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【アーカイブ㉜】なごり雪
ここ国分寺の街でも、午後になって思いがけずささやかな雪降りとなりました(注:2023年ではありません)。こんな季節外れの雪を「名残り雪」と呼んだりします。 覚えている人もいるかもしれませんが、21世紀の初めの年は、桜の咲きそろった3月も末の31日になって突然の大雪が降ったのでした。 あの年、4月を待たずに満開となった久米川通りの桜は、けれども桜特有の、あの内に秘めた熱情のようなものが感じられず、代わりに少し青ざめて見えるその表情の向こうに、恐らくは誠実であるがゆえの凛々(りり)しさとどこか震えるような哀しみとが感じられたのです。それはまるで熟す前の果実のようでした。 そこへ思いがけず季節外れの雪です。久米川では桜の花びらよりも大きな牡丹雪が、羽根飾りのように音もなく降りしきって、忘れかけていたぼくの童心にパッと灯りを点してくれました。そうして、ぼくはあっさりと納得したのです。折角の桜がそんなにも青ざめて見えたのは、弥生の空を最後に飾る、そんな雪を予定していたからだったのだと。 「思いがけず降り出した雪に『なごり雪』のメロディーが鳴り止まないぼくです。」 歓喜のあまり、そんなメールを思いつく友人に片っ端から送りつけました。PHSから携帯に替えて間もない頃だったからか、送り主のわからないそんなメールに友人の一人が「だれ?」と返事を寄越して、初めて自分の失態を理解しました。慌てて「石井です(^^;)」と返信したところ、「そうだろうと思った(^^)」と、あっさり見抜かれていたことに苦笑いした覚えがあります。 「なごり雪」 伊勢 正三 汽車を待つ君の横で、ぼくは時計を気にしている。 ......
【アーカイブ㉛】卒業式
3月13日、月曜日(注:2023年ではありません)。 今日は一足早く学大附属中の卒業式です。Finesの今年の卒業生にお祝いのメールを送りました。 ----------------------------------------------------------------------------- 「卒業」というと浮かぶイメージは、何故か中学校までさかのぼります。式に先立って、後輩の女子生徒が思い思いの卒業生の制服の胸に花飾りを付けてくれることになっていて、いち早くぼくを選んでくれた親しい後輩の女の子が、震える手で花飾りのピンを止めながら、心なしか瞳を潤ませていたことを何故か覚えています。 式は、我がクラスの秀才の型破りの答辞に笑ったり泣いたりしたことを除けば、何だか期待外れに呆気ないものでした。式の後、先生方やPTAや後輩たちのつくる校門までの花道を照れくさそうにくぐり抜けると、いつまでも語り合っていたいという思いとは裏腹に、わずかな時間の間にみんな散り散りになっていったのでした。何故かぽっかりと仲間たちの記憶が抜け落ちている代わりに、桜の咲いた校庭に最後まで残ったぼくと、とても仲の良かった女の子と二人で、特別何かを話すというわけでもなく、風に舞う花びらを眺めていたことと、やがて彼女が飛び切りの笑顔で「じゃあね」といって、バス通りへと続く長い坂道を制服のすそを風に翻しながら小走りに駆け降りていったことだけは、不思議と鮮やかにぼくの胸に残っているのです。 卒業式の後、特別な言葉を交わすこともなくバス通りへと続く坂道を駆け出した彼女の背中と、追いかけて捕まえることも出来ずに、あふれるほどの思いを抱きしめて言葉を失ったぼく。柳瀬川の銀色の糸と、その向こうにガランと開けた春の風景の中へ彼女の後ろ姿が吸いこまれて消えるまで、ぼくは校門の脇、毎朝息を切らして駆け上がった坂の上に立ちつくしていました。いつもよりほんの少し強い風の吹く坂道。つやつやと風に光って揺れる彼女の長い髪。くるぶしで折り返した白いソックス。小さく跳ね上がる制服のスカート。ローファーの靴底が立てる乾いた響き…。 それから仲間たちと過ごした様々な時が、まるで紙芝居のように、けれど紙芝居ほどには何の脈絡もなく、次から次へとぼくの脳裏をかすめていきました。 女子部員の陰に隠れて、存在すら危うかった男子バレー部を立て直したこと。磨き上げられた体育館の床でバレーボールシューズのゴム底が立てる「キュッキュッ」という音。フライングレシーブの後の頬に冷たい床の温度。「ここはベッドじゃないのよ。早く起きなさい。」と叫ぶ先輩女子部員の声。 それから、教室を抜け出して屋上に上がり、早くも校庭に出て昼休みの球技に賑わう仲間たちを見下ろしながら食べたお弁当。 クラスの違った彼女から廊下で手渡された手紙のとても美しい文字。返事を書く必要に迫られて、その彼女の美しい文字を手本に、一人練習するうちにみるみる上達した硬筆の文字。 ......
【アーカイブ㉚】志あるところに道は拓ける 第5章
今の姿からは、あの挫折続きだった12歳から18歳の彼を想像するのは難しいでしょう。けれども、12歳の一年間、そして高校一年生の同窓会の席上で、彼だけでなく彼を知る多くの仲間たちが、漠然とではあるものの、今の彼に続く一本の道を共に夢見ることはできたのです。 現状に対する正しい認識は、人生をわかったつもりになってがっかりするためのものでは決してありません。未来に夢を見て、その実現のために克服すべき課題としてあるものです。夢を実現するために、努力と工夫が必要なことは言うまでもありませんが、彼の生き方を見ていて気付かされるのは、どんな苦境に立たされても決して心を折らないことの大切さです。「諦めた瞬間に試合は終了する」というのは漫画『スラムダンク』で監督の口にする有名な一節ですが、「心が折れた瞬間に夢は潰える」と言い換えることができそうです。また、目的の場所に至る道は、決して一本道ではないのだということも彼が証明してくれました。 たどり着きたいと思うのであれば、歩き出すこと。そこにたどり着くために、歩き続けるということ。 夢への道のりは最短距離である必要などないのです。遠回りでも、歩き続けている限り、間違いなく一歩一歩夢に近付いているということを忘れてはならないのです。 これから中学生となり、あるいは高校生となる生徒諸君にも、どのような未来が待ち受けているかわかりません。夢を持ちましょう。夢を持ち、その実現のために努力と工夫を続けましょう。そして、何があっても心を折らず、自分を磨き続けていくことが大事です。 志あるところに道は拓けるのだということを、君たちの先輩が証明してくれたではありませんか。 文責:石井
【アーカイブ㉙】志あるところに道は拓ける 第4章
さて、一橋大学大学院で順調に博士号を取得した彼は、その後、日本学術振興会の特別研究員に応募して採用されます。特別研究員制度というのは、若手の有望な学術研究員がその研究に専念することのできるように、3年間の期限付きで研究奨励金を支給するシステムのことです。3年にわたり毎月40万円近い奨励金に加えて年間150万円の研究費が支給され、その間に自身の研究を深め、日本の学術研究の発展に寄与する資質を身に付けることを期待されます。ただし、3年以内に身の振り方を決定し、次の就職先を決めないとならない期限付きの特典です。 その初年度から国内の学会のみならず国際経済学会に参加するために海外にも出張し、精力的に研究を始めた彼は、毎年使い切らなければならない研究費を、一部書籍費として利用する以外は全て学会等への渡航費用や出張費用に充てて、積極的に人脈を広げていきます。そうして、やがてプレゼンテーターにも抜擢された彼は、イギリスで開催された世界の経済学者相手の学会で全て英語によるプレゼンテーションも成功させます。 そんな中、彼にアプローチしてきたのがアメリカ・UCバークレーの教授でした。その話に、一も二もなく飛びついた彼は、UCバークレー側の負担で渡米し、客員研究員として、声をかけてくれた教授との共同研究を始めます。もちろん日本学術振興会の特別会員としての期限がありますので、残りおよそ二年間の間に一定の成果を上げて、次に進むべき大学なり研究所なりを決めなければなりません。あくまでも客員である研究員は仮の姿です。 休暇で帰国する機会には連絡を取り合って、昔の仲間で集まったりもしましたが、アメリカでの生活を語る彼の笑顔はまぶしいくらいでした。 アメリカでの2年間を振り返って、「自分のアイデンティティを問い直された貴重な時間だった」と彼は言います。自分が何者かということ、何をしたくて何ができるのかということ、どこから来てどこへ行こうとしているのかということ。日本にいる限り、特別な場合を除いて問われることのない問いを、会う人ごとに突きつけられて考え抜いた時間は、今でも彼の心の支えになっているようです。 彼のアメリカでの客員研究員の生活は2年で終わります。その間に、共同研究者であるアメリカの経済学博士との共著で、経済学に関する研究書を1冊出版します。 そうして日本に凱旋する彼のもとに、とうとう日本の最高学府である大学から複数のオファーが届いたのです。(つづく) 文責:石井
【アーカイブ㉘】志あるところに道は拓ける 第3章
大学受験が終わって間もないころでした。彼が、一人でぼくを訪ねてきます。 「大学生活を有意義に過ごす心得を教えてください。」 我が身を振り返ってみると、4年間、教員免許を取得するという目的以外のすべての時間と体力を体育会系の部活動に注いだぼくに、偉そうに語れる大学生活の心得などありませんでした。そこで、アドバイスとしてではなく、ひとつのアイデアとして、ぼくは彼にこう伝えました。 「これは、と思った教授に付きまとうというのはどうかな。その教授の講義はすべて受講する。そして、時間外にも質問をしたり、相談を持ちかけたりして、特別なパイプを作れば、そこから、普通に過ごしていたら得られない何かが得られるかもしれない。」 驚いたことに、彼はそのアイデアを忠実に実行したのです。ターゲットは、経済学の最先端の研究に従事する一人の準教授でした。まるで足踏みするようだった彼の人生が、そこから大きく動き始めます。長すぎた助走は大きな飛翔を約束するとでもいうように、やがて彼は力強い翼を手に入れていきます。 狙いをつけた経済学部の準教授に、それこそ付きまとい、受講可能な授業は全て履修し、手に入る著書は全て読み切って、疑問点があれば直接本人に体当たりするという徹底した彼の戦術が功を奏して、やがて彼は準教授の目にとまります。そうして、いつしか講義後の食事や酒宴の席に呼ばれるようになり、経済学について熱い議論を交わすようになっていったのです。勉強熱心な彼の的を射た質問やアイデアに興味を持った準教授は、やがて大学院生を対象に開いている自身のゼミに彼を特別に招待します。そうして院生たちとも活発な議論を交わしていく中で、彼は着実にその知見を深めていったのです。 学部生である4年の間、彼は精力的に論文を書き溜めていきます。書きたいことが次から次へと湧き出してくる彼は、卒業論文に手こずるクラスメイト3人の論文を代筆したほどです。 彼が最も興味を持ったのは、師事した准教授の研究対象でもある「ゲーム理論」という経済学の比較的新しい手法です。(経済学の専門家ではないので正確な説明は難しいのですが)まるでシミュレーションゲームのように、プレイヤー(会社であったり個人であったりします)を決め、ある特別な状況下で、プレイヤーの行動選択によって経済がどのように動くのかという分析から、最適な行動(解)を導き出していくというような手法です。 その頃には、准教授との関係もさらに深まり、研究室の合鍵をもらって、自由な出入りさえ許されるようになります。彼は、大学のキャンパスに入ると教室ではなく、准教授の部屋におもむき、コーヒーメーカーでコーヒーをいれ、図書館にも置かれていない貴重な蔵書や論文を読みあさります。その頃の彼は誰よりも生き生きしていたと記憶しています。 ......
【アーカイブ㉗】志あるところに道は拓ける 第2章
唯一の合格校であった中央大学付属高校へ進学した彼でしたが、やがて高校1年の秋を迎え、かつて中学受験を共に闘った懐かしいメンバーを集めた同窓会が開かれます。集まったのはそうそうたる高校の生徒たち。高校1年生とはいえ、開成高校・桜蔭高校・巣鴨高校・桐朋高校。進学校に在籍する生徒たちの話題は、早くも大学受験です。その席上に、彼の姿もありました。 驚いたのは会の終了後です。高校受験からわずか8か月。中央大学へのパスポートを手にして附属高校に進学したはずの彼が、突然のように大学受験への挑戦を宣言しました。さらに驚いたのは、かつての戦友たちが、それをたしなめたり笑い飛ばしたりするどころか、一緒に頑張ろうと固い握手を交わしたことです。 「ぼくは、あの素晴らしい仲間たちと、いつまでもどこまでも互いを磨き合っていきたい。ただそれだけなんです。先生、応援してくれますか。」その夜、かかってきた電話で、彼はそう言いました。ぼくが気になっていたのは彼の決意の深さ、それだけです。一時の高揚感に浮かされて道を誤るなら、あるいは立塞がることもぼくの役目ではないか、と考えていた矢先のことでした。「ぼくは君の応援団だ。選手が立ち上がって走るなら、声を枯らして応援するだけさ。」そんなぼくの言葉に声のトーンを上げた、彼の歓喜が伝わってくるようでした。 もちろん、彼の進もうとする道は決して平たんではありません。今でこそ中央大学附属高校は、条件付きながら外部受験を勧める進学校の色合いも見せていますが、当時は、中央大学へのパスポートを手に入れて高校生活をエンジョイする空気。まさに孤軍奮闘の彼は、時折、開成高校から東京大学を目指す仲間と連絡を取り合って士気を高めていたようです。 やがて3年が過ぎ、高校受験のリベンジとなる早稲田・慶應に目標を定めた彼の3度目の受験の季節が訪れます。ところが、深い決意も真摯な努力も虚しく、またしても彼の受験は失敗に終わったのです。開成・桜蔭の友人が、それぞれ東京大学の文科1類・理科2類へと無事進学を果たす一方で、中央大学進学の権利も失い、大学受験に失敗した彼は、その後1年間の浪人生活に突入します。 瞬く間に過ぎる1年。次なる彼の目標は、現役時代に準備が間に合わず諦めた国立大学、そして3度目の挑戦となる早稲田・慶應です。 浪人生として挑んだ彼の大学受験。結果はどうであったかというと、国立大学・早稲田大学・慶應大学と、目標の大学の受験に失敗し、辛うじて東京理科大学の合格を手に入れて幕を閉じます。今でこそ、早慶上理などと言われますが、当時の東京理科大学の評価は決して高くはありません。一年間の浪人生活の末、その新設間もない経済学部に、彼は進学することになります。(つづく) 文責:石井