国分寺ブログ2021-05-24T15:24:53+09:00

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2305, 2023

【アーカイブ㉞】百篇のひとりごと

By |2023年05月23日|Categories: Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

 言葉なんていらない、と思う。どれほど言葉を費やしても想いが伝わらないならば・・・。  言葉など必要ない、とも思う。心に描くだけで想いが伝わるのであれば・・・。    自分の表現力を棚に上げてそんなことを考えながら、それでも今日まで数え切れないほどの言葉を紡ぎ出し、恐らくは明日からも言葉の可能性に賭けてみるという決意に変わりはないのです。  こうしてファインズのホームページにコラムを書き始めて、早くも1年が経とうとしています。<ひとりごと>も100回を数えるまでになりました。  その時々の思いの丈を、またある時は長い長い時間心に大切に温めてきた様々な季節の横顔を、そっとすくい上げるように言葉に置き換えて綴ってきたつもりでいます。   2005年6月10日 No.1 美しい言葉を心の引き出しに豊かにしまっている人は、その人自身がまた例えようもなく美しいと思うのです。  美しい言葉と出会うこと、またはそのために努力することが、ぼくらの人生を豊かに彩ってくれることは想像に難くありません。 ......

1105, 2023

【コラム㉝】マンホールカード

By |2023年05月11日|Categories: Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

マンホールカードの収集が秘かなブームになっていることをご存じでしょうか。 地元の国分寺市でも2種類のマンホールカードが無料配布されています。 宇宙開発に所縁のある国分寺市らしく、国分寺駅北口周辺に宇宙開発にちなんだ14種類のデザインマンホールがありますが、マンホールカード第1弾はその中から特に「ペンシルロケット」のデザインのものが選ばれています(2017/12/9発行)。    配布場所は…… ①平日 市役所 ②土日祝日 cocobunjiプラザ総合案内(cocobunji West 5F)   ......

2004, 2023

【コラム㉜】新緑の季節

By |2023年04月20日|Categories: 国分寺ブログ|0 Comments

   透き通る欅の新緑を渡るひんやりと心地よい風の色   若葉を透きこぼれる陽射しの匂い   雑踏に柔らかく溶け込んだ様々な音の肌触り   今まさに初夏を迎えようとする   生き生きと優しい風景の中で   大きな声で叫んだり   熱く語ったりする必要もなく   生きることをサラリと肯定してみせる自然の営みは   まったく見事としか言いようがありません  ......

604, 2023

【アーカイブ㉝】On your mark

By |2023年04月06日|Categories: Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

 入学式を終えていよいよ中学生・高校生となった今年の卒業生たちが、まだどこか着慣れない真新しい制服姿で、ぽつりぽつり校舎へ顔を出してくれます。  少しずつくたびれて着慣れていく制服と引き換えに、彼(彼女)らは一体どんな経験を重ねていくのでしょうか。修行中の身であってみれば、無事平穏な、あるいは良いことばかりの薄っぺらな日常より、なけなしの智恵と勇気を総動員して自らの責任と努力で乗り越えていける程度の艱難とも適度に出会いながら、人間としての厚みを増していって欲しいと、何だか贅沢なことを望んだりもします。    ところでこの「入学式」ですが、どういうわけかぼくの記憶の中では「卒業式」ほどには印象に残っていないのです。  新しい季節へと最初の一歩を踏み出していくときの晴れやかな気持ち。小さな胸に満ちた期待と不安。それが光の飽和した桜の季節であること……。けれども、人生におけるその大切な瞬間がすっぽりと抜け落ちてしまったように印象に薄いのは一体なぜでしょう。  例えばそれは、心の中のアルバムに仕舞うのが「可能性」などという抽象的なものではなくて、それぞれの季節を彩る大切な人や風景といった具体的なものであるからでしょうか。あるいはまた、心の中に大切な人たちが座るべき何脚かの椅子があるとすれば、記憶に刻むのはそこに座った大切な一人一人の人であって、これからそこに座るべき人を待っている空の椅子などでは決してないということなのかもしれません。  そうそう、今年の卒業生たちの話でした。  中学時代・高校時代と、甘酸っぱくて、どこかほろ苦い思いをもってそんな季節を過ごしてきたぼく自身の経験から言っても、誰もがすぐに大人になってしまいます。本当に、それは瞬く間に通り過ぎてしまう季節なのです。だから決して急ぐ必要はありません。急ぐあまりに中味のない大人になってしまっては元も子もありません。良いことも悪いこともひっくるめて中味の濃い、充実した少年時代・少女時代を過ごした人だけが心豊かな大人になれるのだとすれば、「今」「ここ」を軽視して「いつか」「どこか」を追い求めてばかりいる空疎な日常であってはならないのです。  「On your ......

2903, 2023

【コラム㉛】次のステージに至る分岐点

By |2023年03月29日|Categories: 国分寺ブログ|0 Comments

 いくつかの小さなミス、それは本当にとるに足らない、通り過ぎてしまえば存在したことすら誰も思い出すことの出来ないような些細な失敗が複雑に絡み合って、ある瞬間に避けようのない大きな壁となって人生に立ち塞がることがあります。  それはまるで小さなうねりを重ね合わせた波の動きが突然のように高波となって磯を飲み込む現象と酷似しています。  無事であれば容易にイメージできた最善の結果に至る道が、困難を通り越して不可能の海溝の底深く沈みこみ、最早どう足掻いても取り戻せないとすれば、ぼくらは残された僅かな可能性に一体どのような優先順位をつけ、どんな解決を図ればよいのでしょうか。  危機管理などといっても、ぼくらの日常におけるそれはあまりにも現実感から遠い地平にあるのです。  誰もが納得のいく解決が得られない苦境に際しては、自己の利益を優先させる方法は以ての外で、次のステージへの展望を無視した強引な突破もやがては致命傷に至る無数の傷を生み出すだけの愚かな行為であり、なけなしの知恵を絞って考えるなら、ぼくらのとるべき態度は人を大切にする誠実さ以外にないのではなでしょうか。  仮にそれで当面の目標が遠ざかるのだとしても、人を生かす道の先には必ず次のステージに至る分岐点が存在するに違いないと確かに思うのです。。 文責:石井

2303, 2023

【アーカイブ㉜】なごり雪

By |2023年03月23日|Categories: 国分寺ブログ|0 Comments

 ここ国分寺の街でも、午後になって思いがけずささやかな雪降りとなりました(注:2023年ではありません)。こんな季節外れの雪を「名残り雪」と呼んだりします。  覚えている人もいるかもしれませんが、21世紀の初めの年は、桜の咲きそろった3月も末の31日になって突然の大雪が降ったのでした。  あの年、4月を待たずに満開となった久米川通りの桜は、けれども桜特有の、あの内に秘めた熱情のようなものが感じられず、代わりに少し青ざめて見えるその表情の向こうに、恐らくは誠実であるがゆえの凛々(りり)しさとどこか震えるような哀しみとが感じられたのです。それはまるで熟す前の果実のようでした。  そこへ思いがけず季節外れの雪です。久米川では桜の花びらよりも大きな牡丹雪が、羽根飾りのように音もなく降りしきって、忘れかけていたぼくの童心にパッと灯りを点してくれました。そうして、ぼくはあっさりと納得したのです。折角の桜がそんなにも青ざめて見えたのは、弥生の空を最後に飾る、そんな雪を予定していたからだったのだと。  「思いがけず降り出した雪に『なごり雪』のメロディーが鳴り止まないぼくです。」  歓喜のあまり、そんなメールを思いつく友人に片っ端から送りつけました。PHSから携帯に替えて間もない頃だったからか、送り主のわからないそんなメールに友人の一人が「だれ?」と返事を寄越して、初めて自分の失態を理解しました。慌てて「石井です(^^;)」と返信したところ、「そうだろうと思った(^^)」と、あっさり見抜かれていたことに苦笑いした覚えがあります。    「なごり雪」                           伊勢 正三  汽車を待つ君の横で、ぼくは時計を気にしている。 ......

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