国分寺ブログ2021-05-24T15:38:56+09:00

ブログ

3107, 2023

【コラム㉞】川越 百万灯夏祭り

By |2023年07月31日|Categories: 国分寺ブログ|0 Comments

昨年再開された「川越 百万灯夏祭り」が、今年も7月29日(土)~7月30日(日)に開催されました。 残念ながら夜まで授業が入っていたため参加できませんでしたが、写真の整理を兼ねて去年同僚や卒業生たちと行った時の様子を紹介しようと思います。 時の鐘 川越百万灯夏祭りの起源は古く、川越城主松平大和守斉典(なりつね)侯が嘉永2年(1849年)に病没した後、三田村源八の娘、魚子(ななこ)が、「三田村家が斉典侯から受けた恩義」に報いるため翌嘉永3年(1850年)の新盆に切子灯籠をつくり、表玄関に掲げたことをきっかけに町中をあげて斉典侯の遺徳をしのび、趣向をこらした見事な提灯まつりを行ったことに端を発します。 その後、長い中断の期間を挟んで、昭和35年の夏に川越市・観光協会・川越商工会議所の主催で復活し、小江戸川越の夏の風物詩として今に続いています。 氷川神社の風鈴 ......

2407, 2023

【アーカイブ㊶】河童忌

By |2023年07月24日|Categories: 国分寺ブログ|0 Comments

 明治天皇の崩御に遅れること四年五ヶ月、明治を代表する文豪・夏目漱石の死をきっかけとして「大正」という文化がようやく独自の輝きを持って動き始めたように、昭和二年七月二十四日未明、大正天皇の崩御に遅れること八ヶ月、大正時代を代表する作家・芥川龍之介の死を境に「昭和」という新しい時代が或る加速度をもって流れ始めたのです。  その時代を代表するような、あるいはその時代に独自の輝きを放った人物が、まるで舞台を去る役者さながらに時代に殉じていくという歴史的事実は、まるで偶然の一致と安易に済まされることを拒むかのように溢れています。  坂本竜馬しかり、高杉晋作しかり、夏目漱石に芥川龍之介、新しいところでは石原裕次郎や美空ひばり……。  七月二十四日。今日は芥川龍之介の命日「河童忌」です。  芥川龍之介が亡くなって今年で七十八(*)年が経ちます。  決して小・中学生向きではありませんが、芥川龍之介のまた別の一面を知りたいと思うのであれば、手近なテキストとして近藤富枝の手になる文学資料「田端文士村」および史実に材を得たフィクションとして読み応え充分な久世光彦著「蕭々館日録(しょうしょうかんにちろく)」とがあります。  時代を超えて世界に高く評価された作品の数々もさることながら、その人生こそがより文学的であったと評される芥川龍之介。この機会にその人生に思いを馳せるべく上記二冊を手にしてみてはどうでしょう。 文責:石井 *アーカイブとして当時のままの文章を掲載していますが、今年で没後96年となります。  

1407, 2023

【アーカイブ㊵】つまらない大人にはなりたくない

By |2023年07月14日|Categories: 国分寺ブログ|0 Comments

 小学生の頃の、幼くて愚かで、けれどもどこか輝いていた自分。  悩み多き中学生時代の、勉強に運動に友情に恋にひた向きだった自分。  時に現実と対峙した高校時代の、どこかふやけて、それでいてとがっていた自分。 それぞれの季節を歩き通した自分の、ときめきや喜びや小さな幸せ…。 悲しみや怒りや悔しさ…。  そんな心の動きを忘れない大人になりたいと心から思うのです。 それが仮にどんな自分の姿であれ、いつか微笑んで見つめられる瞬間が来ます。  成功も失敗も何もかもひっくるめて「今」という瞬間へ連続した「過去」が誰にでもあります。 世の中には、それをすっかり忘れた、もしくは粉飾し隠蔽する大人が多すぎて 時々がっかりさせられることがあります。 ......

707, 2023

【アーカイブ㊴】梅雨の主役たち②

By |2023年07月07日|Categories: 国分寺ブログ|0 Comments

【蛍】  梅雨に出会うものたちの中でも【蛍】の存在はやはり特別です。  けれども、東京暮らしのぼくにとって、それは意識して逢いに行くべき、日常の生活圏を遥かに超えた存在であるという哀しさがあります。  昭和村の自然体験教室で、闇に舞うわずかな蛍火を今年の生徒たちと、それでも大変印象深く鑑賞した翌週の日曜日に、毎年訪ねている長野県辰野町の蛍の里を一人訪ねました。年に一度の訪問でありながら、かれこれ十数年にわたって通い詰めたぼくには、本来なら見知らぬはずのこの町に大切な知人が存在します。今年は仲間たちの都合がつかず、まるで原点に戻ったような一人旅であったため、天竜川の堤防での酒宴とはなりませんでしたが、馴染みの瀬戸物屋には手土産を持って挨拶にうかがいました。元気そうに応対に出たご主人としばし歓談し、来年はまたみんなで寄らせてもらう約束をした後、蛍の里<松尾峡>へと足を延ばしました。  若干ピークを過ぎていたこともあって、公式発表では当日の蛍の目撃数が2550匹ということでした。多い夜には20000匹を数えるほどの蛍が飛び交うことを考えると、わずかに8分の1の数ではありますが、どういう塩梅(あんばい)か、今年の蛍は「はっ」と息を呑むほどの美しさでありました。  世界には約2000種類、日本には約40種類の蛍が生息していますが、発光する蛍はそれほど多くはなく、またゲンジボタルやヘイケボタルのように幼虫の時期を水中で過ごす種類は特に珍しいのだそうです。  蛍の代表といえば、何といっても日本の固有種であるゲンジボタルですが、実はこのゲンジボタルには「西日本型」と「東日本型」があって、2秒間に一度明滅するのが西日本型、一方東日本型の明滅は4秒間に一度となっているそうです。蛍の明滅は呼吸のタイミングと関係があると聞いたことがありますので、西日本型はややせっかちに呼吸しているということでしょうか。いずれにしても、緩やかにシンクロしながらフェイドイン・フェイドアウトするゲンジボタルは、日本の山野の風情によく似合っています。  最後に、蛍を題材とした多くの詩歌の中から、そのいくつかを紹介して本日の<ひとりごと>をまとめることにします。   ◇ 音もせで思ひに燃ゆる蛍こそ 鳴く虫よりもあはれなりけれ (後拾遺集 源重之) ......

607, 2023

【アーカイブ㊳】梅雨の主役たち①

By |2023年07月06日|Categories: 国分寺ブログ|0 Comments

【紫陽花】  紫陽花の「Hydrangea」という学名は「水の器」という何とも美しい意味なのだそうです。花の色が土壌のpH濃度等によって様々に変化するので和名「七変化」とも呼ばれます。よく見かける球状のものは改良品種の西洋アジサイで、花のすべてが額の変化した装飾花となっています。シーボルトによって世界に紹介された「アジサイ」の原種は日本のガクアジサイ(房の辺縁だけに装飾花がついてリング状に見えるもの)で、その色は「青」だったと言われています。  東京周辺の紫陽花の名所は、日野の高幡不動、文京区の白山神社、東京サマーランド「花の里」、鎌倉の明月院・東慶寺・長谷寺などなど…。  明るい空から大粒の雨の雫が時折パラパラと落ちてくるような、そんな天気の日が昔から好きでした。雫の一粒一粒が光を宿して、まるで水晶のかけらのようにきらめきます。急ぎ足で駅前のロータリーを横切っていく人の波に雨の雫が降りかかると、まるで紫陽花のように色とりどりの傘の華がパッと一斉に咲きます。それに雨の中でこそ、ぼくの好きな紫陽花の花も生き生きと美しいのだ、などと考えれば梅雨もなかなか捨てたものではありません。  まして、一晩続いた雨が名残なくあがった日の朝の風景は、例える言葉も浮かばないくらい美しかったりします。水溜りに映った青い空を悠々と流れていく雲。風が吹けばさざ波がたって、目の裏の痛くなるような光たちの乱反射。塵ひとつない透明な芳(かぐわ)しき大気。まだしっとりと露を含んだ紫陽花の花は一服の清涼剤のようでもあります。そんな風景に身をさらせば、胸のうちに生きる「元気」のようなものが静かに湧き出してもきます。  6月9日に例年より一日遅く梅雨入りした関東甲信越地方。さてさて梅雨明けはいつのことでしょう? 文責:石井

Go to Top