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7 02, 2023

【アーカイブ㉕】恵方巻と節分蕎麦

By |2023-02-16T17:21:27+09:002023年02月07日|国分寺ブログ|0 Comments

 2006年1月28日。旧暦の計算によれば今日が「大晦日」で、明日29日が「元日」となるのだそうです。いわゆる旧正月と言うやつですね。    暦の上では2月3日を「節分」、2月4日を「立春」として、現代でも、訪れる新しい一年をつつがなく迎えるための行事を執(と)り行います。この節分の豆まきは、中国から渡来し宮中で行われていた「追儺(ついな=鬼を追い払う儀式)」と寺社が邪気をはらうために行った「豆打ち」の儀式が融合したものだといわれています。  ところが「捨てる神あれば拾う神あり」で、群馬県鬼石町は、その町名のゆえでしょうか、全国から閉め出された鬼を迎えてくれる町であり、また奈良県吉野にある蔵王堂の節分会(せつぶんえ)は「福は内、鬼も内」と唱えて、全国から追い払われた鬼を救い、仏門に帰依(きえ)させる行事なのだそうです。  さて、最近では「節分」といえば話題は「恵方(えほう)巻き」ですが、それにしても、節分にその年の恵方に向かって正座しつつ、黙したまま太巻き寿司を一本むしゃむしゃと食べるのはやはり異様な風景です。  関西方面にそのような習慣があることを知ったのは、もう随分と昔のことですが、京都出身の友人が語った思い出話が最初であったと記憶しています。  しんと静まった部屋で、家族全員が恵方の壁に向かって、ただひたすら太巻き寿司を食べたという彼の話が、まるで一枚の写真のようにはっきりとイメージできたぼくは、こんな表現は大変失礼とも思いながら、なぜか薄ら寒い恐さのようなものを感じた覚えがあります。  ここ数年は、それを積極的にイベント化したスーパーやコンビニエンスストアの思惑が適(かな)って、東京でも節分に恵方巻きを食すという新しい習慣が流行(はや)りつつあるようです。女性客を当て込んでか、ご丁寧(ていねい)にハーフサイズの太巻きまで用意されているのはどこか可笑(おか)しみを感じます。  ちょいと調べてみたところ「巻きずしのなかの"高野豆腐"で高野山に、"かんぴょう"で大津のかんぴょう神社のご利益(りやく)にあずかろう」ということらしいのですが、もとはそう歴史的なことではなく、昭和30年代に大阪の老舗(しにせ)のおすし屋さんが商売に取り入れたところ、お店の売り上げが著しく上昇した事がきっかけで……云々(うんぬん)という話のようです。ちなみに今年の恵方は南南東です。  ところで、蕎麦好きのぼくにとって、むしろ気になるのはコンビニエンスストアで注文予約を取っている恵方巻きのパンフレットに「節分蕎麦」なるものがリストアップされていることですが、これは、本来「節分」が「立春」という新年を迎えるための大切な日「大晦日」の意味合いを持つことから、つまりは「年越し蕎麦」を指していると考えられます。 ......

19 01, 2023

【アーカイブ㉔】一期一会

By |2023-01-19T14:35:14+09:002023年01月19日|国分寺ブログ|0 Comments

1月3日、今日で正月特訓も終了。そして冬期講習も残すところ4日間となりました。 講習終了と時を同じくしておよそひと月にわたる中学受験が始まり、1月下旬にはそれと重なるように高校受験もスタートします。 受験生諸君は最後の追い込みに余念がないことと思いますが、今後は睡眠時間にも配慮しつつ日々体調管理をしっかりとして、それぞれの闘いの日を、ベストコンディションで迎えることが重要となります。 ところで、今日、「週刊ひとりごと」を始める以前から折に触れてパソコンに書き溜めた日記を読み返していて、ちょうど一年前となる2005年1月3日の文章がなぜか今さらのように新鮮な驚きをもって胸に響いてきたのです。「一期一会ということ」と題されたその文章を、折角ですからここに引用することにします。   「一期一会ということ」 1月3日、午前10時。 セントクォークビル5階の南向きの非常階段からの、見慣れたはずの風景に静かに心打たれる。 真新しい今日の太陽がすっかり空の高みに顔を出すと、西空に、次第に淡く透き通っていく下弦の月が沈み始める。雲ひとつない蒼空(あおぞら)の遥(はる)か高みに、西へ向かう飛行機が眩(まばゆ)いばかりに白い航跡を残していく。それはまるで南西諸島に向かう旅客機の小さな窓から見下ろした、一枚の海の写真のようだ。 いつになく雀の声が賑(にぎ)やかだと思って見れば、今日は珍しく鴉(からす)の姿がない。舞い降りた数羽の雀たちが、駐輪場の雪解け水が作る小さな水溜りで、競い合うように水浴びをしている。溶け残った雪の眩(まぶ)しい照り返しに、ぼくは思わず目を細める。 ......

24 12, 2022

【コラム㉚】Merry Christmas

By |2022-12-24T23:00:49+09:002022年12月24日|国分寺ブログ|0 Comments

   今夜はクリスマス・イヴですね。  過日【アーカイブ】にて『クリスマス・ボックス』の紹介をしましたが、その最後に「この世で最初のクリスマスの贈り物」は一体何だと思いますか、という質問がありました。  すっかり忘れてしまっていたぼくは、校舎の本棚から『クリスマス・ボックス』を引っぱり出して、十数年ぶりに読み返してみたのです。もちろん答えにたどり着きました。その答えは『愛』でした。    さて、ぼくの一押しの女性ボーカルグループ<Little Glee Monster>の『愛しさにリボンをかけて』という名曲に、「サンタクロースは本当にいると大人になって分かった。プレゼントではなく、大切な人にこの愛を伝えたくなる<気持ち>を配っている。」という意味の歌詞があります。  日本固有の文化・習慣ではないとしても、大切な人への思いやお世話になった人への感謝を新たにする1日になるとすれば、クリスマスも捨てたものではありませんね。

17 12, 2022

【アーカイブ㉓】クリスマス・ボックス

By |2022-12-17T14:29:35+09:002022年12月17日|Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

2005年11月15日に講談社文庫から発刊されたリチャード・P・エヴァンズの『クリスマス・ボックス』を読みました。温かくて、切なくて、まるでイヴの夜に音もなく降り積もる雪のように静かに心に染みてくる話でした。 国分寺スクールの表玄関に今年もクリスマス・ツリーが飾られました。 クリスマス、そして年末に向けて、街も少しずつ飾り立てられていきます。 毎年12月1日から、久米川駅南口ロータリーの枝振りも見事なけやきの木にイルミネーションが施され、季節の風に凍えてしまいそうな心にパッとひと時の華やぎを与えてくれます。近隣では国立の大学通りにある銀杏並木のイルミネーションが見事ですね。 一方で、原宿表参道のクリスマス・イルミネーションは、地元住民の反対運動が起こり、現在は廃止されています。確かに、人工物ではなく生きた樹木等への電飾は、環境負荷という観点から今一度考え直さなければいけない問題を含んでいます。その点への配慮もあってでしょうか、六本木ヒルズやお台場等のイルミネーションは発光に発熱を伴わないLED(発光ダイオード)を使用しているようです。 美しいものへの憧憬と命に対する敬虔さ。恐らくはどちらも失くしてはならない大切なものですね。けれども、そんなふうに考えるまでもなく大切なことのひとつひとつを、ぼくらはうっかり見過ごして暮らしていたりします。『クリスマス・ボックス』を読むと、そのことがよくわかります。 「この世で最初のクリスマスの贈り物」は一体何だと思いますか。答えは本書の中にあります。機会があれば是非お読み下さい。   ※2022年現在は、原宿のイルミネーションも復活し、表参道のケヤキ並木がシャンパンゴールドの優しい光で彩られています。 文責:石井

1 12, 2022

【アーカイブ㉒】冬の花火

By |2022-12-02T15:05:43+09:002022年12月01日|国分寺ブログ|0 Comments

毎年12月3日に開催される「秩父夜祭」に通うようになって、もう随分と長い年月が流れます。 「秩父夜祭」といえば、飛騨高山・京都の祇園祭と並んで日本三大曳山(ひきやま)祭りのひとつに数えられるほどの盛大な祭りです。 ぼくが、初めてこの祭に足を運んだのは何と高校時代のことでありました。 西武秩父駅を中心とする商店街の、道という道に出店の屋台がひしめき合い、中央の広場には見世物小屋・お化け屋敷・巨大迷路のテントも立ち並び、秩父市の各町内から集まってきた屋台…いわゆる山車(だし)のことを秩父では屋台と呼ぶのです…が勇壮に陣取ります。お囃子の太鼓の響きは、まるで地球の鼓動のように、地面から直に足に伝わり胸に届きます。一年をこの日のために準備する地元の人々の熱気が、堰を切ったように祭りを熱く盛り立てていきます。 日が落ちると冬の打ち上げ花火が始まります。それは言葉に尽くせない美しさです。激しい衝撃や深い感動が言葉を失わせることがあります。けれども、それは決して沈黙の内に無為に横たわることを意味しません。 冬の花火 ― 凍て付いた夜空に球形に拡大していく時間の軸。 まるでスローモーションのように夜空をついて上昇する憧れにも似た光の帯。二尺玉の、想像を超えた体積の創出。 最早、祭囃子の鼓動に似た高まりも、見世物小屋の呼び込みのしわがれた述べ口上も、出店の裸電球の橙色の連なりも、群集の人いきれも、すべてがぼくを去り、それらを満たす凍て付いた空気を伝って直接胸に届く音と光と、ぼく自身の目と心とだけが、一本の張り詰めた糸で結ばれていきます。大空に散りばめられた火の花弁が冬の大三角と重なり、新しい星座の幾何学模様を描き出します。その美しさは恐いほどです。 ......

19 11, 2022

【アーカイブ㉑】赤い風船

By |2022-11-19T16:59:45+09:002022年11月19日|国分寺ブログ|0 Comments

冬曇りの灰白色(かいはくしょく)の空に、一体誰の手をすり抜けたのか、フワリと放たれたひとつの赤い風船。 泉町一丁目のバス停に差し掛かったところで、ぼくは足を止めて、あるともない風に運ばれて11月の空に消えていくその赤い風船を見送った。そんなオープニング・シーン。 それがきっかけとなって、ぼくの頭の中にひとつのメロディが流れ始める。 ♪  空にのぼって消えてゆく、子どもの赤い風船ひとつ 遠い昔の思い出が 空にポツンと消えてゆく  ♪ 2005年11月6日に行われた「国分寺祭り」に向かう道々、そうしてぼくの頭の中で止まずに繰り返したのは、原宿・表参道を舞台とした吉田拓郎の「風の街」という、もう随分と懐かしい歌だ。 休みの日だというのに、ぼくにしては珍しく早くから起き出したのには訳がある。国分寺の各中学校の吹奏楽部が合同バンドを組んで、「国分寺祭り」のステージに上がると聞いていたからだ。中学3年のメンバーこそ引退したものの、FINESには国分寺1中と2中に合わせて6名の吹奏楽部のメンバーがいる。 都立・武蔵国分寺公園の入り口で、制服姿の中学生にパンフレットを手渡される。その簡単な地図でステージの位置を確認すると、冬の初めのひんやりと冷たい空気を震わせて力強く響く大太鼓の演奏を横目に、いくつものテントをすり抜けて、ぼくは真っ直ぐに中央の広場へと向かった。思ったよりも人出は多い。 ......

10 11, 2022

【アーカイブ⑳】信じるべきか疑うべきか

By |2022-11-10T14:34:52+09:002022年11月10日|国分寺ブログ|0 Comments

昔、ある知人とした議論の話です。 ぼくは、これまでの人生を通して、初対面の人でも特別な先入観がない限り好きになれたらいいと思うし、まずは信じるところからスタートするという癖(くせ)がいつの間にかついてしまったのです。それはもう「生き方」の問題であって理屈ではありません。けれどもその友人は、初対面の相手なら表面上は笑顔を繕(つくろ)っても、まず警戒し疑ってかかるというのです。 二人で長い時間話し合ってみた結果、彼の考え方はそれなりに合理的で現実的であることがわかりました。もっとも、合理的で現実的なものの見方・考え方にぼくが価値を認めるかどうかは別の話です。 彼の言い分によればこうです。もし仮に初対面のその人が予想通り信用できない相手だと判明したとき、初めから疑ってかかった彼は「やっぱり」と納得はするけれども、そのことで傷付くことはありません。逆に予想が外れて相手が信用に値する人物だった場合には、予想を裏切られた落差も手伝って、とても得をした気分になる<らしい>のです。一方、信じて裏切られれば傷付くし、裏切られなかったとしてもそれで喜びが増すこともないのだから、疑ってかかるに越したことはないというわけです。 初めに書いた通りぼくに理屈があるわけではありませんでしたが、折角だからと反論を試みることにしました。 彼が言うように、仮に自分が傷付きたくない気持ちを出発点にしたとしても、ぼくはやはり人を信じてかかることを選びます。何故なら、裏切られてできた心の傷よりも、人を信じることができない哀しい自分自身の姿に傷付くことの方が、ぼくにはよっぽど堪えるに違いないし、それはもしかしたら致命的な傷となりうるからです。さらには、そんなふうに始まった人との交わりが、互いを心から信頼しあう掛け替えのないものになりうる保証がないからです。それに、裏切られてできた心の傷なら、その間に心を通わせることのできたたくさんのステキな仲間たちとの時間がいつだって簡単に癒(いや)してくれるではありませんか。 もちろん生き方は人それぞれだから、あえて決着をつけるべき問題ではないかもしれません。ただ、その時初めてそんな思いを言葉にしたことで、ぼくは自分の生き方というか在り方が、少しだけはっきりと見えてきたような気がしたものでした。 蛇足だけれど、その友人の生活信条は「不言実行」なのだそうです。 そいつはいいぞ、と思ったら首尾一貫、言わずに実行すれば褒(ほ)められるし、仮に実行しなくても責められる道理がないからだと聞いて、なぜかがっかりした記憶があります。

27 10, 2022

【コラム㉙】皆既月食!

By |2022-10-27T21:48:50+09:002022年10月27日|国分寺ブログ|0 Comments

2022年11月8日(火)、皆既月食が見られます。   月食のメカニズムはご存じの方も多いでしょう。 太陽-地球-月が一直線に並ぶ満月の夜に、月が地球の影に入り陽光を反射しなくなるために暗く見える現象です。けれども、月の公転軌道は地球の公転面に対して5度ほど傾いているため、満月の夜が必ずしも月食になるわけではありません。 本当の意味で太陽-地球-月が一直線になるのは、下のイメージ図の赤い矢印のように太陽の反対側で月の軌道と地球の公転面が重なる時だけです。それ以外の場合は、月が公転面より上を通ったり、下を通ったりして、地球の影を通過しないため、月食とはならないのです。 日食も、並び順が異なる(太陽-月-地球)だけで原理は同じです。 次の図は、月食のイメージ図です。 太陽の光の届かない地球の裏側を月が通過する際、光の半減する青塗りの空間では半影月食といって月が赤っぽく見えます。また、完全に地球の影(本影)に入ると皆既月食となります。ただし、その際、月の一部分だけが本影をかすめると部分月食となるわけです。   原理を知った後で見ると、これまでとはまた違った感動が生まれるかもしれません。 ......

22 10, 2022

期末テスト対策講座のご案内

By |2022-10-22T18:39:59+09:002022年10月22日|国分寺ニュース, 国分寺ブログ|0 Comments

【定期テスト対策講座】 国分寺スクールにおいて、以下の通り2学期期末テスト対策を実施致します。 第1弾 10月24日(月)19:00〜21:00 ・テストまでの3週間 学習計画表作成 ・怒涛の暗記特訓 第2弾 11月7日(月)18:00〜21:30 ・自立学習タイム ・直前特訓授業(英語・数学・理科) 第3弾 11月12日(土)13:30〜18:30 ......

20 10, 2022

【コラム㉘】オリオン座流星群

By |2022-10-21T14:47:36+09:002022年10月20日|国分寺ブログ|0 Comments

夜空の星々も、ゆっくりと季節の移り変わりを教えてくれます。 秋の星座から冬の星座へ。 見どころの多い冬の星座ですが、代表格が「オリオン座」であることに異論のある人は少ないでしょう。 「リゲル」と「ベテルギウス」という2つの1等星を持ち、「ミンタカ」「アルニラム」「アルニタク」という三連星が特徴的な「オリオン座」は、冬に限らず全天に「88個」ある星座の代表と言えます。 さて、10月21日(金)深夜にオリオン座流星群の活動が極大となります(正確には10月22日午前3時)。 オリオン座流星群の母天体はハレー彗星で、1986年2月に彗星が回帰した際の軌道上のチリが毎年5月(みずがめ座流星群)と10月に地球に降り注ぐのです。ハレー彗星の周期はおよそ75年。次に彗星が回帰して地球に近づくのは36年後の2061年です。 出現数は1時間に20個程度と予想されていて、3分に1個の流れ星が降る計算ですが、夜間でも照明の多い都市部では夜空の明るさのために小さな流れ星は視認できず半減します。 天気が良ければ、夜空を見上げてみてください。 タイミングよく、夜空を駆ける流星を見つけることが出来るかもしれません。 文責:石井

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