色あせずそこにあって、ぼくをどうしようもなく嬉しくさせる。    ところで、ぼくの贈ったたくさんの言葉たちは、どこでどうしていることだろう。誰かの心を今も嬉しくさせることがあるのだろうか。忙しさを言い訳に、随分と筆不精になってしまったぼくも、旅に出る機会に恵まれれば、気に入った絵葉書を買い込んで、思いつく友人に片っ端から旅の便りを送りつけたりする。できれば大切な人の心に届いて、いつまでも色あせずにその意味を伝え続けてくれるような、そんな言葉を贈ることが出来たらいいと、ずいぶん欲張りなことを考えながら、性懲(しょうこ)りもなく筆を執(と)るのだ。   ※現代ではスマホやパソコンを使ったメールのやり取りが圧倒的で、特別な場合を除いて、日常的に手紙やはがきを書く機会はほとんどありません。スマホやパソコンの画面に表示される無機質な文面より、癖のある、もしくは味のある手書きの手紙やはがきの有難味は格別ですね。 文責:石井

1 06, 2023

【アーカイブ㉟】分岐点 ― 受験生諸君に贈る

By |2023-06-01T21:24:08+09:002023年06月01日|Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

 分岐点、それは人生のあらゆる瞬間に待ち構えていて、人生に彩りを与えもすれば、ぼくらを惑い悩ませもする。  何か目に見えぬ大きな力に押し流されて知らぬ間に通り過ぎてしまう分岐点もあれば、しっかり立ち止まって自らの意志と責任で選んで進む分岐点もある。そのひとつひとつに、捨て去ってきた別の人生があるとすれば、選んだ人生も、選ばなかった、あるいは選べなかった人生も、歳と共に網の目のようにどんどんと延び広がっていく。その複雑模様こそが人生なのかもしれない。    分岐点のひとつひとつで問題になるのは、自分にとって、果たして何が最も正しい選択かということだが、よくよく考えてみると、人生の渦中にいるぼくら自身に答えの出る問題ではないのかもしれない。  迷わずに最短距離でゴールにたどり着くには、ゴールから逆進して答えを見つけるか、もしくは全景を俯瞰(ふかん)しつつ分岐点の先にあるものを知り尽くす必要がある。だが、紙の上の小さな迷路であるならまだしも、人生という名の巨大迷路を歩くとなれば、そうもいかない。それに、もし仮に答えが探せるのだとしても、ぼくはそんなつまらないことをするつもりはこれっぽっちもない。答えのわかってしまったナゾナゾを心から楽しむには、何か別の才能が必要だ。迷路の楽しみが行きつ戻りつ迷うことそのものにあるのだとすれば、人生もまた多かれ少なかれ似たようなものに違いない。訳が分からないからこそ喜びも哀しみも大切に受け止められるのだし、こんなにも人を大事にすることが出来るのだ。何をやってもうまくいった試しがないと人生を嘆き諦めるのは、何でも望み通りになる人生が存在すると信じるほどに愚かなことだ。    「受験」、それはひとつの分岐点であり、人生に於(お)いてそう度々は訪れないちょっと大きな分かれ道である。ぼくが心から諸君を応援するのは、それが仕事だからということでは決してなく、小学時代、あるいは中学時代というものが、間違いなく諸君の人生におけるまたとない、ひとつの輝かしい季節であるからだ。心豊かな少年時代、もしくは少女時代を過ごした者だけがステキな大人になれるのだとしたら、この季節を、なし崩しに自分をすり減らして息も絶え絶えに乗り切るのではなく、むしろ生き生きと自分を満たし、しっかりと成長し切って卒業しなければならない。  「受験勉強」に、ではない、自分の「人生」に真摯(しんし)に立ち向かえ。    別々の道がいつかその先で合流して同じ結果を生み出すこともあれば、目先の成功がより大きな失敗につながっていたり、苦渋の選択のはずが結果として望ましい未来への入り口になっていたり・・・と、十年・二十年先に振り返ってみるのでなければ分岐点の先がどうなっているのかは誰にもわからない。けれども、そんな人生に於いて、反省はしても後悔だけは決してしないための、たったひとつの方法がある。 ......

23 05, 2023

【アーカイブ㉞】百篇のひとりごと

By |2023-05-23T21:11:14+09:002023年05月23日|Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

 言葉なんていらない、と思う。どれほど言葉を費やしても想いが伝わらないならば・・・。  言葉など必要ない、とも思う。心に描くだけで想いが伝わるのであれば・・・。    自分の表現力を棚に上げてそんなことを考えながら、それでも今日まで数え切れないほどの言葉を紡ぎ出し、恐らくは明日からも言葉の可能性に賭けてみるという決意に変わりはないのです。  こうしてファインズのホームページにコラムを書き始めて、早くも1年が経とうとしています。<ひとりごと>も100回を数えるまでになりました。  その時々の思いの丈を、またある時は長い長い時間心に大切に温めてきた様々な季節の横顔を、そっとすくい上げるように言葉に置き換えて綴ってきたつもりでいます。   2005年6月10日 No.1 美しい言葉を心の引き出しに豊かにしまっている人は、その人自身がまた例えようもなく美しいと思うのです。  美しい言葉と出会うこと、またはそのために努力することが、ぼくらの人生を豊かに彩ってくれることは想像に難くありません。 ......

11 05, 2023

【コラム㉝】マンホールカード

By |2023-05-11T20:59:18+09:002023年05月11日|Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

マンホールカードの収集が秘かなブームになっていることをご存じでしょうか。 地元の国分寺市でも2種類のマンホールカードが無料配布されています。 宇宙開発に所縁のある国分寺市らしく、国分寺駅北口周辺に宇宙開発にちなんだ14種類のデザインマンホールがありますが、マンホールカード第1弾はその中から特に「ペンシルロケット」のデザインのものが選ばれています(2017/12/9発行)。    配布場所は…… ①平日 市役所 ②土日祝日 cocobunjiプラザ総合案内(cocobunji West 5F)   ......

20 04, 2023

【コラム㉜】新緑の季節

By |2023-04-20T16:16:41+09:002023年04月20日|国分寺ブログ|0 Comments

   透き通る欅の新緑を渡るひんやりと心地よい風の色   若葉を透きこぼれる陽射しの匂い   雑踏に柔らかく溶け込んだ様々な音の肌触り   今まさに初夏を迎えようとする   生き生きと優しい風景の中で   大きな声で叫んだり   熱く語ったりする必要もなく   生きることをサラリと肯定してみせる自然の営みは   まったく見事としか言いようがありません  ......

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