国分寺ブログ2021-05-24T15:24:53+09:00

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406, 2025

【アーカイブ68】花火大会の夜

By |2025年06月04日|Categories: 国分寺ブログ|Comments Off on 【アーカイブ68】花火大会の夜

 黄昏ていく国分寺界隈の今日の風景に、ふと思い出したのは何故か少年時代の花火大会の夜の情景でした。 今日の最後の残照が潮のように引いて、次第に宵闇が深みを増してくる頃、方々から集まってきた花火見物のひしめき合うような群集が口々に何か囁き交わしています。  立ち込めるむっとするような湿った人いきれ。 そして花火大会が始まる前の不思議な期待感と倦怠感。  じっとしていられないぼくらはまるで小魚のように群衆の僅かな隙間をひらりひらりと縫って追いかけっこをしては訳もなく笑い転げたものでした。アセチレン灯の揺らめきが行き交う人の表情に怪しげな陰影を走らせます。   セルロイド製の色とりどりのお面の中で、なぜか白い狐の面だけが不気味で、その暗く開いた双眸がまるでぼくらを見据えるようです。 ソースの焼ける匂い。 どこかで誰かが争っているのか、突然鋭く起こる怒声。  目敏いぼくらは若いお姉さんの焼くたこ焼きの屋台を見つけて 早速子どもらしく甘えて見せては焼き上がったばかりのたこ焼きを味見させてもらったり ......

1205, 2025

【アーカイブ67】急性骨髄性白血病

By |2025年05月12日|Categories: Uncategorized, 国分寺ブログ|Comments Off on 【アーカイブ67】急性骨髄性白血病

今日届いたひとつのテレビニュースが、小さな胸の痛みとなってぼくの記憶を呼び覚まします。     立夏を迎えた5月5日。知人が一人、まるで嘘のように亡くなりました。 早いもので、それから、もう半年が経ちます。     行きつけのビリヤード場(実は「スリークッション」という特殊な競技の、ぼくも選手の一人なのです)で5年ほど前に知り合った「ヨコジイ」と呼ばれるその知人は、今年で69歳になる(はずだった)人生の大先輩であり、友人であり、そして初段戦を共に戦った戦友でもありました。 その彼が「急性骨髄性白血病」に倒れたのが、ちょうど一年前となる去年の秋。すぐにでも抗癌剤を使った治療に入る彼は、入院先の病院を家族に固く口止めして友人にも知らせず、病との闘いに一人赴(おもむ)いたのです。そんな時、祈るしかない自分の無力を思い知らされはしたけれど、それ以外に何の手立ても持たぬ身であってみれば、せめて心の限り祈り続けようと思ったぼくです。病を身に受けたのは彼であり、ぼくではありません。それは決定的なことです。 これまでにも離れ離れになった友人や仲間たちは大勢いました。それでも、本気で会おうと思えばいつだって会えるのだと考えれば慰めようもあります。けれども、彼に病気を克服してもらう以外に再び会える可能性がないということは、なんと哀しくて悔しいことでしょう。 ......

805, 2025

【アーカイブ66】五月の薔薇

By |2025年05月08日|Categories: 国分寺ブログ|Comments Off on 【アーカイブ66】五月の薔薇

そうと意識し始めたのが果たしていつであったのか残念ながら記憶にはないものの、随分と長い間、薔薇の花が好きではありませんでした。 別に松尾芭蕉を気取るわけではありませんが、仮に薔薇の花が美しいものだとしても、その美しさを殊更(ことさら)に見せ付けるがごとき厚かましさは「野暮(やぼ)」以外の何者でもないではないか、と、そんな漠然とした忌避感(きひかん)があったのです。  けれども、ある雨の休日、通りかかった5月の小さな庭に、特に手入れされているという風情でもなくしっとりと群生した、まるでビロードのようなワイン色の小振りの蔓薔薇(つるばら)の花が、どうにも「粋(いき)」に思えて、以来、雨に濡れたその蔓薔薇の花がどこか愛(いと)しい存在となったのでした。 薔薇といえば、神代植物公園に見事な薔薇の大庭園があります。いつだったか仲間を募って深大寺蕎麦食べ歩きの会を開いたときに、カリオンの音に導かれるように迷い込んだその大庭園で、これまで見たこともないような色とりどりの立派な薔薇が、辺りをまるで西欧の宮殿のように飾っているのに出くわしました。時は五月。そこまで開き直れば、なるほど薔薇の薔薇たる意味があるのかと感心させられる一方で、けれども、やはりそれはぼくの心の小さな庭を飾るには似つかわしくない、あの「雨に濡れたワイン色の蔓薔薇の花」を凌駕(りょうが)する存在ではなかったのです。 余談ですが、もう随分と昔、よく職員室に入り浸っていた中学3年生の女生徒が「私は職員室の薔薇よ」などと嘯(うそぶ)いていたことを思い出しました(^^;)。  

3004, 2025

【アーカイブ65】この夏の初めの日に

By |2025年04月30日|Categories: Uncategorized, 国分寺ブログ|Comments Off on 【アーカイブ65】この夏の初めの日に

 ぼくの知る限りにおいて、自然の最も美しい季節が訪れる  自身の誕生月ということを差し引いても、やはり5月は特筆すべき月だ 薫風などという言葉にこめられた、人々のささやかな喝采も素直にうなずける 生きること、もしくは生命そのものに対するそのさらりとした肯定は、なんといっても小気味良い  透き通った新緑の若葉たちは、まるで競い合うかのように、初夏の陽光を細胞のひとつひとつにたっぷりと吸収していく そして、その光で満たされた葉の一枚一枚は、やがて自らの内に陽光を灯し まるで自身が発光しているような淡い緑の微光を放ち始め ついには葉裏を返して吹き渡る風さえもすっかり緑に染め上げてしまう。

1704, 2025

【アーカイブ64】決意した瞬間に結果は成就する

By |2025年04月17日|Categories: 国分寺ブログ|Comments Off on 【アーカイブ64】決意した瞬間に結果は成就する

「結果」は必然である。  努力や工夫は、決意の深さに比例して生まれ、そして持続する。ゆえに「決意した瞬間に結果は成就する」のである。 それが仮に思い描いた未来図通りの結果であるなら、或る日の決意が正しく、そして充分に深いものであったことの証明となり、そうでないならば、或る日の決意が何処か投げやりな、もしくは浅きに過ぎたものであったことの証明となる。そういうことだ。 「うり」の種をまきながら「なすび」の実る日を夢見るがごとき愚行はおかすまい。「なすび」を収穫するために必要なことは「なすび」の種をまくこと。そして、それを大切に育てていく日々の努力の集積の結果として「なすび」は我々の手になるのである。 「決意」、それはぼくらの想像力の限界を遥かに超えた様々な結果の、確かな分岐点となる。    

1803, 2025

【アーカイブ63】休日のスケジュール

By |2025年03月18日|Categories: Uncategorized, 国分寺ブログ|Comments Off on 【アーカイブ63】休日のスケジュール

春期講習の前日となる3月25日に、第一期卒業の女子生徒たちの同窓会が開かれました。 講習前日の慌しさは当然あるものの、こちらの都合も斟酌(しんしゃく)して、まさにここしかないというピンポイントの日程を組んでくれた彼女たちのために、ぼくは万難を排してその同窓会に参加させてもらいました。 参加した卒業生たちとぼくと遅れて到着した宮尾先生とで「もんじゃ焼き」の鉄板を囲みながら語り合ったのは、振り返ってみればこの一年間の瞬く間であったという驚きです。そうして、ちょうど一年前の春には受験生であった彼女たちが、今ではすっかり高校生の顔になって咲かせる話の華に、ぼくも楽しく参加させてもらったのです。 その会で、都立西高校の管弦楽団でホルンを吹いているMさんから、4月8日の土曜日に定期演奏会があり、高校2年となる生徒はこの4月の定演で引退するのだと聞いて、たまたま土曜日が週休であったぼくは、折角だからと個人的なスケジュールを調整し直して、その日、中野のZEROホールに足を運びました。 曲目「O.ニコライ 序曲《ウィンザーの陽気な女房たち》」 「A.I.ハチャトゥリアン 組曲《仮面舞踏会》より ワルツ」 「R.ワーグナー楽劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第1幕への前奏曲」 「A.ドヴォルジャーク 交響曲第8番ト長調」 演奏は、思っていたよりもずっとレヴェルの高い、聴き応えのあるものでした。 それにしても、高校2年生のこの時期に引退というのは、やはり遅かれ早かれ突入する受験体制を考慮してのことなのでしょうね。 それから、これまた休日のピンポイント攻撃となる春期講習明けの4月4日に、今年の卒業生たちに率いられて(!)東京ディズニーランドに行ってきました。同行した宮尾先生は既にビギナーの域を脱しているようですが、ぼく自身は生涯二度目となるTDLです。初めてのディズニーランドがやはり卒業生たちに連れて行ってもらったものであり、もはやそんな機会を捕まえでもしない限りディズニーランドとは基本的に縁がないに違いありません。 それにしてもディズニーランドに行くというのは一大事です。これは前回も感じたことですが、中途半端な覚悟では決して臨めません。朝5時に国分寺駅集合というところから既に命懸けです。電車も動いていないその時間に間に合わせるために、貴重な睡眠時間を削って飛び起きて、久米川からタクシーをつかまえて国分寺に乗り込みました。ただ、本来ならば万全の準備をするべきディズニーランドの基本スタイルである「各種耳飾り」や「首からぶら下げたバケツ(ポップコーンを購入するためのもの)」は、恐れ多くてまだ手が出せません。そうして優に1時間以上早く到着し、朝食用に用意しておいたアンパン(知る人ぞ知る4月4日はアンパンの日なのです)をペットボトルの珈琲で胃に流し込みながら開園時間を待ちます。園内に入れば入ったですぐさま全力疾走。そういえば初めて来たとき、まるっきりの初心者である何も知らないぼくは、改札をくぐったところで一人置き去りにされたのでした。慌てて人込みに目を凝らすと放射状に散っていく人込みの中に、全力疾走で瞬く間に小さくなっていく宮尾先生の背中を見つけて、死に物狂いで追いかけたのでした。その点、今回は違います。入園と同時に卒業生の一人にチケットを渡して、全力疾走で打ち合わせどおりに「バズ・ライトイヤーのアストロブラスター」を目指します。列に並んで待つうちに「スペースマウンテン」のファストパスを人数分手に入れた卒業生が合流するという作戦です。それからは、ファストパスをとっては時間つぶしにどこかのアトラクションの列に並び…の繰り返しで、確か一日で都合12のアトラクションをクリアしたはずです。 それから、前回は特に感じなかったものの、実はパレードが強敵であるということに今回ようやく気付きました。4月5日で終了となる「シンデレラ城のミステリーツアー」に参加するべく移動を開始したぼくらをあざ笑うかのように、何度目かのパレードの列がぼくらの前に立ちはだかったのです。係員に聞くと、列の先頭にいるミッキーを捉えればその直前でシンデレラ城のあるランドの中心部へと渡河できるはずだと教えられ、ぼくらは人波を縫って反時計回りにパレードの列を追いかけました。ところがです。人の波にブロックされ通行止めに阻まれてなかなか行き足のつかないぼくらを追いかけて、パレードの列もジワリジワリと先へ進み、なかなかミッキーマウスを捉えることが出来ないのです。トゥーンタウンから追いかけ始めて、ファンタジーランド・クリッターカントリー・ウエスタンランドと歩き続け、アドベンチャーランド・ワールドバザールに至っても一向に渡河ポイントを見出せず、トゥモローランドまで歩いて、結局ぼくらはディズニーランドを丸一周してもシンデレラ城にたどり着くことができなかったのです。恐るべしディズニーランド。唯一の幸運は、最後となるミステリーツアーの記念に、勇者のみならず参加者の全員に「HEROメダル」がプレゼントされたことです。エンジ色のリボンで首にかけられたメダルは、園内を一周してようやくシンデレラ城にたどり着いたぼくらへのささやかなご褒美(ほうび)だったのかもしれません。そうして帰る頃には足の痛みに耐えかねて立っているのもやっとというくらい疲れ切ってしまったぼくでした。 もちろん、同じ季節を肩を並べて歩き通した卒業生たちと、そうしてぽつりぽつり語らいながら過ごす時間はとても楽しく貴重なものでした。が、しかし、ほんのダイジェストに過ぎない報告でありながら、ここにはすでにディズニーランドの恐ろしさと中途半端な覚悟で臨む危険性とが充分に表現できているはずです。恐るべし、東京ディズニーランド! それから、同じく週休であるはずの4月15日にも急なスケジュールが組まれました。獣医となって日本で経験をつんだ後、2年ほど青年海外協力隊でパラグアイに行っていた大昔の教え子が、ようやく帰国したので、その代の卒業生たちを中心とした歓迎会が開かれることになったのです。思えば2年前にも彼女の「国外退去歓送会」なるものを催したのでした。 ここ数日、恐ろしい頻度でやり取りされるメールによれば、タイミングが合わず残念ながら開催できずじまいだった今年の「お花見」の代わりに、華子という名の彼女を迎える会を「お華見」と称することが決定したとか…。 春を惜しむ人の心とは裏腹に、桜の花は惜しげもなく雨に叩かれ風に散っていきます。そうして、ぼくが一年中で最も好きな新緑の風景へと季節は日毎に塗り変わっていきます。けれども、そんな素敵な季節の中で、ぶらりと散歩に出たついでに馴染みの喫茶店に立ち寄って読み止しの文庫本のページをゆっくりとめくりながらのんびりと過ごすような休日は、まだまだぼくを訪れてはくれません。 ......

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