国分寺ブログ2021-05-24T15:24:53+09:00

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2006, 2024

【アーカイブ54】大人になるということ

By |2024年06月20日|Categories: 国分寺ブログ|0 Comments

 太陽を追いかけて東から西へ。それは若い向日葵の話。立派に成長した向日葵は重い首を垂れて、もう太陽を追うことを諦めてしまう。 まるで、憧れても太陽にはなれないことを知ってしまった大人たちのようだ。仰角70度超の、気の遠くなるような陽射しに射抜かれた日の午後は 積乱雲が天を突いて覇を競い合う。また、夏が訪れる。そういえば久しく夕立ちの匂いを嗅いでいない。 夕立ちのあとのむせ返るような土と草の匂い。 虹を追いかけたのも、確かそんな夕立ちの後だった。風が湿り気を帯びて夕立ちの近いことを知らせる。 緩やかにうねる乾いた畑の土を黒く塗り替え、用水路の水面を白く濁らせながら ものすごい速さで夕立ちが通り過ぎていく。 雨に叩かれた家々の屋根がぼんやりと白くかすんで見える。昔は雨に濡れることなど何ともなかったはずなのに、今はそうでないことがもどかしい。 むしろ水たまりを選んで水しぶきをあげながら歩いたはずのぼくが 今はそれを丁寧に避けて歩いている。 ......

706, 2024

【アーカイブ53】読むか読まぬか

By |2024年06月07日|Categories: Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

 唐突ですが、人生において大切なことは、「理想」を胸に抱き、その「理想」を忘れずに保ち続け、その実現のために自らに努力と工夫を課すことだと思うのです。  ただし、この場合の「理想」というのは、何も大それたことでなくていいのです。むしろ基本的であればあるほどいい。たとえば社会的な立場や肩書き、置かれた環境などとは無関係に「人間としてどう在りたいか」というようなことです。もっとわかりやすく言えば「笑顔の自分」がいいのか「ふてくされている自分」がいいのか「泣き言を繰り返す自分」がいいのかというような、誰にでもわかることがベストです。「そんなこと今さら・・・」という声が聞こえなくもないけれど、改めて周囲を見渡してみれば、実際のところそんな幼稚な命題すら忘れてしまう人間があまりにも多くて愕然とするではありませんか。  「困難にぶつかったとき、うろたえたり、挫けたり、言い訳に他人の責任を並べ立てる自分」でいたいのか、それとも「結果はどうあれ胸を張って困難に挑む自分」で在りたいのか。「生きていく上でどうしようもなく傷つけてしまう人の心の痛みを知らん顔で踏みにじる自分」でいたいのか、もしくは「そんな人たちの心の痛みを我がことのように背負っていく自分」で在りたいのか。「仲間なんて利用するだけで信じない自分」でいたいのか、あるいは「たとえ裏切られる瞬間があったとしても仲間を信じることから始める自分」で在りたいのか……。  具体的であればあるほどいいのです。  人生に行き詰ったときは是非試してみて下さい。簡単な二者択一の問題提起をして、自分は本当はどうしたいのか、どう在りたいのかと静かに自分自身と対話するのです。  「泣く」のか「笑う」のか、「行く」のか「行かない」のか、「大切」なのか「大切ではない」のか、「取る」か「捨てる」か、「挑戦する」のか「逃げる」のか、「考える」のか「考えない」のか、「聞く」か「聞かない」か、「伝える」か「伝えない」か……。  バラバラになってしまった自分というピースをもう一度ひとつひとつ組み立てなおしていく作業は根気の要ることです。「どんな人間で在りたいのか」という、自分なりのそういったひとつひとつの理想をしっかりイメージすること。そしてイメージしたらそれを忘れずに保ち続けること。それは決して容易なことではないかもしれないけれど、人生の切り札となるような大切なことなのです。   文責:石井  

2105, 2024

【アーカイブ52】浅間の横顔

By |2024年05月21日|Categories: Uncategorized, 国分寺ブログ|Tags: |0 Comments

 浅間の雄大な、それでいてどこか穏やかな横顔を見るために、毎年のように信州へ車を走らせます。軽井沢から中軽・追分を抜けて小諸へと向かう国道18号線を右に折れ、九十九折(つづらおり)の峠道を上り詰めると浅間2000スキー場を抱いた高峰高原に至ります。峠のレストハウスに車を止めて、トレッキングすること1時間30分で目的の場所へとたどり着きます。  浅間の正しい姿を見るなら黒斑山(くろふやま)です。Jバンドと呼ばれる浅間の外輪山のとっつきにあるトーミの頭(かしら)もしくは黒斑山の断崖絶壁に立つと、そこはまるで別世界です。深い、けれども光の飽和した谷には、まばらな針葉樹の間を埋め尽くした草原の広がり。それらを遥(はる)か足下に見下ろしつつ、遮(さえぎ)るものの何ひとつないガランと巨大な空間に泰然自若(たいぜんじじゃく)と胡坐(あぐら)をかく浅間の山容と、時の経つのも忘れて対峙します。  その浅間山が噴火したのは、ちょうど去年の秋口でした。随分と報道もされたのでご覧になった方も多いと思います。去年の噴火は、記録によれば21年振りとなる中規模噴火だったそうです。交通規制もなくなったゴールデンウィークにドライブした折に小浅間のレストハウスまで行ってみましたが、止まずに吹き上がる噴煙と、以前は高山植物で薄緑色だった斜面が流れ出した溶岩で赤黒く覆(おお)われていたこと、そしてレストハウスに近い有料道路際にまで転がっている火山弾が見慣れぬ風景となって噴火の激しさを物語っていました。  古くは1783年の大噴火で1200名を越す死者を出したことで有名な浅間山ですが、それ以外で言えば、立原道造の第一詩集『萱草(わすれぐさ)に寄す』に収録された「はじめてのものに」に見えるように1935年の噴火を知るのみです。  『はじめてのものに』                    立原道造  ささやかな地異は そのかたみに  灰を降らした この村に ひとしきり  灰はかなしい追憶のやうに 音立てて  樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきった ......

2103, 2024

【アーカイブ51】訪れる季節と去っていく季節

By |2024年03月21日|Categories: 国分寺ブログ|0 Comments

 過度の期待と不安のせいか、蓄積された疲労のせいか、始まる前にはうんざりするほど長く感じられる受験本番の日々。毎年のことではあるけれど、こうして通り過ぎようとする今になって、今年の受験生たちと共に、もっともっと闘い続けていたいような、そんな気持ちになるのです。それは結果の良し悪しとは別の、通り過ぎてしまうのがどこか惜しいような不思議な気持ちです。 もう随分と前の話ですが、ある夏の終わりに、教え子の一人と天幕を担いで八ヶ岳に登ったことがありました。  中学受験を終え、見事第一志望の開成中学への進学を決めた彼の父親から直接に電話が入って、一体どのような目論見があったのか、高校二年生となる五年後に一度彼を旅にでも連れ出してやって欲しいと頼まれたのです。安請け合いしたその約束を、けれどぼくも彼自身もとても大切なものとして位置付けていたのでしょう、彼が高校二年生となった春に、どちらから言い出すともなく旅の企画会議が始まりました。開成に進学してワンダーフォーゲル部に入った彼と、仲間に誘われて本格的に登山を始めていたぼくが迷うことなくイメージしたのは「山」でした。ボストンバッグがザックに、そして観光地のガイドブックが25000分の1の地図にすり変わり、そうしてぼくらは夏の終わりに二人きりで八ヶ岳を目指したのです。  初日の樹林帯の登り道で散々バテたぼくらでしたが、なぜか二日目の主峰赤岳への登頂に際しては二人とも思いのほか元気でした。そうして最後の岩峰に取り付いて互いに声を掛け合いながら慎重に三点支持の登坂を繰り返すうちに、ふと、この岩峰がどこまでも永遠に続くものであったらと願っている自分に気がついたのです。二人で声を掛け合いながら、どこまでもどこまでも登りつめていけたらと……。  今、この胸に去来するのは、その時の気持ちとどこか共通した感慨です。つまらない感傷と笑い飛ばしてください。けれども、肩を並べて大切な季節を共に歩き通した仲間の一人として、通り過ぎるひとつの季節に気持ちの上でしっかりと決着をつけ、訪れる季節に今一度新しい気持ちで立ち向かうために、ぼく自身の中で、どうしても向き合っておかなければならない感傷なのです。 文責:石井

2901, 2024

【コラム㊵】石に立つ矢もある!

By |2024年01月29日|Categories: 国分寺ブログ|0 Comments

同じこの季節を歩んだ者としてひとこと言わせてもらうなら、「受験」は「人生」そのものではないけれど、「人生」のひとつの局面であり、時に人生の縮図ともなるのだということです。 そこに臨む者の姿勢に、否応なく「人生」が映し出されるのです。 いたずらにビビったり蒼ざめたりする者は、やはり「人生」の他の局面に立たされたとき、同じようにうろたえるに違いないし、また、無理におどけて見せたり悪ふざけする者は、やはり人生の大事な瞬間にヘラヘラ笑って誤魔化したりするに違いありません。 ファインズの受験生諸君。静かに、けれども熱く燃えて、結果におびえず真摯に、出来ればそんな瞬間を心のどこかで楽しみつつ立ち向かう自身の姿をイメージしてみてください。 自分の「人生」の「主人公」らしく、そんな風に颯爽と格好良く、訪れる春を迎えようではありませんか。 「頑張れ受験生諸君! 立ち向かえ、自分の人生に!」   文責:石井

1101, 2024

【アーカイブ㊿】松過ぎのまたも光陰矢のごとし

By |2024年01月11日|Categories: 国分寺ブログ|0 Comments

 「松過ぎのまたも光陰矢のごとし」  季語は「松過ぎ」で新年の俳句です。「松過ぎ」の松とは「松の内」のことで、門松を立てて新年を祝い、年神を迎える1月1日から7日までの期間を指します。よって「松過ぎ」とは1月8日以降のこととなります。また、「光陰」とは月日や時間の意で、つまり句意は【七草粥をいただいて松の内が明ければ、松飾りもすっかり片付けられて、まるで魔法が解けたように街並みはどこか淋しい冬の風景に戻ります。「ハレ(ここでは正月)」から「ケ(日常)」へ。するとどうでしょう。それまでどこかゆったりと感じられた時間までが、弾みをつけて流れ出し、引き絞って放たれた一本の矢のように瞬く間に過ぎ去っていくようではありませんか。】ということになります。  1月7日を皮切りに、既に中学受験がスタートしています。東京都の私立高校の受験解禁までちょうど1ヶ月。早い生徒はあとほんの10日ほどで入試へ突入します。  「光陰矢のごとし」です。詰めの甘さで後手をとらないように、日々の学習計画を今一度練り直して、万全の体制でその日を迎えて欲しいと思います。健康管理にも細心の注意を払いましょう。 文責:石井  

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