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【アーカイブ⑩】自分を大切に
自分を大切にしない人は哀しい。 自分しか大切にできない人は嫌いだ。 人のために自分をすり減らす人を見ると、こちらまで不幸になる。 人を踏みにじって心に痛みを感じない奴を見ると腹が立つ。 だからいつも、ぼくは自分を大切にする。 人を踏みつけていくためではなく、人を大切にし、人を愛する資格として。 だからいつも、ぼくは人を大切にしようと思う。 自分を犠牲にするのではなく、自分を生かし、自分を完成に近付ける手段として。 文責:石井
ファインズ夏季公開テスト2022
夏休みで目標にグッと近づこう! お申し込みはこちらから ▶お問い合わせフォーム◀ 中学生にとって夏休みは大きく学力を伸ばすチャンスです。 しかし、学力を伸ばすといっても、どこを伸ばしたらいいのでしょうか?今の弱点はどこにあるのでしょうか? ファインズ夏季公開テストでは学年ごとにこの夏休みまでに身につけておいてほしい基本~標準的な問題を幅広く出題します。 未履修単元は出題しませんので、中学校で学んだことがどれだけ定着できているかがはっきりと分かります。 その通りです。この公開テストを通じて、今、みなさんが課題としてる教科や単元を明確にすることができます。 でもご安心ください。私たちファインズは「絶対!見放さない塾」です。 ......
【コラム㉔】三種の神器
名古屋に所用で出かけた際、時間が余ったので名古屋城と熱田神宮を巡りました。ちょうどよい機会かと熱田神宮にちなんで「三種の神器」について整理してみようと思います。 「さんしゅのじんぎ」「さんしゅのしんき」「みくさのかむたから」等さまざまな呼び方のある「八咫鏡(やたのかがみ)」・「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」別名「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」・「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」を、みなさまご存じでしょうか。 古事記によれば、天照大神(あまてらすおおみかみ)は、孫にあたる「ににぎのみこと」が葦原の中つ国に天孫降臨する際にこの三種の神器を授けたとされています。 ■「八咫鏡」はもちろん鏡ですが、古代の銅鏡であると解釈される一方、古事記の記述に沿って鉄製である可能性も指摘されています。 ■「天叢雲剣」は、ご存じの方も多いと思いますが、天照大神の弟神であるスサノオノミコトが、出雲で倒した八岐大蛇(やまたのおろち)のしっぽから出てきた宝刀です。その後、天照大神の手に渡り、さらに日本武尊(やまとたけるのみこと)が譲り受けます。東征で現在の静岡まで来た時に、野原で四方八方から火をつけられて火攻めにあったとき、辺りの草を薙ぎ払い、火打石を使って逆に迎え火をつけて難を逃れたという故事以降「草薙剣」と呼ばれるようになったのです。ちなみにその場所は、現在の「静岡県焼津市(やいづし)」で、故事にちなんだ地名となっています。 ■「八尺瓊勾玉」は、その名前から大きな赤色の玉(ぎょく)でできた勾玉と考えられます。 ......
【定期テスト対策】1学期期末対策 特別映像
こちらのページから「1学期期末テスト対策講座」の必出問題の解説をご覧いただけます。 ◆中2数学 https://youtu.be/z6BlZeC3gOE ◆中2理科 https://youtu.be/YQTxKzjThI8 https://youtu.be/pxnstD5eZ3U https://youtu.be/3YUTK7Wtc0E ......
【アーカイブ⑨】五月雨
明るい空から大粒の雨の雫(しずく)が時折パラパラと落ちてくるような、そんな天気の日が昔から好きでした。見渡す限りの空間を満たして落ちてくる大粒の雨の雫のひとつひとつが光を宿して、まるで自身が光を放ってでもいるようにキラキラと輝いています。急ぎ足で駅前のロータリーを横切っていく人の波に雨の雫が降りかかると、色とりどりの傘の華がパッと一斉に咲きます。 空のどこか高みに風の通り道があるのか、雲のかたまりがびっくりするほどの速さで北へ流されていきます。空はどこか明るくて、今にも雲が切れそうです。その雲の上では日毎に光の飽和したあの夏の空が用意されていきます。そして地上には、一体誰の粋な計らいか、その空の色を写した紫陽花の花……。 そんなふうに考えれば梅雨も案外捨てたものではないですね。 ご存知のように「五月雨(さみだれ)」の「五月」は旧暦の五月であって、つまり「五月雨」とは「梅雨」を指す言葉であります。従って「五月(さつき)晴れ」は「梅雨晴れ」ともなり、梅雨の合間の晴れた日を表現した言葉という理解になります。ところが、字面に導かれてか、これらは「五月の雨」「五月の気持ちよく晴れた日」とのイメージが強い気がするのです。ただし現代では「五月晴れ」に限って新暦をそのまま当てはめて後者の扱いも許容されます。 この「五月雨」という言葉、「古今集」以来用いられてきた雅語(がご)で、対して「梅雨」は俗語となります。「さみだれ」を「小乱れ」に掛けて恋に心乱れる様を歌ったわけですが、いかにも平安歌人らしい気がしますね。 ところでこの季節、空模様だけでなく、ぼくらの生活そのものもどこかはっきりしないぐずついたものになりがちです。季節感と生活心理との呼応は恐らく間違いのないことで、日本人はそういった傾向がことさら強いようですが、だとすればなおさら、心にも「五月晴れ」の一日を用意する工夫が必要になってきます。心までカビてしまわないように、しっかりと心の窓を開け放ち、新鮮な風を送り込んでやりましょう。 ......
【コラム㉓】そうだ 京都、行こう! ⑥
平安神宮の鳥居の大きさには目を見張ります。 左京区岡崎にある平安神宮は、平安遷都1100年を記念し第50代桓武天皇を御祭神として明治28年に創建されました。 幕末から明治維新にかけての動乱、および東京奠都(てんと)で、物理的にも心理的にも荒廃・衰退した京都を復興する際の、ひとつの象徴的な建築であったと想像されます。 ※「遷都(せんと)」と「奠都」はほぼ同義と考えて間違いありませんが、遷都がこれまでの都を廃して新都に移る意味であるのに対して、奠都は単に新しい都を定めるという意味で、これまでの都(京都)を廃する意味合いを含んでいないという違いがあります。当初は京都の人心や反対派を抑えるために形ばかり東西両京という体制をとったと考えられます。 平安神宮の社殿は、桓武天皇による遷都当時の平安京の正庁・朝堂院が約8分の5の規模で再現されているそうです。壮大な平安神宮ですが、朝堂院はさらにその1.6倍の規模であったということです。1200年前に、その規模の建築が行われたと考えると想像を絶しますね。 京都岡崎のランドマーク「大鳥居」をくぐり、岡崎公園を抜けて平安神宮をゆっくりと巡るころには、日頃の運動不足のせいかさすがに疲れも出て、休憩がてら水分補給するつもりで隣接する「京都ロームシアター」の「京都モダンテラス」に寄り道です。 居心地がよく、つい長居をしてしまいましたが、日没前に鴨川デルタを渡ろうと今回の突撃・京都旅行の最後の行程に出発します。 幕末の歴史の舞台ともなった二条城に続く二条通りを通って鴨川河畔に出て、東岸をのんびりと遡行します。二城大橋から丸田町橋・荒神橋・加茂大橋をくぐって鴨川デルタまでおよそ2kmの道のりのです。斜面に足を投げ出して夕涼みをする人、全身スキのないウェアに身を包みランニングをする人、レジ袋を提げて犬の散歩をする人、仕事帰りのスーツ姿。 誰もが、川端通りではなく河川敷の遊歩道を行き交います。日常生活の中に、そんな風に憩いの時間や空間があることが少しばかりうらやましいくらいです。 ......





