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【アーカイブ㊶】河童忌
明治天皇の崩御に遅れること四年五ヶ月、明治を代表する文豪・夏目漱石の死をきっかけとして「大正」という文化がようやく独自の輝きを持って動き始めたように、昭和二年七月二十四日未明、大正天皇の崩御に遅れること八ヶ月、大正時代を代表する作家・芥川龍之介の死を境に「昭和」という新しい時代が或る加速度をもって流れ始めたのです。 その時代を代表するような、あるいはその時代に独自の輝きを放った人物が、まるで舞台を去る役者さながらに時代に殉じていくという歴史的事実は、まるで偶然の一致と安易に済まされることを拒むかのように溢れています。 坂本竜馬しかり、高杉晋作しかり、夏目漱石に芥川龍之介、新しいところでは石原裕次郎や美空ひばり……。 七月二十四日。今日は芥川龍之介の命日「河童忌」です。 芥川龍之介が亡くなって今年で七十八(*)年が経ちます。 決して小・中学生向きではありませんが、芥川龍之介のまた別の一面を知りたいと思うのであれば、手近なテキストとして近藤富枝の手になる文学資料「田端文士村」および史実に材を得たフィクションとして読み応え充分な久世光彦著「蕭々館日録(しょうしょうかんにちろく)」とがあります。 時代を超えて世界に高く評価された作品の数々もさることながら、その人生こそがより文学的であったと評される芥川龍之介。この機会にその人生に思いを馳せるべく上記二冊を手にしてみてはどうでしょう。 文責:石井 *アーカイブとして当時のままの文章を掲載していますが、今年で没後96年となります。
【アーカイブ㊵】つまらない大人にはなりたくない
小学生の頃の、幼くて愚かで、けれどもどこか輝いていた自分。 悩み多き中学生時代の、勉強に運動に友情に恋にひた向きだった自分。 時に現実と対峙した高校時代の、どこかふやけて、それでいてとがっていた自分。 それぞれの季節を歩き通した自分の、ときめきや喜びや小さな幸せ…。 悲しみや怒りや悔しさ…。 そんな心の動きを忘れない大人になりたいと心から思うのです。 それが仮にどんな自分の姿であれ、いつか微笑んで見つめられる瞬間が来ます。 成功も失敗も何もかもひっくるめて「今」という瞬間へ連続した「過去」が誰にでもあります。 世の中には、それをすっかり忘れた、もしくは粉飾し隠蔽する大人が多すぎて 時々がっかりさせられることがあります。 ......
【アーカイブ㊴】梅雨の主役たち②
【蛍】 梅雨に出会うものたちの中でも【蛍】の存在はやはり特別です。 けれども、東京暮らしのぼくにとって、それは意識して逢いに行くべき、日常の生活圏を遥かに超えた存在であるという哀しさがあります。 昭和村の自然体験教室で、闇に舞うわずかな蛍火を今年の生徒たちと、それでも大変印象深く鑑賞した翌週の日曜日に、毎年訪ねている長野県辰野町の蛍の里を一人訪ねました。年に一度の訪問でありながら、かれこれ十数年にわたって通い詰めたぼくには、本来なら見知らぬはずのこの町に大切な知人が存在します。今年は仲間たちの都合がつかず、まるで原点に戻ったような一人旅であったため、天竜川の堤防での酒宴とはなりませんでしたが、馴染みの瀬戸物屋には手土産を持って挨拶にうかがいました。元気そうに応対に出たご主人としばし歓談し、来年はまたみんなで寄らせてもらう約束をした後、蛍の里<松尾峡>へと足を延ばしました。 若干ピークを過ぎていたこともあって、公式発表では当日の蛍の目撃数が2550匹ということでした。多い夜には20000匹を数えるほどの蛍が飛び交うことを考えると、わずかに8分の1の数ではありますが、どういう塩梅(あんばい)か、今年の蛍は「はっ」と息を呑むほどの美しさでありました。 世界には約2000種類、日本には約40種類の蛍が生息していますが、発光する蛍はそれほど多くはなく、またゲンジボタルやヘイケボタルのように幼虫の時期を水中で過ごす種類は特に珍しいのだそうです。 蛍の代表といえば、何といっても日本の固有種であるゲンジボタルですが、実はこのゲンジボタルには「西日本型」と「東日本型」があって、2秒間に一度明滅するのが西日本型、一方東日本型の明滅は4秒間に一度となっているそうです。蛍の明滅は呼吸のタイミングと関係があると聞いたことがありますので、西日本型はややせっかちに呼吸しているということでしょうか。いずれにしても、緩やかにシンクロしながらフェイドイン・フェイドアウトするゲンジボタルは、日本の山野の風情によく似合っています。 最後に、蛍を題材とした多くの詩歌の中から、そのいくつかを紹介して本日の<ひとりごと>をまとめることにします。 ◇ 音もせで思ひに燃ゆる蛍こそ 鳴く虫よりもあはれなりけれ (後拾遺集 源重之) ......
【アーカイブ㊳】梅雨の主役たち①
【紫陽花】 紫陽花の「Hydrangea」という学名は「水の器」という何とも美しい意味なのだそうです。花の色が土壌のpH濃度等によって様々に変化するので和名「七変化」とも呼ばれます。よく見かける球状のものは改良品種の西洋アジサイで、花のすべてが額の変化した装飾花となっています。シーボルトによって世界に紹介された「アジサイ」の原種は日本のガクアジサイ(房の辺縁だけに装飾花がついてリング状に見えるもの)で、その色は「青」だったと言われています。 東京周辺の紫陽花の名所は、日野の高幡不動、文京区の白山神社、東京サマーランド「花の里」、鎌倉の明月院・東慶寺・長谷寺などなど…。 明るい空から大粒の雨の雫が時折パラパラと落ちてくるような、そんな天気の日が昔から好きでした。雫の一粒一粒が光を宿して、まるで水晶のかけらのようにきらめきます。急ぎ足で駅前のロータリーを横切っていく人の波に雨の雫が降りかかると、まるで紫陽花のように色とりどりの傘の華がパッと一斉に咲きます。それに雨の中でこそ、ぼくの好きな紫陽花の花も生き生きと美しいのだ、などと考えれば梅雨もなかなか捨てたものではありません。 まして、一晩続いた雨が名残なくあがった日の朝の風景は、例える言葉も浮かばないくらい美しかったりします。水溜りに映った青い空を悠々と流れていく雲。風が吹けばさざ波がたって、目の裏の痛くなるような光たちの乱反射。塵ひとつない透明な芳(かぐわ)しき大気。まだしっとりと露を含んだ紫陽花の花は一服の清涼剤のようでもあります。そんな風景に身をさらせば、胸のうちに生きる「元気」のようなものが静かに湧き出してもきます。 6月9日に例年より一日遅く梅雨入りした関東甲信越地方。さてさて梅雨明けはいつのことでしょう? 文責:石井
七夕飾り、たくさんのお願い
校舎で七夕飾りを飾りました。みんなで願い事を書きました。 一人で5個も6個も願い事をした生徒もいます。みんなの願いが叶うといいね。
【アーカイブ㊲】ウィンド・オーケストラ
なぜか国分寺スクールには吹奏楽部の生徒が多い。 もうずいぶんと前のことになるが、一体何の話の続きだったのか彼女たちとの会話の中で、ぼくが「ブラスバンド」という表現を使ったところ、女生徒の一人に「ブラスバンドじゃありません。ウィンドオーケストラですぅ」とほんの少し怒った表情で言われた。それで何だかひどくしくじった気がして調べてみたのだが、吹奏楽を「ブラスバンド」と呼び習わすのは、これまである程度一般的であったようで、そのことに少しばかりほっとすると共に、これからは「ウィンドオーケストラ」と呼ぶように心掛けようと思ったぼくだ。 ブラスバンドというのは金管楽器と打楽器の編成からなるもので、木管楽器・金管楽器・打楽器の編成による音楽を、それとは区別して「ウィンドバンド」「ウィンドアンサンブル」または「ウィンドオーケストラ」と呼ぶのが正式であるらしい。 夏期講習のはざまとなる27日。 アミュー立川の大ホールで「北多摩中学校吹奏楽祭」が開催された。 ファインズ国分寺スクールに9人も通う国分寺第二中学校の吹奏楽部のメンバーに呼ばれて、ぼくは、春先の「第一回国分寺市立中学校吹奏楽部合同バンド定期演奏会」に引き続き宮尾先生と二人で彼女たちの演奏を聴きに立川へと足を運んだ。 夏の東京都中学校吹奏楽コンクールに向けて最後の仕上げに入ったはずの各中学校の演奏は、けれどもまだまだ完成途上で、どこか物足りない印象だった(去年コンクールで金賞をとり、「東日本大会」までコマを進めた国分寺第四中学校の演奏はさすがに良かったと聞いたので、これはあくまでもぼくが聴いた範囲での感想である)。 今年のコンクール自由曲であるA.リードの「小曲集より」を演奏した、肝心の国分寺第二中学校はどうであったかというと、多少のひいき目も入ったせいか、ぼくの聴いた7校の中ではもっとも仕上がりが良い印象だったが、戻ってきた生徒たち、特に3年生の表情が曇りがちであったことから推して、この日の演奏に関しては、どこか納得のいかない思いを抱いているようでもあった。 応援に行った昨夏のコンクールは銀賞であったから、それでも今年はもう少しやれそうだと判断して、会場で会ったお母さん方に「今年のコンクールは良さそうですね」と声を掛けると、深くうなづく一方で「でも金賞をとると、あとが大変で……」と複雑な表情が返ってきた。つまりは、折角のコンクールに彼女たちの大きな目標である金賞をとらせてやりたい、とって欲しいという気持ちはあるものの、そうして東日本大会・全国大会への出場が決まれば、夏期講習にしわ寄せのきている今現在の状況が、8月の上旬で終わらずに秋口まで延長されることになるという悩みゆえの表情だ。 確かに、コンクールでの活躍と夏期講習への集中とは両立不能の事態である。ぼく自身も、自らの立場を顧みては大いなる矛盾を抱えつつ、かといって応援しないという立場はそもそも選択肢に存在しない以上、彼女たちに許された学習時間の中で最大限の効果をあげるべく協力を惜しまない決意と、この夏の彼女たちの目標に対しても決して裏切らずに最後までエールをおくり続ける覚悟とを決めた。 ......